第十一話
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一方、キャンプの空気が急激に変わりゆくのを不愉快な表情で感じているのはサルタンも同じであった。
『パトリックがつぶれたのに、これじゃあ、俺の刑期短縮もパァになる……』
外勤の少年たちがミッチに影響され作業が滞れたことでサルタンの立場が変化したのである。
『作業が遅れれば、俺のメンツがつぶれる……』
サルタンは刑期短縮の言質をバラクからとっていたが、工期が遅れて都からの視察でマイナス査定がなされれば、その約束も反故にされるだろうと思った。
『バラクは数字がすべての人間だ。視察の査定が悪ければそのとばっちちりがこっちにも来る……さて、どうする……』
サルタンがあくどい表情を見せた時である、その脳裏に気にかかる存在が浮かんだ
『そう言えば、アイツ、妙に動きをしてるな……』
サルタンの眼にはミッチの姿が映っていた。
『授業中はふさぎ込む……かといって刑務作業中は挙動不審……』
サルタンはミッチの精神状況がパトリックを失ったことにより不安定になっていると判断していたが、その考えが違うのではないかと思い始めた。
『ちょっとつけてみるか……』
サルタンはそう思うとそれとなくミッチの観察ミッションに従事した。
*
サルタンはミッチの後をつけると半日とかからずミッチの隠密行動をとらえた。巧妙かつタイミングを見計らったミッチの行動は情報を操作するうえで実に見事であった。
『やるな、こいつ……』
一見すると精神的に不安定で落ち着きがないように見えるだけであったが、よく見ればそこには法則があり、明らかに意図的な演技であった。
だが、サルタンはそれを見抜いた……
『なるほど、スタンドプレーか……こっちもわかんねぇわけだ。ガンツの手下とも接触しないとなれば気付きにくいしな。おまけにキチガイノふりをしてれば看守側もわからねぇ……考えやがったな』
サルタンはミッチのしっぽをつかむと意気揚々としてバラクの所に向かった。
*
サルタンがバラクと看守長に現在の原因を造ったミッチの存在を伝えるとバラクは即座にミッチの排除を決定した。
「懲罰室に入れますか?」
看守長がそう言うとバラクは首を横に振った。
「看守が具体的な証拠を見つけない限りは懲罰を与えることはできん……たとえ演技であってもな。だが、私はそれほど甘くない……」
バラクはそう言うとサルタンを見た。
「刑期短縮の件だが、もっと短くしたいと思わんかね?」
サルタンが怪訝な表情を浮かべるとバラクが続けた。
「心を病んだ少年を助けたとなれば、お前の刑期は短くなる。」
サルタンは『助ける』という言葉の意味に首をかしげた。
「アイツは痛い目に合わせても意味がないですよ。その辺りは腹が据わっている」
サルタンがミッチの性格を見抜いてそう言うとバラクは邪な表情を見せた。
「心を病んだ少年だ、何があってもおかしくない……事故にあうこともあるだろ」
そう言ったバラクの表情は実に罪深い、そこには罪を犯した少年たちよりもはるかに悪辣なものがあった。
サルタンはその意図を読み取るとすべてを理解した。
「ちょっと、やりすぎなんじゃないですか、バラク館長?」
サルタンがそう言うとバラクは『そうでもない』という表情を見せた。
「私に逆らおうとする人間は排除する。前科者に調子に乗られては困るからな」
バラクの意図を見抜いたサルタンはその眼を細めた。
「ひょっとして、ここから出してくれるんですか?」
サルタンがそう言うとバラクは咳払いをした。
「残りの刑期を2年に短くしよう」
サルタンはそれを聞くと首を振った。
「リスクを負うのにその程度ですか?」
サルタンがそう言うとバラクは苦虫を潰したような顔を見せた。
「特別恩赦があるでしょ?」
特別恩赦とは刑期関係なく釈放されるというものだが、特殊な事例のために適応されたことは未だかつてない。だがサルタンはそれを求めた―――リスクに見合った褒美である。
それに対してバラクは神妙な面持ちを見せると小さく頷いた。
「いいだろう」
バラクがそう言うとサルタンはニヤリとした。そこには娑婆に出られるという喜びがくっきりと浮かんでいた。
*
サルタンが出ていくと看守長がバラクに話しかけた。
「館長、特別恩赦なんて……そんなこと許されるんですか、手続き上も問題がありますし」
それに対してバラクは何食わぬ顔で看守長に耳打ちした。
「するはずないだろ」
バラクは即答すると看守長を正面から見据えた。
「サルタンがミッチを始末したら――その後、サルタンを殺れ!」
看守長はバラクの言葉に躊躇する表情を見せたがバラクはそれを許さなかった。
「サルタンは我々の計画を知りすぎた。視察時に我々の計画を暴露されてはたまらん。それにあの素行の悪さはここを出たとしてもなおらんだろう……」
バラクはサルタンの生来の性根の悪さを見抜くと看守長を見た。
「あとで我々をゆすりに来るはずだ。」
バラクはそう言うと罪深い顔を見せた。
「もとはといえばお前のリックに対する監督がゆるくてあの鉄砲水がおきたんだ。ケジメをつけるにはちょうどいいだろう?」
バラクは看守長に圧力をかけた。
「リックにやらせればいい、そうすればお前の手は汚れずに済む。」
言われた看守長は『さすがにマズイ』という表情を見せた。
「看守長、この視察で私の評価が上がれば私には貴族の称号が与えられる。そうすれば管理職としての地位が手に入るんだ――そうすれば人事に介入できる。」
バラクはそう言うと看守長を見た。
「次の館長に君の名を推挙することができる」
言われた看守長は唾を飲み込んだ。
「秘密の共有という言葉を知っているかね?」
言われた看守長は小さく頷いた。
「悪事を働いていても、互いにそれを沈黙すれば露見することはない」
バラクはそう言うとさらに畳み掛けた。
「確か君には借金があったね、看守同士の賭けで負けているそうじゃないか……」
バラクは看守長の弱みを知っているようで思わせぶりにそう言うと不道徳な笑みを見せた。
「給料が上がれば返せるんじゃないか?」
言われた看守長は肩を震わせた。そこには熟考するだけの正常な思考は働いていない。目の前にぶら下げられた人参にかぶりつこうとする浅ましさが覗いていた。
そして……看守長は俯いた……
「それでいいんだよ、看守長~」
バラクは二重あごをタプタプと揺らすと朗らかな表情を浮かべた。
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サルタンはミッチを事故で処理するためのタイミングを計っていた。
『やっぱり、坑道でやるか……』
坑道は暗く、細い道があるため殺人現場としては悪くなかった。だが坑道での掘削作業は複数の少年が従事しているため人目につく危険がある……それに不測の事態、落盤や鉄砲水の危険性も否めない……
『ミッチが抵抗して声を出されるとマズイしな……となると作業終了時のゴミ捨て場だな』
『ゴミ捨て場』とは価値のない岩石や礫を捨てる窪地のことである。窪地といってもその傾斜は甚だしく谷と言って過言でない。さらにゴミ捨て場に行くまでの道中は枯れ木が多く、人目を忍ぶにはもってこいの環境であった。
『あそこから突き落せば……事故として処理してくれるだろうしな……』
サルタンは計略を閃かせると作業班の割り当てを記した予定表を眺めた。
『ちょうどいいな……今日の夕方が勝負だ』
サルタンは渡りに船といった表情を見せるとミッチを始末するべく計略を練った。
*
一方、その頃ミッチはサルタンやバラクの企みなど全く気付かず、パトリックの回復を信じて工作活動を続けていた。
精神に異常をきたした演技は未だ誰にも見抜かれておらず、時折見せるミッチの奇行(坑道内でぶつぶつしゃべる、奇声をあげるなど)は明らかに刑務作業をしている少年たちに負の影響を与えていた。
『これでいいんだ……あとはパトリックが回復してくれれば……』
ミッチはそう思いながらその日の外勤作業に勤しんだ。
『うまく拡がってる……だけど……あまりやりすぎると……ばれるしな……』
嘘というのはばれてしまうと、積み重ねた行為全てがパァになる。ミッチはその辺りの事を考慮すると『いかにやりすぎないか』ということに神経を使った。
『わざとらしいのも、大仰なのもダメだ……少しずつ、少しずつ……』
ミッチは受刑少年たちの間にギブソン テッドの亡霊騒ぎが現れ始めたことでゴリ押しすることをおさえ、煽ることを控えた。静かにすることで自分の存在を悟られぬようにしたのである。
かつてのミッチならばこうした知恵はなかったであろうが、パトリックとの出会いにより変化したミッチはただの窃盗団の小間使いではなくなっていた。
『取りあえず、今日はこれで終わりにしよう……』
ミッチはそう思うとその日の最後を締める作業『ゴミ捨て』に従事することにした。
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ゴミ捨てはリヤカーのような荷車に不要なものを乗せて谷に捨てる行為だが、この重量は150kgをこえる。鉱山で採掘する作業よりも不要物を運ぶほうが作業としてははるかにキツイ。
『重たい……』
さらにミッチは体が小さい(身長156cm、体重53kg)ためこの作業は体力的に限界を強いるものであった。荷車を引いて坂道をのぼることは甚だ辛く……時折、休まないと牽引作業は続けられなかった。
『はやいとこと終わらせないと……』
それゆえにミッチの周りに対する警戒心は薄れていた。普通なら誰よりも眼鼻の利く勘の良さを見せるのだが、作業に神経を集中していたため背後から迫る気配に気付かなかったのである。
*
そしてそれはミッチが荷車に載せたゴミを谷にむけて捨てようとした時におこった。
なんと突然、枯れ木の陰から現れた存在に後ろから腰部を押し込むようにして蹴られたのである。ミッチは避けることもできず谷の方に向かってつんのめった。
『……ヤバイ……落ちる』
ミッチは持ち前の身のこなしで何とか荷車の取っ手をつかむと落下するのを避けることに成功した。だが下半身は中空に投げ出されて地に足つかない状態に陥っていた……
「やるじゃねぇか、このくそチビ!」
そう言ったのはサルタンであった。その顔は少年には見えない悪辣さが浮かんでいる、齢17歳にしてこれほど腐った表情を見せる人間は他にいないだろう……
「うまくやったつもりなんだろうが、お前の行動は全部わかってんだよ!」
サルタンは続けた。
「キチガイのふりをして他の奴らを陰から煽るのは賢い方法だ。だがバレたら意味がねぇんだよ!!」
サルタンはそう言うと荷車の取手の部分、ミッチが手をかけた所に足を上げた。
「何か言い残すことはあるか?」
ミッチはそれに対し悔しそうな表情を見せた。
「お前だったのか……」
ミッチは直訴状の添削を手伝ってもらった少年の中にサルタンがいたことを今更ながら気づかされた。
「ブーツキャンプに送られてくるガキにまともな奴なんているはずネェだろ、裏切って当たり前なんだよ!!」
サルタンは居丈高になって続けた。
「パトリックがいなければ、お前はクズだ、このどチビが!!」
サルタンがそう言った時である、ミッチの表情が突然、変わった。それは今まで見せたことのない驚きを秘めている……
「そうか、言葉も出ねぇか」
サルタンは引きつったミッチの表情を見るとせせら笑った。そして振り上げた足をミッチの手元におろそうとした。
工作活動を成功させたミッチでしたが……結局、サルタンたちにバレてしまいました。そしてきわめて不利な状況に追い込まれました。
この後、どうなるのでしょうか……




