第三十一話
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非常事態宣言を出した後、ゴルダ卿はキャンベル海運の倉庫で起こった事件の内容をその配下から逐一報告を受けていたが、武装したゴルダ卿の私兵が丸腰の自由の鷹の青年たちに血祭りにあげられた事実にはさすがに驚かされた。
『ユルゲンスめ……しくじりおって……』
キャンベル海運の倉庫で冷たい骸となった蛮族の青年に対する憐憫の情など微塵も感じさせぬ不道徳さは相変わらずであったが、白金を失ったことに対する怒りは甚だしいものがあった。
『クソッ、製錬した白金まで根こそぎやられるとは!』
だが、それだけでは済まなかった、散発的にゲリラ戦が展開されたことで街の治安が一気に崩壊したのである。被害を受けた商工業者や役所の建造物からは煙が上がっていた……
『彼奴め、私に喧嘩を売るつもりか……』
ポーションを用いて狂らんした自由の鷹を率いる鉄仮面の存在はゴルダ卿にとって大きな隔たりとなりつつあった。
『鉄仮面が実験場に来ることは阻止せねばならん、だが奴の嗅覚なら……探り当てる可能性もある……急がねば……』
ゴルダ卿はそう思うと事態の収拾を配下に任せてその足を実験室へと向けた。
『エリー、今晩ですべて解決する……少し早いが……実験の最終工程に入ろうと思う』
ゴルダ卿は自由の鷹の活動など既に眼中になく人体錬成を完了させるべく狂気の表情を見せた。
『エリー、お前の笑顔をもう一度……』
ゴルダ卿の欠けていく良心はすでにそのほとんどを残していなかった、その表情は喜怒哀楽の欠如した能面のようなものへと変化していた。
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一方、それよりさかのぼること4時間前、ルナと兄妹たちは人体錬成のニエにされることを避けるべく知恵を回していた。
「いい、お姉ちゃんの言うとおりにするのよ」
言われた兄のポップと妹のハンナは強く頷いた。
「それぞれが自分の役目に徹するの、いいわね!」
言われた二人は直立不動の姿勢を見せるとルナに敬礼した。
「あいつを揺さぶって隙を造る……その間にここから脱出するの!」
ルナはそう言うと自身の考えた作戦を二人にわかりやすく説明した。兄弟はそれを熱心に聴くと鼻息を荒くした。
「難しいことは一つもないわ、でもタイミングが大事なの」
ルナはそう言うと実際のシュミレーションをおこなった。
「絶対、ビビっちゃ駄目よ!」
ルナがドスのきいた声で二人に話しかけるとポップとハンナは緊張した面持ちでうなずいた。
*
何度かシュミレーションを繰り返すとなんとなくだが形になってきた。
『うまくいくかわからないけど……やるしかない』
小さな子供たちと協力して何とかなるとは思えないが、ここでまざまざ死ぬわけにはいかない……ルナの脳裏に様々な考えが浮かんだ、
『まだまだやりたいことがたくさんあるし、おいしいものも食べたいし、イケメンともデートしたいし……カジノで大当たりしてみたいし……こんな所で死ねないのよ!!』
ルナがそう思うとその最後に1人の少年の顔が浮かんだ。
中肉中背、どこにでもいそうな雰囲気で、これといった特徴はない。回復魔法は初級しか使えず、上級学校を出ていないため貿易商としての将来もさほど明るくない……正直、恋愛対象としては微妙な存在である……
だが、少年の持つ優しさや誠実さは掛け値のないもので、苦しい時に手を差し伸べてくれるその姿勢には惹かれるものがあった。
『……別に好きなわけじゃないんだけど……でも……もう一回、会いたい!』
ルナはそう思うと再び気合を入れなおした。
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「時が来た、わが想いが成就する時が!!」
ゴルダ卿はそう言うと重々しい扉を開けた。そして石室に蔓延する紫色の香を吸い込むと大きく深呼吸した。
『エリー、やっとだ、やっと、ここまでこぎつけた。』
ゴルダ卿はそう思うと石室の中央に置かれたモニュメントに向かった。
相も変わらず形容しがたい不気味さを放つそれは小刻みに揺れていた。それは生物が呼吸するかのような間隔で振動している。
『いい感じだ……あの子供たちをこの中に入れて新月を待つ。そして魔女の肝と血をエナジーとして、これを作動させる……そうすれば明日の早朝には……エリーが』
ゴルダ卿は歓喜した表情を見せた。
―――そしてゴルダ卿は小部屋に続く扉に手をかけた。
*
一方、ルナたちはその時を待っていた。
何度かのシュミレーションで段取りは整っている。あとはゴルダ卿が扉を開けるのを待つばかりであった。
『作戦名:揺さぶりゃ、なんとかなるんじゃねぇの!!』
うまくいくかは甚だ怪しいところであるが、それなりの打算も含んでいる。ルナはそれにかけた。
『ちょっとでもいいから時間を稼ぐ……ひょっとしたら助けが来るかもしれない……』
一分、一秒でも長くその命をつなげれば起死回生の展開があるかもしれない、ルナはそんな希望を胸に秘めていた。
*
ゴルダ卿が石棺のある小部屋に入るとルナが仁王立ちになって迎えた。その顔は威厳に満ち、戦地で兵士に命令を将軍のような雰囲気がある。
「どうした、魔女の娘よ」
ゴルダ卿が声をかけるとルナは58歳の魔女の面影を見せた。
「見たわよ、棺の中を」
ルナが厳かにそう言うとゴルダ卿はルナを睨み付けた。
「エリーだったかしらね……」
ルナはすっとぼけたような口調で続けた。
「骨を見たんだけど、脛骨が折れてたわ、どうしてかしら?」
ルナが意味深な物言いで発言するとゴルダ卿がそれに答えた。
「お前には関係ない」
にべもない言い方でゴルダ卿が反応すると、それに対してルナが間髪入れずに答えた
「何かあったんでしょ?」
見た目10歳の子供では体現できない嫌らしさを含んだ目でルナがねめつけるとゴルダ卿は不愉快な表情を見せた、そこには今までにない強い感情が沸きだしている。
ルナはその表情を見て『かかった!』とおもった。そしてさらにゴルダ卿の心を揺り動かすべく言葉を投げかけた。
「凄くきれいなドレス、それに高級な腕輪にネックレス、どれも死体に与えるモノじゃないわ、でもあんたは遺骨にそれを与えている、着せ替えごっこを躯に向かって強いているのよ!」
ルナがそう言うとゴルダ卿は唇を震わせた、そこにはフツフツと憤怒の感情が湧き出ている。
「お前に何がわかる、お前にエリーの何がわかるんだ!!」
眼の色を変えたゴルダ卿はルナに詰め寄るとその襟首をつかんだ。
「今すぐ殺してもいいのだぞ!」
ルナはそれに対し淡々と答えた。
「あんたがエリーに固執する理由はわかんないけど、普通じゃない理由があるのはわかるわ!」
ルナはそう言うとゴルダ卿を睨んだ。その睨み方は58年間生きてきた魔女の凄味が滲んでいる―――そしてルナはキーワードを口にした。
「本当はあんたが殺したんでしょ?」
ルナが畳み掛けるとゴルダ卿は激高した。
その時である、石棺の蓋が突然、開きだした。
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思わぬ事態にゴルダ卿はその眼を石棺の方に移したが、驚くべき事態が発生していた。
なんと開いた石棺の淵に白い手がかかったのである、それは白骨ではなく、明らかに人の手であった。
「お父様……お父様……」
石棺の中から子供の声が聞こえてくる―――
「痛いよ……痛いよ……」
震えたような子供の声は弱々しく、今にもこと切れそうな雰囲気がある―――
「お父様……助けて……」
その声を耳にしたゴルダ卿はルナから手を放すと呆然とした表情を見せた。
「……エリー……」
その顔は憑き物がおちたように妙にさっぱりしたものであった。
10年近く、人体錬成の狂気にとりつかれていたゴルダ卿はすでに廃人と思しき状態に陥っていた。すでに善悪の観念はなくなり、何が正しいのかさえ分からなくなっている……
だがゴルダ卿はそうした精神状態でも骸となった娘に対し異常なまでの愛情を注いでいた。狂気が見せるゴルダ卿の行動は常人には見られぬ深いひずみを生んでいたのである。
一方、ルナはそれを見逃さなかった、壊れていく人間の精神の中にある良心の欠片に語りかけ、ゴルダ卿の心を揺さぶったのだ。
そして、それを成功させるためにポップとハンナに一芝居うたせていたのだ。
*
ルナはゴルダ卿の表情を見ると『やった!』とおもった、そして立ち位置を変えると石棺の陰に隠れたポップに合図を送った。
石棺の蓋をうまく使いながらポップはゴルダ卿の死角に入ると、音をたてないように四つん這いになった。ルナはそれを見て人差し指で合図を送りながら間合いを測ると、ポップに逃げ出すように指示した。
作戦は実に順調に進んでいた―――




