第二十三話
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夕食の後、老婆はルナを自分の部屋に呼んで裁判で対応できるようにしつけた。裁判までの6日間、あらゆる角度から質問をぶつけ、ルナが的確に答えられるようになるまで問答を繰り返した。
当初はルナもタジタジだったが日を追うごとに応対できるようになった。不愉快な質問や誘導尋問にも動じぬようになった。
「マズマズだね、あとは感情をコントロールできれば乗り越えられる。ルナ、気を抜くんじゃないよ!」
6日間の特訓がどう出るかは明日の審理で決まる、眠れぬ夜になりそうだ。
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裁判当日、老婆はいつもと同じように砂糖たっぷりのカフェラテを飲んだ。その後、二人を連れて裁判所へと向かった。
ベアーもルナも緊張していた。ベアーは証言を求められるし、ルナは審問される。緊張するのは当然だ。
3人は特に会話もせずに迎えの馬車に揺られた。静かに頭の中を整理する、そんな時間である。御者の青年はそんな3人を見て声をかけずに馬に鞭をうった。
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30分ほどで裁判所についた。
「いいかい、二人とも、聞かれて都合の悪いことは黙秘できる。うまくしゃべろうとしたり、裁判官によく見せようとしたりするんじゃないよ、余計なことをしなければ大丈夫、わかったね。」
口調はいつもと同じだが有無を言わさぬものがあった。
二人が頷くと老婆は大きく深呼吸した。そして審理が行われる部屋へと足を進めた。
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建物は150年前に建てられた石造りの3階建てで、審理が行われる部屋は1階の東側に位置していた。寒々とした雰囲気で無機質な感じがした。正面の奥に一段高い裁判官席があり左が弁護側、右が法律官側と分かれていた。中央は被告人席が鎮座し、腰まである台座が置かれていた。
午前の審理は9時半から始まった。儀礼的な手続きが終わるとさっそく審問がはじまった。
裁判官の質問は老婆の想定したものとほとんど同じでルナが言葉を詰まらせるようなことはなかった。裁判官の質問に対してルナは動じることなく答えた。
裁判官の質問が終わると法律官の審問が始まった。これはかなり手厳しく老婆の言ったとおりだった。法律官は学校に行っていないルナを不良少女呼ばわりし、素行が悪いとののしった。倫理面のアラを突くことでルナの心証を悪くしようとする論法を展開した。最終的に法律官は事件の発端はルナがつくったのであり罪は免れない、特に魔法を使ったことは許されるべきではないとまとめた。
一方、弁護側すなわち老婆による陳述は彼女が魔女で人間の世界の法律についてほぼ知らないということからはじまり、さらに骨董屋が意図的に魔法書を安く買い叩いたことで事件がおき、その結果、魔法を使うに至ったと述べた。基本的に正当防衛であり怪我をさせる意図はないと締めくくった。
プロの鑑定士が1万ギルダーで魔法書を買い取ったことももちろん話の中に含んでいる。裁判では客観証拠が重要になる。1万ギルダーで魔法書が売れたことは骨董屋が買い叩こうとしたことを示す重要な事実である。
一度、休憩を挟むと法律官側がベアーへの質問を開始した。ベアーの証言におかしなところがないかどうかを確かめるためである。ベアーは老婆の言ったとおり嘘をつかず、時系列に自分の見たこと、聞いたことを法律官に伝えた。
ベアーが救護措置をしていることと、証言を拒否せず出廷したことで裁判官の心証はプラス面にはたらくであろう。一方、法律官はベアーの証言に偽りがあると証明できれば、ルナの有罪を勝ち取れる。必然的にベアーへの質問は厳しくなっていった。
「では、あなたが見たとき、被告人は苦しそうにしていたと?」
「いえ、苦しそうというよりは死んでしまうんじゃないかと思いました。」
「そのとき彼女は手を動かせそうでしたか?」
「はい、骨董屋の腕を外そうとしていました。」
「彼女が腕を外そうとしていたとき指の炎はどうなっていましたか?」
「わかりません。」
「ということはそのときは指の炎は消えていたんですね?」
「意義あり、誘導尋問です。」
裁判官はちらりと老婆を見ると発言した。
「法律官は質問を変えてください。」
悔しそうな表情を一瞬、浮かべたあと法律官は別の質問をベアーにぶつけた。この質問は法律官にとって重要だった。指に灯された炎が流れの中で骨董屋に引火したのなら正当防衛だが、意図的にルナが骨董屋に炎を向けたなら傷害である。ベアーはこの点、ルナの指までは見えなかったのでわからないという答え方をした。
ベアーの回答はグレーなため法律官は執拗なまでに質問攻めにした。しかし、判らないものを思い出すのは不可能なためそのやりとりは膠着状態に陥った。
結局、裁判官がやり取りを打ち切った。
「では、1時間後に判決を下します。」
そう言うと裁判官は退席した。法律官は老婆のほうを睨みつけると部屋を出て行った。
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老婆は袋の中から焼き菓子を取り出した。小麦粉を牛乳と砂糖で混ぜてこねた後に薄く延ばして焼いたものである。10cmくらいの長さで、上側にザラメがふってある。所々ザラメが焦げてカラメルになり、その部分がいい感じで苦味を出していた。
「おいしい」
素朴な味の焼き菓子だが程よい甘さで、疲れた脳にはいい栄養補給になった。
「どうして、こんなによくしてくれるんですか?」
ぽつりとルナが言った。
「お金の当てもないし、保釈金だって返ってくるかわからないし…」
ルナが申し訳なさそうにそう言うと老婆が口を開いた。
「昔、魔女を裁いた裁判があった、当時はまだ魔法の使用はさほど重たい罪じゃなかった。」
めったに話をしない老婆が口を開いたのはベアーにとって驚きだった。
「その魔女はあまり素行のいい女じゃなかった。魔法を使って盗みを働き、人を騙して財産を掠めた。魔法で姿を変えるため当時の治安官たちの能力では魔女を捕まえることができなかった。だが、年貢の納め時がやってきた、魔縛りの縄というのを聞いたことがあるかい?」
「確か、すべての魔法を封じるという…でも使用禁止のはずじゃ…」
魔縛りの縄は魔法を使えない者でも使用が可能だが、その効力が強く被疑者を死に至らしめることがあるため、捜査での使用は現在でも禁止されていた。
「そう、それを使ったんだ。だが、魔女も必死さ、逃げるために飛翔の魔法を使った。そのとき若い治安維持官が魔女の足に飛びついた。放せば良かったが、若い治安維持官は放さなかった。かなりの高さまで行った時、魔縛りの縄の効力が発揮された。」
「落ちたんですか?」
たずねたのはルナだ。
「ああ、若い治安官は即死、魔女も大怪我を追った。だがね、魔縛りの縄を使ったことは法律官には知らされなかった。当時の治安維持官が使ったことを伏せたんだ。裁判では魔女が飛翔の魔法を使った時、邪魔になった治安維持官を振り落としたことになった。」
「そんな…」
「その時の法律官は結審を急いで関係者の尋問を不十分な状態で切り上げたんだ、『有罪』にできる確信が強かったため証拠の精査を十分にしなかった…」
「ひどい…」
「捕り物中の事故が殺人事件になってしまったんですね」
ベアーはそう言うとその続きを促した。
「判決はどうなったんですか?」
老婆はそれに対して淡々と答えた。
「死刑」
ルナの顔は青ざめていた。
「魔女は将来を悲観して自殺してしまった。魔縛りの縄のことがもっとはやくわかれば判決も変わったろうに…」
一同に重い空気が流れた、老婆は息を吸うとさらに続けた。
「そのとき、事件を担当した法律官が私なんだよ。」
老婆は真正面を見据えていた、自責と悔恨の念がこもった表情は今まで一度も見せたことのない厳しいものであった。




