第十七話
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バイロンは目の前で起こった事態に息を飲んだ、なんと、ドナルドが後頭部を押さえると、前のめりになって倒れたのである。
まさかの事態にバイロンはその眼を点にしたが、彼女の視野に映ったのはこれまた驚くべき人物であった。
『……マジかよ……』
なんとそこには興奮冷めやらぬ表情でマイラが立っていた。
*
「……マイラさん……」
角材のような棒を持ったマイラはバイロンを見た。
「速くいきなさい、外に行って誰かに助けを!!」
マイラは人を殴ったことがないのだろう、その口調こそメイド長らしいものだが角材を持った手は小刻みに震えている。
バイロンはそれを見ると感謝の言葉をかけようとした。
だがその時である、2人の耳に駆けてくる足音が聞こえてきた。それは明らかに武装した複数の人間がもたらす音であった。
「バイロン、速く行きなさい!!」
マイラは警備隊の隊員がやってくるとことを示唆するとバイロンを叱咤した。
「……でも、マイラさん……」
バイロンがそう言うとマイラは落ち着いた声で答えた。
「どうせこのままじゃ、私は終わりなの。第四宮では汚職が横行しているからタダじゃすまない。宮長としての監督責任を問われればクビになるわ……」
マイラはそう言うと自虐的でありながらもにこやかに笑った。
「どうせクビになるなら、最後ぐらいはね……」
マイラはそう言うと再び角材を構えた。その後ろ姿は実に頼りなく、荒事の経験など微塵もないように見える。
だが、バイロンはマイラのその行動に胸迫りくるもの感じた。追い詰められた状態でわが身を顧みずにバイロンに助け舟を出す心意気は感動すら覚える。
「マイラさん、無事に帰ってきたら一緒に内臓肉の串焼きを食べましょう!」
バイロンはそう言うと気合の入った一言を述べた。
「あなたも私たちと同じく内臓女子です!!」
バイロンはそう言うと振り返ることなくその場を離れた。
軽やかな足取りで通用口を抜けるバイロンの姿はつむじ風が木の葉を巻き上げていくかのようである。
バイロンの後姿を見たマイラは荒い鼻息を吐いた。
『ここまでやって無事じゃすまないんだよね……そんなに世の中は甘くない……』
マイラはすべて覚悟しているような表情を見せた。
『……内臓女子か……』
マイラはそう思うと再び角材を握りしめた。
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裏門の通用口を駆け抜けたバイロンは追っ手をまくために人通りの多い大通りに向かって走った。路地や細い道を行くよりも人目につく道を進んだ方が相手にとってはやりずらいと判断したからである。
そして、その考えは功を奏した。時計台のある大広間(バイロンがリンジーとともに内臓肉の串焼きをかったところ)までくると追手と思しき警備隊の連中は姿を消していた。
『……とりあえず追手はいないわね……』
意図的に人ごみに紛れ込みながら周りの様子を確認したバイロンは大きく深呼吸してはずんだ息を整えた。
『さて、どうするか……』
バイロンはそう思ったが思いつくのは一つしかない。
『……マーベリックに頼むしかないわね……』
リンジー、マイラを失ったバイロンにとって現状を打開する策を弄せるのはマーベリックのほかには誰もいない。
『……今回はしょうがないわね……』
爬虫類のような厳しい眼を見せる男に対して『借り』を造るのは内心嫌だったが背に腹は代えられない。バイロンはマーベリックの知恵を拝借するべくその足を隠れ家に向けた。
『ここからだと隠れ家までは15分くらいか……』
バイロンはそう思うと、いつも隠れ家に向かうための路地にその身を忍ばせた。
*
5分ほど足を進めた時である、路地に身をおいたバイロンはいつもと異なる空気を感じた。
『……おかしい……』
妙な雰囲気を感じたバイロンは小走りに路地を抜けようとした。
だが、その正面(路地の交差点付近)に遊び人と思われる男が現れた。
「どこに行くんだい、娘さん?」
男はバイロンの行く手を塞ぐと馴れ馴れしい口調で声をかけた。その言い方は低劣で卑猥である。一見すればナンパだが、男の醸す雰囲気はどことなく違う……
バイロンは男を無視して振り向くと別の道に向かうべくUターンしようとした。
だがなんと……
その後ろにも男が立っていた。巨漢の男で実に頭の悪そうな顔をしている……
前後の道を塞がれたバイロンは自分の置かれた状況を判断して『ヤバイ』と思った。
*
そんな時である、バイロンの前方を塞いだ男の後ろから女の高笑いが聞こえてきた。
「あら、バイロン、こんな所で何やってるのかしら?」
そう言ったのは包帯で痛々しく顔を覆ったユリナであった。
「モンスルさんの邪魔をして執事長選挙にちょっかいを出そうなんて、そんな甘い考えは通用しないわよ!」
ユリナはそう言うと手を差し出した。
「さあ、あなたの持っている告発状、渡しなさい!!」
バイロンは枢密院に告発しようとしていることがすでに知られていると今更ながら思い知らされた。
『……クソッ……』
バイロンの表情を見たユリナはククッと声を出すと底意地の悪い笑みを浮かべた。
「馬鹿ね、あんたたちが有給を申請した事務官もモンスルさんから賄賂を貰っているのよ!」
ユリナはそう言うと憎しみに彩られた表情を見せた。
「あんたにやられたこの鼻のケジメを取らせてもらうわよ!!」
ユリナはそう言うと男たちに目配せした。
「いたぶってやんな!!」
そう言ったユリナの顔には倫理の欠片もない。バイロンを貶め、辱めることで復讐を果たそうとする悪鬼が乗り移っている。
『……マズイ、こんな時に……』
バイロンがそう思った時である、男たちは獣欲にぎらつかせた目をみせてバイロンに躍り掛かった。
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さて、その頃……
宮中にある警備隊の留置場ではリンジーが牢の中に放り込まれていた。石造りの壁で覆われた空間は錆付いた鉄格子が嵌っている。リンジーはその中で息をひそめたが簡易トイレから漂ってくるそこはかとない異臭にその眼を細めた。
『……臭い……』
リンジーはそう思うと、実に心細い気持ちに襲われた。
『何も悪いことはしてないのに……何でこんなめに……』
リンジーは今までの事を整理して考えてみたが、バイロンにもリンジーにも落ち度はなかった。
『……不正を正そうとしただけなのに……それなのに白金貰ったなんて濡れ衣まで着せられ………』
リンジーがそう思った時である、隣の牢にいる連中の会話が聞こえてきた。
*
「やりすぎたな……俺たち……」
「ああ、ポーラさんから白金、貰っちゃったからな……それに他の奴らに配っちゃったし……」
どうやら二人のバトラーはポーラからもらった白金を他のメイドたちに差配する役目だったらしく、自分たちの行動をいまさらながら悔いているようだった。
リンジーはそれを耳にすると続きが気になり壁に耳を当てた。
「だけどさ、何で俺たちだけなんだ。サマンサだって配ってるし、アイツの息のかかったメイドだって逮捕されて当然だよな。絶対おかしいよ!!」
リンジーは隣の牢でその会話を聞いていて『それもそうだ!』とおもった。
「俺、思うんだけど……警備隊の連中はサマンサと組んでるんじゃないのか……だからアイツの派閥から逮捕者が出ないんじゃ……」
「……そうかもな……」
2人はそんな会話をしていたが急にそのトーンが変わった。
「ポーラさんを訴追するときに証言すれば、俺たちは罪に問われないって言ってたけど本当かな」
「取引だろ……」
この場合のディールとは自分の罪を軽くするために知りうる情報を開示してその見返りをうけることである。場合によっては警備隊側に有利になるような証言を行うことである……
2人のバトラーはどうやらドナルドに取引を持ちかけられているらしく『ポーラを売る』という選択を強いられているようであった。
「ポーラさんをうれば、宮中での出来事は不問にするって。解雇にはなるけどお咎めなしだって……」
1人がそう言うともう一人のバトラーがそれに答えた。
「ああ、俺も副隊長から同じことを言われた……ポーラさんの白金の事を証言しろって……そうすればお咎めなしだって……」
2人の間に深い沈黙が訪れた。
壁に耳を当てていたリンジーは二人の間に訪れた沈黙から二人のバトラーがポーラを裏切るであろうことを感じ取った。
『自分の所の宮長を取引に出しちゃうんだ……そして裏切って自分の保全を謀る……』
リンジーは白金を貰ったバトラー達の考えに不愉快なものを感じたが、簡易トイレから漂う異臭を嗅ぐと、その気持ちもわからなくはなかった。
『ここ、臭いもんね……』
リンジーがそう思った時である、留置所の扉があいて頭をおさえたドナルドとマイラが入ってきた。
まさかマイラが捕まると思っていなかったリンジーは口をあけて唖然とした。
「どうなってんの、これ……』
状況がつかめないリンジーは鼻汁を垂らすと、ただ、ただ茫然とした。
さらに追い込まれたバイロン、そして捕まったマイラとリンジー……彼らはこの状況を打破できるのでしょうか?
(この後の展開……作者はノープランです)




