第八話
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「あら、こんな所で、リンジー!」
ユリナは偶然出会ったような素振りでリンジーに声をかけた。それに対してリンジーは先輩メイドであるユリナに会釈した。
「いいのよ、気にしなくて、休日なんだから」
ユリナはそう言ったが『先輩に対する挨拶は怠るな!』という雰囲気をありありと窺わせている。それを分かっているのであろう、リンジーは社交辞令的な振る舞いを見せてユリナをたてた。
「ところで、リンジー、このブローチどう思う?」
ユリナが先輩風を切らせながらそう言うとリンジーが応えた。
「すごく高そうです」
リンジーは宝飾品に対しても見識があるようでユリナのブローチを見て『レドナ』というブランドであることを指摘した。
「よく知ってるじゃない、リンジー!!」
ユリナはそう言うとリンジーの顔色を窺った。そこにはリンジーが付け届けを欲しがっているか見抜こうとする眼力がやどっている――
『この娘、ブランドじゃダメそうね……』
ユリナはリンジーの表情からそう読みぬくと、モンスルから言われていた切り札も言うべきものをポーチから取り出した。
「これね、今度のお芝居のやつなんだけど」
それは国立歌劇団のチケットであった。
リンジーはその演目を見ると鼻をヒクヒクさせた。
『あっ……イケメンの出る奴だ……』
リンジーは以前の事件で『イケメンはいざとなった時に役に立たない』という人生訓を得たにもかかわらず、その趣向は変わっていない……
『人の趣味、趣向というのは簡単には変わらない』と言う人がいるが、リンジーもその例に漏れないらしい。チケットを見るリンジーの眼は真剣そのものである。
「リンジー、このチケットはね、特等席よ」
特等席とは別名、貴族席とも呼ばれVIP扱いを受けられる個室のことである。演目が終わると役者たちが挨拶に参上する席だ。
ユリナはわざとらしくチケットをひらひらとリンジーの眼もとではためかせた。
『めっちゃ……欲しい……』
リンジーの表情を読みとったユリナは何食わぬ顔でチケットを差し出した。そこには『受け取れ』という無言の圧力がある。
『もらっちゃいなさい、リンジー!!』
ユリナはにこやかな笑顔をリンジーに見せた。
一方、プレッシャーをかけられたリンジーは、なんとか歯を食いしばった。付け届けをもらったことが露見して解雇されることを恐れたためである。
「マイラさんにこのことが知れたら、クビになっちゃいます……やっぱり……」
リンジーが必死になって固辞するとユリナはそれを鼻で笑った。
「マイラさんの求心力はほとんどないわ。まじめなだけで何のとりえもない人よ。今度の選挙でも第四宮の票さえまとめられない。その程度の力で宮長をされても、こっちもこまるの。」
ユリナはそう言うと狡猾な眼を見せた。
「権力闘争の中で『取引』できる能力がないとこの世界では生きていけないの、わかるでしょ、リンジー?」
ユリナがメイドの裏の顔を見せるとリンジーはたじろいだ。
それを見たユリナはさらに畳み掛けた。
「リンジー、知ってる……バックステージパスって?」
バックステージパスとはスポンサーだけに配られる特別な許可証である。劇場職員の身分証明書とは違い、劇場内を縦横無尽にうごきまわることが出来るものだ。役者の控室にさえ入ることも可能である。
ユリナはリンジーを横目にバックステージパスをちらつかせた。
「有名な役者たちと握手だってハグだってできるわよ、もちろん看板役者のイケメンだって!」
ユリナそう言うとリンジーの耳元で囁いた。
「このパスはね、高級貴族だけにしか配られないの、高級貴族と役者の『お付き合い』って知ってるでしょ?』
ユリナはパスをもった人物と役者たちとの間に『怪しげな関係』があることをそれとなくほのめかした。
言われたリンジーはユリナを見た。その眼はウルウルし、鼻の孔はこれ以上大きくならないくらいに拡がっている……
『イケメンと怪しげな関係……なって……みたい……』
リンジーはお付き合い』という言葉に完璧に絡めとられていた。
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それを見たバイロンは大きく息を吐いた。
『あちゃ~、しょうがないな……』
バイロンはそう思うとタイミングを見計らい二人の話している間に割り込んだ。
「どうも、先輩!」
バイロンはそう言うと何食わぬ顔でユリナを見た。
「買収工作、ご苦労さまでございます!!!」
敬礼してバイロンがそう言うとユリナが嫌な顔を見せた。
「買収なんて人聞きが悪い……あなた先輩に対する口のきき方を知らないようね!」
ユリナがキリッとした表情を見せるとバイロンが切り返した。
「すごく高そうなブローチですね」
バイロンはユリナがすでに買収されてしまったことを示唆するように言った。
「モンスルさんですか……もしかして」
揶揄されたユリナはバツの悪い表情を見せた。
「他のメイドも懐柔ですか……大変でしょうね。この現場をマイラさんが見たらどう思うでしょう?」
バイロンが意味ありげにそう言うとユリナはその額に青筋を立てた。
「あなたの顔は覚えましたから!!」
ユリナはそう言うとふてぶてしい表情を見せた。そしてバイロンを睨みつけるとその場を後にした。
*
一連のやり取りを見たリンジーが不安げな声を上げた。
「ねぇ、バイロン、いいの、あんな風に言っちゃって……」
バイロンの口調がユリナの機嫌を損ねたことに恐れを抱いたリンジーは顔をしかめた。
「今のモンスルさんはマイラさん以上に第四宮で力があるわ……ユリナさんはその右腕みたいな人……その人に口答えすると……痛い目にあうんじゃない……」
既にモンスルの力は第四宮の見えない所で発揮されているようで、作業日程やグループ割、仕事の範囲など、マイラが決定する内容にまでその手がのび始めていた。メイドの中には今度の選挙でマイラが落選したらモンスルが次の宮長になるという者さえ現れている。
「他の先輩たちもモンスルさんとユリナさんには一目置いてるみたいだし……」
リンジーが第四宮のメイドたちの噂話を勘案してそう言うとバイロンが何食わぬ顔で答えた。
「モンスルさんの影響力が強いのはわかるけど、あからさまな懐柔をしてくるのはマズイと思うわよ。バレちゃったら終わりなんだし」
バイロンはリンジーを懐柔しようとするユリナの様子に邪な印象を持った。
「あの人の付け届けをもらったら、選挙の票だけじゃなくてその後も圧力をかけてくるわ。モンスルさんはそのあたりの事をねらっててバックステージパスまで用意してるのよ」
言われたリンジーは『何っ!!!』という表情を見せた。
「そうか、ブランド物のブローチなんて私たちの給料じゃ買えないし、あの洋服だって絹だもんね……それを付け届けとして貰ってるってことは普通じゃないよね……」
リンジーはバイロンの読みに感心した。
「ユリナの付け届けは『毒まんじゅう』よ、あれを口にしたら骨までしゃぶられる。」
バイロンが切って捨てるように言うとリンジーは『フムフム』と頷いた
「選挙の票だけじゃすまないわ、ユリナさんの付け届けをもらえば、その後もそれをネタにしてゆすられる。」
バイロンが確信してそう言うとリンジーは頷いた。
「そうだね……もらったら最後だね……」
リンジーはそう言って大きく息を吐くと、急に残念そうな顔を見せた。
「ああ……バックステージパス……使ってみたかったな……」
リンジーが未練タラタラにそう言うとバイロンが肩を叩いた。
「チケットより団子よ!」
バイロンは気分を変えるような声を出すと、先ほどの屋台を指差した。
「あれ食べて見ましょ!」
そう言ったバイロンはすぐさま屋台まで行くと、牛の横隔膜(我々の世界ではハラミとよばれている)の串焼きを買ってリンジーに渡した。
「大丈夫なの……」
リンジーが不安げに言うとバイロンが応えた。
「たぶんね」
牛の横隔膜は他の内臓と異なる形状のため見た目はモツのようには見えない。一見すると脂身の少ないもも肉のようにも見える。
リンジーは渡された串焼きを見ると何とも言えない不安な表情を浮かべた。内臓が傷みやすいということと、衛生観念の薄い屋台の串焼きということで信用しがたいと判断したのだ。
「……お腹壊さないかな……」
リンジーがビビッてそう言うとその隣でバイロンが気にせずにパクリと串にかぶりついた。
「うんめぇ~」
誉れあるメイドとは程遠いおっさんのような声をバイロンが出すとリンジーは驚いた。だが、あまりに美味そうに頬張るバイロンの様子は少なからず影響を与えた。
『いったらんかい!!!』
リンジーはそう思うと横隔膜にかぶりついた。
そして……
『……何これ……』
香草の香りが鼻から抜けて、岩塩の角のない塩みが下で踊る――うま味を含んだ肉汁が喉を通るとリンジーは一つの結論に至った。
「……マジで美味い……」
リンジーがそう漏らすとバイロンがニヤリとした。
2人の『内臓女子』が誕生した瞬間であった。




