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第九話

20

さて、崖から落ちそうになったルナであるが――


 ルナは九死に一生の状態を切り抜けていた。落下しかけたルナの手首を土壇場でつかんだ人物がいたのだ。そしてその人物とは――あのつまらない芸人、マクレーンであった。


                                 *


 マクレーンは滑ったルナの上体を起こすとバランスを取らせて地面に立たせた。丁寧で優しげな態度は紳士のようにも思える……


「君は、たしか……お客さんだったよね、ショーを見に来てくれた……」


マクレーンがそう言うとルナはとりあえず礼を言った。


「ありがとうございます……助かりました」


それに対してマクレーンは不思議な表情を見せた。


「何で君はここにいるの?」


マクレーンに尋ねられたルナはしどろもどろになった。


『まさか……窃盗犯と疑っているなんて……言えないし……』


ルナが引きつった笑いを見せるとマクレーンは首をかしげた。


「どこか具合が悪いのかい?」


マクレーンがさらに尋ねるとルナは首を横に振った。


「いや、そう言うわけじゃ……」


 ルナがそう言った時である、後方から突然いななきが聞こえた。ルナはそれを耳にすると間髪入れずに反応した。


「あっ、ロバを、ロバを探しに来たんです!」


ルナは様子を見に来たロバを活用すると機転を利かせて誤魔化した。


「ロバを探しに来たのかい?」


マクレーンはそう言うと近寄ってきたロバの方に顔を向けた。


「……愛嬌のある顔だね……」


ブサイクと言いたかったのであろうが、飼い主の事を配慮したマクレーンは『愛嬌がある』と言う言葉で濁した。


「とにかく、ありがとうございました。おかげで助かりました。」 


ルナはそう言うとその場から離れるべく会話を終わらせようとした。



その時である、思わぬ音がルナの耳に入った。



マクレーンの腹が突然に鳴ったのだ、何とも言えない情けない音がルナの耳に届く。


「あの、お腹、減ってるんですか?」


ルナに尋ねられたマクレーンは頭を掻いた。


「実は君たちの見たショーなんだけど、あまりに客の入りが悪くて……ほとんどギャラがはいらなかったんだ――だから昨晩から何も食べてない……」


30歳近くなった大の男が見せるにはあまりに情けない姿である。


『……世知辛いわね……』


ルナはそう思うと助けてもらった恩を返すべくマクレーンを食事に誘うことにした。


「この近くにポトフの美味しい店があるんですけど、私一人で食べるには味気ないんで付き合ってもらえると……」


ルナがそう言うとマクレーンはその顔色を変えた、そこには恥も外聞もない。


「すぐに参りましょう、お嬢さん!!!」


マクレーンはキリッとした表情を見せるとルナの手を握った。


「あの……」


「どうしたんだい?」


手を握られたルナは仏頂面で答えた。


「そっち、方向が逆なんですけど……」


言われたマクレーンはバツの悪い表情を見せると再び頭を掻いた。


                                 *


 ルナはザックの働いている肉屋(ブッチャー)にマクレーンを誘うと早速ポトフとソーセージの盛り合わせを頼んだ。


「申し訳ないね……なんだか……」


マクレーンがそう言うとルナは『遠慮をしないで食べろ』と仕草で表した。


「じゃあ、遠慮なく……」


マクレーンはそう言うとソーセージを一口かじった。


「うまい……」


 マクレーンはそう言うとその後、言葉を発することなくガツガツとソーセージとポトフを口へと運んだ。相当腹を空かせていたのだろう、5分とかからずにソーセージの皿をペロリと平らげた。


ルナはマクレーンの食べる姿をそれとなく観察した。


『食べ方にはその人の性格と育ちが現れるって言うけど……』


ルナはがっついて食べるマクレーンのフォークとナイフの持ち方に妙なものを感じた。


『がっついてるのに、なんか……礼儀正しいのよね……』


ルナはそう思うとマクレーンの表情を見た。


『よく見ると……微妙にイケメンよね……』


掘りが深く、鼻が高いためダリスの一般人にはあまりないタイプの顔だが、クリッとした二重の瞳には目力がある。


『腹筋が割れてれば、いいんだけど……』


ルナがそう思った時である、マクレーンが小さな声でつぶやいた。


「……懐かしい味だ……」


ルナは思わぬ単語を耳にすると訝しんだ。


『何かあるのかもしれないけど……深く詮索してもね……藪蛇だと困るし』


ルナが興味を隠してそう思った時である、マクレーンが声を上げた。


「変な奴だと思ってるんだろ?」


言われたルナはまさかの質問に驚いた表情を見せた。


「売れない芸人なんて、こんなもんだよ。誰かにたかって生きていく……情けない人生さ」


自虐的にマクレーンは呟いた。


「ごちそうさま、ありがとう」


マクレーンは丁寧にあいさつすると席を立った。


「また、機会があれば僕のネタを見てくれるとうれしいよ」


マクレーンはそう言うと妙にかしこまった。そして、芸人としての本領を発揮しようと試みた。


「ポトフの煮込んだ野菜とときまして――売れない芸人の人生と解きます」


マクレーンはそう言うと自ら合いの手を入れた。


「その心は?」


マクレーンは一呼吸おくとその眼を光らせた。


「どちらもグズグズです!」


マクレーンはそう言うとドヤ顔をみせて、颯爽と身を翻した。


それを見たルナは思った。


「ううっ……笑ぇねぇ~……」


底冷えするようなネタをかまして去りゆくマクレーンの背中をルナは白い眼で見送った。



21

ルナが宿に戻るとその食堂ではジュリアとベアーが明日の対策を話し合っていた。2人の会話は商談の戦略を練る貿易商らしいものである。ルナはその様子をチラリと覗いた。


「実は、このまえ言わなかったんだけどね……レオナルド家の執事の奥さんは私の亡くなった叔母と知り合いなのよ。ロイドさんはそれを考慮して私を応援によこしたのよ」


ジュリアが自分の叔母と執事の奥方が知り合いであることに触れるとベアーは驚いた顔を見せた。


「だけどもう20年前の古い話だから、どこまで通じるかわからないけど……」


ジュリアは淡々と続けた、


「私が直接、執事の奥さんを知ってるわけじゃないんだけど……なんとか交渉の糸口を見つけようと思うのよ。」


ジュリアはそう言うとベアーは『フム』と頷いた。


「君たちに食べてもらったマフィンなんだけど、あのレシピは執事の奥さんから叔母が教えてもらったものなのよ」


 ジュリアはそう言うとリュックの中から包装されたバスケットを見せた。ピンク色のリボンで飾られたバスケットの中から仄かに甘い香りが漂う。


「これでいこうと思うのよ!」


 見せられた二人はマフィンを菓子折りとして持っていくジュリアの作戦を目の当たりにするとなんとなくだが『イケルのではないか……』という気がおこった。


『詫びを入れつつ菓子折りちらつかしゃあ、何とかなるんじゃねぇの大作戦!!』


ジュリアは叔母から習ったレシピを用いたマフィンでなんとか現在の状況を切り抜けようと考えていた。


「謝罪の姿勢を見せてからのプレゼント、それなら交渉できそうですね」


ベアーがそう言うとジュリアは笑った。


「うまくいけばいいんだけど」


そう言ったジュリアの眼には貿易商の打算的な狙いが浮かんでいる。


「糸口が見つかれば『注文のキャンセル』か『納期の延期』のどちらかを勝ち取れると思うのよ。最悪でもデポジットを返して謝罪すれば契約上は問題ないから」


 契約条項には『相手の同意が得られれば、デポジットを返金して注文のキャンセルができる』という文言が入っている。


「でもキャンセルになったら毛皮のコートはどうするんですか。あれは一点物でオーダーメイドのものですよ……他の人に売れる物じゃないし……」


ベアーがそう言うとジュリアが苦々しい表情を浮かべた。


「そこは問題なのよ……」


ジュリアはそう言ったがその表情は昏くない。


「でもね、ベアー君、フォーレの名を汚さないようにするには多少の赤字も覚悟するほかないのよ……貴族の世界はメンツに負うところが大きいから」


 どうやら赤字覚悟の交渉らしい……ベアーは貿易商としてその判断が正しいのかわからなかったがフォーレの名を貶めないようにするためにはやむを得ないのだろうとおもった。


『損して得とれ』


そんな風になればいいとベアーは思った。


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