第二十三話
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バイロンが入店すると隠れ家の主人はいつものように人差し指を上に立てた。どうやら『上にいる』という意味らしい。バイロンは会釈するとスタスタと奥に行き、隠し階段を上った。
「……いい匂い……」
かぐわしい紅茶の香りがバイロンの鼻孔を抜ける、バイロンは相も変わらずノックせずにドアを開けた。
そこにはいつもの雰囲気が漂っている……
マーベリックは背中を見せていたが、首だけ動かすと『ゴホン』と咳払いした。
「誉れあるメイドなら……」
マーベリックがそう言いかけるとバイロンがそれに続いた。
「『ノックぐらいするものだ!』でしょ」
バイロンはマーベリックのお株を奪うと何食わぬ顔でいつもの席に着いた。
マーベリックはそれを見るとヤレヤレと言う表情を見せた。そしてため息をつくとバイロンに報告を促した。
*
バイロンが『逢引きの里事件』の状況を話し終えると、マーベリックは紅茶をいれてバイロンの前に出した。
「お前を襲った警備隊副隊長のドナルドだが、早朝、死体で見つかった。万策尽きたのだろう、責任をとって自ら命を絶ったようだ。」
言われたバイロンは驚いた表情を見せた。自分を襲った相手とはいえ、その最期が自殺となると気分のいいものではない……
「お前が気にすることではない。バッジをつけて宮中を守る人間が自らアリ地獄に落ちたんだ。止むを得ん最後だ」
マーベリックはそう言うと苦々しい表情をみせた。
「それからもう一つ……昨晩、枢密院から治安維持官の所にポーラの身柄が移された。正規の手続きを踏んで裁判にすることが決まったんだ。だがその護送の途中、馬車が何者かに襲われ大破、炎上した。そして、ポーラは帰らぬ人となった……」
まさかの内容にバイロンは鼻から紅茶を吹き出した。
「マジで!!」
バイロンがそう言うとマーベリックはハンカチを取り出した。
「取りあえず拭け」
マーベリックはそう言うと仏頂面で続けた。
「この執事長選挙の裏には13兆ギルダーの執行権を巡って様々な者が暗躍した。そしてその中でもトネリアのパストールとキャンベル海運のキャンベル卿は深く関与している。」
バイロンは知恵を回した
「じゃあ、犯人はそのどちらか……」
「……たぶんな……」
だがマーベリックは『パストールもキャンベルも逃げ切った』という表情を見せた。
「ポーラが死んだことで証言される心配は無くなった。二人とも枕を高くして眠れるだろう。」
それに対してバイロンが即座に反論した。
「でも、サマンサもモンスルもいるでしょ、2人が証言すれば……」
マーベリックはそれに対して静かに言った。
「ルチアーノというヤクザの金をひいた宮長とそれを貰ったメイドの証言は相手にされん。ヤクザと内通した人間では信ぴょう性がないと判断されるだろう。キャンベル卿を追い詰めるには不十分だ」
マーベリックが冷徹な見解を見せるとバイロンは深いため息をついた。
「すべてがうまくいくわけじゃない。だが今回の案件で性質の悪い連中は排除される。お前たちの世界にも風穴があいたんだ。十分な成果だ。」
マーベリックはそう言うと立ち上がって隣の部屋に向かった。
*
程なくしてマーベリックが戻ってくるとその手には銀のトレーがのっていた。バイロンはその上に鎮座しているものを見ると言葉を失った。
『……チョコだ……』
ダリスではチョコレートは極めて高価なものになる。原料であるカカオがとれないためだ。なかには『黒いダイヤ』と呼ぶ者さえいる。
マーベリックはひし形になった黒いダイヤを机の上に丁寧に置いた。
バイロンが括目して黒いダイヤを凝視すると、窓から差した陽光に黒いダイヤの表面が反射して形容しがたい煌めきが放たれた。
「グラサージュだ。表面をチョコレートでコーティングしてある。」
マーベリックがそう言うとバイロンはフォークを持って『速くよこせ!!』と催促した。まるで小さな子供のようである……
その様を見たマーベリックはフフッと笑うと、優雅な所作で銀製のナイフを黒いダイヤの表面に押し当てた。
ゆっくりとバイロンの前に黒ダイヤの断面が現れる――
チョコレートが練り込まれた3層になったスポンジ、その間に挟まったクリーム(ムースのような柔らかさがある)、そして彩と酸味を演出する苺―――三位一体の完璧なケーキであった。
「ガチのチョコレートケーキだ」
バイロンがそう言うとマーベリックは月桂樹をかたどった皿にケーキをとってバイロンに渡した。
「さあ、食べてみろ、本物を!」
マーベリックがそう言うとバイロンは取り皿を取らずにチョコレートケーキ本体をトレーごと引き寄せた。そしてマーベリックを見てニヤリと嗤うと煌めくチョコレートケーキにフォークを突き刺した。
*
この後、2人は特に言葉を交わすことはなかった。バイロンは黙々とケーキを食べ、マーベリックはそれを何ともなしに眺めた。特にこれと言ったことはない、そこには二人の日常があった。
「美味しかったわ。」
バイロンは満足した表情でそう言うとチュニックのポケットから包装された小さな箱を取りだした。
「これ、助けてもらったお返し」
バイロンがぶっきらぼうに言うとマーベリックは受け取らない仕草を見せた。
「別に必要ない、あれも仕事だ」
だがバイロンはそれを『良し』としなかった。
「借りを作るのは嫌なの!」
バイロンはそう言うと包みを置いて立ち上がった。
「じゃあ、また来週!」
バイロンが溌剌とした表情でそう言うとマーベリックが声をかけた。
「宮では変化が起こっているかもしれんぞ」
それに対してバイロンは気を回して応えた。
「選挙結果の事でしょ、どうせやり直しよ」
バイロンはそう言うとタタタッと階段を飛ぶようにして降りていった。
マーベリックは立ち上がると窓際に佇んで、街の雑踏に消えていくバイロンの背中を見た。小気味よく歩く姿はかつてと異なりエレガントな様相を帯びている。
『メイド業務も板についてきたようだな』
マーベリックは女優からメイドに転身したバイロンの姿に変化を感じた。
『……たいしたものだ……』
マーベリックはそう思うとバイロンの渡した包みを開いた。
「これは……」
まさかのプレゼントにマーベリックは驚きを隠さなかった。
「……万年筆……」
マーベリックは思わぬプレゼントに不可思議なものを感じた。
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マーベリックの所から待機所(第四宮の寮)に戻ろうとしたバイロンは宮廷掲示板(バトラーやメイドの業務を記してある)の所に人だかりができていることに気付かされた。
『選挙の投票結果か、そう言えばちょうどその時間ね』
バイロンはそうは思ったがその内容に興味はなかった。
『……どうせやり直しでしょ……あれだけ逮捕者が出たんだから』
バイロンはあまりに酷い選挙のため投票が無効となり再選挙になると踏んでいた。
そんなことを思った時である、選挙結果を見ていた人だかりの中からリンジーが顔を出した。
「バイロン、こっち!!!」
リンジーの様子が何やらおかしいためバイロンは掲示板の方に向かった。
*
羊皮紙で重々しく記された選挙結果は公式の手続きを踏んだ『お墨付き』のものである、選挙管理委員の責任者のサインが日付とともに右隅に記されていた。
バイロンは掲示板に近づくとその内容に目をやった。
『第45回 執事長選挙
選挙結果
マイラ バギンズ 3票
サマンサ ケイティ 0票
ポーラ イザベラ 0票
よってマイラ バギンズが第45回執事長選挙の当選者とする
備考:
投票された票は3票以外はすべて無効とする。その理由は追って枢密院から発表される。
また、新たな執事長には補佐役として第一宮の宮長が就任する
以上』
極めて簡素でわかりやすく書かれた選挙結果はバイロンとリンジーにとってはまったくもって想定外のものであった。
「私、選挙はやり直しになると思ってたの……」
リンジーがそう言うとバイロンもうなずいた。
「そうだよね……普通……」
付け届けが至る所まで伝播し、まともな選挙がなされると思っていなかった二人は再選挙になると踏んでいた。
だが、実際はどうであろうか、モンスルにいたぶられ第四宮の宮長さえ危ぶまれたマイラが執事長として当選しているではないか……
バイロンは今になってマーベリックの第二段階の作戦『バイロン、リンジー、マイラで選挙に参加する』の意味が分かったような気がした。
『なるほど、こういうことか……』
いかなる力学がこの選挙に働いたのかは甚だ不透明であったが、執事長選挙は二人の考えを越える斜め上の結果を見せた。
*
そんな時である2人の後ろからマイラがやって来た。
「驚いたでしょ、この結果……」
マイラは既にこのことを知っているようでその表情はいたって普通であった。
「色々、議論がされたみたいだけど、枢密院でこういう結論に至ったみたい。」
マイラはそう言うと気の重そうな表情を見せた。そこにはメイドを統べる執事長というポストに就任するプレッシャーがありありと浮かんでいる。
「でも、これだけじゃないのよ」
マイラはそう言うとリンジーとバイロンに選挙結果の隣に張られた業務連絡用の知らせを見るように示唆した。
『人事異動
第四宮の宮長、マイラ バギンズが45代執事長となるため空席となった第四宮の宮長には
リンジー バーモンドを推挙する。
なお、その補佐として副宮長の役職を新しく創設し、その職に
バイロン エルザを推挙する
*
リンジー、バイロンの両者は人事に不服がある場合、早急に枢密院に連絡されたし
以上』
人事異動とめいうった文章には全く持って想定外の文言と名前が記されている。その文章を読んだ周りの人間はリンジーとバイロンに注目し羨望と嫉妬の眼差しを向けた。
「……ど、どど、どうしよう、バイロン……」
マシンガンが弾づまりしたような口調でリンジーはそう言うとその鼻の穴を大きく開いた。
「……やばいよ、また便秘になっちゃうよ……」
一方、バイロンもその知らせの文言を見て驚きを隠さなかった。
「……これ、どういうこと……」
2人が彫像のようになって固まるとマイラが口を開いた。
「第四宮のメイドはモンスルを通して付け届けを貰っていたから、一部を除いてそのほとんどが解雇されたの。そしてその結果、消去法であなたたちが昇進するという事態になったわけ……」
マイラはそう言うと厳しい表情を二人に向けた。
「これから忙しくなるわよ、2人とも!!!」
言われたバイロンとリンジーは無言のまま突っ立った。
うら若き二人の乙女が背負うにはあまりに重い職である。あれだけの事件が起こったとはいえ16歳の娘が担える役職ではないだろう――
『人生とは時に思わぬことが起こるものだ。』
こうした格言は古今東西よく耳にすることだが、バイロンとリンジーの身には『大出世』という想像だにしない結果が待ち受けていた。
了
サプライズエンドにしてみましたが、いかがだったでしょうか?
感想を残していただければ大変うれしいです。
さて、次章ですがベアー編、バイロン編、パトリック編、どれにするかまだ決めていません。もしよければリクエストなどしてもらえると、助かります。
少し忙しいので5月から再開となるとおもいます。
ではね!(急に寒くなったので風には気を付けてね)




