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第八話

18

さて、その一方――


湯船から上がったルナは脱衣所近くで思わぬ人物を見かけていた。


『あれ、あれって、面白くない芸人……確かマクレーンだっけか……』


ルナの視野には微妙なぼったくりショーでつまらない腹芸を披露した芸人の姿が映っていた。


『温泉に入りに来たのかな……』


ルナは湯治場の脱衣所に向かう芸人、マクレーンの歩き方がどことなく宙を浮いているように感じた。


『そう言えば、旅芸人が窃盗犯かもしれないって……治安維持官が言ってたわね……』


サングースまで来る途中で荷物検査を受けたことを思い出したルナは何やら第六感のようなものがひらめいた。


『ひょっとして、アイツが犯人じゃ……』


ルナはそう思うとその眼をキラリと輝かせた。


『確か、窃盗犯を見つけてそれを治安維持官に伝えれば、金一封がもらえるはず……』


 捜査協力をした一般人には幾ばくかの褒美が与えられる制度がダリスにはあるのだが、ルナの脳裏には『金一封』という単語がちらついていた。


『宿代ぐらいは稼ぎたいわよね!』


ルナはそう思うと怪しい芸人の後を忍び足でつけていた。


                                   *


『脱衣所で窃盗するかと思ったんだけどな……やんなかったわね……』


ルナは予想が外れたことを残念に思ったが、しっぽをつかまえるべくマクレーンの後をさらにつけた。


『どこに行くんだろ……ひょっとしたら、隠れ家があるんだろうか……』


ルナはそう思うとどことなく心細げに歩くマクレーンの後をおった。


                                   *


マクレーンは湯治場をうろちょろした後、ため息をつくと近くにあった切株に腰を下ろした。


『芸人としてもダメか……』


3年近く下積みをつみ、芸人としての素養を培ったにもかかわらずそのパフォーマンスは甚だしくチープである。


『すべり芸にもならないし……腹芸もダメ……あとは自虐系しか残されていない』


 『すべり芸』とはわざと周りが沈黙するくらい『外す』言動を見せて聴衆から『滑った』と思わせる芸である。だがこの芸はもろ刃の剣で『うまく滑れば』聴衆も納得するが、しなかった場合は失笑どころか、冷たい視線を浴びるというリスクがある。


 そしてすべり芸は何よりも芸人のキャラクターが重要になるため、意図して『すべり芸』を敢行してもキャラの薄い芸人では認知されづらい……


『残された自虐系は最後の手段だ……これで外したらどうなるんだろう……』


 自虐系とは自分の芳しくない実情(貧困、困窮など)をぼやきながら聴衆にネタとして披露するという芸風である。だが、これもすべり芸とおなじでキャラづくりが重要になるためマクレーンのようなキャラの薄い芸人では今一つであろう……


『何やってもダメなのか……俺は』


マクレーンはそう思うと大きなため息をついた。


『……やっぱり、練習しかないな!』


マクレーンは急に思い立ったらしく、その場で自虐芸のシュミレーションを始めた。


                                  *


その様子を木陰からのぞいていたルナはさらに怪しんだ。


『つまんない……絶対センスないわ、この人。』


ルナは自虐芸をシュミレーションするマクレーンを見て確信した。


『あれだけ面白くない芸なら客からお金は取れないだろうし、別の仕事をしてるはず!』


ルナはそう思うと再び『窃盗』と言う言葉を思い浮かべた。


『絶対しっぽをつかむんだから』


ルナはそう息巻くと再び、マクレーンの後をつけた。


                                 *


 マクレーンは湯治場から離れた谷あいまで歩みを進めた。そこはビルダ谷の中腹ともいうべきところでビルダ川の本流と支流のわかれる分水嶺が見下ろすことができた。


『こんな所に何の用だろ……』


 ルナが素朴な疑問を持った時である、マクレーンが歩みを止めた。そこは開けた場所になっていて石碑のようなものが立っていた。


 マクレーンはその石碑に近づくとじっと凝視してしばらく沈黙していたが、突然、踵を返すとルナのいる岩陰の方へと戻ってきた。


『ヤバイ、バレる……』


ルナはそう思うと身を隠すべく、適当な場所を探した。


『どうしよう……こっちだ!』


 そう思った時である、ルナが足を延ばした先の砂利が崩れた。不用意に動いたため足元の危うい地点に踵をついていたのである。


そしてバランスを崩してずるりと滑ると後方へと体が流れた。このまま倒れれば谷へと落ちてしまう。


『マジ、ヤバイ!!』


 想定外のところで人は命を落とすことがあるが、ルナの場合もまさにそれで、一瞬にして生死を分かつ瞬間が訪れていた。


『死ぬ、死ぬ、死ぬ……』


煌めく陽光が転倒するルナの体に当たる、死にゆく者にさえもその光は温かい。


『嫌だ、まだ死にたくない!!!』


ルナがそう思った時である、その手首に強い力が加わった。



19

午後になり、そろそろ速達が届くかとベアーは待っていたがその気配はない。


『そろそろついてもおかしくない時間なんだよな……』


既に時刻は16時近い……


『まさかレポートが着いてないなんてないよな……』


 ベアーが疑心暗鬼に駆られた時である、思わぬ人物が目前に現れた。その人物は旅装に身を包んだフォーレ商会の社員であった。


「ジュリアさん!!」


なんとベアーの前に現れたのは自ら早馬を走らせてやってきたジュリアであった。


                                  *


ジュリアは疲れた表情を見せたがベアーを見るとすぐに状況の確認をおこなった。


「実はかくかく云々で……」


ベアーがレオナルド家の執事とのやり取りを述べるとジュリアは何も言わずに頷いた。


「きっと足元を見られたんだとおもいます」


ベアーが結論を述べるとジュリアがそれに答えた。


「多分、違うわ……」


ジュリアはそう言うと訝しい表情を浮かべた、


「実はね……レオナルド家はパストールと関係があるらしいのよ……」


「えっ?」


ベアーが思わぬ単語に顔をしかめるとジュリアがそれに答えた。


「海上保険の話で寄合から戻ってきたロイドさんがおっしゃってたんだけど、パストールと組んだキャンベル海運がレオナルド家に圧力をかけた可能性があるって……」


それを耳にしたベアーは鼻の穴を大きく広げた。


「パストールとキャンベルは海上保険の仕組みに反対する貴族全員に嫌がらせをしてるのよ。支払いを渋ったり、取引を途中で反故にしたり……取引業者に対してわざとと嬲るような姿勢をみせてるわけ」


「……そんな……」


ベアーは理不尽な執事の対応の背景に海上保険を巡る利権が絡んでいると今になって思い知らされた。


ジュリアはそれに対して渋い顔を見せた。


「でもね、デポジット(保証金)を貰っている以上はうちとしては最後までしっかりやらないと駄目なのよ。貴族の称号を持つフォーレ商会がいいかげんな取引をすれことはできない。」


ジュリアはそう断言するとベアーに声をかけた。


「明日の朝一にもう一度レオナルド家に行きましょう。うまく話をつけて毛皮のコートを納品するか、キャンセルの約束を取り付けてデポジットを払い戻すか、どちらかの選択を選んでもらえるようにたち廻りましょう。」


ジュリアがそう言うとベアーは若干ながら不服な顔を見せた。


「頭を下げて、商品を本当に引き取ってくれるんでしょうか、キャンベル海運の息がかかっているなら、うまくいかないんじゃ……」


ベアーがもっともな意見を言うとジュリアが重たい息を吐いた。


「そうかもしれないわ……でもね、取引を放任すればフォーレの名にかかわるわ。いい加減な業者だとちまたに吹聴される方が商売にはリスクなのよ。それに多分向こうの狙いはそれだと思う」


ジュリアがそう言うとベアーは難しい表情を見せた。


「大丈夫よ、それなりの戦略が私にもあるから!」


 三十代後半の女が示した戦略がいかなるものかベアーには判断がつかなかったがジュリアの明るい表情を見たベアーは『なんとかなる』のではないかという思いに駆られた。



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