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第十八話

44

万事休すという言葉があるがバイロンの状況はまさにそれであった、路地で退路を塞がれたバイロンは頭の悪そうな体の大きな男に後ろから羽交い絞めにされ身動きが取れなくなっていた。


「お嬢ちゃん、イタズラが過ぎたみたいだな」


バイロンの行く手を塞いだ男はそう言うと実に下劣な顔を見せた。一見すれば遊び人に見える風貌だがその眼は明らかに素人ではない。服の袖から見え隠れする刺青がそれを肯定していた。


「今度の選挙、邪魔さるのは困るんだよね」


男はそう言うとバイロンの顎に手をかけた。


「かわいい顔してんじゃない」


それに対してバイロンは男を睨んだ。


「いいねぇ、俺、気の強い女が好きなんだ」


刺青の男はそう言うとバイロン身に着けていたチュニックの上から胸のふくらみをつかんだ。


「いい胸じゃねぇか……俺好みだぜ」


 男がそう言うや否やであった、バイロンは渾身の頭突きを放った。美しい軌跡を描いてバイロンの額が男の顔面に向かう――ゼロ距離からの頭突きは完璧と思えるタイミングで放たれた。


だが……


男は何事もないようにそれをかわした。


「俺にそんな芸が通じると思ってんの?」


 男は喧嘩慣れしているのであろう、バイロンの動き(勢いをつけるために後方に頭部を動かした)から頭突きの軌道を逆算していた。


「いい根性してんじゃねぇか!」


男はそう言うとバイロンのチュニックをまくり上げ、下着の上に手を置いた。そして実に嫌らしい顔を見せた。


「お前、生娘だろ?」


男が下卑た表情でそう言うと、後ろでバイロンを羽交い絞めにしていた大男が興奮した声を上げた。


「兄貴、俺、この女とやりたいよ!!!」


実に頭の悪そうな反応を見せると兄貴と呼ばれた刺青の男はニヤリと嗤った。


「あとでたっぷり可愛がってやれ、だが俺が先だ!」


刺青の男はそう言うと腰のベルトからナイフを引き抜いた。


「下手に抵抗すれば、どうなるかわかってんな?」


刺青の男はそう言うとバイロンの下着を剥ぎ取ろうとした。


「俺が初めての男だ、一生覚えておけ!!」


男は嬉々とした表情を見せるとバイロンの下半身を抱えようとした。



45

そんな時である、路地に冷たく乾いた声が響いた。


「イタズラが過ぎるのはおまえたちの方だ」


その声は静かだがよく通る声であった。憎しみも怒りといった感情はなく、異様なまでに落ち着いている。


バイロンを暴行しようとしていた男はその声を聞くとバイロンから離れて振り返った。


「出て来いよ、俺たちがルチアーノファミリーの人間だとわかってんのか!!」


刺青の男が恐喝するべく息巻いた。


「素人がルチアーノに喧嘩を売ってただですむと思うのか?」


刺青の男がそう言うとその頭上から木の葉のようなものが舞い落ちてきた。よく見れば紙ふぶきである。


「……何だ、コレ?」


刺青の男がそう思った瞬間である、疾風のごとく執事服の男が走り込んできた。


                                *


 執事服の男は路地の壁面を蹴り上げると中空から巨漢の男に襲いかかった。紙ふぶきに気をとられていた巨漢は受け身さえ取れずに執事服の男の一撃を受けた。正確無比な一撃は巨漢のこめかみをとらえると異様な金属音を響かせた。


頭の悪そうな巨漢はその眼を白黒させると後方にドタリと倒れた。


「野郎、やりやがったな!!」


刺青の男は弟分がやられるとナイフを逆手に持ち替えた。


それに対して執事服の男は冷徹な目を向けた。


「私に刃を向ける意味を分かっているのか?」


執事服の男がそう言うと刺青の男は地面に唾を吐いた。


「てめぇこそ、ルチアーノに喧嘩を売る意味が分かってんのか!!」


男が組織の名を出して圧力をかけると執事服の男は鼻で笑った。


「それがなんだ?」


にべもない言葉をかけると執事服の男は先ほどよりも素早い動きで刺青の男に襲いかかった。



風を切り裂く音、たなびく執事服の裾、煌めく刃――それらが混然一致となる。



刺青の男はあまりの速さに受け身さえ取れなかった。


                                *


『一瞬』という言葉通り、バイロンが瞬きしたときにはすべてが終わっていた。


バイロンは何が起こったかわからなかったが倒れた男を見るとその顔を歪ませた。


『……股から血が……』


刺青の男は実に情けない声を上げてうずくまった、そこには不具者となったことを自覚する絶望が浮かんでいる。


「どうした、先ほどの威勢は?」


執事服の男は真っ青な顔をしてへたり込む男に対して実に不遜な表情を浮かべた。


「種を絶たれた気分はどうだ?」


その人物はサディスティックな表情を浮かべると男に笑いかけた。そこには爬虫類を思わせる独特の冷たさが滲んでいる。


『……マーベリック……』


 バイロンはマーベリックの容赦のない行動に息をのんだ。まさに『サーペント』とおもえるその眼には情けといった人の感情が完璧に欠落している……バイロンはマーベリックの背中からあふれるアサシンのオーラにその身をこわばらせた。


そんな時である、路地の後方から声がかかった。


「旦那、メイドはおさえました!!」


声をかけてきたのは角刈りの男、ゴンザレスである。その横には後ろ手に縛られたユリナがいる。


「こいつらはどうしますか?」


ゴンザレスが倒れたヤクザ二人を指差すといつもの口調でマーベリックが答えた。


「連れて行け!」


マーベリックはそう言うと矢継ぎ早に指示を出した。


                                *


その後である、マーベリックはバイロンの方に顔を向けると手を差し出した。


「大事ないか?」


 いつもと違う優しげな言葉をかけられたバイロンはおもわずたじろいだ。先ほどとはうって変わったマーベリックの振る舞いは紳士的であり、その所作には思慮深さが滲んでいる。


バイロンはマーベリックの言葉におもわずうつむいた。


マーベリックはそれに構わずバイロンを立たせると怪我の程度を確認した。


「……大丈夫そうだな……」


マーベリックが全身を見てそう言うとバイロンが応えた。


「…あの……あり…がとう……」


妙な胸の高鳴りを感じたバイロンが素直に感謝の言葉を述べるとマーベリックがいつもの表情でバイロンを見た。



二人の間を何とも言えない空気が訪れる。



『……こういう時って、どうしたらいいんだろ……』


 暴行されかけた恐怖と羞恥、そして助けてもらったことに対する感謝、そうしたものがないまぜになったバイロンの心中は複雑である。


 一方、マーベリックも困った表情を見せていた。暴漢に襲われたバイロンにいかなる言葉をかければいいか迷ったのだ。


『……抱きしめるべきか……』


 マーベリックがそう思った時である、2人のいる路地に一陣の風が訪れた。そしてその風はバイロンのチュニックの裾をもてあそんだ。


「キャッ!!」


バイロンがそう言うとマーベリックがその眼を見開いた。


「見たでしょ、今!!」


それに対してマーベリックはシレッとした表情を見せて横を向いた。


「………」


妙な間が二人の間に訪れる、


そして、バチンという音が路地に響いた。


去りゆくバイロンの後姿を見たマーベリックは引っ叩かれた頬をおさえた。


『……助けたのにこの仕打ちか………』


路地に吹いた一陣の風は二人の間に何とも言えない距離感を造った。近づきかけた二人の関係は風の精霊シルフのいたずらによって御破算となった。



46

さて、この後―――


バイロンは隠れ家に向かうと、マーベリックに先ほどの事(リンジーが警備隊に連行されたこととマイラが逃走の手助けをしたこと)を報告した。


「枢密院に告発しようとしたのか――それでお前の同僚が警備隊に……」


報告を受けたマーベリックは顎に手をやった。


「警備隊の連中がサマンサと手を組んでいるのは間違いないな。となるとマイラもすでに拘束されているだろう……しかし警備隊の幹部が籠絡されているとはな」


宮中での汚職の連鎖が警備隊の副隊長さえ絡め取っている事実はさしものマーベリックも嘆息した。


「汚職を摘発する警備隊の副隊長がサマンサと組んでるなんて……どうにもならないじゃん。自浄作用なんて期待できないよ……」


バイロンが『リンジーを助けたい!』という願望を込めてそう言うとマーベリックがにべもない反応を見せた。


「バイロン、今回の執事長選挙の裏にはとてつもなく大きなものが胎動している。そしてその動きは通常の手続きでは止まらなくなっている。」


 マーベリックはサマンサとモンスル、そしてルチアーノが後ろで手を組んでいることを話すと、庭師のライアンがルチアーノに殺害されたことに触れた。


「この事件の背景には執事長というポストの『裏側』がある。そしてその裏側を知った者達が今回の事態を引き起こした。すでに『戦争』と言って過言でない。」


バイロンは『裏側』という単語に目を瞬かせた。


マーベリックはそれを見ると重たい息を吐いた。


「いいだろう、他言無用だぞ……」


マーベリックはそう言うと執事長というポストのもつ『裏側』を話し始めた。




次回は執事長というポストの持つ『裏側』が出てまいります。

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