第七話
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職員棟の地下にある懲罰室(かつてフラウに拘束された場所)に入れられたパトリックたちは渋い表情を見せた。
「すまねぇ、パトリック……キレちまった……」
ガンツは看守長の胸倉をつかんだことをあやまった。その顔にはありありと後悔の念が浮かんでいる。
「俺が手を上げたことで……お前まで巻き込んで……」
一方、パトリックはそれに構わず相変わらずの涼しい顔で答えた。
「もう終わったことだ、それよりこれから先の戦略を練る必要がある。」
懲罰室の暗闇の中、二人はヒソヒソと会話を交わした。
「バラクは看守長を使って俺たちを煽り、問題を起こさせた。俺たちはまんまと乗せられた。間抜けな話だ……」
パトリックはそう言うと一切の光のない暗闇の中でその眼をぎらつかせた。
「だが、ケジメはとる」
それに対してガンツが小声を上げた。
「どうやって?」
パトリックはいつもの口調で答えた
「直訴状を出すんだ」
「ここからか?」
ガンツが素朴な疑問をぶつけるとパトリックが自信のある声を出した。
「俺たちには『誓い』があるだろ!」
それに対してガンツが答えた。
「まさかアレのことか?」
ガンツはかつてここで誓ったあの言葉を思い出した。それに対してパトリックは淡々とした口調で続けた。
「もう一人、誓いを立てた人間が残っている」
パトリックがそう言うとガンツは体の小さなはしっこい少年の事を思い起こした。
「だけどよ、そんなに簡単に忍び込めねぇぜ、懲罰室には……鍵もかかってるだろうし」
ガンツがそう言った時である、ガチャリという音がすると懲罰室の天井扉が静かな音を立てて開いた。そして開いたスペースから見慣れた少年が顔を出した。
「言っただろ、ガンツ、おれたちの『誓い』は偉大だって」
パトリックは暗闇の中、実に美しい表情でそう言った。
*
ミッチは知恵を回したようで看守たちの裏をかいていた。拘束された当日の深夜に懲罰室に忍び込む人間がいると思っていないと考えたのだ。
そしてその考えは当たっていた。少年たちのリーダーを捕獲したことに気をよくした看守たちはいいかげんな警備体制しか強いておらず、ミッチの侵入に気付かなかったのである。
ミッチは看守たちの隙にそこにつけこむと月明りを頼りに懲罰室に忍び込んでいた。
*
「どうするパトリック?」
暗闇の中で作業用のカンテラ(職員棟から拝借したもの)をミッチが照らすとパトリックは同じく小声で答えた。
「直訴の用意をする、ミッチお前がやるんだ」
言われたミッチは言葉を詰まらせた。
「無理だよ、俺そんなに頭良くないし……」
ミッチが正直にそう言うとパトリックはフフッと笑った。
「俺の椅子の下に張り付けた便箋がある。その中の文章を読めばだれでも書ける。」
パトリックはそう言うと直訴状を造るに当たっての手引き(マニュアル)があることを示唆した。
さらにパトリックは続けた、
「診療記録を使うんだ。客観的な証拠としては完璧だ。看守に殴られた奴らの証言を時系列にまとめて直訴状に添付しろ。」
パトリックは有事の際を考慮して、それに対応する術を準備していたようでテキパキとミッチに指示した。
言われたミッチは暗闇の中で『うん』と頷いた。
その後、パトリックはリックというさきほどの新人看守に触れた。
「あいつにプレッシャーをかけろ」
「どうやって」
ミッチがそう言うとパトリックは邪悪な表情を見せた。カンテラで照らされた少年の横顔にはこの世のものとは思えぬ悪逆非道な企みが浮かんでいる……
「奴の心を揺さぶるんだ。そして精神的に追い込む。アイツは俺がカマをかけた時にキョドりやがった。あの振る舞いは自分の行動に間違いがあったと自分でも自覚しているからだ」
パトリックはそう言うとリックという看守の精神の隙間をえぐる戦術ををミッチに耳打ちした。
「……なるほど……」
ミッチがそれを聞いて感心すると、今度はガンツが声を上げた。
「俺は何をすればいい……」
ガンツに対してパトリックが相変わらずの美しい表情で答えた。
「ミッチのサポートだ、リックに圧力をかける手伝いをお前の手下にさせろ。幾重にもプレッシャーをかけるんだ。」
パトリックがそう言うと2人は頷いた。それ見たパトリックは小さいながら朗らかな声を上げた。
「おっぱい万歳!!!」
この状況下でまさかの単語を口にしたパトリックにガンツとミッチは唖然としたが、それと同時に妙に勇気づけられていることに気付かされた。
ブーツキャンプという閉鎖された環境の中にいる少年にとって『おっぱい』という単語は夢と希望を現す魔法の言葉になっている。それを分かっているのだろう、パトリックは苦しい状況下でもユーモアと友情を忘れぬ思いを込めて魔法の言葉を唱えていた。
そしてその思いをうけたミッチとガンツは間髪入れずに応えた。
「おっぱい万歳!!!」
ガンツとミッチが声をあわせてそう言うとパトリックは二人と固く握手した。
『第二次おっぱい同盟』が締結された瞬間であった。
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翌日の昼休み、ミッチはパトリックの指示通りに直訴状を造るべく骨を折った。パトリックと違い知的水準の低いミッチにとっては厄介な作業であったが2日ほどかかるとパトリックの示唆したマニュアルのおかげで最低限の体裁を繕うことに成功した。
『あとは証拠と証言だ』
ミッチは看守により暴行された打撲痕のある少年たちに医官の所に行って治療を受けるように指示した。医官は治療を求めた少年たちの診療記録を残す義務がある。それを逆手に取る戦術に出ていた。
≪ミッチ、医官の記録は客観証拠として何よりかたい。暴行を受けたやつらの診療記録を複数集めるんだ。そしてそれを訴状に添付しろ≫
パトリックの指示をうけたミッチはガンツの手下をつかいながら客観証拠の創造に勤しんだ。
*
証言の言質は実に簡単であった、殴られた少年たちに会って記録すればいいだけの事であった。ミッチは看守の横暴により負傷した少年を地道にあたると怪我をした場所、時間、殴った看守の名前などを記した。
普通なら看守の報復を恐れて話さない少年がほとんどなのだが、パトリックのもたらしたベーコンの功績が少年たちの心を穿ち、彼らはミッチの活動に協力的な態度を見せた。
『診療記録と証言……これと直訴状……これを合わせれば都の行政官も無下にはできない……』
ミッチはそう思うと書面の誤字脱字や証言と診療記録に齟齬がないかを確認した。一人では大変なため、出来のよさそうな少年(キャンプで成績のいい少年)を集めて間違いがないかを確認させた。
『よし、これでいい、後は出せばいいだけだ』
ミッチの手元には少年たちの受けた体罰を記した診療記録、そしてそれを担保する少年たちの証言録を添付した直訴状が出来上がっていた。
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翌日の昼になるとミッチは直訴状を携えてゲートに向かった。
週に一度、ゲートには郵便物を運んでくる配達人が来るのだが直訴状はその配達人に直接渡すことになっていた。これは看守の横暴を記した訴状の検閲を看守側にさせないために新たに設けられた取り決めによるものであった。以前にあった白金盗掘事件を重く見た都側が直訴状だけは特別な郵便物として看守側の検閲を不可にしたのである。
そしてミッチは喜び勇んでゲートの前に行くと配達人に声をかけた。
「すいません、直訴状をお願いします。」
ミッチが礼儀正しく言うと配達人は実に困った表情を浮かべた。
「直訴状はさっきもらった。一日に二度はもらえない。それに一度提出された直訴状は撤回できないことになっている。」
配達人の言葉にミッチは唖然とした。
「直訴状を出したいなら半年後まで待つんだな」
配達人が役人的な口調でそう言うとミッチは言葉を失った。全く想定外の事態におもわず素っ頓狂な声を上げた。
「そんな……誰が…誰が一体……直訴状を……」
ミッチが声を震わせてそう言うと配達人は直訴状を出した少年のサインを見せた。
『囚人番号:004589: ギブソン テッド』
そこにはなんとありえない少年の名が記されているではないか。
『どういうことだ……テッドって……アイツはこの前の事故で死んでるんだぞ……』
ミッチはまさかの名前に言葉をなくした。
『日付は事故で死んだ当日だ……あの日にテッドが書いたのか……』
想定外の直訴状の存在にミッチは言葉をなくして立ち尽くした。
そんな時である、配達人が事務官のようなな声をあげた。
「悪いが時間だ」
配達人はミッチにそう言うと馬にまたがった。そして気の毒そうな眼を一瞬むけると、馬に鞭をいれてゲートを出て行った。
ミッチはその後ろ姿を呆然自失となって見送る他なかった……




