第五話
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逢引きの里では複数の人物が木陰で愛を語るようにして『付け届け』の話に興じていた。みな興味津々なようでその表情は真剣である。バイロンとリンジーはそのうちの一組のカップルに目をつけると見えないようにしてその傍らに近寄った。
『今度の選挙でポーラさんをおしてくれれば、化粧品を君にプレゼントしたいんだ。そうすればかわいい君がもっと美しく輝ける……』
もちろん、化粧品とはただの化粧品ではない。
『どうかな、香水もつけるけど……』
庭師の男はそう言うと、二本立てていた指をもう一本立てた。
バイロンとリンジーは死角に入りながら二人の会話に耳を澄ましたが、付け届けという単語を使わない買収の仕方に嫌らしさを感じた。
「はっきり言わないだけ、マシなのかもしれないけど……見え見えよね」
バイロンがそう言うとリンジーがうなずいた。
「でも……欲しいわよね……化粧品……」
リンジーが指をくわえてそう言うとバイロンは何とも言えない表情を見せた。
『……確かに欲しい……』
バイロンがそんな風に考えているとマーベリックに渡された集音器から一段と低い声がその耳に聞こえてきた。
バイロンは何やら怪しげな雰囲気を感じるとその声のほうに足を向けることにした。
*
『うまく第四宮の票をまとめてくれれば、今まで以上に応援できる。そうすれば恒常的に……』
バトラーと思しき男がコートの襟を立てて顔を隠しながらメイドの1人に声をかけていた。声をかけられているメイドは第四宮のモンスルという女だ。ベテランメイドとしてマイラを補佐する立場にある。
『悪くはならない、大丈夫だ……』
バトラーがモンスルに対してそう言うと声をかけられたモンスルはうつむいたまま動かなかった。だがその表情はしおらしくしているものの、その眼は輝いている。『もっとよこせ!』と仄めかしている……。
木の幹を使って死角に入ったバイロンとリンジーはそれを見て買収者を手玉に取ろうとする第四宮のメイドの腹黒さに口を開けた。
「モンスルさんが……」
「人って見かけによらないわよね……」
バイロンとリンジーが聞こえない声でそう言うとモンスルがバトラーの耳元でささやいた。そして指を二本たてた。
どうやら2倍という意味らしい……買収していたバトラーの方が辟易した表情を見せた。
「やりすぎよね……」
バイロンがそう言うとリンジーも鼻をフガフガさせた。
「まだまだ、もらうつもりなのね……」
既に会話の運びからメイドの方が買収されているのはわかったが、票の取りまとめのためにさらに付け届け要求する様子は『誉れある第四宮のメイド』の姿とは程遠かった。
「ちょっとぐらいなら、いいかもしれないけど……もらい過ぎてもね……その後、恐喝されるじゃんね」
バイロンが知恵を回すとリンジーがその眼を大きく見開いた。
「そうだよね、あとからヤバそうだよね……」
リンジーがそう言った時である、その後ろから突然、肩を叩かれた。
2人が驚いて振り返るとそこには異様な雰囲気をかもした女が立っていた。
「何がヤバイって?」
カンテラで煌々と照らされた女の顔は夜の暗闇と異様なコントラストを醸し出している。
『マイラさん……』
二人はその場に尻餅をつくと口元をアワアワとさせた。
マイラに睨まれた二人は付け届けを貰うどころかまともな情報さえ収集できないうちに逢引きの里を撤収することになった。『付け届け、覗き見大作戦(あわよくばもらっちゃえ!!!)』が破たんした瞬間であった。
*
さて、先ほどのモンスルである―――
モンスルは付け届けをサマンサ側からもらう一方でポーラ側のバトラーからももらうというアクロバティックな方針をうち立てていた。
『どっちが選挙で勝ってもいいようにたち廻ればいい、そうすればわたしの望みがかなう』
モンスルは経済的に困窮していなかったが、彼女には付け届けを集める理由があった。
『この選挙を通じてメイドたちを買収して力をつければ、第四宮の宮長の椅子が手に入るはず。マイラのような小娘にメイド長をやらせておくわけにはいかない……』
モンスルはマイラよりも年上であるにも関わらず、万年平メイドとして第四宮で冷遇されていた。特にメイドとして能力が低いわけではないのだが、管理職としての適性がうすいため前執事長のシドニーから相手にされなかったのである。
だが、シドニーが失踪したことで、自分をないがしろにしていた人物はきえた。そしてそれをモンスルはチャンスととらえたのである。
『マイラを追い落としてメイド長になる!』
モンスルの目的は単に選挙の買収資金を懐に入れるのではなく、マイラの次のポストを手にいれるための工作資金を造ることにあったのだ。
モンスルはサマンサとポーラという第二宮と第三宮の宮長の欲望を逆手に取って自分の利益に結び付ける知恵を回していた。
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マーベリックは宮中の情報を集めながら、同時にレナード公爵の占い師を洗っていた。
『突然、降って湧いてきたような人間だ……』
占い師の女には血縁もいなければ知人もいなかった、それどころかどこで何をしていたかさえわからない、その存在が全く不可解な人物あった。
『トネリアの間者か……』
書類上ではダリスで出生しているが、人間関係は希薄で両親との関係さえ浮かんでこなかった。初等学校を卒業してからの足取りははっきりせず、その履歴はベールに包まれている。
『……我々の目をかいくぐることはできない、なぜわからんのだ……』
マーベリックは隠れ家ともいえる骨董屋の二階で思案した。
*
そんな時である、一階から呼び鈴が鳴った。
マーベリックはその音を耳にすると階下から上がってくる足音に耳を馳せた。
『ちょうどいいところに来たな』
マーベリックが心中そう思うとドアが開いた。
ドアを開けた相手は50歳を過ぎた職人風の男である。短髪を角刈りにしてぎょろぎょろとした目をしている。
「何か、わかったか?」
マーベリックはそう言うとティーカップに茶を注いだ。ハーブの柔らかな香りが部屋に立ち込める。
角刈りの男は渡されたカップに口をつけずにマーベリックを見た。
「旦那、あの占い師は、一筋縄ではいきやせんぜ」
角刈りの男がそう言うとマーベリックは目を細めた。
「お前らしくない答えだな」
マーベリックがそう言うと角刈りの男が答えた。
「あの女の裏に誰かいるんじゃないかと探らせているんですが……尻尾どころか、その手がかりさえ見えない」
30年以上、市井に潜り、ダリス全般の情報を集めてきた男でさえもレナード公爵の占い師の履歴はつかめていなかった。
「我々にわからないことがあって許されると思うか?」
マーベリックはハーブティーを飲みながら角刈りの男をねめつけた。そこには男のプライドを毀損するような嫌らしさがある。
「わかってますよ、旦那、こっちも面子がある」
角刈りはそう言うとマーベリックを睨み返した。
それを見たマーベリックはフフッと嗤った。
「それでいいんだ」
マーベリックがそう言うと角刈りは収集した情報の報告を始めた。
*
「レナードはキャンベルをつかって今度の選挙の付け届けを配らせています。化粧品や香水という名の形で現金相当のものを振りまいています。」
「金主はパストールか」
マーベリックがそう言うと角刈りは頷いた。
「法的に問題ないようにうまく立ち回っています。キャンベルと組んで見えないように……」
一般的に賄賂というのは贈賄、収賄、ともに法律上許されていない。だが宮中の場合、賄賂を取り締まる治安維持官や税務官が入る権限がないためなおざりになる。結果として実弾(現金相当の賄賂)がとびかいやすい。
「執事長の選挙が終わるまでは、質の悪い付け届けが飛び交うことになる。露見すれば枢密院での処理もあるだろうが……確実な証拠がなければ枢密院もうごかんな」
マーベリックがそう言うと角刈りが続けた、
「レナード公爵は選挙がどちらに転んでもいいように両方に配っています。それもパストールの金を使って……そして、実際に配るのはキャンベルの配下です。キャンベルは警備隊のほうにも配っているようです……」
「それはまずいな、普通じゃない……」
マーベリックがそう言うと角刈りが両手をつかって買収金額の概算を示した。
それを見たマーベリックはその眼を細めた。
「50万ギルダー……想像以上の金額だな……」
「自分の懐をいためずにキャンベルを実行犯としてパストールに金を出させる…………それに宮中の犯罪を取り締まる警備隊も買収か……」
マーベリックがそう言うと角刈りが続けた。
「第二宮のサマンサ、第三宮のポーラ、ともに自分の派閥は完璧に掌握しています。次の執事長を狙う上では万全の体勢ですね。」
それに対してマーベリックが口を開いた。
「サマンサとポーラはどうやって派閥のメイドとバトラーをコントロールしているんだ。」
マーベリックはハーブティーを飲みながら尋ねた。
「キャンベル海運の子会社からポーラは借り入れをしています。ポーラはその金を使って自分の派閥だけではなく、第四宮のメイドたちに働きかけているようです。」
マーベリックはポツリとこぼした。
「どうやらポーラはアリジゴクに嵌ったようだな」
マーベリックはかりに執事長選挙でポーラが勝ってもキャンベルに喰いものにされると踏んだ。
「貴族は狡猾だ、一般市民からたたき上げた所で限界がある。ポーラの未来はあかるくないな……」
マーベリックはそう言うと今度はサマンサの動向を尋ねた。
「実は、旦那、サマンサのほうは厄介なんです。」
「どういう意味だ?」
マーベリックが詰問すると角刈りが小さな声で答えた。
「キャンベルからの付け届けはもらっていますが、ポーラに比べると金額がはるかに少ない……しかしながらサマンサには潤沢な資金があるんです」
それに対してマーベリックが目を光らせた。
「別のスポンサーがいるのか?」
それに対して、角刈りは首を横に振った。
「それがいないんです……」
マーベリックは腕組みすると角刈りが続けた。
「サマンサは貧しい農民の出です。実家に頼ることはできません……かといって金主になるような人脈もありません……たたき上げのメイドですが高級貴族との接点はありません」
マーベリックは思わぬ情報に下唇を噛んだ。
『レナード公に仕える占い師の素性、そしてサマンサの金の出所……これほどわからないことがあるとは……』
久方ぶりの難題にマーベリックはその顔を歪ませた。端正な顔立ちが苦悩に彩られる――この男が見せるいつもの表情とはあきらかに異なっていた。




