第二十二話
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ベアーが気付くとそこは牢屋であった。湿っぽくよどんだ空気が辺りを支配し、何とも言えないカビ臭さが充満している。壁面に据え付けられた燭台の灯りは乏しく視界は薄暗くぼんやりとしていた。
「うう、痛ってぇ……」
殴られた脇腹はどうやら急所(うしろざんまい:背中に近い脇腹部分)を突かれたらしく、その痛みはいまだにおさまらない。
「クソッ……」
ベアーは脇をおさえて起き上がると辺りを見回して状況を確認した。
「少し目が慣れてきた………」
ベアーがそう思って牢屋の中を見回すと、同じ牢の中にこい茶色の布が置かれていることに気付いた。ベアーは恐る恐る近づくと、そのシーツのような布がこんもりしていることに気づかされた。
『何だろう……』
ベアーはそう思いシーツをまくり上げてみると、そこには想像していないモノが待ち受けていた。
『……骨じゃん……』
ベアーの視野には成人男性と成人女性の人骨が映っていた。
『何で、骨が……』
ベアーは腰を抜かしそうになったが何とか平静を保とうと大きく深呼吸した。その時である、その眼に冊子のようなものが映った。
『これ、手帳か……』
ベアーは足元の冊子を拾いあげるとその中身を確認した。
≪ゴルダ卿の不正を暴くべく、私は自由の鷹と接触した。そしてゴルダ卿の不正蓄財の証拠を自由の鷹のリーダー、ユルゲンスに渡そうと試みた。
だが、ユルゲンスに証拠を渡すや否や、周りからゴルダ卿の私兵が現れた。そして私は拘束された……家族もとらえられ、息子も娘も捕まった。
この後、私は一体、どうなるのだろうか……誰か娘と息子を……≫
ベアーは暗がりの中で一番明るいところでその文面を読んでみたが、アルの言っていた会計士の失踪事件を思い起こした。
『これを書いた人はきっとあの事件の会計士だ……でも骨になってる……』
一方でベアーは自由の鷹、ユルゲンスという単語に意識を回した。
『タイミングが良すぎるな、ゴルダ卿の私兵がちょうどあらわれるなんて……ユルゲンスって……ひょっとしてゴルダ卿と通じているんじゃ……』
ベアーがユルゲンスを怪しんだ時である、牢の中からうめき声が聞こえてきた。ベアーはその声の方に顔を向けた。
「誰かいるんですか?」
ベアーが声をあげるとシーツにくるまれた存在がその上体を起こした。
ベアーは訝しみながら近づくとまさかの人物がその視界に入った。。
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一方、同じころ、ルナは妙な空間に連れ込まれていた。そこには様々な大きさのガラス容器が散乱し、分厚い辞書の類が積まれていた。
「ちょっと離してよ!」
ルナが小さな体を動かして抵抗するとベアーを殴った兵士がその空間の奥にいる男に声をかけた。
「連れて参りました」
鎧に身を包んだ兵士がそう言うと男がルナをねめつけた
男は椅子から立ち上がるとルナに近づきその顔をしげしげと眺めた。
「お前が、魔女か……」
ゴルダ卿であった、その姿はいつもの出で立ちと違い研究者とも学者とも取れる。
「間違いない、魔封じの腕輪だ……」
ゴルダ卿は確認してそう言うと配下の男に出て行けと目配せした。
*
配下が出ていくとゴルダ卿はルナに近づいた。
「いささか、乱暴な手段を取った非礼をわびよう」
ゴルダ卿はそう言うとルナを手招きした。
「ついて参れ」
ルナは今までと雰囲気が変わったことを怪しんだが、ゴルダ卿の腰につりさげられたショートソードを見て『下手に動いても危ない』と判断しついていくことにした。
*
ゴルダ卿とルナが部屋の奥にある昇降機で地下に下りると、そこには岩盤をくりぬいて造られた人工の道があった。硬い岩盤を穿つ行為は甚だしい労力が必要なはずだが、二人の前方にはその道が何十メートルと続いている……
その道すがら、ゴルダ卿が口を開いた。
「私はとある実験をしていてね、多くの富をそこにつぎ込んだ。だがまだその目的は達していない……」
『目的……』
ルナは怪しんだ。
「私はこの10年、心血を注いでこの実験をおこなってきた……時間だけでなく費用も犠牲もあった。だがね、先日、手に入れた魔道書のおかげでパズルのピースがそろったんだよ」
ゴルダ卿はそう言うと実に朗らかな表情を浮かべた。
「これで望みがかなうんだ!」
少年のような顔で微笑むゴルダ卿の顔に一切の曇りはない、そこには不遜な邪悪さは微塵もなかった。
『ヤバイわ、このおっさん……』
ルナはゴルダ卿の表情を見てその異常性に身震いした。
『何を考えているの、コイツ……』
ルナがそう思った時である、ゴルダ卿がその足を止めた。
「ここだ」
そう言った所には観音開きになった金属製の扉が重々しくそびえていた。ゴルダ卿はその扉の前に立つとその仰々しい扉を開けてルナに入るように促した。その手には先ほどのショートソードが握られている……
『入るしかないわね……』
脅されたルナは息を飲むと『やむを得ない』という判断をした。それを見たゴルダ卿は実に罪深い表情で口を開いた。
「ようこそ、わが実験場へ」
*
ルナがその扉の内側に足をふみれた瞬間である、魔女としての感覚が鋭敏に働いた。
『何ここ……ガチでヤバイ所じゃん……』
ルナは眼前に広がる石室の空間の中に魔導のにおいが充満していることに気づいた。
「わかるか、魔女の娘……」
ゴルダ卿はそう言うとルナの手を引いた。
「これ、闇の波動……」
ルナがそう言うとゴルダ卿は指をならした。そしてその音と同時に入り口の扉が閉まり、仄かな光が石室全体を照らした。
「嘘……こんなの……ありえない……」
ルナは明るくなった部屋を見回し絶句した。その沈黙には許されざる行為がここで行われていることを仄めかしていた。
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ベアーの目の前には痛めつけられた老人が壁に寄りかかっていた。
「あなたは……ご主人じゃないですか……」
なんとベアーの前にいたのは炭焼き小屋の主人(一章と四章でベアーにアドバイスを与えた屈強な老人)であった。その顔は青白く精気は薄れているがその眼光は相変わらず鋭い……
「久しぶりだな」
声をかけられたベアーは『はい』と答えた。そして老人の足元に目を落とした。
「怪我をしているようですね……」
ベアーはそう言うとひどく痛めつけられた炭焼き小屋の主人の太ももに回復魔法(初級)を施した。
淡い光が患部を包むと炭焼き小屋の主人が声を上げた。
「……うん、少し楽になった……」
ベアーは骨が折れていないことを確認すると声をかけた。
「あなたがなぜこんな所に?」
ベアーがそう言うと老人がポツリとつぶやいた。
「色々あってな……」
老人の口調は重々しく苦々しい……そこには『沈黙したい』という含みさえある……
「お前こそ、どうしてここにいる?」
ベアーは一呼吸おくと老人を見てゴルダ卿の配下につかまった顛末を語ることにした。
*
「そうか、でっち上げられて捕まったか……」
ベアーは俯いてい情けけない表情を見せた。
「はい、ルナも捕まっていると思います……でも、どこにいるかは見当がつきません」
「ルナ……あの魔女の娘も一緒なのか?」
「はい」
ベアーが答えると炭焼き小屋の主人は急に眼の色を変えた。
「奴め、何か企んでいるな……」
「えっ?」
ベアーが怪訝な表情を浮かべると炭焼き小屋の主人が大きく息を吐いた。そしてベアーに現在の置かれた状況を説明しだした。
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「私はゴルダの魔道研究所跡に調査に来ていたんだ。そしてそこに眠る魔導器と魔道書の処理を行おうとしていた。」
主人がそう言うとベアーが首をかしげた。
「でも、あそこはもう、遺跡というか……廃墟になってるじゃないですか。そんなところに魔導器なんてあるんですか?
ベアーがもっともな疑問ぶつけると炭焼き小屋の主人はそれに答えた。
「魔導器が置かれた場所には特殊な仕掛けがあってな、普通の者には見えないようになっている。たとえ魔導に精通しているものでも無理だ。」
炭焼き小屋の主人はそう言うとその目を細めた。
「だがゴルダ卿はそれを逆手に取った。私が調査しに来たことを知ると、ヤツは私兵に後をつけさせた。そして私がその仕掛けを外すや否や、私を拉致して同時に闇の魔道書を奪ったんだ」
ベアーは『そんなことがあったのか……』という表情を浮かべた。
「この世界にはお前たちの知らんことがいくつもある」
炭焼き小屋の主人そう言うとベアーは素朴な疑問をぶつけた。
「あの……御主人はどうやって仕掛けを解いたんですか……」
言われた主人は即答した。
「あの仕掛けは私が創ったものだ……」
ベアーは『なるほど』という表情を見せた。
炭焼き小屋の老人はベアーを見ると声をかけた。
「それよりも話を戻そう。魔女の娘、そして闇の魔道書……ゴルダ卿は間違いなく良からぬ企みをもっている。私が奴と会った時に見せた顔には明らかに狂気が宿っていた……」
炭焼き小屋の主人が残念そうに言うとベアーがそれに反応した。
「御主人とゴルダ卿はひょっとして知り合いなんですか?」
「ああ、チェス仲間だ。年に一度は顔を合わせていた。だが10年前からは疎遠になってな……」
炭焼き小屋の主人は寂しげな眼を一瞬見せた。そこには旧友との関係が崩れゆくことを悲しむ思いが滲んでいる。
「感傷に浸る暇ない、それより、ここから出る方法を考えねば……」
「でも、どうやって……」
ベアーが素朴な疑問を浮かべると老人は苦い表情を浮かべた。
「それが最大の難関だ……」




