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第六話

12

選挙が近づくにつれ第四宮に対する買収工作はさらに勢いを増した。モンスルは様々な所から受けた付け届けを効果的にふりまきながら第四宮のメイドたちの票を集めようとしていた。


一方、その動きをマイラもすでに感知していた。そしてモンスルがこの選挙での功績(票を取りまとめてキャスティングボートを担う)をあげて宮長(メイド長)をねらっていることも……


だが、マイラにはモンスルを粛正する力がなかった。実直で品行方正なマイラは人間関係にくさびを入れるような技術を持ち合わせていなかったのである。むしろ中途半端な保身がマイラの思考を支配していた。


『下手にモンスルを排除すれば……買収されたメイドから反感を喰らう……そうすれば業務中に意図的な粗相をしでかして、こっちに火の粉が飛んでくる……監督責任を問われて結局、私が排除される……』


 モンスルはマイラの性格を熟知しているようで『寝技』を使えないマイラを後ろから刺す方針をとっていたのだ。


 もちろんマイラにも打つ手はある。それはモンスルと同じく付け届けをメイドたちに配るという方策である、『毒を持って毒を制す』といえばいいだろう。


『できない……そんなこと』


 生真面目なマイラにはそれができない……モンスルのメイド買収に対抗する術を行使できるだけの度量をマイラは持ち合わせていなかった。



13

さて、モンスルの買収工作が第四宮で吹き荒れている頃……


バイロンは定例報告を行うためにマーベリックのいる隠れ家にいた。先週と同じように薫り高いハーブティーがアンティーク机の上に置かれ、バイロンの芳香が鼻孔をくすぐっていた。


「報告を聞こう」


マーベリックがそう言うとバイロンは集めた情報を話し出した。


                                 *


「そうか、モンスルというベテランメイドが画策しているということか」


「ええ、化粧品とか宿のチケットとかサマンサとポーラの派閥両方からもらいながら、それを使って第四宮のメイドに配ってるみたい。どうやら票の取りまとめをしているようね。」


 バイロンは『逢引きの里』で聞いた一部始終を身振り手振りを加えながら語った。モンスルが第四宮のメイドたちの中で頭角を現し、付け届けを貰う上での窓口になっていると示唆した。


「マイラさんは手をこまねいているようで、モンスルの買収工作を見て見ぬふりをしてるみたい。」


バイロンがそう言うとマーベリックは『さもありなん』という表情を浮かべた。


「マイラはまじめに仕事をして業務を滞りなく進めるだけの能力はあるが、メイド業務の裏の顔は持ち合わせていないんだよ。」


それに対してバイロンが反応した。


「でも、まじめに仕事をしてお給料を貰ってるんだから、悪いことはないんじゃない。品行方正のどこが悪いわけ?」


それに対してマーベリックが何食わぬ顔で答えた。


「モンスルのように経験があって悪知恵の廻るメイドに対処する能力は真面目さではない。」


マーベリックははっきりそう言うとハーブティーを一口飲んでから口を開いた。


「宮長にはしたたかさと柔軟性、そして背中から人を突きおとす冷徹さが必要なんだ。」


言われたバイロンはナターシャに殺されそうになったことを思い出した。


「この世界は一見華やかに見えるが、その実情はおどろおどろしい……虐めや嫌がらせも権力闘争の一部が具現化したものだ。だがマイラはその澱みを捌く力はない」


マーベリックはマイラの事をすでに調べているようでマイラの性格や人柄まで看破していた。


「かつての執事長、シドニーはその辺を見抜いてマイラを第四宮の宮長として据えたんだ。品行方正で実直なだけのマイラはモンスルのように暗躍する知恵者ではないからな」


マーベリックがそう言うとバイロンは沈黙した。


「お前やお前のルームメイトのように裏のない連中は少ない……この世界は表の顔だけで渡ってはいけんのだよ」


マーベリックはそう言って立ち上がると隣の厨房へと向かった。


                                  *


マーベリックは程なくすると銀のトレーを持ってきた。


「食べてみろ」


 銀のトレーの上には三角形に整えられたサンドイッチが載っている。陽光に煌めくその切り口は実に美しい。だが、バイロンはそれを見て怪訝な表情を浮かべた。


『ハムじゃないわ……』


その中身はハムではなく、ソーセージであった。香草を練りこんだを細目のソーセージが食べやすい薄さに切られてコールスローとともに挟まれていた。


バイロンは遠慮せずに一つとるとパクリとかぶりついた。


『あっ……このソーセージ……』


バリっとした皮の食感、臭みのない肉汁、レモンとパセリの風味、いずれも懐かしい味がした。


「気付いたか?」


マーベリックがそう言うとバイロンはもう一口かぶりついた。そしてその味を確かめてから答えた。


「これ、マルス様の……」


マーベリックが用意したのはマルスの働く肉屋ブッチャーのソーセージであった。


「マルス様は元気だそうだ、相変わらず殴られているようだが。いまはザックという名で生活している」


マーベリックが手下からの報告をかいつまんで言うとバイロンは朗らかな顔を見せた。


「おいしいわ、このソーセージ!!!」


不格好なソーセージはマルスが造ったという証拠ともいうべき形状でところどころに起伏があった。だが、その味は期待を裏切らないものであった。


一方、マーベリックはそんなバイロンの表情を観察していた。


『この娘……こんな顔も見せるんだな……』


 マーベリックと会う時のバイロンの表情はつねに仏頂面である。母親の面倒を見てもらう見返りに第四宮の情報をもたらすという間者のため、バイロンはマーベリックに対して感情を伏せるようにしていた。


だが、サンドイッチを頬張るバイロンには年頃の娘らしいはつらつさがあった。


『にこやかな表情だな……』


マーベリックはマルスの話を聞いて興味津々の表情を見せるバイロンに思わず顔がほころんだ。


そんな時である、バイロンの言葉が飛んだ。


「何で、ニヤニヤしてんの?」


突然、バイロンに尋ねられたマーベリックはその眼を点にした。


「……何でもない……」


マーベリックは咳払いしてごまかしたが、なんともいえない微妙な空気が二人の間に訪れた。



14

サマンサとポーラの第四宮のメイドに対する買収合戦は日に増して大きくなっていた、庭師や料理人をそのエージェントとして使い、第四宮のメイドたちの票を何とかその手中に収めようと暗躍していた。


 特にポーラの買収工作は目に余るものがあった。あからさまと思えるほどに工作が行われていた。息のかかった庭師を用いた買収工作は『付け届け』ではなく『現金』が飛び交う状態に陥っていた。


『なんとしてでも執事長のポストを手に入れる……』


キャンベル海運の子会社から金を借りていたポーラはこの戦いで負けられないという思いで満ち満ちていた。


『執事長のポストを手に入れれば、公共事業の口利きができる。そうすればキャンベルの借金ぐらいなんてことないわ、それに執事長のポストを手に入れればもっと大きな見返りがある!!』


ポーラはどれだけ借金してでもこの勝負に勝つつもりであった。


『なんとしてもこのチャンス……逃すわけにはいかない!!』


昆虫のような表情には人としての倫理観などなく、権力を手に入れんとするポーラはまさにカマキリそのものであった。


                             *


 一方、その意気込みを冷徹に見通していたのは第四宮のベテランメイド、モンスルである。モンスルはポーラの鬼気迫るオーラをその肌でひしひしと感じ、彼女の買収工作に手を貸していた。


「ポーラの資金で懐柔できるメイドは10人ほど……残りのメイドがどう動くか……」


だが、モンスルは身綺麗な人間ではない。ポーラに隠れてサマンサ派閥の庭師からも付け届けを手にしていた。


「サマンサの方は少ないわ。まだ5人……このままいけばポーラの勝ちね」


 第二宮のサマンサの方が若干ながら派閥が大きかったが、第四宮の10人以上のメイドがポーラに投票すれば十分当選する可能性がある。


「でも、まだ時間はある。サマンサの巻き返しも……」


モンスルはポーラとサマンサの戦いが白熱することを望んだ。


「二人の争いが激しくなれば、第四宮の票を調整する私の立場がさらに確固としたものになる。そうすればマイラなんて……」


モンスルはサマンサとポーラの選挙が諍いへと発展することを望んでいた。


                                *


 さて、そんなモンスルであったが、ベテランメイドとして第四宮で暗躍して工作活動にいそしむと28票のうちの13票を手中に収めていた。


『うまくいってるわ……』


 直接、付け届けを受けることを厭っていたメイドたちも『間接的ならバレないのではないか』と思う者もおり、モンスルが懐柔することで付け届けを手にできることは彼女たちにとって願ったりになっていた。


 さらには自分自身が付け届けを直接、要求しているわけではないので罪悪感も少ない。モンスルはそのあたりの心理的な隙間をついて第四宮のメイドたちの倫理観を崩していた。


『このまま懐柔していけば、あと2,3票はいけるわね』


 モンスルが知己に長けた戦略(ある者にはチケット、ある者には借金の肩代わりなど)を展開すると第四宮のメイドたちは自然とモンスルに依存するようになっていた……モンスルの懐柔策は第四宮のメイドたちを毒牙にかけたのである。


 さらにモンスルは付け届けの口利きをしたメイドをコントロールして、票をまとめるエージェントとしてリクルートしていた。すでに2人ほどモンスルの手足として動き始めていた。第四宮のメイドたちは目の前にぶら下げられた毒入り人参にかぶりついていたのである。


「いい感じだわ」


 モンスルはサマンサ派閥とポーラ派閥に分けた付け届けを記した表を眺めると第四宮のメイドたちの票が分散していることにほくそ笑んだ。


「うまく分かれてるわ……」


 票が拮抗すればポーラ宮長とサマンサ宮長の争いがさらに激化する、それを見越したモンスルは意図的に分散するように付け届けをメイドたちに配っていた。


「あと、2,3票ね……この2,3票をどちらが取るかで次の執事長が決まるわ」


モンスルはさらなる付け届けをサマンサとポーラからさせるべく知恵を回した。


「二人ほど、懐柔してこちらに飲み込めば、執事長選挙の行方は私がコントロールできる」


モンスルはそう思うとメイドの名前を書いた表を見た。


「バイロンとリンジーか……この二人はまだね」


モンスルはひとりごちると悪徳な笑みを浮かべた。




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