第二十九話
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カルロスが踏み込んだ先にはゴルダ卿の私兵と自由の鷹の若人がその身を横たえていた。ともにこと切れていて救助の必要性はない……
『まさか……スターリングさんも……』
カルロスは倒れた兵士と自由の鷹の若人を見て、凄まじい不安感に駆られた。そして倒れた骸の中にスターリングがいないか確認した。
『……よかった……いない』
カルロスがそうひとりごちた時である、倉庫の小部屋(従業員の事務スペース)の方から物音が聞こえてきた。
カルロスはショートソードを抜くとその方へと足を進めた。
*
カルロスが薄く開いたドアの隙間を確認すると、そこには黒髪をショートにした人物が倒れていた。むき出しになった肌には無数の打撲痕や裂傷がのぞき、とくに両手(手のひら)の傷は甚だしいものがあった。
カルロスは拷問を受けた被害者だと確信した。そしてその人物に近寄るとその顔を確認した。
「……スターリング……さん……」
その顔は拷問されていないため相変わらず美しかったが、呼吸は浅く、顔は青白い……朗らかに体力の限界を示していた。
「大丈夫ですか!!」
カルロスが声をかけるとスターリングは安堵の表情を浮かべた
「……カルロス……来てくれたの……』
スターリングは一瞬だけ女の弱さをその表情に浮かべたが、すぐにそれを払しょくすると広域捜査官の表情に戻った。
「私を拷問した盗賊団は二手に分かれたわ、リチャードは精錬した白金を持ってゲートに……そしてもう一人の鉄仮面は……」
スターリングはそう言うとその身を震わせた。その姿にはトラウマを受けた被害者の兆候が沸き起こっている……
「もういいです……話さなくて……」
カルロスがそう言うとスターリングはカルロスを見た。
「カルロス……失敗よ……ミッションは……」
スターリングは自虐的に嗤ったが、その顔に精気はなく広域捜査官としての威厳もなかった。
「そんなことでどうでもいいんです……とにかく……生きていてくれてよかったです……」
カルロスが泣きそうな声で答えた時である、スターリングは突然、その首をガクンと落とした。
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ベアーと炭焼き小屋の主人がカルロスの絶叫に導かれると、そこには引き裂かれたレザースーツに身を包むスターリングの姿があった。
炭焼き小屋の主人はスターリングの状況を確認すると小さく頷いた。
「気絶しただけだ」
涙をためていたカルロスはそれを聞いてホッとした表情を見せた。
そしてスターリングの状況を確認すると小さく頷いた。
「命に係わる傷はないだろう」
炭焼き小屋の主人はそう言うとベアーを見た。ベアーはその眼を見て頷くと回復魔法(初級)を行使した。
*
両手の傷は甚だしいものがあったが、幸運にも神経や腱といった部位に損傷がなかったためベアーの回復魔法でもそれなりの効果が認められた。打撲も臓器や骨に影響を与えるものがなく、スターリングの傷は見た目よりも軽かった。
「これなら、大丈夫でしょう」
ベアーがそう言うとカルロスは大きく息を吐いた。
「よかった……」
今度はベアーがカルロスに質問した
「アルはいましたか?」
言われたカルロスは首を振った。
「こっちで倒れていた人間に少年はいなかった、どこかで生きているはずだ」
カルロスがそう言うとベアーもはホッとした表情を見せた。
「でも、どこに行ったんですかね……」
ベアーが素朴な疑問を呈すると炭焼き小屋の主人が答えた。
「ポーションを飲まされた自由の鷹は強い感情に支配され、その行動をとるだろう……ゴルダ卿の私兵に対し、生身でありながらこれだけの被害を与えている状況を考えれば……」
ベアーはその言葉から一つの場所を思い浮かべた。
「……ゴルダ卿の所……館ですか!」
炭焼き小屋の主人はベアーを見て頷いた。
「時間はないぞ、狂らんした若人の行動は常軌を逸している……何が起こるかわからん」
そう言った炭焼き小屋の主人の表情は実に厳しい。
「しかし、キャンベル海運の中にポーションを用いることさえ厭わぬ者がいるとは思わなんだ……」
想定外の人物がいることに炭焼き小屋の主人は嘆息をもらした。
「スターリングさんは『鉄仮面』と言っていました……」
カルロスがそう言うと初めて聞く単語に炭焼き小屋の主人は大きく息を吐いた。
「いかなる人物であろうと、ポーションを用いてこの状況を作り上げたのは許されざることだ。この蛮行に対する『ケジメ』をつけねばならん」
そう言うと炭焼き小屋の主人はカルロスに目を向けた。
「お前はスターリングを連れて置屋に身を隠せ。ゴルダ卿の息のかかった連中が町中にいるはずだ……そして頃合いを見て広域捜査官に助けを求めろ。」
そう言うと炭焼き小屋の主人は立ち上がった。
「行くぞ、ベアー。我々はゴルダ卿を糺しに行く。」
言われたベアーは強く頷いた。
陽が昇り始めたキャンベル海運の倉庫には血風が渦巻いてた。ポーションを用いた蛮行が自由の鷹を狂人化させ、ゴルダ卿の私兵を打ち砕いたのだ。
だが、この風が何をもたらすのか、狂気の果てには何が待ち受けるのか……この時、誰ひとりとして予期できる者はいなかった。
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石室に閉じ込められたルナたちは石棺の中を覗いた。
その中には子どもと思われる骸が淡いピンク色のドレスを身につけて横たわっていた。絹のドレスはまだ真新しく、最近、着せられたことが類推できる。
『ヤバイ……めっちゃ、このドレスいいヤツじゃん……縫製もしっかりしているし……それにこの腕輪と首飾り……ガーネットと蛍石……タマラン……』
ルナは骸の身に着けていた宝飾品を見て涎をおさえようとしたがその脳裏には『墓場泥棒』という言葉が浮かんでいた。
『……イカン、イカン……子供の前で……』
ベアーと出会うまでなら『ごちそうさま!』と思ってくすねることも考えられたが、現在のルナにはそうした思いはない、僧侶の倫理観のようなものが微かながらも芽生えていた。
『とにかく、調べないと』
ルナはそう思うと、石棺の中に入った。
*
『……特にないわね……』
ルナがゴソゴソと調べていると上から覗いていた兄が指を差した。
「お姉ちゃん、そこに何かある」
言われた先にルナが目をやるとドレスの下に何やら白い厚紙のようなものがあった。
ルナはそれに目をやると恐る恐る手に取ってみた。
「これ、羊皮紙だわ……」
羊皮紙は公式な記録(裁判や貴族の年中行事)を記すために使われる特別なものだが、ルナの手にした羊皮紙には短いながらも文章が刻まれていた。
≪すべて私のせいだ、エリー。私があの時、お前に一声かけていれば……こうはならなかっただろう。
慙愧に堪えんという言葉があるが、それよりもはるかに苦しい思いをこの10年してきた。
この思い、文字を用いて表すことは不可能だ……だが、私はあの時の失敗を取り戻すことに成功しそうだ。
あと少しで『人体錬成』が可能になる。そうすれば失われた時をより戻し、お前をこの世に再び……
私は人に何と呼ばれようとかまわない、お前を再びこの手に抱けるなら≫
羊皮紙に書かれた文面は冷たい骸となった人物がエリーという人物であること知らしめた。だがそれと同時にゴルダ卿の歪んだ信念が本物であることもわからしめた。
≪人体錬成を進めるうえで私は様々な魔道書や魔女の秘薬を秘密裏に買い入れた。その額はわが鉱山を売り払うほどにまで膨らんだ。だがそんなことは大したことではない。この実験が成功すれば、そのノウハウを生かして商売とすることもできる。10年間蓄積してきた記録も大きな価値を生み出すだろう……
エリー、もうすこしだ≫
羊皮紙の文面を読んだルナは嘆息を漏らした。
『こいつ、どうにもならんな……』
ルナはゴルダ卿の歪曲した決意表明に反吐がでそうになった。
そんな時である、ルナの様子を上から覗いていたハンナが声を上げた。
「もう一枚、なんかあるよ!」
指摘されたルナは別の羊皮紙がもう一枚あることにきづかされた。そしてその文字の具合から2枚目が最近書かれたものだとおもった。
『さっきと違うのかな……』
ルナはそう思うと2枚目の羊皮紙に目をやった
≪人体錬成を初めて10年……長かった……だが最後に必要なパズルのピースがそろった。長い付き合いの友人を陥れて手に入れたピースはお前を生誕させるカギとなるだろう
だが、果たしてこれでよかったのだろうか……友人を裏切り手に入れた物が本当にお前を……
心が砕けていく、精神が保てない……エリー、お前を思う気持ちだけが、私の人としての心をつなぎとめてくれる……だが、それも……長くはもたんだろう……≫
と記されていた。
ルナはそれを見てゴルダ卿の精神に尋常ではない変化が生じていることに気付いた。
『10年もまともじゃない研究してりゃ、頭もいかれるわよね。まして闇の魔道書を詠んでりゃ……』
一方、ルナは二枚目の羊皮紙から友人を陥れたことに対するゴルダ卿の自責の念を読みとっていた。
『完璧にいかれてるわけじゃないのかも知れない……』
ルナはそう思うとその脳裏にパっと灯りがともるような感覚に襲われた。
『そうね、揺さぶればいいのよ!』
ルナは朗らかな顔をみせると羊皮紙を見つけた二人に声をかけた。
「よくやったわ、あんた達!」
ルナに褒められた兄妹は役に立ったことがうれしいのだろう、ルナを見て白い歯を見せた。ルナはそれにたいして不敵な笑みを浮かべた、そこには58年生きてきた魔女の企みが浮かんでいた。
書き溜めていたものがなくなりました……
うpが若干遅れるかもしれません……最後まで完走は出来ると思うので、頑張って読み続けてくれるとうれしいです。
では




