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第三十二話

86

一方、同じころ、ゴルダの街は大混乱に陥っていた。ポーションの効果で狂らんした青年たちが破壊活動に躍動したためである。身体能力の高い青年たちは治安維持官達を翻弄し、街の治安を破たんへと導いた。


だがその状況は一人と一頭にとっては大きな恩恵となっていた―――


「よかった、混乱してくれたおかげでなんとかなったわ」


ソフィアはそう言うと大きく息を吐いた。


「あの人に託された手紙、どうやって渡せばいいか……この混乱がなければ無理だったけど……」


 ソフィアは炭焼き小屋の主人に頼まれた手紙を混乱に乗じて目的の場所に運んでいた。『特別郵便』として民間の輸送業者に渡すことに成功していたのである。


 ちなみに『特別郵便』とは特殊な状況下に対応するための情報伝達手段のことである。戦時や紛争時がこの状況にあたるのだが、これを預かった業者は可及的速やかに業務を遂行せねばならず、断ることは許されていない。


 だが、その一方で特別郵便は『特別』とその名がつくだけあって普通の人間が出せるものではない。それ相応の地位にあるか、特殊な任務に就いていることが条件になる。


 ソフィアは業者が郵便物を受け取るか半信半疑であった。炭焼き小屋の主人がそのような人物に思えなかったからである……


 だが、手紙のサインを見た業者は顔色を変えると素っ頓狂な声を上げた。直立不動の姿勢を見せると緊張感でその顔を紅潮させた。どうやら炭焼き小屋の主人は『特別郵便』を扱うに十分な人物らしい……


 いずれにせよ、手紙はゴルダで最速の伝書鳩により空から運ばれることになった。太陽に向かって羽ばたく伝書鳩がゴルダの街を離れる姿は未来への希望を紡ぐ糸となっていたのである。


                                 *


それを見届けるとソフィアがポツリとこぼした。


「これで私の仕事は終わりね……」


ソフィアはホッとした表情でそう言うとロバを見た。


「どうするの、あなたは?」


尋ねられたロバは不細工な顔でソフィアを見た。


「私は街を出るわ、ここではもう稼ぐこともできないだろうし。それにこの混乱ならゲートも通過できるわ……」


 街では火事が至る所で起こっているためゲートの外に非難する人々も少なくなかった。ソフィアはそれに乗じてゲートを抜けようと考えていた。


 一方、ロバはそんなソフィアを見ると前足を器用に使ってたどたどしい文字を描いた。その文字群は『ポルカ』と読める……


「無理よ、帰るのは……あそこに私の居場所はないわ。フォーレ商会を倒産寸前まで追い込んで、社員を路頭に迷わせた女に戻る場所なんて……」


 ソフィアは『ポルカに戻ることは絶対にない』というきっぱりとした態度をとった。そこには父であるロイドとの確執が見え透いている……


 ロバはソフィアの表情からそれを察したが、家族間のわだかまりに首を突っ込むつもりなかった。血縁のトラブルに第三者が介在しても傷口が余計にひろがることを熟知していたからである……それゆえロバは沈黙して泰然とした態度をとった。


「この街でもうまくいかなかったわ……私の居場所は……どこにあるんだろ……」


ソフィアは寂しげにそう言うとロバを見た。


「私と一緒に来る?」


言われたロバは鼻息を荒くして耳をピンと立てた。そこには『行きたい!!!』という思いが詰まっている――


だが、ロバはしばし考えると哀しげな眼を見せて首を横に振った。


『まだ……やることがあるんだよね……』


ロバがそんな表情を見た。


「そう、じゃあ、ここでお別れね」


ソフィアはそう言うとロバの背中を撫でた。


FAREWELLさようなら


ソフィアがそう言って振り向くと、ロバはそのスカートを噛んだ。


「どうしたの?」


ソフィアが怪訝な表情でそう言うと、ロバは首にかけたポシェットを指摘した。


「これのこと?」


 ソフィアがそう言うとロバは『開けてみろ』とジェスチャーで示した。ソフィアは素直に従いにポシェットを手に取り、その中を見た。そこにはいくばくかの金が入っている。


 ロバは小さく頷いた『そこに旅の路銀にしろ』という含みがある。ソフィアはそれを察するとロバの耳元に囁いた。


「ありがとう、本当はお金に困ってたの……」


ソフィアはそう言うとロバの額にキスした。


「この恩は忘れないわ!」


ソフィアはそう言うと踵を返した。


ロバはゲートに向かうソフィアの背中を見るとその未来に思いを馳せた。


『……まあ、なるようになるだろう……』


 明るい未来がソフィアにあるとは思えなかったがロバがどうこうした所で彼女の決断が変わるわけではない。ロバはそう思うと目前にある仕事を成さしめるためにその気持ちを切り替えた。


『さぁて、もう一仕事だ!』


ロバはそう思うとメインストリートの方に顔を向けた、その視線の先にはゴルダ卿の館が映っていた。



87

ゴルダ卿の館に続く地下道に潜り込んだ炭焼き小屋の主人とベアーは坑道のよう空間の中でまさかの光景をその眼にすることになった……


「……酷い……」


 彼らの視野には10名以上の倒れたゴルダ卿の私兵が映っていた。皆、息はあるもののそのほとんどが不具となり、手足の腱や神経を切断された者がその傷口をおさえていた。中には激痛にのたうつ者もおり、岩盤をくりぬいた通路には最悪の修羅場が展開していた。


炭焼き小屋の主人は冷静な表情で利き手の腱を切られた私兵に近寄るとその顔を見た。


「何があったのだ?」


尋ねられた私兵は挙動不審の状態で体を震わせた。


「……一人だった……たった一人だった……それなのに……」


そう言った若い私兵は涙を流した。


「みんなやられたんだ……一瞬だよ……気づいたら腕が……」


だらりと垂れる兵士の腕は明らかにその機能を失っていた。


「お前たちを襲ったのは誰だ?」


炭焼き小屋の主人が尋ねると若い私兵は涙ながらに答えた。


「……鎧の男だ……仮面をつけていた……」


そう言うと若い私兵は動かなくなった右手をおさえて絶望的な表情を見せた。


 一方、ベアーは目の前に展開する惨状を見てうち震えていた。血臭と怪我人の呻き声がベアーの精神をかき乱し、正常な思考を奪おうとする……眼前に広がる陰惨な光景はベアーの心を飲み込もうとした。


『ビビッてちゃ駄目だ……ルナとアルを助けなきゃ……』


ベアーはそう思うと大きく深呼吸して祖父に教えられた祈りの言葉を口にした。


「事物、一見してその心を止めぬこと不動という。心、動ずれば山河、大地も動ず。心、動かざれば風雲鳥獣も動揺なし」


 この言葉の意味は『目にしたものに影響されると自分の心に変調が生じ不安感や恐怖感が生じてしまう。だが無心となり事物にとらわれなければ不動の心で事物に接することができる』というものである


ベアーは平常心を取り戻さんとドモリながらも必死にその言葉を唱えた。


                                 *


 実家の礼拝堂で毎日のように祖父から聞かされていた祈りの言葉を何度が唱えると不思議とベアーの精神に安寧が訪れた。いまだ心臓の鼓動は収まらないが、周りを見回す余裕が生まれていた。


「どうやら落ち着いたようだな……あまりに酷な現場だ……無理だと思うなら帰ってもいいぞ』


炭焼き小屋の主人が気を利かすとベアーはかぶりを振った。


「ルナとアルがここにいるはずです。彼らを助けるまでは館から出るつもりはありません。」


ベアーはキリッとした表情を見せると周りの状況を鑑みて炭焼き小屋の主人に話しかけた。


「仮面の人物はこの者たちをわざと殺さないようにしているんですね。殺人ともなればその罪は重くなります。逃走する厳しさも半端ではない。ですが障害事件となれば追いかける治安維持官達の眼も甘くなる。」


ベアーが冷静な見解を述べると炭焼き小屋の主人がそれに答えた。


「お前の考えには一理ある、だがこの惨状を引き起こした者はそうした意図で剣を振るってはいない……」


ベアーが怪訝な表情を見せると炭焼き小屋の主人は厳しい表情を浮かべた。


「この場にいるすべての者は20代か30代の青年だ。この若さで不具になればこの先どうなると思う……腕を動かせぬ者、歩くことのできぬ者……彼らは日々の生活がままならぬ状態で何十年にわたって苦しむことになる……」


炭焼き小屋の主人はベアーを見て続けた。


「この惨状を造った鉄仮面はこの者たちの苦しむ姿に悦びを見出しているんだ。未来のある若者を不具にして絶望を与える……打算でカタワにしているんじゃない、愉しんでやっているんだよ」


言われたベアーはその眼を大きく開くと言葉を失った。


「ベアーよ、心しておけ。お前の友人が鉄仮面とともに行動しているなら助けることは簡単ではないぞ!」


 そう言った炭焼き小屋の主人の眼には『あきらめろ!』という含みがある、ベアーはそれを察すると俯くほかなかった。




うpは若干遅れ気味でありますが、最後まで持ちそうなので『失踪』はありません。ラストをどうするかはまだ未定ですが何とかなると思います。


では、みなさん、暑いのでお気を付けください。

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