第二話
4
さて、同じ頃――
マイラは次期の執事長を決めるための会議に参加していた。執事長不在では大きな祭事の段取りや予算の執行ができないため、そろそろ適任者を選出する必要性が生じていたからだ。
一般的に執事長というポストは第一宮から第四宮まである宮長の誰かがその席に座ることになる。慣例的に第一宮(立法府)のメイド長がその席におさまるのが筋なのだが、問題を起こして失踪したシドニーが第一宮出身のため、今回は第一宮のメイド長は執事長にはなりがたい状況になっていた。
「今回の事案、前執事長のシドニーの疑惑は甚だしいものがあります。」
こう言うったのは第二宮(行政府)のメイド長サマンサである。齢45歳、貫録たっぷりの女で恰幅のいい体格をしている。その面構えはふてぶてしく、熱い唇はアンコウのようであった。
「シドニーは未だ行方も知れず、何をしていたかもわからない人間です。それに対して第一宮の方々はどう思われているのですか」
サマンサは実に嫌らしい眼を見せた。そこには第一宮の人間を次期の執事長には絶対にさせないという強い意志が垣間見える。
その発言に対して第一宮の宮長ロナウドは目をつぶって小さな溜息を吐いた。ロマンスグレーの髪をオールバックにした老紳士は口ひげに手をやると反論することなく押し黙った。
一方、それを見ていたマイラは年齢、経験ともに自分に執事長のポストが来るわけではないのでサマンサの意見に耳を傾けるだけで、特に否定することもなければ応援するようなこともなかった。
『このままなら、次の執事長はサマンサさんかポーラさんだけど……』
マイラがそう思うとポーラ(第二宮の宮長)が満を持したように発言した。ポーラは枯れ枝のように細い体をしていたが、その上にはカマキリのような逆三角形の顔(特に顎がとがっている)が載っている。朗らかな表情と優美な所作は貴族とも思えるがその眼は疑い深い。
「第一宮のことに関してはサマンサ宮長と同じ考えです。シドニーの出身母体の第一宮から次の執事長が出るのはおかしいでしょう。」
サマンサとポーラから糾弾された第一宮の宮長、ロナウドは一瞬、不愉快な表情を浮かべたがシドニーの奸計(マルス暗殺をたくらんだこと)を考慮すればやむを得ないと考えていた。
「私は今回の執事長には立候補する気はありません。あれだけの事件があったのですから」
ロナウドが糾弾の矛先をかわすように言うとサマンサとポーラはさらにロナウドを詰めた。
「それで済むと思っているのですか?」
それに対してロナウドが二人を睨んだ。
「シドニー前執事長の派閥の人間がこの場にいることさえ問題があると思います。」
そう言ったのはサマンサである、確実にロナウドをこの場で潰そうという意図が湧き出ている。
「第一宮は付け届けに関する事案もはっきりしません。この後、あなたにも飛び火する可能性があるのでは」
こう言ったのはポーラである、サマンサと同じくロナウドを潰す気満々である。
「どういう意味ですか?」
さすがにロナウドもカチンときたのだろう、二人を睨んだ。
「すでに第一宮の捜査は終わっております。お2人にどうこう言われることはありません!」
ロナウドがきっぱりというとサマンサとポーラは同時に嗤った。
「そうならいいですけどね」
2人がそう言った時である、4人のいる部屋に警備隊(宮中専用の治安維持官、宮中の関係者の捜査を行う)の副隊長が入ってきた。
「会議中申し訳ありませんが、第一宮のバトラーに対する『付け届け』で新たな証言を精査していた所、ロナウド宮長の疑惑が浮かび上がりました。ぜひご意見を窺いたい!!」
警備隊長がそう言うと脇に控えていた警備隊の隊員二人がロナウドに詰め寄った。
「すでに捜査は終わっているはずだ、全面的に協力したはずだぞ!!」
ロナウドが想定外の展開に声を荒げると警備隊副隊長はいかんともしがたい表情を浮かべた。
「付け届けをもらったバトラーが、あなたがそこからピンハネしていると証言しているんです……」
副隊長が残念そうに言うとその部下がロナウドの脇を抱えた。
ロナウドは憤懣を体全体で表すとポーラとサマンサを睨み付けた。だが、2人は何食わぬ顔を見せた。
『すでに捜査は終わっているとロナウドさんは言っていたわ……どうしてこんなことに』
マイラはそう思ったがそれと同時に執事長を決めるうえでの手続きを思い出した。
『……投票……』
執事長は慣例的に第一宮の人間が推挙されるがそれがなされなかった場合、執事長は投票で決まる。
『ロナウドさんを潰して第一宮の統制を崩す……つまり選挙が二人の目的……』
マイラは今のやり取りを一部始終を目にしていたがポーラとサマンサが連行されるロナウドの背中を見てほくそ笑んでいるのを見逃さなかった。
『ロナウドさん……嵌められたわね……』
マイラは悪知恵を巡らせた第二宮のサマンサ宮長と第三宮のポーラ宮長の姿に執事長のポストを狙う二人の女の策謀を感じ取った。
5
バイロンがいつものごとく定例報告をするために『隠れ家』(バイロンが勝手にそう呼んでいる骨董屋)に向かうと店主が小さく会釈した。どうやらすでにマーベリックはいるらしく『二階にいる』と人差し指をたてた。
バイロンはそれを見ると同じく会釈して、隠し扉の向こうにある階段に足を延ばした。
『何の匂いかしら…………』
バイロンが階段を半ば昇るとその鼻孔に、何とも言えないハーブの香りが漂ってくる。
『紅茶かしら……』
バイロンがそうおもって目の前にある扉を開けると、マーベリックが陶器のポットに銅製のこしきを据え付けていた。その中には階下に香りを醸したハーブの葉が見え隠れしている。
「ノックくらいするものだ、淑女ならな」
マーべリックが鋭い目つきでそう言うとバイロンはそれに平然と切り返した。
「私は淑女じゃありません、メイドです」
バイロンは何食わぬ顔を見せると以前に座ったところにスッと腰を下ろした。
マーベリックはその所作を見ると『フッ~』と息を吐いた。
『相も変わらずだな……この娘は……』
マーベリックはそう思うとポットに湯を注いだ。
*
芳醇な香りとはよく言われるがバイロンの鼻孔はまさにその香りで満たされた。
『何なんだろう……この匂い……』
ハーブティーなのは間違いないが、複数のハーブを混ぜているようでカモミールやレモングラスのような特徴もある……だが複雑な香りはそれだけではない。
『このお茶の種類……何なのかしら……』
一方、マーベリックは優雅な手つきでティーカップに茶を注いだ。その様は高級貴族の執事のそれそのものである。優雅であるが一切の無駄がない、マーベリックのお茶の入れ方は見ていて飽きが来ない。
バイロンはハーブの種類も気になったが、お茶を入れるマーベリックの姿を見て何やらその胸中に不可思議なものも浮かんだ。
『この人はどうやって生きているんだろう……』
マーベリックはレイドル侯爵の執事という肩書だが、実際は情報を集めるスパイである。複数の手下を使い分けて市井で起こる出来事に目を光らせている。一見すれば普通の執事に見えるのだろうが、その実態は暗殺もいとわぬ厳しいものがある。端正な顔立ちだが、時折見せるマーベリックの爬虫類のような目つきは空恐ろしい……
『……詮索しても……意味がないだろうし……余計なことを聞いても、答えないだろうな……』
バイロンがそう思った時である、マーベリックが湯気の立つティーカップをバイロンに渡した。
「今週の報告を聞こう」
バイロンはかぐわしい複雑な香りを楽しむと口をつけずに第四宮での出来事を話し出した。
*
「そうか執事長のポストを巡ってうごきがあるか……」
バイロンは自分の眼で見た話とリンジーの集めた話を合わせて、共通する部分をまとめた。
「第一宮の宮長が更迭されたわ、現在は第二宮と第三宮の宮長が次の執事長のポストを狙って選挙の準備をするみたい。第一宮のバトラーとメイドたちはロナウドさんが更迭されたこともあり選挙自体に参加できないみたいよ。」
バイロンはお茶をすすると話を続けた。
「なんでも新しい付け届けに対する汚職が明らかになったみたいで第一宮の連中は投票権が凍結されるみたい……」
思った以上に確かな情報をつかんでいるバイロンの報告にマーベリックは多少驚いた。
「なかなか調べているようだな……」
「宮の中ではメイドたちが選挙になるって騒いでるから、嫌でもその手の話は耳に入るわ」
「そうか……」
マーベリックはそう言うと部屋に隣接した厨房に向かった。そして間をおかずして銀製のトレーを持って戻ってきた。
バイロンはトレーの上に乗ったモノを見てその眼を大きく見開いた。
『……これ……シュークリーム?……』
ダリスの都ではシュークリームを売る店はどこにでもある。それゆえバイロンもいくつかの店で食した経験があった。だがトレーの上に鎮座したそれは普通のシュークリームの形状とは異なっていた。小判のような楕円形で、その上からチョコレートがかかっている……
バイロンがいつになく真剣な表情をみせてそれに手を伸ばそうとするとマーベリックはトレーを手元にひいた。
「エクレアは報告が終わってからだ」
マーベリックが勝ち誇ったようにニヤリと嗤うと、バイロンはマーベリックを睨み付けた。




