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第五話

15

坑道からすさまじい量の濁水が噴出すると周りにいた少年たちは言葉を失った。勢いのある濁水がパトリックたちを飲み込んだと思ったからである。支えていた柱が崩れ、脱出不可能としか思えない状態が生じるとガンツもその顔を真っ青にした。


 そんな時である、3人の少年が現れた。なんと濁水が坑道を飲み込む寸前でパトリックたちは脱出に成功していたのだ。


 周りにいた少年たちは『オオッ!!』と声を上げると、称賛をこめた言葉を投げかけた。考えられない状況を切り抜けた3人に熱いまなざしを向けるとシュプレヒコールを上げて褒め称えた。


 だがパトリックはそれを手で制すると看守長の所に向かった。その目は厳しく普通ではない。ガンツはその様子を肌で感じると称賛の声を上げる少年たちを睨み付けて黙らせた。


                                 *


パトリックは看守長の前に立つと涼しげな声をあげた。


「看守の方は無事に逃げられたようですが、囚人番号004589の少年は助かりませんでした。」


 パトリックは丁寧な口調だがまともに監督しなかった看守長に対し非難の目を向けた。そこには怒りと憤懣が渦巻き少年とは思えぬ迫力がある……


 一方、看守長はそれに対して何事もなかったかのような表情を見せた。明らかに平静を装っているがその内心は甚だしくうろたえている……


「御苦労、お前の行動は記憶しておこう」


看守長はたどたどしい口調でそう言うと亡くなった少年のことを一言も口にせずその場を去った。


その姿を見ていたガンツは憤った表情を見せた。


「何だ、あの野郎!!」


ガンツはそう言うと看守長に向かって飛びかかろうとした。


だがパトリックはそれをいさめた。そして実に非人間的な眼差しを看守長の背中に向けた。


「矛を納めろガンツ、このままでは済まさない」


そう言ったパトリックの眼は悪魔が宿っていた。それは以前に見せた時と同じものであった。



16

あたらしく館長になった小太りの男は看守長から鉄砲水の引き起こした事故について報告を受けたが、その顔は異様なまでに落ち着いていた。


「ガキが死のうが関係ない、それよりもノルマだ。水浸しで作業ができなければ来週の視察時に私の査定が下がる。それでは困るのだよ!!」


小太りの館長がそう言うと看守長が口ひげに手をやった。


「しかし、バラク館長……少年一人が死んでおりますし、無下にすればこの後の作業に支障が出るのではないかと……」


現場を監督する看守長は少年たちのパトリックに対する称賛の声を聞いて内心恐れを抱いていた。


「あのパトリックという奴が他の受刑者を焚き付けるような事があれば作業どころか我々にも牙をむくのではないかと……」


看守長がおびえた声でそう言うと新しく赴任したばかりの小太りの館長、バラクは意味深な笑いを浮かべた。


「我々に刃向うような人間ならば、処理すればいい。他のガキどもに圧力をかけるようなやり方でな。前科者のガキになめられるほど我々はバカではない。たとえそれが貴族の血縁であってもな」


バラクはそう言うと看守長に近寄って耳打ちした。


「……なるほど……」


それを聞いた看守長はほくそ笑んだ。そこには知己に富んだバラクの腹案を歓迎する匂いが湧き出ている。


「速いうちに芽を摘んだ方がいい、我々のためだ」


「わかりました、早急に手を打ちます」


看守長はそう言うとその場を辞した。



17

少年が一人なくなったことは他の受刑者たちを消沈させたが、その一方でアルを助けたパトリックに対する尊敬の念は並々ならぬものになっていた。住居棟でパトリックを見た少年たちは率先して道を譲り、片膝をついて『敬意』を示すことも当たり前となっていた。


 一方パトリックはそうしたものに興味がなく面倒な顔を見せると自室に引きこもった。少年受刑者のリーダーになったところでブーツキャンプを出た後は赤の他人になる、ここで君臨したところで意味があるとは思っていなかったからである。


 そんな時である、パトリックの自室にミッチがやってきた。ミッチはパトリックの顔を見ると素朴な少年の表情を見せた。


「なあ、パトリック、聞きたいことがあるんだ」


ミッチはそう言うとパトリックに疑問をぶつけた。


「あのときウッドハンマーで岩盤が割れただろ、あれ何でなんだ?」


 一枚岩となっていた岩石の一部がウッドハンマーの衝撃で粉砕された事実はミッチにとって興味深いものであった。興味津々の表情を見せるとパトリックに答えを尋ねた。


パトリックはミッチをじろりと見ると一冊のテキストを投げた。


「そこに書いてあったことを実践したんだ」


 ミッチがテキストを開くとそこには何やら文字の絡んだ数式が書かれている。ミッチはそれを見るや否やテキストをパタンと閉じた。その顔には『無理です』という意志がありありと浮かんでいる。


パトリックはその姿を見るとニヤリと嗤った、そして数式には触れず脚注に書いてあった文章に触れた。


「振動だ、物質は適切な振動数を与えると大きな力を与えなくても破壊できる」


言われたミッチはパトリックがウッドハンマーで小刻みに岩盤を叩いていたのを思い出した。


「崩れた岩盤は落ちた時の衝撃で内側に亀裂が生じることがあるんだ。一見して頑丈そうに見えても内部はそうじゃないこともある。」


「じゃあ、あの岩を叩いていたのは弱い場所を探してたのか?」


言われたパトリックは『御名答』という顔を見せた。


「すげぇな……」


ミッチが心底感心してそう言うとパトリックがそれに答えた。


「幸運だったんだ。深い亀裂が内部にあって、その周りにも小さなひびがあったんだと思う。そこに衝撃を与えれば何とかなるかもしれないと……。」


 パトリックは美しい顔で僥倖ともいうべき事態があの修羅場であったことに触れた。そしておもむろにミッチに目をやった。


「たまには勉強も悪くないだろ」


言われたミッチは何とも言えない表情を見せた。


「基礎的な学力をつけておけば思わぬことに役立つことがある、場合によっては命も助かるんだ」


 言われたミッチはパトリックの修羅場での行動もさることながら、知識を吸収しながら実践する姿に舌を巻いた。


『やっぱり、スゲェな……パトリックは……』


閉鎖された環境下で着実に力をつけていくパトリックの姿勢はミッチにとって考えられなないものであった。


『ちょっと、俺も見習うか……』


学問にはほとんど関心のなかったミッチであったが、知識が身を守るということを認識したことでその考えは180度変転していた。



18

落盤事故で亡くなった少年の遺体は掘り起こされるどころか、捜索されることさえなかった。鉄砲水で崩れた坑道からの捜索は確かに不可能なのだが、少なくとも死者に対する敬意も含めて簡単な捜索と『喪』の期間を置くのが通例である。


 だがノルマ達成を優先するバラクは『喪』の期間を取らず、黙とうだけで済ませて作業に取り掛かるように命じていた、作業の遅れを取り戻すことの方が重要だと考えているのだろう……


 それに対しガンツが中心となった少年たちはバラクの態度に『ゆるし難い』という思いを見せた、死亡した少年に対する扱いがあまりに軽いと思ったからである。人としての尊厳を軽んじるバラクの行為は非人道的に映った。


「なあ、パトリック、どうするんだ?」


作業を終えて夕食をとっているとガンツが不機嫌な声で話しかけてきた。


「俺は納得いかねぇぜ!!」


 ガンツはバラクのやり方が許せないようでその眼を赤々とさせていた。もともと情に厚く、面倒見の良いガンツにとって仲間の少年が死に至った事実は胸に迫るものがあった。


「黙とうだけで『喪』の期間さえ設けず、掘削作業をやらせるなんて考えられん!」


ガンツがそう言うとパトリックは涼しげな顔で不味いスープにスプーンを突っ込んだ。


「今はおさえるんだ。気持ちはわかるが、『喪』の期間の短縮だけでは奴らを糾弾できない」


「何か策はあるのか?」


ガンツがそう言うとパトリックは淡々と答えた。


「今、ミッチに看守の事を調べさせてる」


パトリックはジャガイモと野菜のスープ(ベーコン抜き)を口に運びながら続けた。


「証拠が出るまでは待ち(ステイ)だ、それがでなければ直訴しても無駄だ」


 『直訴』とは看守の横暴や理不尽を文章にして都の監督官庁に提出することである。白金盗掘事件の以前は直訴してもほとんどが読まれることなく捨て置かれていたが、事件以後はガラリと変わり直訴状の内容の吟味がされるようになっていた。


 パトリックたちが看守と館長の絡んだ白金盗掘事件を白日の下にさらしたことで都の監督官庁も少年たちの声を無下にしなくなっていたのである。


 だが、その一方で直訴には条件が付けられていた。それは『確実な証拠の有用性がなければならない』という文言が付け加えられたことである。ちなみに有用性とは客観証拠とそれを担保する証言のことになる。


「確実な証拠を押さえる……それが俺たちにとって重要なことだ」


パトリックは言葉だけの直訴状で都の監督者が動かないと判断していた。


「役人を確実に落とすためには証拠がいる。中途半端な直訴状を送っても取り合ってもらえなければ意味がない」


パトリックがそう言うとガンツが苦虫を潰したような顔を見せた。


「そうだな、下手な直訴状じゃ意味ねぇだろうし……それに直訴状は半年に一度しか送れねえんだよな」


 直訴状の送付には条件が付けられていた。やみくもな送付をしても監督官庁が受け付けないという指針を文言として盛り込んだのだ。


「ガンツ、しばらくはバラクの言うことをそのままにやるんだ、中途半端ないざこざを起こしても暖簾に腕押しだ。」


ガンツはパトリックの言葉に『チッ』と舌打ちした。




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