第十九話
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マーベリックはゆっくりとした口調で語りだした。
「帝位についた者、つまり一ノ妃様は『別の財布』とよばれる資産をお持ちになっている。」
「別の財布?」
バイロンが『よくわからん……』という表情を見せるとマーベリックがそれに答えた。
「ダリスの国家予算は貴族がコントロールしている。すべての予算は立法府で審議され行政府が執行に当たる。だがそれには縛られない特別な金があるんだ。」
マーベリックがそう言うとバイロンはその眼を大きく見開いた。
「それがアナザーウォレット……」
バイロンがそう言うとマーベリックは頷いた。
「アナザーウォレットはモンスターが跋扈していた100年前、破壊された街の復興や手柄を当てたハンターに配られる恩賞の原資だったそうだ。だが時がたち、モンスターがいなくなると、この金は眠ることになる。」
マーベリックはそう言うと鋭い眼を見せた。
「そしてその金は50年間にわたり一度も拠出されていない――」
そう言うとマーベリックはアナザーウォレットの核心に触れた。
「累積したアナザーウォレットの額は13兆ギルダー、国家予算よりも大きい。」
言われたバイロンはその口をあんぐりと開けた、あまりの金額の大きさに驚愕している。
「でもそのお金と執事長に何の関係が……」
バイロンがそう言うとマーベリックは苦々しい表情を浮かべた。
「かつてこの金は貴族が監督して民間業者に流していたそうだ。だが、その一部を流用したり、業者からピンハネする輩が現れたんだ。」
「街の復興資金を貴族が懐に入れたってわけ?」
バイロンが憤るとマーベリックが頷いた。
「そうだ、その結果……帝位の方がそれをできないようにこの金を縛った、そして民間業者に直接流れる仕組みを造ったんだ。」
言われたバイロンは「まさか」という表情を浮かべた。
「そうだ、アナザーウォレットの執行役は貴族ではなく平民である執事長が預かることになるんだ」
バイロンは口をあんぐりと開けた。
「……そんな……」
執事長選挙にまつわる一連の汚職は13兆ギルダーに及ぶアナザーウォレットの執行権を巡る争いだったのである。
バイロンは執事長というポストに隠された背景に息をのんだ。
『そりゃ、死人も出るわ……』
バイロンは鼻汁を垂らしてマーベリックの顔を見た。
*
そんな時である、ドアを3回ノックすると角刈りの男、ゴンザレスが入ってきた。
「旦那、ユリナが吐きました!」
ゴンザレスが嬉々とした表情でそう言うとマーベリックはスクッと立ち上がりゴンザレスの報告をその耳元できいた。
「なるほどそう言うことか――」
ゴンザレスに恐喝されたユリナはモンスルとの関係だけでなくサマンサやポーラとのつながりまで吐いていた。
「まともな連中は宮中にはいやせんぜ、旦那!」
ゴンザレスがそう言うとマーベリックはその瞳の中に再びサーペントを宿した。
「反撃開始だ!!」
バイロンが意味が分からず怪訝な表情浮かべるとマーベリックはじつに朗らかな声を出した。
「エマージェンシーを発動する」
それを聞いた角刈りはその眼を大きく見開いた。
「……マジですか……」
エマージェンシーとは緊急事態の発生を意味する単語だがマーベリックたちの世界では『有事の発生』を意味する。そしてそれは『武装せよ』という内容になる。つまり非合法的に武力行使するということだ。
「『うちの人間』に手をかけたんだ。こちらも相応の対応をせねばならん」
マーベリックはそう言うと実に狡猾な表情を見せた。そこにはバイロンに対する配慮と同時に現状を自分たちに都合よく使おうというしたたかな計略が滲んでいる。
角刈りはそれを見ると静かに頷いた。
「レイドル家に立てついたらどうなるか奴らに骨の髄まで覚らせろ!」
マーベリックがそう言うとゴンザレスは一礼してその場を去った。
*
角刈りがいなくなるとマーベリックはゆったりとした動作でカモミールのハーブティーをカップに注いだ。
「砂糖を多めにしてある、疲労回復にはもってこいだ。」
マーベリックはそう言うとバイロンにカップを渡した。
「今から、作戦を話す。」
マーベリックは打算的な笑みを浮かべるとティータイムを作戦会議へと変貌させた。
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さて、その頃、宮庭内の逢引きの里―――
サマンサはモンスルの報告を耳にしたがその顔は実に不愉快そうである。そこには明らかな危惧心が滲んでいる。
「実はポーラの付け届けが想像以上で、うちのメイドたちの中で造反者が……」
なりふり構わなくなった第三宮の宮長ポーラはパストールの財力を背景にサマンサの5倍以上の買収資金を投入していた。執事長というポストを手に入れるべく札束で頬を張り叩く戦術に打って出ていたのだ。
「ポーラは既に私とサマンサさんの関係を気付いているようで、他のメイドたちには直接、白金を渡しているようです。その結果……何人かが寝返っていると……」
モンスルがサマンサにとって芳しくない事実を伝えるとサマンサはモンスルを睨みつけた。
「それで済むと思っているの、お前!!」
そう言ったサマンサの顔は夜叉よりも恐ろしい。モンスルはおもわず直立不動の体制をとった。
「ルチアーノの金を使って買収したメイドが造反するとは笑わせるじゃないか、それですむとおもっているの!!」
モンスルはサマンサの勢いに小さくなった。
『ヤベェ……下手に動くと殺されるな……』
モンスルもヤクザの金を貰ってしまった一人である、正直に言えばどうにもならない状況だ。この事実が露見すれば死罪も十分にあり得る……
『この女……キチガイ並みだな……』
だがモンスルはあくまで間接的に金を貰っただけで直接金銭を振りまいたわけではない……
『どうするか、このままルチアーノとサマンサの言いなりになるのか……』
怒り狂ったサマンサをみたモンスルは『そろそろ潮時ではないか』という思いが生まれ始めた。
『この女に一生使えるのは……嫌ね……それにヤクザにつけこまれるのも』
そう思うとにわかに新たな考えが浮かんできた。
『パストールの財力があればルチアーノも抑えられるんじゃないだろうか。ポーラの付け届けは金額が大きいし……』
その後、モンスルの中で直感的なひらめきが生まれた。
『財力があれば、治安維持官も買収できる。そうすればルチアーノ一家も逮捕されるはず。きっとポーラはそれを狙ってる……そうすれば芋ずる式にサマンサも……』
モンスルはサマンサに怒鳴られながら、その腹で冷徹な計算を行っていた。
『下手にサマンサにつくと……ヤバイかも……』
モンスルはさらに熟考した。
『付け届けが横行して、この選挙、どちらが勝つか、もうわからない……』
モンスルはサマンサに平身低頭しながら熟慮すると一つの結論に至った。
『勝ち馬に乗ればいいのよ!!』
モンスルは執事長選挙の行方を成り行きに任せ、最後に勝った方に乗り換える戦略へと方針転換した。
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翌日の早朝、まだ日の明けぬ時間――
バイロンはマーベリックの走らせる馬背に乗っていた。馬蹄が石畳を叩く音は耳触りがよく、風を切って走るのは何とも言えず心地よかった。
だがバイロンはこの先に起こるであろう波乱に不安を滲ませた。
『本当にうまくいくんだろうか……』
マーベリックの作戦は第一段階で枢密院の目安箱に告発文を提出し、第二段階でマイラとリンジーと合流して執事長選挙に参加するというものだ。
マーベリックいわく、
≪堂々と門から入ればいい、そして告発文を目安箱に提出。その後、投票に参加しろ≫
だが、作戦遂行のためには宮中内部に助っ人が必要になる。
『何が二段構えの作戦よ、協力者もいないのにどうやって……』
すでにマーベリックの情報提供者になったライアンは死んでいる……宮中に協力者がいるとは思えない……
さらにはサマンサとモンスルの息のかかった連中が宮中ではその牙を向けている、どうやってそこを潜り抜けるのだろうか……
『……絶対……作戦不可能よ……』
バイロンが不安なオーラを放つとそれを察したマーベリックが声をかけた。
「案ずるな、手はうってある。」
マーベリックが安心させようとそう言った時である、マーベリックは馬を急停車させた。あまりに突然の行動にバイロンはしたたかに額をマーベリックの背中にぶつけた。
「ちょっと……」
バイロンはマーベリックを非難しようとしたがその背中から醸されるオーラに息をのんだ。それは路地で醸したアサシンの放つものであった。
『何かあるんだ……』
バイロンがそう思った時である、マーベリックはバイロンの耳元でささやいた。
「走れ、決して振り返るな!!」
マーベリックはそう言うと馬を盾にしながらバイロンを下した。
その刹那である、弓矢が載っていた馬の腹部に突き刺さった。
「速く行け、バイロン!!」
マーベリックが怒号をあげるとバイロンはその声に押されて走り出した。
『どうなってるんだろ……』
だが、そんなことを考える暇はない、バイロンは緊迫した状況を肌で感じ取るとまだ暗い闇の帳の中を宮へと通じる裏門の通用口(バイロンが通ってきたところ)に向かって全力疾走した。
*
マーベリックはそれを見届けると、振り返って大声を上げた。
「出て来い、屑ども!!」
マーベリックがそう言うと、20人以上の武装した男たちが現れた。それはルチアーノの一団であった、明らかに待ち伏せである。
「頭数はそろえたようだな」
マーベリックがふてぶてしくそう言うとルチアーノの手下たちのなかから一人の男がスッと進み出た。
「うちの若い人間をいたぶってくれたようだな」
歩み出た男の風貌はいかついく、右眼が抉れていた。その男は凄味のある口調でマーベリックに圧力をかけた。そこには手下の仇をとらんとするヤクザなりの仁義が浮かんでいる。
だが、マーベリックはそれを鼻で笑った。
「チンピラが、誰に口をきいている」
マーベリックはそう言うと人差し指を一団に向けた。
「かかってこい!!」
マーベリックのその言葉と同時であった、ルチアーノの一団の一斉に襲い掛かった。




