第十二話
25
さて、同じころ――
ロバは勝手に宿の厩を出ると谷あいの丘陵地帯を歩いていた。言うまでもなく昨日と同じ目的を果たすためである。
『今日も人妻!!』
若い女子との絡みも悪くないが、落ち着いた雰囲気とそつのない立ち居振る舞いは人妻ならではのものがある。
ロバはニヤつくと昨日と同じく湯治場へと足を進めようとした。
*
そんな時である、湯治場まで300mほど離れた茂みから人の声が聞こえてきた。いつもなら無視して進むのだが、その声に聞き覚えがあったためロバは声の方に顔を向けた。
『あれ、アイツ……』
ロバの眼に草むらで嬲られている存在が映る。
『やられてるな……』
ロバの視野には亜人のDQNに恐喝される少年、ザックの姿が映っていた。
*
温泉に行こうとしたザックはその客を目当てにした性質の悪い少年に絡まれていた。鈍重なザックは胸ぐらをつかまれると懐にあった財布(小銭の入った皮袋)を一瞬にしてむしりとられていた。
その一部始終を見ていたロバはため息をついた。
『ああ、ありゃ、駄目だ……』
ザックはまんまと有り金を巻き上げられると何とも言えない情けない表情を浮かべている。
『なさけねぇな……』
ロバはそう思うと短い脚をトコトコとすすめ、哀れな子犬のような表情を浮かべた少年のところに歩み寄った。
*
「なんだ、この糞ロバ!!」
少年から奪った金額が少なかったため機嫌の悪いDQNはロバを睨み付けた。
「何見てんだよ、不細工!」
DQNの少年はそう言うとロバの顔を見た。
「アホ面しやがってこのロバ……」
DQNはそう言うとロバの脇腹をこついた。
「短けぇ、脚だな。まともに荷物も運べネェだろ!」
DQNはそう言うと急に閃いた表情を浮かべた。
「そうだ、お前を農場に売ってやる、多少の小遣いにはなるだろう!!」
小銭を稼ごうとおもいついたDQNはロバの手綱を引っ張ると草村から出ようとした。
その時である、なんとザックが声を出した。
「やめろ、それは人様のものだぞ!!」
ザックはそう言うと立ち上がった。
「うちのお客さんのロバだ。勝手に売ろうなんて……」
二の句をザックが告げようとすると、その前にDQNの拳がザックの顔面に飛んだ。
「黙ってろ、この知恵遅れ。調子こいてんじゃねぇ!!」
バチッという音が木陰に響くとザックの鼻から血が流れた。
だがザックは殴られてもDQNの袖を放さなかった。不細工なロバにシンパシーを感じているか、それとも売られようとするロバに憐憫の情を感じているのか……ザックは意地でも離さないという姿勢をとった。
しかし、これが不味かった。もみ合った拍子にザックの頭部がDQNの鼻に当り、出血させるという事態が生じたのだ……
鼻血で麻シャツを汚したDQNはその顔色を変えるとザックを睨み付け、懐から刃物を取りだした。
「この糞が!!」
偶然とはいえ思わぬ反撃を受けた亜人のDQNは怒髪天の表情を見せるとザックに容赦なく刃を突きたてようとした。直情的なタイプなのであろう、我を忘れたDQNには力加減などできない……
もちろん鈍重なザックに対応する術はない――極めて不味い状況がサングースの茂みで展開した。そして――DQNの一撃がザックの脇腹をとらえようとした。
ザックの人生に終局が近づく――
『あっ、俺、もう駄目だ……』
ザックがそう思って目をつぶった瞬間である、ザックの耳に妙に鈍い音が響いた。
*
「痛ぇっ!!!」
DQNの少年は右足のむこうずねをおさえるとその場に突っ伏した。明らかに打撃が与えられたのは間違いない。
ロバは右足をおさえるDQNの少年にやおら近づくと今度は左足のむこうずねに一撃かました。嫌な音が木陰に響く――明らかな打撲――否、それ以上の衝撃音が再び茂みに響いた。
ロバは冷ややかな表情を見せると両足をおさえる亜人のDQNを見下ろした。その表情には刃物を抜いたDQNを『赦さない』という思いが潜んでいる。
「お前、一体、何なんだ……」
思わぬ事態にDQNはその声を震わせたが性懲りもなく再びナイフをその手にしようとした。
「畜生ふぜいが、舐めんな!!」
亜人のDQNはそう言うと刃をロバにめがけて突き立てようとした。
だが、ロバはその一撃を軽くいなすとDQNの顔面にむかって頭突きをかました。ゴツンと言う鈍い音が茂みに響く――
鼻を潰され息ができなくなったDQNはその場に突っ伏した。
ロバは苦しむDQNを見下ろすとその眼を細めた。そこには憐れみと哀しみが浮かんでいた。
*
一連のやり取りを見たザックは鼻の穴を広げて興奮した面持ちを見せた。
『すごい……このロバ……』
度肝を抜かれたザックは奪われた金さえとりかえすことなく、茂みから出たロバに駆け寄った。
「助けてくれて、ありがとうございます!!」
直立不動で言われたロバはそれに対して何も答えず、湯治場へと向かった。その様は悠然としていて泰然としている。
去りゆくロバのケツを見たザックは思った。
『あの、ロバ、しゅごい……』
そして、ザックは一つの結論に至った。
『師匠と呼ぼう、あのロバの事を……』
ザックはそう思うとロバの後を追った。
26
さて、ほぼそれと同じころ――
ミズーリで情報収集したスターリングとカルロスは亜人の老婆が言ったことの裏を取るべく税務局にその身を置いていた。
そして一日半――
税務局の職員のもたらしたリストを精査していたカルロスが呻った。
「ありました、スターリングさん!!!」
カルロスが薄くなった頭頂部をきらめかせてそう言うと税務官からもたらされた納税記録をスターリングに見せた。
「やはりね……」
スターリングはきっちりと納められた納税記録を見ると自分の勘が当たったことにほくそ笑んだ。
「ユミールとケイトの名で納めてあります、間違いありません!!」
カルロスがそう言うとスターリングが小さく頷いた。
「なるほど……こういうカラクリか」
スターリングはそう言うと自分の推理を展開した。
「デール夫妻を殺害して背乗りした犯人はミズーリの売春宿で火事をおこし、そのどさくさに紛れて宿主の金を盗んだ。さらには金庫番だったユミールとケイトを殺害。そして今度はユミールとケイトの戸籍を乗っ取った。」
カルロスがうなずくとスターリングは続けた。
「そしてユミールとケイトの名で新たに生活を始めた犯人はミズーリを離れた。」
スターリングがそう言うとカルロスが素朴な疑問を口にした。
「この犯人はなぜ税金をきちんと納めているんでしょうか?」
それに対してスターリングは真顔で答えた。
「カモフラージュよ、納税していれば品行方正な市民に見える。人を殺して戸籍を乗っ取る犯罪者とは思えないでしょ。行政の書類に不備がなければ誰も疑わないでしょう……」
言われたカルロスは『なるほど』と呻った。
「カルロス、この犯罪者は普通じゃない、道徳や倫理といった概念がないわ。自分たちが生き延びるためには手段は択ばないタイプよ……」
スターリングはそう言うと厳しい目を向けた。
「こいつらは人間じゃないわ、良心の欠片さえ感じさせない……」
言われたカルロスは生唾を飲み込んだ。
「カルロス、納税証明の最後はどこで発行されてる?」
言われたカルロスは書類に目を落とした。
「……サングースですね……」
言われたスターリングは声を上げた。
「あそこは湯治場だから宿が多くあるわ、もぐりこんだらわかりにくいでしょうね……」
言われたカルロスはスターリングを見た。
「サングースの治安維持官に伝書鳩で渡りをつけましょう。そうすれば便宜をはかってもらえるはずです!」
カルロスが続けようとするとスターリングが人差し指でカルロスの唇をおさえた。
「駄目よ」
にべもない言い方にカルロスは怪訝な表情を浮かべた。
「ミズーリの治安維持官のように犯罪者と結託する連中がいる可能性がある。最悪、捜査情報が漏れるかもしれない。」
言われたカルロスはその目を点にした。
「広域捜査官はね、この国の治安を預かる存在よ。同じ職に就く人間でも信用できなければ容赦なく切り捨てなくてはいけない。ミズーリのように犯罪者から袖の下を貰って目こぼしするような連中がいる可能性は捨てきれないわ。」
スターリングは相も変らぬ冷え冷えとした氷の瞳でそう言うと、カルロスは自分のホームタウンで起こった汚職の連鎖を思いおこした。
「治安維持官がきちんと目を光らせ、袖の下を貰っていなければこんな事件はおこっていなかったはず」
スターリングは断定するとカルロスの肩を叩いた。
「さあ、いくわよ!!」
そう言ったスターリングの表情は一段と引き締まっている。そこには尋常ならざる犯罪者と対峙することを腹に決めた捜査官の強い意志が宿っていた。




