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第十五話

38

ベアーが鼻息をあらくして自分の番を待っている時である、入り口付近が急に騒がしくなった。魅惑のマッサージに思いをはせていたベアーであったがそちらが気になり目を向けた。


『誰だ、こいつら……』


 ベアーの視野には体の大きな二人の男と紫色のマントを身に着けた貴族の男がいた。貴族の男は髪を短く刈り込んだ髭面で実に鋭い眼光を放っていた。齢は50歳程度、背は高くないが筋骨たくましい、いわゆるガチムチである。


それを見た客の1人が小声を上げた。


『ゴルダ卿だ……』


ベアーは客の声に思わず驚いた。


『ゴルダ卿、こんな所に何をしに来たんだ?』


 通常、平民の『遊ぶ』場所に貴族が来ることはない。身分差があるため『遊び』に関しても分け隔てられているからだ。だがゴルダ卿とその従者はそこにいた。


ゴルダ卿はパーラーの客を睨み付けると声を張り上げた。


「責任者を呼べ!!」


 ゴルダ卿の傲岸な声が店に響くと従業員の顔色が変わった。そこには明らかな恐怖と嫌悪が浮かんでいる。ゴルダ卿はそれを見ると楽しむような表情を見せた。そこにはいたぶることに愉悦を覚えたサディストのような匂いが湧き出ている。


『何だ、この貴族は……』


ベアーは内心そう思ったが下手に動くのもマズイと思いとりあえず様子を見ることにした。。


                               *


 ゴルダ卿がもう一度声を張り上げると、奥の方から女が現れた。照明のせいではっきりした顔はわからないが歩く姿に品があり、その醸す雰囲気は娼館の主に思えぬ高貴さがあった。


「最近、売り上げが下がっている、どういうことだ?」


ゴルダ卿は店の女主人に近寄るとその細いうなじに指を這わせた。


「ボロ雑巾のようになっていたお前をこの店の主に据えてやったのに、スズメの涙のような売上しかあげられないとはな」


ゴルダ卿が嫌味タラタラにそう言うとパーラーの女主人は下を向いた。


「最近、蛮族の連中が客として増えているんですが、彼らは娘たちの扱いを知らないようで……暴行まがいの事や料金以上の行為を強いるんです。それで娘たちが嫌がって客をとらず……結果として売り上げが……」


女主人がそう言うとゴルダ卿はにべもない声をかけた。


「そんなことは知った話ではない!」


ゴルダ卿は女主人を正面から見据えた。


「来週までに結果を出せ。それができなければお前が客をとれ!!」


ゴルダ卿は人間性の欠片もない不遜な表情を見せた。


「貴族の女が相手なら、それなりの客もつくだろう、特にお前のような美貌ならな」


ゴルダ卿はそう言うと女主人の顔を覗き込んだ。


「それとも、私の愛人となるか?」


ゴルダ卿が舌なめずりすると女は唇を震わせた。


ベアーはそのやりとりを見て反吐がでそうになった。


『蛮族を鉱夫として使って利益をだしているのはゴルダ卿の方だ。それなのに、その蛮族の非道な行いを取り締まらず……娼館にも圧力をかけるなんて……』


ベアーはあまりの守銭奴ぶりに『畜生』という言葉を思い出した。


『この貴族は一体、何なんだ!!』


貴族としての矜持など微塵もないゴルダ卿の姿は人間の根底にある卑しさとさもしさが具現化していた。


                               *


 その後、ゴルダ卿は女主人をさらに糾弾すると、その去り際に耳元で何やら囁いた。いかなる内容かは判断がつかなかったがシブシブ頷く女主人の姿に『良からぬ企み』があるのは明白であった。


『何を考えているんだ、この守銭奴は……』


 ベアーが踵を返すゴルダ卿を見てそう思った時である、ベアーの方に向かって女主人が顔を向けた。憂いのある美しい顔がベアーの目に映る……そしてその眼がベアーの眼とあった。


『……えっ……』


ベアーの背中に電撃が走る、それは中枢神経をマヒさせるような痺れを伴った。


『この人、……間違いない……』


ベアーの脳裏に一人の女性の名が浮かんだ。


『パトリックのお母さん……ソフィアさんだ……』


ベアーはまさかの人物にその言葉を失った。



39

ベアーはあまりの衝撃にこの後の行動をどうするか迷った


『友達のお母さんが働いてるなんて………ちょっと……これ……どうしよう……』


 ソフィアと目が合ったことで自分の恥部を見られたような気恥しさに襲われたベアーは如何ともしがたい感情に駆られた。娼館の待合室で悶々としているところに友人の母が出てきたのだ『普通にしろ』という方が無理である……


『どうしたらいいんだ、こういうのって……』


そう思った瞬間である、ベアーの脳裏にロイドとパトリックの顔が浮かんだ。


『ううっ……どうしよう……』


 15歳の少年にとって友人の母が『マッサージ店』の女主人になっていることはあまりにショッキングな事実であった。運命のいたずらともいうべき事態はベアーの思考を混乱させ、その行動をマヒさせていた。


そして……ベアーのマッサージに対する熱い思いは冷めてしまった……


                                 *


 ベアーは気付くと店前の淫靡なネオンをボゥッと眺めていた。どうやら気付かないうちに店を出ていたようである。


『こんなことがあるなんてな……』


ベアーはかつてポルカのカジノで飲んだくれ、賭博に興じていたソフィアの姿を思い出した。


『道を外すと……こんな風に……』


 ベアーは人生の岐路を間違った人の行く末の一端を見たような気がした。落ちぶれていく人間にはよくある話だが、それが友人の母ともなると、さすがにその胸中は複雑であった。


『改心なんて、そうそう出来るもんじゃないもんな……』


そう思うと、ベアーの脳裏に祖父の言葉が浮かんだ。


≪道を外した人間が流れる先には澱みしかない、そしてその澱みの中から抜け出ることは不可能だ。たとえ本人が一時的に心を変えたとしても……周りの澱みが本人を侵食し、その深みへといざなう≫


 ベアーは祖父のもとに懺悔に来る様々な人間を幼いころから見ていた。そして皆が『改心』するとは限らないことをわかっていた。

 なかには、『うわべだけ繕いその場を切り抜けようとする者』、『罪悪感を演出して懺悔し改心を装う者』、そして『一時的には心を入れ替えても再び澱みの中に身を沈めていく者』、そうした連中がいることも熟知していた。


 ベアーにはソフィアがいかなる心境なのかわからなかったが、祖父の言葉の中にあった『澱み』にとらわれているのは間違いないと思った。


『何とかならないものなのかな……』


ベアーは希望的な願望を込めてそう思った。



40

そんな時であった、ベアーは異様な視線を背中に感じた。それは明らかな殺気を伴っている……ベアーは恐る恐る振り返った。


『えっ……なんで、ここに』


ベアーの視野に映ったのは1人の少女と一頭のロバであった。


少女はベアーを見ると乾いた口調で声をかけた。


「何やってんの、こんなところで?」


少女はベアーに詰め寄った。


「いやっ、友達の……その付き合いで……」


ベアーが子犬のような瞳で少女に答えた。


「ふ~ん、お友達と来たんだ~」


少女はそう言うとベアーのむこうずねを蹴り上げた。


ベアーは想定外に痛さに息を詰まらせた。


「いたヒッ……」


少女はベアーをイヤラシイ眼つきで見た。


「あっ、ごめん~、私の靴~、つま先は木製なの~」


 少女の履いているパンプスはその先端がバリスタの木でできている。とても堅い木で箪笥や椅子にもつかわれるものだ。それゆえ蹴られたベアーにはかなりの打撃になる。


少女は脛を抱えるベアーに近寄った。


「説明しなさいよ!」


ベアーはそれに対ししどろもどろになって答えた。


「……いや、その……マッサージ……だけど……」


少女はそれを聞くと再び脛を蹴った。


「いたい!」


ベアーがそう言うと少女は鼻をほじった。


「何だか、怪しいと思ってきてみたら、やっぱりね!」


少女はベアーをさげすんだ目で見た。


「ニャンニャンとか、しっぽりとか、そういうことなんでしょ!!」


言われたベアーはそれに反論した。


「それは違う、未遂なんだ、ルナ!!」


ベアーが雄々しい声で少女の名を呼ぶと、それに対して少女はドスのきいた声を張り上げた。


「じゃあ、その手に握ってるのは何よ!!」


ベアーの右手には番号を記した木札が握られていた。


「あっ……返すの忘れた……」


ベアーがポツリと漏らすとルナはブチ切れた


「やってんじゃねぇかよ、この馬鹿!」


「いやだから……未遂なんだって」


「そんなん、関係ねぇんだよ!!」


ルナはそう言うとベアーに飛びかかった。


一方、そのやりとりを見ていたロバは退屈そうな表情を浮かべた。


『また命を懸けたコントかよ……速いとこ、終わらしてくれねぇかな……』


実にどうでもよさそうな表情を見せるとフルボッコにされるベアーを見てあくびした。


                                *


 この後、血だるまにされたベアーはやっとのことでルナに『未遂』だと悟らせたが、ルナの機嫌はいまだにおさまらない。本日、二回目の『命を懸けたコント』が始まってもおかしくない状態であった。


「どうしてこうなったか、きちんと申し開きしなさいよ!」


それに対してベアーは沈黙した。その表情は物悲しく先ほどとは違う。


ルナはそれを見てピンときた。


「まさか、あんた、性病に……」


ベアーはそれにたいして間髪入れずに返した。


「違うわ!! 『未遂』で何で性病になるんじゃ!!」


ベアーが大声をあげるとルナはしばし考えた。そして鼻孔に人差し指を入れてほじった。


「それも、そうね!」


 ルナは今の一言で普通のテンションに戻ったらしくその表情は明るい。通常モードに移行したルナは落ち着いた声でベアーに話しかけた。


「ところで何かあったわけ?」


 冷静な口調でそう言われたベアーは再び沈黙した、その姿勢にはふさぎ込むような昏さがある。ルナは気になり詰問した。


「ちょっと言いなさいよ、わざわざゴルダまで来たんだから!!」


ベアーは大きなため息をつくと『しょうがない……』という表情を見せてシブシブ口を開いた。


「パトリックのお母さんが働いてたんだ……」


「えっ……」


「この店の女主人として……」


まさかの言葉に54歳の魔女も絶句した。


「……マジ……」


 一方、そのやり取りを見ていたロバの表情も驚きに満ちていた、何があっても泰然としているロバがその表情を崩すのは珍しい……


ロバはベアーの前に来ると蹄を大地にコツコツとぶつけて『続きを話せ』とうながした。


ベアーはそれにきずくと『フルーツパーラー、輝き』で見たことを話しだした。




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