第二十五話
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ボーガンを構えた鎧男がその引き金を引こうとしたその刹那であった、鎧男の入ってきた木戸から妙な格好をした人物が躍り出た。その人物は鎧男の部下に不意打ちを食らわせて昏倒させると、その足で一気に間合いを詰めた。
ベアーはその人物を見て驚きの声を上げた。
「カルロスさん!!」
だが、ボーガンの矢をつがえた鎧男は素早く体を入れ替えるとカルロスに向かって照準を定めた。
「何者だ、貴様!」
言われたカルロスは体を覆っていた紺色の布(マントととも外套とも思える形状)をおもむろに脱ぎ捨てると、それを鎧男にかぶせた。
視界を奪われた鎧男は引き金を引いたが、その矢じりはカルロスの頬をかすめただけ何の意味もなさなかった。
「この野郎!」
カルロスは足をかけて鎧男を倒すと、馬乗りになりその動きを封じようとした。だが鎧男も訓練を受けた兵士である、カルロスのその動きを読むとうまく入れ替えて脇にさしたナイフを抜いた。
「危ない!!」
ベアーはカルロスの脇を襲う刃を見てそう言ったが、その軌跡からカルロスは逃れることはできなかった。鎧男の動きがあまりに素早かったためである。
死神がカルロスの背中に襲いかかる――
ベアーは思った『カルロスが刺されたと……』
だが、その瞬間は訪れなかった、
なんといつのまにか動いていた炭焼き小屋の主人が鎧男の右手首に一撃くわえナイフを叩き落としていたのである。さらに炭焼き小屋の主人は流れるような動きでその鼻先を蹴り上げた。
鼻は動物にとっての急所になる、訓練を受けた兵士でも例外ではない。鼻を折られた鎧男は鼻血と涙で呼吸困難になりかけていた。
まさに形勢逆転、地下牢の状況は変転していた。
*
ベアーとカルロスが鎧男とその部下を牢の中に入れて一息つくと、木戸が開いてそこから1人の女性が現れた。実に美しく着飾っており、牢屋に現れる人間とは思えない高貴さがある……
ベアーはそれを見て声を上げた。
「……ソフィアさん……」
カルロスはベアーの方に向くと声をかけた。
「ソフィアさんが助けてくれたんだ。ゴルダ卿の館に入るときに一肌脱いでくれたんだよ」。
カルロスは続けた。
「都のお偉いさんの中には『男』に興味のある奴もいて、俺は男娼の振りをして馬車に乗ったんだ」
ソフィアの知恵はなかなかのもので、カルロスは怪しまれることなくゴルダ卿の館中に侵入していたのである。
それを聞いたベアーは『そうだったのか!』という表情を見せた。そしておもむろにソフィアに近寄った。
「ありがとうございます、おかげで助かりました。」
ベアーがそう言うとソフィアは首を横に振った。
「いいのよ、パトリックを2度も助けてくれたでしょ。このくらい……」
カルロスからベアーがパトリックを助けたこと(一章と外伝での出来事)を知らされたソフィアはその時の恩返しとばかりにベアーに助け舟をしていた。
それを悟ったベアーはソフィアに声をかけた。
「この恩は一生忘れません」
ベアーがそう言うとソフィアは静かに微笑んだ。30代後半にも関わらずその美しさは健在でその表情を見たベアーはドギマギしてしまった。
一方、ソフィアは不道徳な娼館の主という立場ゆえに僧侶の少年にどんな言葉をかければよいかわからず二の句は告げなかった、こうした状況下で投げかける言葉というのはなかなか難しい……
2人の間に微妙な沈黙が訪れた。
*
そんな時である、炭焼き小屋の主人が動いた。
炭焼き小屋の主人は牢に閉じ込めた鎧男に詰め寄ると自らの首にかけていたネックレスを外し、それを鎧男の顔の前で振った。振り子の様な軌道でネックレスの先にあった球体が左右に触れると不可思議な波紋がうまれた。
それが鎧男の顔を襲うと、鎧男の瞳孔が開きはじめた。そして10秒ほどたつと鎧男は夢遊病者のような表情を見せた。
その表情を確認した炭焼き小屋の主人は口を開いた。
「お前に、二つの質問をする」
炭焼き小屋の主人がそう言うと鎧男はだらしなく口を開けて頷いた。
『催眠術だな……』
ベアーはそう思ったが邪魔をしてはマズイと思い、観察に徹することにした。
*
「魔女の娘と、ゴルダ卿はどこにいる?」
言われた鎧男は稚児のような口ぶりで答えた。
「実験、部屋……」
「それはどこにある?」
「東……地下……」
鎧男の口調は呆けた老人のようにぼやけたものに変化した。
「実験とは何だ?」
炭焼き小屋の主人が尋ねると鎧男はその身を震わせた。
「ニエ……ニエが……」
鎧男は今ほどとは異なりその眼を充血させると異様な感情の高ぶりを見せた。そこには精神を揺さぶるほどの脅威が浮き出ている。
「ニエ……いけにえのことか?」
鎧男が小さく頷くと炭焼き小屋の主人は実に厳しい表情を浮かべた。その表情は実に昏く重々しいものであった。
一方、それを見たベアーは声をかけた。
「何のことですか?」
それに対し炭焼き小屋の主人は表情を崩さずに答えた。
「闇の魔道書、実験、そして生贄……この3つの単語から連想するのは一つしかない……」
言われたベアーはつばを飲み込んだ。
「まさか……人体錬成……」
ベアーがそう言うと炭焼き小屋の主人は頷いた。
「そんな……あれは……おとぎ話じゃないんですか?」
ベアーがそう言うと炭焼き小屋の主人は首を横に振った。
「現在ではおとぎ話かもしれん。だが300年前、魔人との戦いの中ではそうではなかった。」
ベアーは炭焼き小屋の主人の思わぬ言葉に沈黙した。
炭焼き小屋の主人はベアーが黙ると再び鎧男に身を向けてもう一つの質問をぶつけた。
「ゴルダ卿は誰にたばかれたのだ?」
それに対し鎧男は唇を震わせながら答えた。
「……もん…ばん……」
「門番の事か」
「……ちがう……」
「どういうことだ」
炭焼き小屋の主人が詰問すると鎧男は体を痙攣させ始めた。
「無理か……」
精神力に限界が訪れたらしく鎧男はその眼を反転させて気を失った。
炭焼き小屋の主人が残念そうな顔を見せるとカルロスが声を上げた。
「あまり長居はできませんよ、気づかれてしまいます」
言われた炭焼き小屋の主人は頷くとスクッと立ち上がった。
「一度ここを出よう、戦略を練り直す」
炭焼き小屋の主人がそう言うとベアーが口を開いた。
「ルナを助けたいんですけど」
ベアーがそう言うと炭焼き小屋の主人が答えた。
「心配ない。人体錬成を行うのであれば新月の晩のはずだ……まだ時間がある。このままゴルダの街から出て外部に助けを求めれば十分に間に合う」
炭焼き小屋の主人の言葉にベアーは納得した表情を見せた。
「それより、今はここを出るのが先だ!」
こうして4人は『宴』の行われている館から忍び足で脱出を試みた。
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館内は警備が厳重であったが、3人は都から来た役人の従者の衣類を拝借して変装したため怪しまれることはなかった。さらにはソフィアが機転を利かしてほかの兵士を煙に巻いたため、移動は実にスムースに運んだ。
『うまくいってる……』
ベアーは幸運の女神が降臨したような状態に『奇跡』という言葉の意味をかみしめた。
そんな時である、ベアーの目に紫の煙が漏れ出すドアが映った。
『何だろう……』
ベアーがそう思うと、ドアの隙間から中をのぞいてみた。
『うわ、マジか……』
ベアーは視野に展開した光景を見て息を詰まらせた。そこには『酒池肉林』という言葉そのものの状況が展開していた。年頃の少年にはあまりに刺激の強い状況であったが、その異様さには言葉をなくすほかなかった。
「役人に女をあてがって弱みを握る……ゴルダ卿はそうやって都の監視の目を盗んでいたんだな……」
炭焼き小屋の主人はベアーの後ろからそう言うと何とも言えない表情を見せた。
「あんな男ではなかったのだが……」
炭焼き小屋の主人は苦々しい表情を浮かべた。そこには『かつての友人が変わってしまった』という哀しみと苦悶が浮かんでいる……
『時間がもたらす変化は時として残酷だ』という人がいるが炭焼き小屋の主人の心中にはその言葉の意味が刻まれていた。
*
このあと3人は館の裏口付近まで足を進めた。今まで平穏に事が運んでいたためその顔はほころんでいたが、最後に難関が待っていた。
「おい、お前たち、顔を見せろ」
なんと裏口を守るべく配置された兵士がベアーたちの顔を確認しようとしたのである。屈強で隙のない様子は今までの兵士たちとは異なる雰囲気がある――間違いなく手練れであった。
そして、運が悪いことにその兵士の胸には警笛がつりさげられている。
「お館様に外に出る者すべての顔を確認しろと言われている、そのフードを取れ!」
まさに、万事休す、ここまで来て最後に難題が降りかかってきた。
*
その時である、館の外から妙な音が聞こえてきた。カツン、カツンという響くような音である。
兵士は裏口の戸を叩く妙な音に顔をしかめた。
「ちょっと待っていろ!」
裏口を守っていた兵士はそう言うとドアのほうに向かい、そののぞき窓から外を眺めた。
『なにもいないぞ……』
兵士はそう思ったが木戸を叩く音は相変わらず続く……
『……開けてみるか……』
そう思った兵士は3人を目で制しながら槍を構えた状態で木戸をあけた。
『………』
兵士の目にはあらぬ生き物が映っていた。
『……ろば……』
思わぬ事態というのは人間の思考を混濁させる、不細工なロバがニカッと笑うと屈強な兵士は反応に困った。そして一瞬、緊張感が途切れた。
炭焼き小屋の主人はその隙を見逃さなかった。『スッ……』とぬうようにして動くと兵士の盆の首に手刀を打ち込んでいた。神速の一撃は兵士を一瞬で昏倒させた。
炭焼き小屋の主人を行動を見たカルロスは大きく息を吐いた。
「……しゅごい……」
いい年をした治安維持官が『しゅごい』というのもどうかと思ったが、炭焼き小屋の主人の行動はそうとしかいいようがなかった。




