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第二話

命を懸けたコント(ベアーが血だるまにされる)が終わると、何事もなかったかのようにジュリアが2人に声をかけた。


「お茶にでもしましょう!」


きりのいいところまで仕事を終えたジュリアは作業机の上に人数分のマグカップが運ぶと、その隣はアルカ縄で編まれたバスケットを置いた。


朗らかな表情を見せたジュリアはとバスケットの口をゆっくりと開いた。


「さあ、マフィンよ、食べてみて」


 ジュリア御手製のマフィンは焼き菓子特有のバターの焼けた香りと蜂蜜の風味をその場にふりまいた。洋菓子の放つ魔力が炸裂するとその場の三人は喉を鳴らした。


「では、早速ですが、いただきますよ」


仕事で見せる顔とは異なる真摯な表情を見せたウィルソンはすばやく一つ手に取りると、その口に放り込んだ。


「美味い!! 相変わらず美味いね。一口サイズで食べやすいし、あんまり甘くないし」


 普通のマフィンはバターと砂糖が多く使われているため、カロリーという点では恐ろしいほどに高いのだが、ジュリアのマフィンにはそうしたものが感じられない……


「口当たりが軽いんだよね、それに生地にしみ込んだ蜜もいいね、」


ウィルソンはそう言うともう一つその手に取ろうとした。


だが、ジュリアはそれを許さなかった。


「褒めても駄目よ、ウィルソン。あなた血糖値が高いからダメ!」


 言われたウィルソンは寂しげな子犬のような表情を浮かべた。そこには甘いものを食べることを制限された男の哀愁が漂っている。


「この前の健康診断でひっかかたんだから、あきらめなさい」


 ジュリアはそう言うと指をくわえる中年の男を無視してマフィンの入ったバスケットをウィルソンの前から移動させた。


「さあ、どうぞ、お2人さん!!」


 ジュリアがベアーとルナに声をかけると二人は感謝してその手にマフィンをとった。そして食べやすいサイズに整えられたマフィンをその口に放り込んだ。


甘い蜜がしみ込んだ生地はしっとりとしていて、実にのど越しがいい。マフィンというよりかブランデーケーキに近い。


「ああ、おいしい!!!」


ルナがそう言うとベアーが続いた。


「優しい甘さですね、しつこくないし」


ベアーが食通の料理家ように論評するとジュリアが笑った。


「お店みたいな感じにはならないけど、手作りとしてはかなりいけてるとおもうわよ」


ジュリアがひそかな自信を見せるとルナが二つ目に手を伸ばした。


「それは紅茶のマフィンよ」


言われたルナは香りを楽しむとひとしお眺めてから再び口に放り込んだ。


「……ああ、大人の味……」 


若干の苦みと独特のクセが口に拡がる、プレーンのマフィンとは異なる紅茶のフレーバーはルナのスイーツアンテナを直角に立たせた。


「凄くおいしいです、お店のやつより全然!!!」


ルナがそう言うとジュリアがそれに答えた。


「叔母が私に教えてくれたレシピなんだけど、普通のマフィンとはちがうの、こだわりがあるの!」


ジュリアは謙遜しているもののその顔には明らかな自負があった。


「この味なら、お店でも出せるレベルですよね」


ベアーがそう言うとジュリアが首を横に振った。


「マフィンだけじゃ無理よ、それに飲食店のビジネスは難しいからね」


ジュリアがそう言うと隙を見て二つ目のマフィンを手にしたウィルソンがしたり顔で答えた。


「飲食店は食中毒一発で倒産だし、商売は趣味とは違うから利益の事を考えるとなると、このマフィンの質は維持できないんじゃない?」


ウィルソンが貿易商らしい利に聡い口調で言うとジュリアが素直に頷いた。


「確かに原価はかかってるわね……」


 材料にこだわりがあるらしくジュリアの造ったマフィンは安価で出来るモノとは違うらしい。味はいいものの、手間暇と材料費がかかっているため商売には向かないのだろう……


 ジュリアは二つ目のマフィンを口に入れようとするウィルソンから素早くマフィンを奪いかえすと再びバスケットの中に戻した。


「駄目よ、ウィルソン!!」


 注意されたウィルソンは何とも言えない表情を見せたが――その後、ニヤリと嗤った。その笑みには貿易商ではなく諜者スパイのような鋭さががある。


「あっ、ウィルソンさん、もう一つ隠している!!」


ウィルソンは2つ目だけでなく3つ目も手にしていたようで、悠然としてそれを口に放り込んだ。


「紅茶マフィン、いけるわ……」


ジュリアは美味そうに頬張るウィルソンを見るとため息をついた。


                                 *


ティータイムを終えるとジュリアが口を開いた。


「そういえば、レオナルド伯爵に頼まれたアレ、どうなったの?」


ジュリアが仕事の話を振るとウィルソンはその表情を歪めた。


「納品する物は明後日しあがってくるけど、ケセラセラ号がトネリアから戻ってくるだろ……その搬入があるから、俺はいけないんだ。それに納品するにしても平民が貴族の館に行くのはちょっとな……ロイドさんもいないし、困ってんだよ……」


ウィルソンは貴族の所には行きたくないらしく嫌そうな表情を見せた。


「でも納期はもうすぐよ、届けに行かないと。デポジットももらってるんだから」


 デポジットとは預り金ないし保証金のことである。注文する品の代金の一部を前払いしてもらうことで最後までサービスを享受できるようにするものだ。特にオーダーメイドの貴金属や洋服などの1点ものの発注のときには要求されることが多い。


ジュリアがデポジットに触れるとウィルソンは困った顔を見せた。


「私も役所に提出する書類があるし、翻訳業務もあるからここ2,3日は動けないわよ。どうする?」


ジュリアが他の業務で忙しい事を伝えるとウィルソンが目を細めてベアーを見た。


「お前、行ってみるか……名門僧侶の家系だから俺たちみたいな平民とは違うし、向こうの貴族も邪険にはしないだろう。」


言われたベアーは少し考えたが、目録作りに面白みがあるわけではないので出張も悪くないと思った。



出発当日の早朝――


「駅馬車を乗り継ぐと待ち時間がかなりあるだろうから、ここから直接徒歩で行くのと時間的にはあまり変わらないはずだ。」


ウィルソンはそう言うと前払いの経費をベアーに支払った。


「これだけあれば、足りるだろう」


ベアーは仮払いを受け取ると一番重要な質問をぶつけた。


「何を納品するんですか?」


言われたウィルソンはニヤリと嗤った。


「昨日、洋品店から納められた毛皮のコートだ。クリーニングして仕立てたものを納品するんだ。」


ベアーは毛皮と聞いてドリトスでの出来事を思い出した。悪女の率いる3姉弟きょうだいにより窮地に追いやられたことは記憶に新しい。


「あの時は危なかったな……俺が洩らさなかったら、死んでただろうからな」


ウィルソンは土壇場で失禁して活路を開いた過去を思い出すと胸を張った。その顔は歴戦の勇士と言って過言でない……


「前立腺が緩んだ結果がいい方向に向いた……」


ベアーは感慨にふけるウィルソンを白い眼で見ると谷あいの村について質問した。


「どんな所なんですか、かなり辺鄙なところですけど」


ウィルソンは頭の引き出しから村の情報をひねり出した。


「人口は少ないな。特に産物もない。だけど意外と人気がある。天然の温泉があるんだ。胃腸関係の病もちには有名な所だ。」


ウィルソンはそう言うとベアーに近寄りその耳元でささやいた。


「谷あいの村は湯治場になっていて温泉宿があるんだ。だが、そういうところは普通の宿とは違う。」


ベアーは『料金が高いのか?』と問いかけるとウィルソンが人差し指をあげて口の前で左右に振った。どうやら『違う』と言う意味らしい。


「宿には何があるんですか?」


ベアーが素朴な質問をぶつけるとウィルソンはニヤリと微笑んだ。


酌婦コンパーニオンだよ。あの辺りの宿のコンパーニオンはあか抜けてるぞ。ポルカの商売人もお忍びで行くぐらいだからな」


言われたベアーは酌婦コンパーニオンというカタカナの文字に何やら胸迫りくるものを感じた。


「亜人、クォーターエルフ、それから人間とのハーフ、あの湯治場にはいろんな客が来るからコンパーニオンの種類も豊富なんだ」


そう言うとウィルソンはイヤラシイ眼をベアーに向けた。


「温泉の泉質がいいから肌が綺麗なんだよ……きめが細かくてスベスベだ」


言われたベアーはゴクリと唾を飲み込んだ。


それを見たウィルソンは卑猥な表情でベアーを見た。


「今度こそ童貞卒業だな」


言われたベアーは鼻の穴を大きく膨らませると闘技場にいる戦士のような表情を見せた。


『コンパーニオンか、どんな感じなんだろう……』


ベアーはそう思うと谷あいの村の温泉に思いを馳せた。


『背中を流してくれるんだろうか……それとも一緒に湯船に入ってくれるんだろうか……』


ベアーの脳裏で美しい亜人やハーフエルフの姿が展開する――皆もれなく巨乳である……


『よし、決めた、おれは温泉で卒業する!!』


性欲に支えられた少年の強い思いが燦然と輝く、


「『温泉で酌婦とニャンニャンするぞ! 大作戦』俺はこれを成就させる!!!」


ベアーは興奮した面持ちで息巻いた。



そんな時である、その思いに突然、冷や水かかけられた。



「あんた、なにニヤニヤしてんの?」


問いかけてきたのはいつの間にか現れていた少女であった。倉庫の入り口からベアーにジットリとした視線を投げかけている。


「なんか、良からぬことを考えてるでしょ?」


猜疑心の塊とも思える少女は陰険な表情でベアーに近づいた。


「……いや別に……」


ベアーは斜に構えてそう言うと、急に真顔に戻った。


「これから、出張なんだ……だから……君とはしばらくは遊べないよ」


ベアーがそう言うと少女は鼻で笑った。


「一人で出かけようってわけ?」


少女はそう言うと何食わぬ顔で言い放った。


「どうせ、ニャンニャンがどうとか考えてたんでしょ?」


ベアーは少女の鋭い勘に思わずたじろいだ。


「58年、魔女やってんだから、そのくらい気付くに決まってんでしょ!」


少女はそう言うと入り口の扉を指差した。


「私たちも旅の準備はできてるわ!」


少女がそう言うと倉庫の入り口からいつものアイツが現れた。その顔はブサイクで人を食ったような厚かましさがある……


ベアーは『アイツ』を見ると肩を落とした。


「……お前か……」


言われた『お前』はニカッと笑った。相も変らぬ泰然とした態度はにくにくしいほどにふてぶてしい。



『一人で楽しもうってか、そうは問屋が卸さない!!!』



あいつことロバは悪徳不動産屋のような表情を浮かべていなないた。



 こうして少年と魔女とロバの旅が再びはじまることになった。果たしてベアーは谷あいの村でニャンニャンできるのだろうか……



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