第十一話
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話はベアー達に戻る――
ジュリアとベアーは宿を出るとレオナルド家に向かった。ジュリアの戦略『菓子折りのマフィンで何とかなるんじゃねぇの大作戦』を敢行するべく大きな一歩を踏み出していた。
*
ベアーとジュリアの2人はレオナルド家の館につくと裏門に回って呼び鈴を鳴らした。お互いに気合を入れた表情を見せると大きく深呼吸して心を落ち着けた。
程なくすると不機嫌そうな態度を見せた執事が現れた。傲岸不遜とは言わないまでもその表情は険しく二人を敵とみなすような雰囲気を醸している。
「昨日は申し訳ありませんでした。至らぬ対応を見せまして……」
ジュリアが平身低頭するとベアーも頭を下げた。
それを見た執事は胡散臭そうな目を二人に向けると口を開いた。
「新しい毛皮のコートが用意できたんですか?」
嫌らしい口調で執事が言うとジュリアがそれに答えた。
「いえ……まだです。もう一度寸法を計らせていただいて、そのあと仕立てることになりますので、お時間を頂戴したいのです」
「時間がかかるとは納期に間に合わないという意味ですか?」
執事がわざとらしく言うとジュリアがそれに答えた。
「間に合うかどうかはわかりません、毛皮はなめしてからクリーニングせねばなりませんから、ある程度時間はかかります。」
ジュリアは申し訳なさそうに続けた。
「もし、レオナルド様の御都合が悪いようでしたら――デポジットをお返しして注文のキャンセルを……」
ジュリアが続けようとすると初老の執事は鼻で笑った。
「業者の都合などこっちの知ったことではありません。納期内に商品を納めるのが筋でしょう。」
初老の執事はそう言うとにべもない態度をとった。
『駄目ね……このままじゃ……』
取り付く島がないと思ったジュリアは切り札を出すことにした。ベアーはその所作を見て祈るような気持ちになった。
『頼む、マフィン、お前だけが……頼りだ』
ベアーがそう思うとジュリアは片膝をついて初老の執事にマフィンの入ったバスケットを差し出した。
「不手際のお詫びにこれをお受け取りください!」
バスケットの合間から仄かなバターの香りがあふれる、それは執事の眉をピクリと動かした。そこには明らかに興味をそそられた節がある……
それを見たベアーに確信が生まれた。
『イケル……いけるぞ、これ……』
マフィンを受け取れば少なくとも交渉の糸口がつかめる、ベアーはそう思った。
その時である、ジュリアが執事に声をかけた。
「このマフィンはあなたの奥様が私の叔母に教えてくれたレシピで造ったものです。誉れあるレオナルド家の味を再現させていただいております……」
ジュリアがレオナルド家伝統の味を再現したことを敬意をこめて伝えると、執事は突然その顔色を変えた。そしてジュリアを見ると怒髪天の表情を見せた。
「私の妻と今の案件と関係ないだろ、このようなものでごまかそうとは不届き千万!!」
殺意とも思える強い感情を見せた執事は豹変するとマフィンの入ったバスケットを叩き落とした。
「このようなもので気を引こうとは下賤の輩でも考え付かんわ!!』
執事はそう言うとバスケットの蓋が開いて地面に転がったマフィンを踏みつぶした。
それを見たベアーは執事のあまりに無礼な行動にカチンときた。
「それは酷いんじゃないですか、いくらなんでも、そういう態度は!!」
ベアーはいきり立って続けた。
「食べ物を粗末に扱うのは貴族の執事といえどもモラルに反する行為です。それも、こんなにおいしいマフィンを……あなたは謝罪するべきです!!」
ベアーは田舎で貧しい暮らしをしてきたため食べ物に対する思いは並々ならぬものがあった。素材にこだわり手間をかけて造ったマフィンをぞんざいに扱う執事の行動は蛮行として映った。
「あなたは人としての恥を知るべきです!!」
顔を真っ赤にしたベアーが憤怒の表情で初老の執事を糾弾すると、執事はそれに対して陰険な眼で切り返した。
「男爵に仕える使用人が伯爵家の人間に楯突くのか?」
執事の物言いは貴族の世界にある階級を前面に押し出している。貴族の絶対的な身分制をかさに着た圧力である。
だが圧力であれ横暴であれ『公、侯、伯、子、男』という身分の序列は絶対であり、男爵が伯爵に物言うことは許されていない。もちろん使用人も同じである……
状況を一瞬で看破したジュリアはその場で頭を下げた。
「申し訳ございません!!」
だが、執事はそれでも許さないという表情を浮かべた。傲岸不遜とはいったモノだが執事の態度はその言葉通りであった。
『これじゃらちが明かないわ……』
そう思ったジュリアは膝を折って地面に足をつけると正座の姿勢をとった。
「本当に申し訳ございません!!!」
ジュリアは額を地面に擦り付けると全力の土下座を見せた。そこにはプライドなど微塵もなく、ただただ謝るという姿勢が見て取れる。隣にいたベアーは思わぬジュリアの行動に泡を食ったような表情を見せた。
一方、その姿を見た執事は大きく息を吐いた。そしてしばし土下座したジュリアを眺めると矛を収める姿勢を見せた。その背中には形容しがたい優越感が浮かんでいる……
執事はわざと咳払いするとジュリアに吐き捨てるように言った。
「この不届きな使用人はきちんと調教しておきなさい!」
執事はそう言うとベアーに睨みを利かせてから門の内側へと入って行った。
ベアーはあまりの悔しさに全身を震わせる他なかった。
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宿に戻るとベアーはジュリアに深く頭を下げた。
「すいません、僕の不用意な一言で状況が悪化してしまって……それにジュリアさんに土下座までさせて」
ベアーが心底申し訳なさそうにそう言うとジュリアが大きく息を吐いた。
「もういいのよ……」
ジュリアはそうは言ったがその表情は複雑である。この先の事が読めないため方針がさだまらないのである。
ベアーはその表情を見ると今更ながら自分の言動を悔いた。
執事の横暴な態度に憤ったベアーは義憤に駆られて正論を振りかざしたものの、商談は御破算となり状況は悪転した――ジュリアに恥をかかせただけであった。
『失敗したな……マフィンもダメになったし……』
ベアーが気を落とした表情を見せるとジュリアが声をかけた。
「とにかく次の策を考えましょう」
既に万策尽きた感じはあるがこのまま取引をなおざりにするわけにはいかない。フォーレの名を貶めるわけにはいかないため、ベアーは自分の失態を取り返すべく知恵を絞った。
『……どうすれば現状を好転させることができるのか……』
激高した執事の怒りを鎮め、取引を成就させるためには並々ならぬ策が必要となるだろう。
15歳の少年にはあまりに厳しい展開であった。
*
そんな時である、ジュリアが再び声を上げた。
「私、午後にもう一度レオナルド家に行ってくる……何とか注文のキャンセルをとってくるわ。」
ジュリアは自分の戦略が破たんしたことに上司としての責任を感じていた。
「ベアー君、君はここで待機していて」
これ以上トラブルがひろがらないようにジュリアがそう言うとベアーは申し訳なさそうな表情を見せた。
「すいません……マフィンの扱いがあまりに酷くて……あんな態度をとってしまって……」
ベアーがそう言うとジュリアは嗤った。
「でも、悪い気はしなかったわよ。マフィンの事で伯爵の執事に物申すなんて、なかなか普通の見習いじゃできないんだから……」
ジュリアはそう言うと立ち上がった。
「執事の奥さんに直接会って、何とかとりなしてもらえるように頼んでみる。執事が駄目でもその奥さんなら何とかなるかも……」
ジュリアはそう言うと搦め手から攻める戦略に方針転換した。
「おばさんトークで乗り切れるかやってみるわ!」
『全力土下座』を見せた大人の女はすでに戦略を切り替えたようで、その表情は朗らかであった。だがその表情の裏にはベアーの失態をフォローしようとする思いが滲んでいる。それを読み取ったベアーは『ただただ申し訳ない』と思うほかなかった。




