第十三話
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そて、それとほぼ同じころ、ベアーとアルは魔道研究所跡の近くにある茶屋に身を置いていた。ボロ屋とも掘立小屋とも思える店でその外観はみすぼらしく、お世辞にも高級感はない。だが店の中は地元の住民で一杯であった。
「ここは、いつも満席なんだ」
活気のある店内は和やかで、街中の喧騒とした雰囲気と独特の緊張感は微塵もなかった。麦酒を煽る大衆の様子は実に快活で皆、楽しげである。
「いい雰囲気だろ、ここは地元民だけしかいない」
アルは朴訥とした口調でそう言うとメニューを見ることなく店員に向かって人差し指と中指をたてた。ベアーはそれを見て怪訝な表情を浮かべた。
「ここは一品しか商品がないんだよ」
どうやら2人前と言う意味らしい、ベアーは『なるほど』と頷いた。
「結構、時間かかるからな……」
アルがそう言うとベアーは隣のテーブルで緑色の一口サイズの饅頭を口に運んでいる客を見た。
「ここの肉饅頭は美味いぞ、生地がもっちりしてて、中の餡は肉がたっぷり入ってる」
「何で緑色なの?」
「ヨモギが入ってるんだ、肉の臭みけしにもなるらしい」
アルはそう言うとベアーに対し、年頃の少年らしい質問を投げかけた。
「ところでさあ、お前、彼女とかいるの?」
言われたベアーは首を横に振った。
「君は?」
アルも首を横に振った。
「職人の見習いだとそんなにモテないからな……金もあんまりないし」
アルはそう言うとベアーを見た。
「貿易商って、モテるんじゃねぇの?」
言われたベアーは『そうでもない』と言う表情を見せた。
「見習いじゃ、関係ないね……」
「そうか……」
淡白なやり取りは二人の明るくない『女性関係』を如実にあらわした。
今度はベアーのほうから気になる質問をぶつけた。
「あのさぁ、ゴルダにはさぁ、パーラーがあるんでしょう?」
ベアーがそう言うとアルがベアーを見た。
「そっちの話?」
先ほど『自由の鷹』の話で二人の間に若干の溝ができていたが、パーラーの話題が出るとアルは急に機嫌がよくなった。
「何だよ、そう言えよ。魔道研究所よりも全然、いいぞ!」
『いいぞ!』と言ったアルの表情は好色な中年オヤジのようで15歳の少年には見えない。ベアーはその表情を見て期待に震えた。
「聞きたいか、パーラーの事?」
言われたベアーは真剣な表情でフンフンと頷いた。
「じゃあ、ここは、お前のおごりな!」
アルは先ほどとは全く異なる饒舌さでパーラーのことを語り出した。
*
アルはパーラーの仕組みを語った。
「一番大事なのは料金だ。いろんな店はあるが……基本的に安かろう、悪かろうだ。」
ベアーは『さもありなん』という表情を見せた。
「安いところは確実に病気をもらう……梅毒、淋病、毛じらみ、特に日雇労働者が通う大衆店はやばい……親方が言ってたから間違いない。ああいうところは待合室も衛生状態がわるいんだ、だから絶対だめだ」
ベアーが納得した表情で頷くとアルはしたり顔になって給仕の運んできた水に口をつけた。
「ところで、ベアー、お前の予算はどのくらいだ?」
言われたベアーは『120ギルダー』と即答した。
だがそれを聞いたアルの表情は険しくなった。
「……それだけか……」
そう言ったアルの表情は実に厳しい。
「お前、その金額の店だと100%病気をもらうぞ……最低でも300はいる」
アルはそういうと性病の危険性を説いた。
「安い店は確実にアウトだ。それに『アレ』にかかると人生終わるからな……」
アルは神妙な表情を見せると性病にかかった職人の話を語った。
「安い店で遊んだ職人が、梅毒にかかっちまって……梅毒って神経毒だろ、だから、病気が進むと……頭がアボ~ンだ。それだけじゃない、当時付き合ってた彼女にもピンポン感染……彼女もアボ~ンだ」
アルは『無理だ』という仕草を見せた。パーラーに並々ならぬ思いを持っていたベアーであったが梅毒の話は一瞬でその希望を打ち砕いた。
「……今回はあきらめるしかないか……」
ベアーが心底、残念そうにつぶやくとアルがそれを払拭するような一言を発した。
「そんなこともない、最近できた新しいパーラーは150ギルダーあれば十分遊べる」
アルはそう言うとベアーを見た。
「フルーツパーラーっていうんだ」
アルの眼は『特別な経験』を成しえた少年だけが見せる怪しい輝きを見せた。
「そこは個室で……秘密のマッサージが受けられる、それに病気なる可能性はない!」
アルがそう断言するとベアーはその目を白黒させた。
「……マッサージ……」
年ごろの少年にとっては魅惑の言葉であった。だが、ベアーはそこで素朴な疑問が浮かんだ。そしてその疑問は絶対に避けては通れぬ重要なものであった。
「その……フルーツパーラーは……おっぱい的な展開は……」
ベアーが恐る恐るたずねるとアルが少年とはおもえないキレのある表情を見せた。
「当たり前だ、巨乳におさわりOKだ。」
「巨乳……」
ベアーの眼から焔が吹き出した。
「行こう、今晩!」
その顔は凛々しく、雄々しい。気合の入ったベアーの表情はアルの心を動かした。アルはベアーを見つめると右手を差し出した。そしてベアーは無言でその手を握った。
『パーラー同盟』が成立した瞬間であった。
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さて、その頃、
ゴルダの街の倉庫街の一画では犯罪組織の頭目、リチャードが目の前にある白金の原石を見て息をもらしていた。
『ここまで来たか、あとは精錬できれば……』
パトリックのいたブーツキャンプから盗掘させた白金であったがその質にはばらつきがありマーケットに出すには精錬の必要があった。だが多量の白金の精錬はそれほど簡単なことではかった。設備の整った場所でなければそれは成しえない……
『何とかゲートは抜けたが精錬できなければ意味がない』
リチャードがそう思った時である、後ろからコツンコツンという独特の金属音を響かせて一人の男がやってきた。その男は顔全体を覆う鉄仮面をつけている。
「おまえか」
リチャードは鉄仮面を見た。
「お前の用意した書類のおかげでブツをゴルダのゲートを通すことができた、それに組織に潜り込んでいた『犬』も始末できた。本当に感謝する」
リチャードはそう言うと懐から皮の小袋を出した。
だが鉄仮面の男はそれをうけとらなかった。
「私は小金に興味はない」
仮面のせいで多少くぐもってはいるがその声ははっきりとしている。
「今はゴルダ卿の了解を取り付けて精錬作業を行うことが急務だ。」
鉄仮面の男はそう言うとリチャードを見た。
「ゴルダ卿は欲深い、かなりの取り分を要求してくるはずだ。」
鉄仮面の顔色はわからないがその口調は厳しい、リチャードは不愉快な表情を見せた。
「俺たちが命を懸けて手に入れたブツだ、それほど多くは払えないぞ!!」
そう言ったリチャードの顔は犯罪者そのもので、人を殺すことを厭わぬ凄味があった。だが鉄仮面はその圧力をものともしなかった。
「白金を精錬できなければ売買は出来ない。それに地下マーケット(犯罪者が盗品を扱う市場)に持ち込んでもこれだけの白金は捌けんぞ。すぐに足がつくはずだ。」
にべもない言い方であったが鉄仮面の指摘はその通りで、犯罪組織の頭目、リチャードは黙る他なかった。パトリックのいたブーツキャンプの看守を引き入れて手にした白金であったが、半年以上貯め込んだ白金の原石は300kgを超える。これを一度に捌けばすぐ広域捜査官の眼に触れるだろう……
鉄仮面は無味乾燥な声で続けた。
「かりに地下マーケットに白金を持ち込んでも精錬されていない原石では買いたたかれる、お前もその程度の事はわかっているだろ?」
広域捜査官の眼が光る中でワケアリ白金をさばくとなれば地下マーケットの連中もしり込みするのは目に見えている。そうなれば仲介手数料を上乗せしてくるのは必至である。
リチャードは鉄仮面を睨んだ。
「ゴルダ卿とはいつ会うんだ?」
「明後日の夜だ」
鉄仮面がそう言うとリチャードは空を見た。
「早くブツを動かさないと、ここも治安維持官にかぎつけられるかもしれねぇ」
リチャードがそう言うと鉄仮面は首を横に振った。
「心配するな、この倉庫はキャンベル海運の持ち物だ。貴族の所有物件には普通の治安維持官は入れない、それにゴルダ卿よりもキャンベル卿の方が貴族の位は上になる。キャンベルの倉庫にはゴルダ卿とて入れんよ」
言われたリチャードは猜疑心を見せた。
「俺は貴族を信用しない!」
リチャードがそう言うと鉄仮面は言い放った。
「なら、好きにすればいい、お前が自分で管理するんだな」
淡々と突き放す言い方にリチャードは舌唇を噛んだ。だが地縁のないゴルダでは組織の関係者もおらず安全の担保は難しい。今は鉄仮面の言うことを聞くほかなかった。リチャードは如何ともしがたい表情を見せた。
鉄仮面はそれを見ると背中を見せて歩きだした。
『……クソッ……気に喰わねぇ、あの野郎……』
広域捜査官の網がかかり、動きが取れなくなったリチャード一派は困難な状況に追い込まれた。白金がうまく捌けず、組織の維持費さえ捻出できなくなっていたのである。困窮すれば犯罪組織など烏合の衆に等しい、士気は落ちリチャードに対する忠誠心うすれていた。
そんな時である、彗星のようにして鉄仮面が現れた。
そして鉄仮面は組織に潜っていた広域捜査官のエージェントをあぶり出した後、ゴルダのゲートを合法的に通過させるという手腕を見せたのだ。
リチャードたち犯罪組織にとっては困窮していた現状を打破するうえでの救世主になっていたのである。
だがリチャードにとってはいいことだけではなかった。
『……デキ過ぎる……』
リチャードは鉄仮面の存在に対し明らかな恐れを抱いていた。
『奴の狙いは……一体、何なんだ……』
白金の精錬までは是が非でも必要な存在であるが、その素性がしれない以上、リチャードにとって鉄仮面は味方ではなかった。むしろ『敵』である……
リチャードの中では明らかな殺意が生まれていた。




