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第十話

33

さて、その翌々日……


若い看守、リックはパトリックが負傷したということを耳にしてこの上ない悦びを感じていた。


『俺に生意気な口をきくからだ、あのクソガキめ』


 食堂で鋭い指摘をされたリックはパトリックの美貌と頭の良さに自分とは異なる人間の質を感じて余計に腹を立てていた。人としての格の違いを前科者の少年に見せつけられたことが不愉快でしょうがなかったのである。


『頭がイカレチまえば、ゴミとかわんねぇ、ザマァみろ!!』


だが、そう思う一方でパトリックの言葉の中に恐れも感じていた。


≪経験のない看守は受刑少年の監督がおぼつかないことがあります……ひょっとして事故で亡くなった少年はあなたのせいで死んだのでは?≫


パトリックの投げかけた言葉はリックの胸に棘のようにして突き刺さっていた。


『俺は悪くない……ノルマを達成するために急いだだけだ……だから…あれは事故なんだ』


事故当時の事が頭によぎったリックはつるはしを振るった少年の横顔を思い出した。


『あれは、アイツが間違ったところを……間違ったところを打ち付けたからだ……』


同時にリックの脳裏に看守長の発言が押し寄せた。


≪リック、あの事故に対する少年の監督責任は免れない。お前はこのままではクビだ。だがバラク館長は心の広いお方だ。こちらの言う通りにすれば、お前の責任は問われない。不幸な事故として処理できる≫


リックの中で看守長の顔と死んだ少年、ギブソン テッドの横顔が重なる……


『俺は悪くない……俺は悪くないんだ』


リックがそう思いこもうとした。


                               *


そんな時である内勤作業をしている2人の少年の会話がリックの耳に入った。


「外勤の時だけどさ、変な声、聞こえないか?」


「坑道の中でか?」


「そうそう、あれ人の声だと思うんだよね……」


2人の少年は会話を続けた。


「あの事故以来なんだよな……あの変な声」


「実は……俺も聞こえるんだ……落盤の近くだろ」


「まさか死んだ奴じゃないよな……」


「死人がしゃべるはず……ないだろ……」


 2人は互いに顔を見合わせた。そこには『これ以上この会話は止めよう』と言う意志が働いている、やはり異様な違和感があるのであろう……


一方、その会話を小耳にはさんだリックは生唾を飲み込んだ。


『声なんか聞こえるはずないだろ……』


リックはそう思うと今の会話を記憶の中から消そうと躍起になった。


『あれは……事故なんだ……俺のせいじゃない……』


リックは自身の責任から逃れようとした。


 そんな時である、リックの耳に事故を知らせるハンドベルの音が響いた。リックはその音を耳にすると急に現実に引き戻された。そして看守としての責務を果たすべく作業棟を出て現場に向かった。


                                *


『また鉄砲水か……』


リックがそんなことを思いながら現場に着くと、その眼には鉱山の入り口付近で整列している少年たちが写った。


『何だ、大したことないじゃないか……』


 事故まで至っていないため少年たちにも看守たちにも落ち着きがあり点呼をしている様子には自己特有の緊張感が漂っていなかった。


『焦らせやがって……』


リックがそう思った時である、退避してきた少年たちが妙な言葉を口走った。


「変な音がしたんだけど……あれ、人の声だよな」


「ああ、俺も聞こえた……」


「悲鳴だよな……」


「ひょっとしてアレじゃねぇのか?」


ギブソン テッドの名を出すことを嫌がった少年たちは『アレ』という代名詞を用いた。


「ヤバイんじゃねぇの……」


「死体も見つかってないしな……」


「『喪』の期間も置かずに作業だろ……」


少年たちが口々に言いだすと点呼をしていた看守が怒鳴った。


「おまえたちサボりたいだけだろ。これ以上、戯言をほざくようなら懲罰だぞ!!」


少年たちはドヤされたものの、その表情ははっきりしない……その顔には不安感が滲んでいる。


リックはそのやり取りをつぶさに見ていたが喉がカラカラになっている自分に気付いた。


『……何かあるのか……やっぱり』


明らかな怖れがリックの胸をかき乱した。



34

ミッチは退避してくる少年たちを見ながら全体を俯瞰した。


『わざとらしくないように……だが確実に……』


パトリックの指示は実に的確であった。


『小さなことを積み重ね、プレッシャーをかける……』


 ミッチはだれにも計画を教えず、1人で淡々と工作活動を続けていた。坑道の中でわざと声をあげたり、むせび泣いたり、時には小石を落として妙な音をたてた。そして鉱山で死んだ少年ギブソン テッドの霊魂が漂っているかのように装って他の少年に恐怖が伝播するように仕向けたのだ。


 さらには事故の関係者として精神を病んだふりをして少年たちに影響を与えるという搦め手からの戦法も展開した。心を病んだ少年のふりをすることでキャンプに悪影響を及ぼそうとしたのである。


そして、それは功を奏していた―――亡くなった少年の死体が出ていないため外勤に従事する少年たちがざわめき始めたのである。


『まだだ、これからが本番だ……あのクソ看守ども……俺たちを舐めたらどうなるか』


ミッチはそう思うと見えないゆさぶりをさらに続けた。


                                *


 ミッチはリックの精神を揺さぶるために至る所で、それとなく亡くなった少年の話をして当時の陰惨な状況を他の少年たちに話した。


 時には淡々と、時には震え声で、そしてわざと窓の外を見て何やら人外の存在が現出しているのではないかと思わしめるような行動を示した。


 最初は相手にしなかった少年たちもミッチの精神が『……おかしい……』のではないかと思い始めた。そしてその結果……外勤作業に向かう少年たちは妙な噂をするようになった。



『あの事故に関係した奴は頭がイカレルんだ……』



僅か2日程度のことであったが、ミッチの工作活動は着実に実を結び始めていた。



35

ミッチの演技、特に精神を侵された少年を装う行為はリックにも少なからず影響を与えた。リック本人があの現場で起きたことを否応なく思い出すようになったのである。


 昼夜を問わないその思いは徐々にリックの精神を侵食し、正常に思考する力を減退させた。リックは何とか平常心を保とうと試みたがあの時の少年、テッドの横顔が忘られなかった。むしろ鉄砲水に飲まれる瞬間のテッドの顔が鮮明に浮かび上がるようになったのである


『あれは事故なんだ……』


 精神的に腹の座っていない若い看守は悪人にもなり切れず、良心の呵責に苛まれ始めていた。そして亡くなったギブソン テッドのうわさをする受刑少年たちを見て右往左往するようになっていた。


『俺は悪くない……あれは……あいつが勝手につるはしを……』


 リックは必死になってそう思いこうもうとしたが、作業を急がせて少年にプレッシャーをかけた時のことが脳裏から離れない……


そして再びパトリックの言葉が響いた。


≪経験のない看守は受刑少年の監督がおぼつかないことがあります……ひょっとして事故で亡くなった少年はあなたのせいで死んだのでは?≫


リックの精神は明らかに病み始めていた。



36

パトリックが呆けてから5日……


バラクはキャンプの雰囲気が変わっていくことに危惧を抱いた。


『……何かが動いている……』


 バラクはパトリックがひそかに指示出ししているのではないかと思い、それとなく医務室の様子を看守長に探りに行かせたが、パトリックは呆けたままの状態であった……医官のネイトもパトリックが回復していないことを示唆した。


『どうなってるんだ……』


 少年たちは看守たちに反旗を翻すようなことはしないがどことなくその雰囲気は重く、体制に対する不信感のようなものを現していた。


『……やはり、あの時の事故か……』


 バラクは鉄砲水が起こったことで工期がおくれ、それを取り戻すためにオーバーワークを強いていたがそれに対して少年たちの不満を表していると考えた。


『何故だ……作業が捗れば食事の改善(ベーコンの量を増やす)や一週間の刑期短縮も約束している。奴らには悪い条件ではない……』


 少年たちは作業で成果を出せば『褒美』が与えられるようになっていた。バラクは少年たちに飴を与えることで作業効率をあげようとしていたのだ。


『以前に赴任したブーツキャンプではこの手でうまくいったのに……なぜだ……』


 素行の悪い少年たちは人間としての信頼関係を結ぶだけの倫理観をかいている。むしろ相手を出し抜いてその取り分を横からかっさらおうとするのが常である。看守からたたき上げて館長となったバラクはそうした少年たちの性根を見抜いていた。


 それゆえバラクは少年たちが団結しないようにパトリックとガンツを潰し、さらには『褒美』を与えることで組織化できないように分断を図ったのである。


 だが作業の進捗は思ったよりも悪い。さらにここ一、二日は停滞感さえ生じている。少年たちの様子は看守側に向けての不満よりも、作業自体を厭う様子が現れていた。


 少年たちのリーダーを潰し、直訴状の提出を阻んだにもかかわらず工事の進捗状況は芳しくない……バラクは状況が好転しないことにいらだちを見せた。



ミッチの工作活動は実を結び始めました、さて、この後どうなるのでしょうか?



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