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第十一話

27

バイロンが水門の竣工式で武闘派の一面を見せて以来、三ノ妃はバイロンに対し一目置くようになっていた。


『メイド』と『妃』という関係はかわりなかったが、バイロンを見る目の中に『信頼』という文字が現れ始め、取り留めもない会話がなされるようになった。最低限の業務会話さえ成り立たなかった当初と比べれば明らかに大きな変化である。


「今日の予定は?」


尋ねられたバイロンはその日の予定を読み上げた。


「本日は出かけることはありません、宮中行事だけになります。」


バイロンがそう言うと三ノ妃がフッと息を吐いた。


「それが一番嫌なのよ……」


気が重いのだろう、その顔には陰りが見えた。


『三ノ妃様を中傷する上級貴族……それが集まるのが宮中行事……さぞ気の重いことだろう……』


 バイロンはそう思ったが、行事に遅れるわけにはいかない……リンジーとともに支度すると第四宮から馬車で10分ほどの舞踏会会場へと向かった。


                        *


 第三宮の別館で行われる舞踏会に列席した三ノ妃は挨拶に来る上級貴族の子弟たちと会釈を交わすと用意された場所に腰を据えた。だがバイロンはその席を見て何とも言えない気持ちになった。


『帝位をはく奪されかけた妃はこういう目に合うのか……』


 簡易玉座(妃の称号を持つ人間だけが吸われる特殊なイス)はそこになく、置かれていたのは客間にあるテーブルイスだった。


 明らかに軽んじる姿勢がそこには見えすいていたが、三ノ妃はそれに構わずテーブルイスに腰を下ろした。


 だが、嫌がらせはそれではすまなかった。スケジュールをずらして、三ノ妃の挨拶を省略したり、別の項目を後から挿入して上級貴族の挨拶を省いたりとバイロンとリンジーに渡されたプログラムと違う展開が舞踏会では行われた。


 さらに嫌がらせはバイロンやリンジーにも向けられた。三ノ妃のメイドを軽んじたほかのメイドや執事たちにより給仕用のタオルやトレーを汚されたり、揚句に足をわざと踏まれたりと散々であった……


 甚だ遺憾な状況であったが、枢密院に訴追される妃の存在は彼らにとって合法的なサンドバックでしかなく、そのメイドに至ってはそれ以下であった。


『腹立つな……』


バイロンが眉間に青筋を立てて怒りを現すと三ノ妃はバイロンをいさめた。


「駄目よ……ここでは」


武闘派として地位を確立しつつあるバイロンであったが、三ノ妃の言葉には恭順の姿勢を見せた。


「耐えるしかないのよ……」


三ノ妃はポツリとそう言うと遠くを見るような目を見せた。



28

レイドル侯爵(マーベリックの仕えている貴族)が第四宮の入り口でかしずいていると程なくして一ノ妃がそのメイドとともに現れた。


「馬車の方で話をしましょう」


一ノ妃はそう言うとレイドルの乗ってきた馬車へと向かった。レイドルは自ら馬車の扉を開けると一ノ妃の手を取った。


「どうぞ」


 包帯で顔を覆っているためその表情は読めないがそこには明らかな経緯が見て取れた。一ノ妃はレイドルをチラリと見るとメイドたちを手で制した。


「お前たちは、待っていなさい」


サラを含めた一ノ妃のメイドたちは深く一礼すると言われた通りにした。


「では、参りましょう」


一ノ妃がそう言うと馬車がゆっくり車輪を巡らせた。


                        *


「早速ですが、報告を」


一ノ妃に言われたレイドル侯爵は頷くと今までの調査結果を話し出した。


「まずはレナード公爵です。覇道(帝位につくための道)を順調に進んでいるようです。ダリスの商工業者はみなレナード公に色目を使っています。」


レイドル侯爵はそう言うとリストを一ノ妃に渡した。そこには業者とその業者が渡した付け届けが記されていた。


「これからもっと増えるとおもいます。」


レイドルが乾いた声でそう言うと一ノ妃が口を開いた。


「口利きは?」


「公共事業の口利きに関しては法律に抵触しないようにうまく立ち回っています。三ノ妃様の生家のような露骨なものはありません」


レイドルは淡々と続けた。


「それからトネリアのパストール商会ですが、レナード公と接触を図りました。レナード公の方も『関係』を築くつもりだと思います」


一ノ妃はパストールという単語を耳にして目を細めた。


「パストールはレナードと組んでダリスを乗っ取りるつもりですか?」


「金融面に関してですが、レナード公がパストールが手を結となればありうる話です」


一ノ妃は何とも言えない表情を見せた。


「ダリスは大きな国ではありません……パストールが力を発揮すれば合法的にダリスの商工業者は飲み込まれるでしょう……そうすればこの国はトネリアの植民地です」


言われたレイドル侯爵は強く頷いた。


「間違いないと思います……」


一ノ妃は大きく息を吐くと別の話題を振った。


「二ノ妃は?」


尋ねられたレイドル侯爵は同じく淡々とした口調で答えた。


「芝居観覧に興じております」


 二ノ妃は娘を亡くして以来、公務にこそ出席しているが空気のような存在に変わっていた。もともとトネリアからの輿入れでさほどダリスの事には興味がないらしく権謀術数を用いて政治介入するようなこともなかった。


「ですが、パストールとの関係は脈々と続いております。金銭面でのバックアップは確実にあるかと……」


「二ノ妃を通してパストールはその手を伸ばしているのですね」


「その通りです。レナード公爵と二ノ妃様の二本取りですね」


レイドルがそう言うと一ノ妃は不愉快な表情を見せた。


「この国のつぎの帝位にちかいものがトネリアの息のかかった業者と癒着しているようではまともな未来は望めません」


一ノ妃がそう言うとレイドルも深く頷いた。


「失脚させる尻尾を見つけないと」


一ノ妃がそう言うとレイドルが静かな声で答えた。


「御意にございます」


一ノ妃はそれを見るとふたたびいつもの顔に戻った。


「マルスの件はどうなっていますか?」


それに対しレイドルはマーベリックの報告をまとめたものを話した。


                        *


「なるほど……」


一ノ妃は帝位を巡る争いとマルス殺害とが関連していると確信した表情を見せた。


「引き続き、その件は追ってください。そして下手人がわかればすぐ報告を……場合によっては……」


一ノ妃はそう言うと意味深な『目つき』を見せた。そこには『処理しろ』という含みがあった。レイドル侯爵はそれを読みとるとその場にかしづいた。


「御意!!」


レイドルが首を垂れてそう言うと一ノ妃がおもむろにレイドルに近づきその耳元でささやいた。


「お前のかけた『保険』ですが面白いですよ……」


一ノ妃が微笑むとレイドルは恐縮した姿勢を見せた。


「あれは……」


レイドルがそう続けた時である、一ノ妃は二の句を遮るようにして言った。


「いづれは使うかもしれません」


一ノ妃が意地悪くそう言うとレナードは包帯の上からでもわかる『困った』表情を見せた。


「お前でも、そんな顔をすることがあるのですね」


一ノ妃はそう言うと「ククッ…」と笑った。そこには権力者の見せる圧力とは異なる朗らかなものがあった。


『喰えないお方だ……』


レイドルは頭を下げながら一ノ妃の老獪さに舌を巻いた。



29

公務は順調で、三ノ妃はすべてのスケジュールを予定通りにこなした。その報告をバイロンとリンジーから受けたマイラは三ノ妃の変わり様に驚きを隠さなかったが、そのおかげで日々の業務が安定し、再びメイドたちの管理が行き届くようになった。待機所に再び日常の平穏がもどってきたのである。


 一方で、待機所には別の空気が生まれていた。それはバイロンに対するものである。アリーを殴り、マイラに反論し、そして三ノ妃の狂態を止めたという事実は他のメイドたちに少なからず影響を与えていた。


『あの子……やるわね……』


『一ノ妃様の部屋で花瓶を盗んだ嫌疑をかけられても堂々としてたし』


『それにアリーなんか潰されたじゃない……鼻を』


 噂をしているメイドたちはお茶を飲みながら軒先でよもやま話を楽しむ農夫のような口調で続けた。


『でも、びっくりよね……三ノ妃様が公務に復帰だなんて……』


『そうそう、あたし、このまま退位すると思ってたから……』


『賄賂とか口利きとか……枢密院で精査されてるんでしょ……精神的には一杯一杯のはずよね』


 メイドたちは三ノ妃が訴追されることをすでにしっているようで人の不幸を外から覗くような好奇心で満ち満ちていた。


『でも、あの子どんな手をつかって三ノ妃様をコントロールしたのかしら……』


三ノ妃の狂態を止めたバイロンの手腕に二人は首をかしげた。


『まあ、いづれにせよ結果は出るから……評価はせざるを得ないわね』


『それもそうね』


2人のメイドが待機所の階段付近でそんな話をしているとその様子を覗いていたマイラが目細めた。


『変わってきてるわね……雰囲気が……』


 アリーの企んだ謀略が破たんし、バイロンの評価が上がるとは考えていなかったため、マイラは待機所を取り巻く変化の兆しに気をよくした。


『このまま、何事もなくいってくれれば……いいのだけれど……』


その一方で、状況の変化に納得のいかない人間が一人いた、


『許さない……あの女……』


 アリーであった。バイロンに男を取られ、鼻を潰され、おまけに誉れある一ノ妃の『当番』からはずされた彼女の憤懣はピークを迎えていた。


『殺してやる……あの女…………』


アリーのなかで再びバイロンを貶めようという欲望がもたげてきた。


『今度は失敗しない……』


アリーの憤懣は凝縮し、それは明らかに闇の波動を帯び始めていた。



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