第九話
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ゴルダ滞在3日目、ベアーは頼んでいた商品の出来具合を確かめるべくアルのいる工房へと向かった。
『そろそろ、でき上がってるといいんだけどな……』
できていなければできていないで、その進捗状況を速達郵便で知らせる必要があるため、ベアーは状況を確認する必要があった。
『あの工房の親方、怖そうだから……できれば話をしたくないな……』
ベアーがそんなことを思いながら歩いていると工房の裏で何やら不穏な空気が渦巻いていた。ベアーはそれを察知すると身を隠して状況を確認することにした。
*
「おい、お前!」
若い青年は一回り体の小さな少年の胸倉をつかむと凄んだ。その眼は三白眼で性質の悪いチンピラのようであった。
「親方に目をかけられてるからって、調子に乗るんじゃねぇぞ!!」
青年はそう言うと足をかけて少年を引き倒した。乾いた地面にたたきつけられた少年は背中をしたたかぶつけると息ができずに苦しそうにした。
『あれは……アルじゃないか……』
ベアーはその少年を見て何とも言い難い表情を浮かべた。
「研磨と加工は俺の作業だ、お前に任せられた『仕事』じゃねぇ!!」
どうやら、アルを引き倒した青年は兄弟子らしい……青年はアルを罵倒するとその太ももを強く蹴り上げた。
「勝手にやってんじゃねぇ!!」
兄弟子の青年は不愉快そうにそう言うともう一度アルを睨んだ。
「次はこれじゃすまないからな!!」
ベアーは影からその一部始終を覗いていたが兄弟子の行動は常軌を逸しているようにしか思えなかった。
「痛つっ……」
アルは壁を支えに何とか立とうとしたが、思いのほか太ももの状態が悪く立ち上がるのに難儀していた。
それを見たベアーはアルに近寄り声をかけることにした。
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「太もも、見せてくれるかい?」
アルが怪訝な表情を見せるとベアーがその顔を見た。
「俺、回復魔法が使えるんだ……大した効き目はないけど……」
ベアーがそう言うとアルは驚いた顔を見せた。魔法が使える人間に会ったことがないのであろう、その表情には不安感が滲んでいる。
ベアーはそれにかまわず回復魔法の文言を唱えた。
程なくするとアルの怪我の患部が青白く包まれた。
「あっ……痛みが……」
アルの太ももから腫れと内出血がひきだした。
「初級の回復魔法だから、全部は治らないけど、3,4日で元に戻ると思う……」
ベアーが打撲の程度を確認してそう言うとアルが立ち上がった。
「おお、歩ける……」
アルは痛みがまだあるものの、日常の動作に支障がないことに感心した表情を見せた。
「助かったわ……本当に……明後日、仕入れがあるから、歩けないと困るんだ……」
アルはそう言うとベアーにペコリ頭を下げた。ベアーはそれを見て先ほどのやり取りを尋ねた。
「何で、ああなったの?」
ベアーの問いに対しアルは口を結んだ。その表情には職人の世界にある力関係を部外者に語りたくないという意志が垣間見えた。
ベアーはその表情からその意図を読み取ると、それ以上、問うことを止めた。無理強いしたところでアルは口を開かないと思ったからである。
「ところでさあ、うちの頼んだ商品なんだけど、進捗状況を教えてくれないかな。」
ベアーが話題を変えるようにしてそう頼むとアルは頷いた。
「待ってろ」
アルはぶっきらぼうにそう言うと工房の中へと姿を期した。
『……拳で教える世界か……』
手酷い目にあっても歯を食いしばるアルの姿は職人世界の暗黙の掟を知らしめるものであったが、ベアーのいる貿易商の世界とは全く異なっていた。
『親方には黙ってるほうがいいな……』
それぞれの世界にはそれぞれのやり方がある。ベアーがどうこう言っても余計に話がこじれるだけだろう。仮に親方に今の出来事を告げ口しても、その後、どうなるかは判然としない。むしろアルと兄弟子の関係を悪化させることになるだろう。そうなればアルにとってはマイナスにしかならない……
ベアーは沈黙という選択肢を選んだ。
*
程なくすると、アルが工房の裏口から現れた。
「あと4,5日でできるって」
相変わらずつっけんどんな言い方だが、その表情には先ほどの治療に対する感謝の念が浮かんでいる。アルはベアーを見ると声をかけた。
「昼だし、飯でも食おうぜ、いいところ教えてやるよ」
アルはそう言うとベアー袖を引っ張た。その顔は先ほどとは違い晴れやかで、年頃の少年の見せる腕白さがのぞいていた。
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ゴルダの昼は労働者が昼食をするためメインストリートにある大衆食堂はすさまじい混雑を見せていた。『戦い』と言ってよいだろう、頼む客も、注文を受ける店側も異様な緊張感で覆われピリピリとした空気が生じていた。
「この時間はどこも混むんだけど、屋台は回転が速いから並んでてもすぐに順番がまわってくる」
アルはそう言うと屋台が軒を連ねる裏通りへとベアーをいざなった。綺麗とは言えない路地をぬけるとそこには色とりどりのノボリが現れた。
「何がいい?」
アルに言われたベアーはごくりと生唾を飲んだ。
ベアーの前にある裏通りにはひしめくようにして屋台が連なっていた。様々な商品、特に肉料理が多いようで、それに合わせた香辛料独特のフレーバーがベアーの鼻に入ってくる。クミン、ナツメグ、パプリカなど複数の香辛料の混じった香りが路地には沸き立っていた。
ベアーは民泊している家で毎日のようにマズイ豚の三枚肉を食べていたため、美味いものを食いたいとおもった。
「キノコ、喰いたいな」
ベアーがそう漏らすとアルが一件の屋台を指差した。
「あそこがいい」
アルはそう言うと橙色のノボリを出した屋台を指差した。そこでは年寄りの亜人が麦飯の上に焼いた鶏をのせ、その上からキノコのあんかけをかけた品を出していた。
「ここの餡はちょっと違うぞ!」
アルはそう言うとベアーと自分の分を注文した。
「さっき助けてくれたからここは俺のおごりだ!」
アルはそう言うと『鶏のあんかけ飯』を二人前頼んだ。
屋台の店主は威勢よく注文に答えると慣れた手つきで木製皿に麦飯を盛り、その上に焼いた鶏とキャベツの炒め物を置いた。そして大きな木製の柄杓でキノコのたっぷり入ったあんかけをそこに廻しかけた。長く同じ作業に従事しているのだろう、その動きに無駄はなく、流れるような動作であった。
「あいよ、お2人さん!」
盛られた皿を見たベアーはその量に驚いた。一見すると『おおすぎる』印象がある。ベアーも最初はそう思った。
だが、
その考えが間違いであることは一口運んだ時点でわかった。
「さっぱりしてる、くどくない!」
パンチの利いた黒こしょうで焼かれた鶏、それに合わせた美味みの強いキノコ餡、そして脇に盛られたキャベツ炒め物、いづれも口当たりがよく、麦飯との相性は抜群であった。
「ここの鳥は地鶏だ、歯ごたえが違うだろ!」
アルの指摘通り、黒こしょうで焼かれたもも肉の弾力は実に心地よかった、しっかりとしていながらも柔らかさがある。ベアーは今まで食したことのない感触に驚いた。
ちなみにこの鶏の柔らかさには秘密がある。それはヨーグルトの存在であった。ヨーグルトの持つ酵素の力で鶏肉の筋線維がほぐれていたのである。そのため適度な弾力と柔らかさが担保されていたのだ。
『地鶏おそるべし!!』
ベアーはそう思うと今度は箸休めのキャベツに手を伸ばした。
『なんか、いいぞ、このキャベツ……』
脇に添えられたキャベツの炒め物は一切の味付けがされておらず、ただ炒めただけの副菜であったが、そのシャキシャキとした歯触りはキノコあんかけのと実にうまく調和していた。
『わざと塩をふってないんだ……なるほど、鶏とキノコあんかけの塩分を中和してるんだな』
ベアーは味のないキャベツの炒め物に思わぬ調整能力があることにきずいた。
3日ぶりのまともな飯にありついたベアーはスプーンが止まらなくなっていた、山盛りに盛られた鶏のあんかけ飯はあれよあれよという間に減っていく……
「美味いよ、この鳥のあんかけ飯!」
ベアーがアルにそういった時である、その視野に思わぬ光景が飛び込んできた。
先ほどの屋台に並んでいた2人の客がにらみ合いを始めたのである。ゴルダではよくある光景らしくアルは全く気にしない様子だったが、ベアーには珍しく、その眼は二人に注がれた。




