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第三十五話

96

ゴルダ卿がボーガンの引き金を引こうとした瞬間であった、思わぬ事態が生じた。


なんとパカパカという音とともに短い脚の動物がぽっかりと空いた石室の入り口からあらわれたのである。そしてその動物は威厳に満ちた表情でその場を見回すと実に間の抜けた鳴き声を上げた。


その声は痺れるような緊張感が張りつめていた石室の雰囲気を壊し、妙な空気をもたらした。


「何だ、このロバは……」


ゴルダ卿はそう言うと修羅場に入ってきた闖入者にその目を向けた。


                                 *


 だが、この行為はベアーたちにとって十分すぎるほどの時間になった。ゴルダ卿が見せた一瞬の隙がベアーたちにチャンスを与えていたのである。


 最初に躍り出たのはルナであった、ルナはゴルダ卿に走り寄るとボーガンを持った右手にかみついた。そして、それとほぼ同時にベアーがゴルダ卿に飛びかかった、後ろから羽交い絞めにするとその首に腕を回して締め上げた。


 そして、最後にハンナである、ハンナは倒れ込んで苦しそうにうめくゴルダ卿の顔に自らの臀部をあてがった。


「これでも喰らえ!!」


 ハンナはそう言うと肛門からの一撃をくらわせた。如何ともしがたい臭気は首を絞められ苦しんでいるゴルダ卿には十分すぎるダメージを与えた、そしてゴルダ卿はガクリとその首を落とすと気絶した。


ロバのもたらした空気の変調はベアーたちに反撃をもたらすきっかけとなっていたのである。



97

さて、ロバである……


 ロバは倒れた炭焼き小屋の主人を見やることもなく、その眼を鉄仮面へと向けた。その瞳には幾千の戦いを切り抜けてきた勇者のような輝きがある。


「やるではないか、この畜生が」


鉄仮面は状況を一変させたロバに対して言葉を投げるとその剣の切っ先をロバに向けた。


「私は動物にも容赦はない。『死』というものは生きとし生けるものすべてに平等に与えられるものだ」


 鉄仮面が不遜な哲学を訴えるとロバはそれに対して『そんなことはない』という表情を見せた。そして体を斜めにするとその不細工な顔を鉄仮面に向けた。


『アイツ……何をする気なんだ……』


 ベアーが素朴な疑問をもった時である、ロバは鉄仮面をハスに見やるとじっとりした視線を送った。そして頃合いを計ると、片方の目をつぶった。


『流し目』から『ウインク』へとつなげた必殺コンボである。


 張りつめたいた空気に何とも言えない歪みが生じる―――そして、その場に奇妙な沈黙が訪れた。石室にいた一同はどうしていいかわからず固唾をのんで状況を見守った。


                                  *


そして、しばし時が流れた……


妙な沈黙に耐え切れなくなった鉄仮面は辺りの気配を窺いながら口を開いた。


「それだけか?」


尋ねられたロバはその耳をパタパタさせ、その鼻をフルフルさせた。


どうやら、それだけらしい……


ベアーは思った、


『マジで、それだけなのか……』


ベアーが希望と絶望のあいまった表情でロバを見ると、ロバは『フフッ』と嗤った。


その表情には、


『このあとはノープランです』


と浮かんでいた。


                                 *


それを感知した鉄仮面は怒りの声をあげた。


「無駄な時間を使わせおって、この畜生め!」


 ロバは鉄仮面の言葉の中にある怒りと殺意を読み取ると如何ともしがたい表情を見せた。そして不細工な顔を急にキリッとさせるとベアーに訴えかけた。


『……これ……無理です……』


 ロバは一瞬にして状況を悟ると、ベアーにケツを向けた。そして石室の入り口にむけて走り出した。その速さたるや尋常ではない、短い脚の回転速度は光速を越えていた……


ルナは思った、


「あいつ……逃げた……」


ベアーも思った、


「……俺たちを置いて逃げやがった……」


炭焼き小屋の主人も思った。


「……逃げたな、しっぽを巻いて……」


ロバは主人たちの置かれた状況など顧みず、己の命を最優先する選択肢を選んでいた。


                                *


だが……


ロバの思いは見事に裏切られた。なんと高速で逃げたロバの退路に鉄仮面が廻り込んだのである。そして鉄仮面は重厚な鎧など身に着けていないような身のこなしでロバに向けて一撃を放った。


ベアーはおもった。


『ヤバイ、られる!!』


あの鉄仮面の一撃からロバが逃れられるとは考えらない……ベアーは相棒の死を覚悟した。


だが、そうはならなかった、


なんと床のくぼみに足を取られたロバがつんのめって転んだのである、そしてその想定外の動きが鉄仮面の一撃を回避させたのである。


まさに奇跡の転倒であった。


「えい、ちょこまかと!」


鉄仮面はそう言うとロバに再びショートソードを向けた。


 一方、ロバはスクッと立ち上がると瞬時に状況判断した。そしてその眼を血走らせると、今度はベアーの方に顔を向けた。そして小さく頷くとベアーの方に向けて短い脚を走らせた。


『あいつ……何でこっちに来るんだ……』


ベアーは今までにないほど不細工な顔で迫りくるロバに不穏なものを感じた。



98

ベアーの所でタイミングよく立ち止まったロバは、前足を器用に使ってベアーの背中を押した。


妙に優しい蹄のタッチにベアーはその意図を計りかねたが、次の瞬間その理由が分かった。


「お前、まさか、俺を盾にする気か!!」


ベアーが迫りくる鉄仮面を見てそう言うとロバはシレッとした表情をうかべた。


『だって、俺、死にたくないもん』


ロバがいたって真面目な表情を見せると、さすがのベアーもブチ切れた。


「お前、主人を何だと思ってるんだ!!」


ベアーが激高するとロバは明後日の方向に顔を向けた。


『痛いの嫌だし……』


ベアーはロバの表情からその意図を読みとると顔を真っ赤にした。


「そういうことじゃ、ねぇだろ。俺に対するお前の態度を言ってるんだよ!!」


言われたロバは若干ながら反省した表情を見せた(演技であるが……)


それを見抜いたベアーは迫りくる鉄仮面を無視して続けた。


「お前ね、前から言おうと思ってたんだけど、ロバのくせにニャンニャンのお店に行くのはどうかと思うよ、お前はあくまでロバなんだからね!!」


言われたロバは不愉快な表情を浮かべると蹄を使って床に文字を書いた。


『それは差別です』


思わぬ知的な切り返しにベアーは大きく目を見開くと押し黙った。


ロバはその表情を見るとさらに畳み掛けた。


『ほんとは羨ましいんでしょ~』


 図星をつかれたベアーは『ぐぬぬぬ……』という表情を浮かべた。そこには敗北感がありありと滲んでいる……


「べつに、べつに…羨ましくなんかない……ない……ない…」


ベアーはしどろもどろになってそう言ったがその顔には『めっちゃ、羨ましいです』と滲んでいる……


ロバはそれを察するとニヤリとした、それは勝者の見せる微笑であった。


                                 *


そんな時である、一人と一頭に向かってくぐもった声が響いた。


「もう、その話はいい……今のが遺言だと認識した」


鉄仮面はそう言うとベアーとロバにショートソードを向けた。


「あの世で、ニャンニャンして来い!!」


言われた一人と一頭は命を懸けたコントを強制終了させられると一転して死の淵に立たされた。


『ヤバイ!』


ベアーがそう思った時であった、神のいたずらと思しき事態が生じた。



99

なんと突然、鉄仮面の上半身が炎に包まれたのである。赤々とした炎は上半身だけでなく下半身も飲み込んだ。火だるまになった鉄仮面はよろめくと剣を杖代わりにした。そしてその兜を炎に焼かれながら振り向いた。


「お前達か……」


鉄仮面の言った先には炭焼き小屋の主人とルナがいた。


                                  *


炭焼き小屋の主人ことアルフレッドは鉄仮面に雄々しい声で語りかけた。


「ぬかったようだな、鉄仮面!」


 なんと、魔導器の職人であるアルフレッドはロバとベアーの命を懸けたコントの合間を縫ってルナに忍び寄っていたのだ。


「お前がロバに気をとられている間に私は魔女につけられていた魔封じの腕輪を外したんだよ」


アルフレッドがそう言うとルナはその言葉にあわせて炎のゆらめく人差し指をみせた。


「ば~か、ば~か!!」


じつに腹立たしい物言いでルナは連呼すると勝ち誇った表情を見せた。そこにはこの場の状況を収束させたという自負と、これで一件落着したという思いが浮かんでいる。


だが―――


鉄仮面はそれに対して割れんばかりの笑い声をあげた。


「おもしろい余興ではないか」


鉄仮面がそう言うや否やであった、赤々と燃えていた炎はかき消すようにして立ち消えた。


「その程度の力ではこの鎧はびくともせんぞ」


そう言うと鉄仮面はルナとアルフレッドに向き直った


「だが、私を傷つけたことはゆるし難い」


鉄仮面がそう言った瞬間である、その場の空気がガラリ変わった。


                                  *


 万物にはあるべき姿があるという、それは森羅万象のことわりにより束ねられ、自然界の法則によりそっている……そしてそれは空気もまた然りである。


 だが、鉄仮面の鎧から発せられる波動は明らかにその理を無視していた。凍りつかせるような波動はその場の空気を乱しベアーたちの自由を奪った。


アルフレッドはその空気に含まれる振動の中に許されざる香りを嗅ぎ取った。


「貴様……呪いの力を……」


アルフレッドがそう言うと鉄仮面はククッと嗤った。


「私を奸計でやり過ごそうとしたお前たちの知恵には感服する。だがその行為の代償は払ってもらう」


鉄仮面はそう言うとその場の空気が一段と密度を増した。


「サヨナラだ、諸君!」


鉄仮面はそう言ってショートソードを上段に構えた。


 それを見たベアーは異様な変調が心身を絡め取っていくのを感じた。動かぬ体、定まらぬ思考、色彩が失われた風景、全てが悪い方向へとつながっていく……


そしてベアーはその肩に何やら不可思議なものが下りてくるのを感じた。


『これが死神か……』


15歳の少年は生まれて初めてその身に絶望という概念を叩きこまれた。





物語はクライマックスとなりました。


この後、ベアーたちには何が待ち受けているのでしょうか、


ちなみに私もロバと同じく、このあとの展開は『ノープラン』です。(切実にヤバイ……)



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