第二十三話
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パーラーで至福のひと時を過ごすべく、ロバは色町を徘徊していた。すでに時間は黄昏時で徐々に客が増えだしている。
『色々あるねぇ……値段もピンきりだな……』
ロバは怪しげな客引きを交わしながらサービスのよさそうな店を物色した。その表情は実に真剣で、すでにその脳裏からベアーとルナの事は消えかかっている……
『さて、どこにするかな~』
ロバがそんなことを思いながら夕方の色街を歩いているとその眼に思わぬものが飛び込んできた。
『何だ、あの列……』
ロバの視野には複数の亜人の娘たちの姿が映っていた。皆それなりの召物を身にまとい、街角に立つ娼婦とは異なる雰囲気を醸している。
『かなりいけてるチャンネェ(若い娘)だな、どこに行くんだ……』
ロバがいつもの表情でその様子を見ていると、明らかに貴族の使いだとわかる御者が馬車に乗ってやってきた。
『なんか、あるんだろうな……』
ロバがそう思った時である、ひときわ美しい女性が店内から現れた。そして停まった馬車の御者に合図した。
ロバはその女性を見て大きく目を見開いた。
『あれ、ソフィアじゃねぇか……』
なんとロバの眼にはパトリックの母、ソフィアが映っていた。
『うわ~、めっちゃ美人だな……齢はいってるけど、全然いけるわ……』
ロバはそう思うとトボトボ歩いて、それとなくソフィアに近寄ることにした。
*
ソフィアは亜人の娘たちに『宴』での『心得』(上客の掴み方)を説くと衣装と髪をなおすように言った。
「今日の宴はあなたたちにとっても重要になるわ。ここでいい客をつかめば稼げるはず。悪くない未来をつかめるわ。第一印象がすべてよ、気合を入れて!」
ソフィアがそう言うと娘たちはコンパクト(小さな鏡と、化粧直しの小道具が入った折り畳み式の入れ物)を開いてその鏡で自分の化粧の具合を確認した。
「さあ、馬車に乗って!」
ソフィアがそう言うと娘たちはそれぞれの思いを胸に馬車のタラップに足をかけた。
御者はその様子を見るとソフィアに声をかけた。
「今日の『会合』は都のお偉いさんが来る。あと5人ほど娘を用意してくれ、それから別口もな」
『別口』と言われたソフィアはうんざりした表情を見せた。
「お偉いさんの中には普通のプレイじゃ満足できない人もいるんだ、それなりのヤツを用意しとけよ」
御者はそう言うとソフィアに下種っぽい顔を見せた。
「それから、あとで俺の相手もしてくれよな」
ソフィアはそれに対し微笑むと指を5本たてた。
「そんなに払えねぇよ!」
御者は不愉快そうに毒づいた。
「後でもう一度娘たちを引き取りに来る、それまでに上玉をそろえておけ!」
御者はそう言い放つとソフィアを見た。
「落ちぶれた貴族は、哀れなだな」
去り際にそう言うと御者は馬に鞭をいれた。
*
ロバは今のやり取りを見て何とも言えない表情を見せた。
『会合ねぇ~、そんなのウソの決まってんじゃん。酒池肉林のパーティーだろ』
ロバは反吐を吐きそうな表情を見せた。
『本当は俺も……興味あるけどね……』
ロバは内心そう思って鼻をフガフガさせたが、その思いを払拭すると馬車を見送るソフィアに近づいた。そして尻尾をパタパタさせながらアピールした。
「アナタと遊んでる暇はないのよ、次の馬車が来るから……」
ソフィアはそう言うと物憂げで翳りのある表情を見せた。そこには複数の感情が複雑に絡まった『女の弱さ』が滲んでいた。
『やべ~、めっちゃいいな~、ソフィア……是非とも一戦、交えたい……』
ロバは極めて不遜な思いをもったが、それとは別にソフィアの横顔の中にかすかに残る倫理の欠片があることを見逃さなかった。
『まだ、堕ちてはいないんだな……』
ソフィアは甚だしく追い詰められていたがロバはその表情の中に何とか踏みとどまろうとする人としての良心があることに気付いた。
『まだ、戻れるのかもしれないな……一肌脱ぐべきか、それとも否か……』
ロバは哲学的な問いに悩まされる学者のような表情を浮かべた。
『……だけど、俺だけじゃなぁ……』
ロバがそう思って首をかしげた時である、その視野に思わぬ人物が入った。
『あれ……あいつ……』
ロバの眼には何とうらはげた存在が映っていた
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カルロスは薄くなった前髪をかき分けると、大きく深呼吸した。
『やっと終わった……』
カルロスはゲートの列で並んでいた亜人の諍いに巻き込まれ、刃傷沙汰を仲裁せざるを得ない事態に陥っていた。結局、刃傷沙汰は『傷害事件』になってしまったのたが、その関係者としてゴルダの治安維持官に事情説明する破目になっていた。
『事情聴取、長かったな……まあ、おかげで街の中には入れたけど……』
カルロスは色町近くにある治安維持官の詰所を出るとけだるそうな表情を見せた。
『しかし、蛮族の奴らは喧嘩っ早いな……あれじゃあ、ゴルダの一般市民も大変だろうな』
ゲートでのもめごとは実にくだらないこと(肩があたった、あたらない)だったのだが、それがエスカレートして喧嘩となった。だが蛮族の方が喧嘩に慣れていることもありゴルダ市民の方が一方的にやられる展開となっていた。治安維持官として見逃せないと思ったカルロスは止めに入ったのだが、その時、蛮族の男がカルロスに刃物を見せたのだ。
『一体……何なんだ、あいつらは……』
ポルカも港町で荒くれ者やゴロツキは多いのだが、そうそう刃物を出すような輩はいない、罪が重くなるからである。まして治安維持官に刃物を突きつけるとは……
『この街の雰囲気はおかしい……』
カルロスは先ほどの一件で骨身にその感覚を植え付けられた。
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そんな時である、カルロスの眼にブサイクで足の短い動物がうつった。耳をフルフルさせながらカルロスを見つめている。
それを見たカルロスは想定外の存在に驚きの声を上げた。
「あれ、お前、『アレ』だよね」
カルロスがそう言うと『アレ』はフンフンと頷いた。
「何でこんな所にいるんだ?」
ベアーがフォーレ商会の仕事でゴルダにいることを知らないカルロスは『アレ』を見て素っ頓狂な声を上げた。
「お前、ベアーのロバだよな、何やってるんだ?」
カルロスがロバに声をかけると、ロバは『こっちにこい!』と合図した。
*
ロバは身振り手振りで状況を説明した、動物とは思えぬそのジェスチャーは実に的確で無駄がない。カルロスはそれを見て声を上げた。
「ひょっとして、ベアー君に何かあったのか?」
ロバはフンフンと頷くとさらにジェスチャーを続けた、そして蹄を器用に使うと『ゴルダ、きぞく』と地面に記した。たどたどしい絵文字は幼児の書くそれと変わりなかったがその内容は十分理解できる代物であった。
「えっ、ゴルダ卿の所に連れて行かれたってこと……」
カルロスがそう言うとロバは『御名答!』という表情を見せた。そして一呼吸置くと今度は『助けろ!』とアピールした。
「無理だよ、ゴルダで勝手に動きは取れない。ゴルダの治安維持官に相談するべきだ。」
カルロスがそう言うとロバは斜に構えて実に嫌らしい視線を送った。そこには強い非難が込められている。
それを見たカルロスは困った表情を浮かべた。
「そりゃ、ポルカの事件では助けてもらったし……俺もあの一件で階級が上がったけどさぁ……ここはゴルダだよ……ワンマンプレーはできない。それに俺はここにスターリングさんを追ってきたんだ」
カルロスがそう言い及んだ時である、ロバがパッと明るい表情を見せた。そして蹄で地面をたたいた。
『俺、スターリング、知ってるよ!』
ロバはカルロスにそんな表情を見せた。
一方、それを見たカルロスは目の色を変えた。
「知ってるのか、スターリングさんのこと?」
愛に燃えたカルロスには『スターリング』という単語は何よりもそのモチベーションを高めるものである。
それを知っての事なのだろうか、ロバはフンフンと頷いた。
「どこにいるんだ、スターリングさん……」
カルロスが真剣なまなざしを見せると、ロバは地面にたどたどしい文字で『ベアー』と記した。
「ひょっとしてベアーがスターリングさんの事を知ってるのか?」
ロバは再びフンフンと頷くと『内情には詳しくない』という表情を浮かべた。
「ベアーに会えば、スターリングさんに会えるかも……」
そうひとりごちたカルロスはロバを見た。
「わかった手伝おう……でも、どうやって、ゴルダ卿の館に入るんだ。貴族の館に平民は入れないぞ……」
カルロスがもっともなことを言うとロバは『任せろ!』と前足を上げて答えた。




