第二十一話
ベアーは留置所から戻ると荷物の用意を始めた。すでに魔道書買い取りの件は手紙にして送ってある。ルドルフ伯爵も文面に目を通しているだろう、あとは魔道書を持っていけばいいだけだ。
『いくらで買ってくれるかな…』
そんなことを考えていると突然、老婆から声をかけられた。
「ベアー、お客さんだよ」
「えっ?」
店のほうには見たことの無い亜人が立っていた。ベアーが近づくと亜人は帽子を取った、そこからは見たことのある長い耳が垂れてきた。
「あっ、あの時の…」
店の前にいたのは伯爵の執事であった、身なりが旅装だったためベアーにはわからなかった。
「ベアー様のお手紙拝見いたしました。主人も興味津々でございます。」
「わざわざ来てくれたんですか?」
「ええ、毛皮の買い付けもありますので、ついでに寄らせてもらいました」
「でも、まだ本物かどうか、わからないんです」
「見せていただければ、私が鑑定いたしますよ。」
そう言うと亜人の執事は懐からカードを取り出した。それは琥珀色の石でてきていた、そこには亜人の名前と鑑定人としての印が彫られていた。
「それ何ですか?」
「鑑定人としての免許です。都で発行されるものです。」
鑑定人の資格は都で筆記試験を合格した後に5年、10年、20年とキャリアをつむことで得られるが、琥珀色の石は20年のキャリアを証明するものである。もちろんベアーはそんなことは知らないが、鑑定職に就く者にとっては憧れの称号なのである。
ベアーはバックパックに詰めてあった魔道書を取り出すと執事に見せた。執事は表紙を開いたり、ページをめくったりせず、ただ眺めただけでこう言った。
「買い上げましょう」
この間5秒ほどである。
一瞬ベアーは『ほんとか?』と思ったが、執事は何事も無く平然としていた。
「あの、いくらぐらい…なんでしょうか?」
「そうですね…1万ギルダーでいかがですか?」
「えっ?」
ベアーは驚きのあまり目が点になっていた。
「その価値はありますよ」
「あの、これ本物なんですか?」
「もちろん」
話を聞いていた老婆は卒倒しそうになっていた。
*
「両替商に行けばすぐにベアー様の口座に入れますよ」
「お願いします。」
ベアーは即答した。いまは、とにかく保釈金の都合をつけるのが先だ。
二人はさっそく両替商に向かうことになった。その道すがらベアーは亜人の執事にいくつか質問した。
「こんなにすぐわかるものなんですか?」
ベアーが素朴な疑問を呈すると亜人の執事が朗らかに答えた。
「これだけの力を秘めたものはそうそうあるものではありません、長くこの仕事をやっていればすぐわかりますよ。」
執事の口調は淡々としているがプロとしての自信が垣間見える。
「あの、あれは召喚魔法の魔道書だと考えているんですけど」
言われた執事は表情を変えた。
「波動からすると闇魔法とおもいますが……召喚魔法かどうかははっきりしませんね」
「何ですか、闇魔法って?」
「私もそこまで詳しくありません…ただ、300年前の魔人との戦いで魔道師たちが新たに編み出した禁呪と聞いています……闇の召喚魔法ならかなり危険な部類に入るでしょう」
ベアーは興味深げに話を聞いた。
*
二人はそのまま40分ほど歩いて街に入ると、そのまま両替商にむかった。両替商にはほとんど人がおらず手続きは30分足らずで済んだ。
「ベアー様、ありがとうございます。主人も間違いなく喜ぶと思います。」
「いえ、1万ギルダーもいただけて、本当にありがとうございます。」
ベアーがそう言うと亜人の執事は小さく会釈した。
「では、私はこれで」
執事は恭しく頭を下げ去っていった。
*
ベアーは亜人の執事と別れた後、すぐに治安維持官の詰め所に行って5000ギルダーの保釈金を小切手で払った。小切手を受け取った事務官はその目を見開いておどろいていた。14歳の少年が大金を工面で切ると思っていなかったからである。
「よし、いいだろう……保釈だ」
保釈が認められるとルナが眠そうな顔つきで留置所から出てきた。かなり疲れているようだがうれしそうにしていた。
「ルナ、これから裁判の対策をしなきゃいけないんだ、結構大変らしいから」
「あたし疲れた……それに裁判が終わるまではこの腕輪外さないんだって…」
ルナは不機嫌そうに呟いた。
「とりあえずお金はあるから、そうだ、今日はおいしいものを食べよう、それから……」
ベアーが言葉を言い終わらぬうちであった、ルナが遮るようにして声を上げた。
「ねえ、あんた何で、あたしを助けたの? お金だって持ち逃げすれば、わかんないでしょ。折半するって言ったって、べつにその必要はないわけだし」
ベアーは言われてはっとした。
「そうだね、確かに…」
ベアーの表情を見てルナはため息をついた。
「あんた、底抜けのお人よしなんじゃないの」
ベアーはきょとんとしていた。そんなベアーの姿を見たルナは悪いことを言ったと思い話題を変えた。
「温かいものが、食べたい、おいしいやつ!」
*
二人はベアーが以前に行った大衆食堂に入った。ベアーは前回と同じくゆで立ての麺に具沢山のアンをかけたパスタを頼み、ルナはチーズたっぷりのグラタンを頼んだ。グラタンにはキノコや鶏肉が入っていて見た目よりもボリュームがあった。彩りに采の目に切ったトマトと千切りにしたピーマンがのせられ、グツグツとしたホワイトソースの中で踊っていた。
「ところで、あの魔道書、いくらで売れたの?」
ルナがグラタンを頬張りながら尋ねるとベアーがそれに答えた。
「1万ギルダー」
「エッ、マジ?」
ルナの目が飛び出しそうな勢いでベアーを見つめた。
「保釈金が5000ギルダー、残りは両替商に入れてある。」
「あたしの取り分は保釈金でパーか…」
ルナは肩を落としていた。その姿は10歳には思えないほど哀愁が漂っている……
「保釈金は無罪になると帰ってくるんだよ」
「えっ、うそ、それ本当!!」
ルナは急に息を吹き返した、その目は爛々に輝いている。
「僕が世話になっているチーズ工房に行こう、相談に乗ってくれる人がいるから」
「あんたは?」
「僕は、そこで働いてるんだ」
「チーズ作ってんの? 全然似合わない、だってあんた僧侶でしょ、他のバイトすればいいじゃん、魔法使ってさあ」
ルナはベアーを訝しげに眺めた。
「僧侶なんか食える職業じゃないのは知ってるだろ、もう流行んないんだよ。魔法より医学や本草学のほうが今の人には信頼されるんだ」
ベアーはあきれた顔をした。
「それより、その口の利き方、目上の人に対しては失礼だよ、今晩、会う人にそういう口の聞き方は駄目だからね」
言われたルナは口をとがらせて答えた。
「わかった」
二人は会計を済ますとバーリック牧場へと足を向けた。道すがら、ルナは留置所のことをいろいろと話していたが、自分のことや親のことは一切に口にしなかった。ベアーはあえて詮索しないことにした。




