第十話
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さて物語は白骨死体の案件に戻る――
カルロスとスターリングはミズーリで思わぬ事態(背乗りした被疑者が火事で死亡)にぶつかり、捜査の強制終了という後味の悪い結末にいたっていた。二人はその事実に胸を痛めるとPUBに向かって葡萄酒を煽った。
「人を殺してその戸籍を乗っ取り……それからその人物になりきって生活。だけど最後は火事で死亡……やっぱり悪いことなんてできないんですよ」
カルロスが葡萄種を飲みながらそう言うとスターリングは先ほどと同じく不愉快そうな表情で答えた。
「亡くなったデール夫婦は新婚で……お金をためて自分たちの農園を買おうとしていた。それがある日突然、撲殺される……犯人はデール夫婦の遺体を遺棄して、その戸籍を乗っ取って生活。その後、ミズーリの宿で生じた火事で死亡……親御さんにこの事実を伝えるのはつらいわね」
既に年老いた親に息子の死亡だけではなく、その犯人も逮捕できなかったという事実を伝えなくてはならない。スターリングたちにとっては喜ばしいことではなかった。
「せめて背乗りした犯人が逮捕できていればね……」
スターリングが無念そうにそう言うとカルロスがそれに答えた。
「この仕事をしているといいことの方が少ないですよ……満足のいく結果が出ることなんて、そうそうありません。」
犯罪事案を解決してもその結果が納得のいくものになるかと言えばそんなことはない。被害者遺族に厳しい現実を突きつけることも往々にしてある。捜査として得られた事実はハッピーエンドを導くものではないのだ。
2人はその後、しばし沈黙した。
スターリングは突然、葡萄酒を煽るとその美しい表情をカルロスに向けた。
「ねぇ、ゴルダの事、覚えてる?」
言われたカルロスは小さく頷いた。
「ええ、人体錬成……最高機密として表に出ることはないでしょうが……一生忘れることのできない事件でした。」
カルロスが真顔で答えるとスターリングが熱い息を吐いた。
「あの事件は……私にとってもきつかったわ……」
鉄仮面に拷問を受けたスターリングにとってはカルロス以上に厳しい事件であった……当時の事を思い出したスターリングはその表情を昏くどんよりとさせた……
「ねぇ、カルロス、私の事……どう思う?」
スターリングはかつての恐怖を思いだすとトラウマを滲ませた表情を見せた。
カルロスはそれを察すると黙ったままスターリングに目をやった。
「功を焦って足元をすくわれ……おまけに敵につかまる上司なんて間抜けなバカよね……」
スターリングが半ば自虐的に言うとカルロスは『そんなことはない』という表情を見せた。
「あの鉄仮面は普通じゃない……生きて帰ってこれただけで奇跡ですよ……魔導兵団だって煙に巻かれたんですから。」
カルロスはそう言うと薄くなった髪をかき上げた。
「ほんとによかったです、生きていて……無事に帰ってきてくれただけで僕はうれしいです。」
カルロスが正直な気持ちを吐露するとスターリングはカルロスの肩にしなだれかかった。アルコールの力もあるのだろう、スターリングの表情にはいつものような厳しさはなかった。
カルロスは思った、
『これ、いけるんじゃねぇ、キッス、いけるんじゃねぇ……』
カルロスは素早くスターリングの肩を引き寄せるとスターリングの濡れた唇を見た。
『とうとう来たよ、この瞬間!!!』
カルロスがそう思って気合を入れた瞬間である、2人に向けて入り口から奇声が飛んできた。
「あんたたち!!!」
不愉快なダミ声がPUBに響く、
『えっ……マジかよ……こんな時に……』
カルロスが思わぬ邪魔によりチャンスを失った一方、我に返ったスターリングはその表情を引き締めると声の方に顔を向けた。
*
ダミ声の主は実に胡散臭げな亜人の老婆であった。
「あんたたち、8年前の火事のことを調べているんだろ」
妙な吹き出物ができた老婆は怒鳴るようにして叫んだ。
「あの事件の事を調べているんだろ!!!」
亜人の老婆はそう言うと二人に近づいた。
「あんたたち、広域捜査官だろ」
スターリングの制服を見た老婆はそう言うと嬉々とした表情を浮かべた。
「あの火事は事故じゃないよ、放火だよ。それにあの火事で死んだのはデール夫婦じゃない!!」
それに対してスターリングが怪しげな眼を見せた。
「デール夫婦じゃないって、どういう意味?」
スターリングが声をかけると亜人の老婆は前歯の抜けた口を開いた。
「あの火事で死んだのはユミールとケイトだよ。デール夫婦じゃない。」
老婆の言動が理解できないスターリングとカルロスは怪訝な表情浮かべた。
「ユミールとケイトの名は死亡者リストには載っていない、死んだのはデール夫妻だ」
カルロスが地元の治安維持官からの資料を確認すると老婆はそれを鼻で笑った。
「資料の名前はそうなんだろうね……だけどあの火事で死んだのはユミールとケイトだ。生き残ったのはデールたちだよ」
スターリングは捜査官の眼を老婆に向けると氷の瞳で睨み付けた。
「私たちにカマをかけようなんて思ってないでしょうね?」
スターリングがそう言うと亜人の老婆は歯の抜けた口でせせら笑った。
「何で、そんなことをする必要があるのさ。あたしは真実を伝えたいんだよ、ここの治安維持官は信用できないからね!」
亜人の老婆は吐き捨てるようにそう言うとぎらついた眼で当時の事を話し出した。
*
亜人の老婆が8年前の火事を語りだすとスターリングとカルロスは厳しい表情を見せた。
「火事で焼けた宿はダリスの各地から流れ者がやってきて、そこで売春や賭博を行う娼館であり賭場だったんだよ。デールたちもそいつらと同じ連中さ。」
亜人の老婆はそう言うとカルロスの飲んでいたワインをひったくり一気に煽った。
「ユミールとケイトも流れ者、みな脛に傷のある連中さ――あそこはそういうやつらがあつまっていた宿だ……」
亜人の老婆は続けた、
「そして、あの日……トラブルが起こった。デールたちが不文律を破ったんだ。」
「不文律?」
カルロスがそう言うと亜人の老婆は丸くなった背を伸ばすようにして応えた。
「あの置屋では『麻薬は使わない』っていうルールがあったんだ。あまり大げさにやると治安維持官の連中も黙っちゃいないからね……だけどデールたちはそれを無視してクスリの売買をはじめたんだ……」
老婆はそう言うと悔しそうな表情を見せた。
「今まではうまくいっていた……だけどクスリを扱うようになった瞬間、治安維持官の奴らも目の色を変えた。」
それを聞いたスターリングは不愉快な表情を浮かべた。
「女を抱かせ、小遣いをやっててなずけていた治安維持官たちもシャブの取引がわかると一瞬にして寝返りやがった……」
老婆が続けようとした時である、スターリングが確信をついた物言いで言い放った。そこには捜査官としての鋭い考察が凝縮している……
「あなたが逮捕されたのね」
それに対して老婆は嗤った。
「その通りだよ、宿のオーナーだった私が逮捕……そして、その日の晩に火事が起こったんだ」
老婆はそう言うと体全体を小刻みに震わせた、そこには怒りと悔しさと憎しみが混在している。
「ユミールとケイトはあたしが逮捕されたあと、ケジメをつけるべく動いた。」
亜人の老婆がそう言うとカルロスが口を開いた。
「デールたちを『弾き』に行ったのか?」
「ああ、そうだよ。だけど……火事で……黒焦げに……きっと返り討ちにあったんだよ!!」
亜人の老婆はそう言うとその眼を血走らせた。
「あの黒焦げになったのはユミールとケイトだ。デールたちじゃない、間違いない!!」
老婆が確信してそう言うとスターリングは厳しい表情を見せた。
「証拠はあるの?」
氷の刃を突き刺すような一言を見舞われた老婆は押し黙った。
「……ないよ……黒焦げの死体じゃ、顔の確認なんてできやしない……」
「じゃあ、どうして、ユミールとケイトが黒こげになったってわかるわけ?」
スターリングが厳しい表情で問い詰めると亜人の老婆はポツリとこぼした。
「死体を確認した時に刺青がなかったんだ。」
「刺青?」
「そうだよ、デールの背中には拳一つ分くらいの蝶の入れ墨がある。だけど死体には刺青がなかった。」
それに対してカルロスが反応した。
「遺体は黒焦げだ。背中の入れ墨だって燃えているはずだ。」
カルロスがそう言うと老婆は怪しく笑った。
「遺体の背中は運よく焼けてなかったんだよ……あたしが遺体を見たんだ、間違いない」
亜人の老婆はそう言うと悔しそうな表情を見せた。
「あの時、あたしはその事を治安維持官の連中に言ったんだ。だけど取り合ってもらえなかった……犯罪者が火事で死んだだけで、その人物の事なんてお構いなしさ。まともに裏もとらずに捜査を終わらせた……」
老婆がそう言うとスターリングは不遜な表情を浮かべた。
「何故、あなたは今更、そんな話をするの?」
スターリングは過去の事件を掘り返して捜査に協力しようとする老婆の姿勢に疑問を持った。
「罪を犯した人間が治安維持官に協力するとは思えない。まして火事の件で裏切られたと思っている」
スターリングが断言すると老婆は歯の抜けた表情で言い放った。
「あいつらは、デールたちは……隠し金庫にあったあたしの資産を全部かっぱらったのさ!! ユミールとケイトは金庫番だよ、その二人を返り討ちにして金を奪って……最後に宿に放火したんだ!!」
老婆はそう言うとキチガイじみた表情を見せた。そこには倫理観など微塵もない、復讐に燃えた悪鬼の姿が乗り移っていた。
「絶対に許せない、あいつらは!!!」
狂人とも思える老婆の姿にスターリングとカルロスは絶句した。だが、同時に前科者の老婆の言動が嘘ではないと捜査官の勘が囁いていた。




