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第二十五話

25

翌日、ベアーが朝のチーズ作りを終えて母屋に向かうと老婆とルナが出掛ける用意をしていた。ルナの社会奉仕活動の手続きを行うためである。身元引受人の欄には老婆がサインするそうだ。


「ベアー、店はチーズ作りが終わってからでいいよ。さあ、ルナ行くよ。」


ルナはいそいそと出てきた。まだ眠そうである。


「ほら、急いで、遅刻すると厄介だよ」


老婆とルナは慌しく出て行った。


 その後、ベアーは独りでテーブルに向かうとパンとチーズを食べた。それから厩に行ってロバの世話をすると、2度目のチーズ作りに入った。手慣れたもので牛乳を釜からこぼすこともなければチーズの成型にてこずることもなくなっていた。


                                *

 

 2度目のチーズ作りを終えてチーズ棚の整理をしているとルナと老婆が戻ってきた、すでに夕方近くになっていた。


「チーズ作り終わりましたけど」


「店番のほう頼むよ」


 ベアーは言われた通り店に入った。いつもと同じ客がいつもと同じ商品を買っていく。特にこれといったことはない、他愛のない会話をしながらテキパキと客の注文をこなした。客が途切れると店を閉めて売り上げの計算をした。そしてそれが終わると母屋に向かった。


                              *


ドアを開けるとルナがいそいそと動いていた、老婆の手伝いをしながら夕食をつくっていた。


「今日はシチューだから」


「昨日もだよ」


ベアーの物言いがカチンと来たのだろう


「今日は私がつくったシチューなの!」


とルナは声を荒げていた。


                              *

       

 3人で食卓を囲むのは当たり前になっていたが団欒といった感じはない。家族でもなく、友達でもなく、赤の他人でもない。微妙な距離感である。


「ルナ、奉仕活動って何に決まったの?」


「牧場の手伝い。」


 ドリトスでは公営の牧場がいくつかあり、そのうちのひとつで奉仕活動を行うようだ。具体的には草刈、餌やり、掃除、乳絞りなどである。技術のいる仕事ではないが肉体労働なので小さな女の子にはきついだろう。


「休みは?」


「10日に一度」


「それはつらいね…」


「でもひと月で終わりだから、やるしかないわ」


殊勝な心がけだとベアーは思った、そんな時である老婆がベアーに声をかけた。


「ところでベアー、あんたはこれからどうするんだい?」 


 ベアーは次の休みで僧侶を辞めようと考えていた。すでに事務費用は納めてあるし書類も記入が終わっている。あとは中央の寺院で司教の祝詞を聞けばいいだけだ。


「来週で辞職の手続きをして、来月には旅に出ようかと…」


 老婆は意外なことに気づいていたようで驚きもしなかった。むしろルナのほうがびっくりしていた。


「ちょっと、いつ、出発すんの?」


「う~ん、頃を見計らってだけど」


「ちゃんと教えなさいよ」


「そうだね、あと1週間くらいかな」


ルナは困った表情を見せた。


「あんたさぁ、私をここにおいて行くつもり?」


ベアーは沈黙した。


「子供一人じゃ宿にも泊まれないのよ」


「そんなこと言ったって…」


 10歳位の子供だけで旅をするケースはいくら治安がいいといってもまずない。独りでフラフラしていればシェルター送りは免れない。


「あたし、シェルターなんて嫌だからね」


そう言い放つとルナは部屋に戻っていった。


その後ろ姿を見た老婆が口を開いた、


「確かにあの子の身のふり方は難しいね、色々、見聞を広めたいみたいだし、かといってまだ子供だから、どこに行っても相手にされないだろうし……」


老婆もどうするか決めかねているようだ。


 その晩はそんな感じで過ぎたが、それから一週間は結論が出ずじまいだった。老婆としては人の世界に慣れるまではシェルターに身をおいたほうがいいと考えていたが、ルナの嫌がりかたは尋常ではなかった。



26

 そうこうしているうちに日は過ぎ、ベアーにとっての重要な日がやってきた、僧侶を辞める日である。何度も書類は確認したし問題ないはずだ。ベアーは街の中央部にある寺院に向かった。


 400年前に立てられた寺院はコの字型2階建ての造りで大理石と御影石であしらわれていた。大変立派な建物で観光スポットとしても人気が高く、多くの観光客が足を運んでいた。


 ベアーは職員用の入り口、すなわち西側のほうへ向かった。2人ほど僧侶と思しき人間がいて受付の前で話していた。


「あなたもやっぱり転職ですか?」


「ええ」


会話をしているのは中年の男二人だった。


「信徒どころか、観光客まで減ってしまって…」


「うちも同じですよ……この歳で転職はきついですけど、止むを得ないと…」


「家族もいますから、やはり食べていける職業に就かないと…」


「やっぱり、公務員ですかね」


「そうなりますね…」


二人はため息をついていた。


 二人の会話は切実なものでベアーの実家のように補助金が出ているところはいいほうだと思い知らされた。ただ、補助金が出ても生活はカツカツで贅沢など程遠い。やはり転職という選択肢は間違っていないとベアーは確信した。


                               *


受付が自分の番になった。


「どのようなご用件で?」


 一瞬、祖父の顔がちらついたが、気にしないことにした。魔道書を毎日読まされていたが、使う当てのない魔法に価値があるとは祖父も考えていないだろう。300年間、僧侶として続いてきた家系であるが、背に腹は変えられない、ベアーは決断した。


「僧侶を辞めたいんですけど」


「書類はお持ちですか?」


ベアーは書類と事務手数料を納めたことを記した領収書を見せた。


「後、30分ほどで祝詞が始まりますから、それが終わったらまたここに戻ってきてください、書類を出しますので」


50歳過ぎの事務員は親切に教えてくれた。


                                *


 ベアーは祝詞を聞くための小さな部屋に入った。レンガ造りの暖炉が奥にあり、その前に大理石の教壇が鎮座していた。背もたれのない丸いすが5脚ほど置かれている、ベアーはその一つに腰を下ろした。


『とうとう、これで、僧侶を辞められる。』


 ベアーはご先祖様に対して申し訳ない気持ちとこれからの期待で複雑な心境になっていた。ただ、若いだけあってやはり、将来の希望のほうが強かった。


『これからどんなふうになるんだろうか……』


 ベアーが将来に思いをはせるとさっきの二人の僧侶が部屋に入ってきた。二人は同じくこれから先の職業のことを話し合っている。本草学を学び上級学校に入り直すとか行政官の初級の試験を受けるとか、内容がリアルなだけにベアーも気になった。


 それからしばらくすると司教がやってきた。頭に独特の帽子を被っている。クリーム色でいたるところに金の刺繍がしてあった。


「では、みなさん、祝詞を読みます。それが終わったら受付に戻って証書を貰ってください。」


 司教は祝詞を読み始めた。何を言っているかベアーには全くわからなかったが15分ほど立つと突然司教は大きな声を上げた。そして全員を見回すと……


「終わりです」


とつげた。3人ともあっけにとられたが、どうやら無事すんだようだ。


                                *


 ベアーは証書を貰うと足早に寺院を去った。後は役場にこの証書を提出し転職の書類を貰えば終わりである。ベアーは途中にあったベンチで一息ついた。


「じいちゃん、俺、これで……無職だぜ!!!」



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