第十話
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「さあ、行くか!」
ベアーとロバは峠道を再び進んだ、下りの道は思いのほか急でベアーは何度か転びそうになった。そんな時である、ベアーの目に標識が映った。
『ミズーリまであと4km」
最初の目的地ミズーリである。人口2万人を超えるアガタ地方有数の街でベアーはここでしばらく逗留するつもりだった。
初めて見る大きな街への期待でベアーの足は自然と速くなった。道なりに進み、林を抜けると街の外壁が見えてきた。
「これがミズーリか……」
ベアーは眼前に広がる外壁とゲートの大きさに嘆息した。
*
ミズーリは東西南北が4つの区域でわかれ、北は住宅地、南は工業地、東は商業地、西は行政地区となっていた。行政地区は学校や病院が置かれベアーの目指す図書館もそこにある。とりあえずベアーは図書館で職業に関する情報を集めようと考えていた。
街に入るとベアーは預り証から現金を下ろすために両替商を探した。都から免許をもらっている両替商はどの町や都市でも同じ形式の預り証を使っているので、どこでも現金が引き出せるのだ。旅人にとって多額の現金を持つのは好ましくないため、指紋認証の預り証は便利なものである。
『よし宿代は降ろしたぞ、あとはどこに泊まるかだな……』
ベアーは両替商で現金を下ろすと宿を見つけるために街の中心にある行政地区に行った。そこにはインフォメーションセンターがあって職員が常駐している。ベアーは職員を見つけると早速声をかけた。
「あの、できるだけ安い宿を探しているんですけど」
「安い宿、そうね、食事がつくかどうかで値段は変わるけど」
ベアーの質問に答えたのは50を超えたくらいの行政官の女である。観光課の呼び出し口に座っていた。
「食事は別にいいです。」
「そう」
女はそう言うと引き出しから簡易地図を出して印をつけた。
「この辺は夜になると治安が悪いから、気をつけてね。それからここは厩がないからロバは別のところに繋いでね。
「えっ、ロバを置けないんですか?」
「その分、安いの、一晩40ギルダーよ」
ベアーは困った。予算的には好都合の所だったがロバが泊められない。ロバをほったらかしにしておけば公序良俗を乱したこと(馬糞的な意味)になり罰金をとられる可能性がある。
ベアーは即座に決断した。
「別の宿お願いします」
オンナは台帳を見ると別の宿を提示した。
「なら、ここね」
だが宿賃を見たベアーはびっくりした。
「70ギルダーですか?」
「厩つきは高いのよ、こっちは食事もついてるけど」
「宿とは別に厩だけのところはあるんですか?」
ベアーは厩にロバを預け、自分は宿に泊まろうと考えた。
「貸してるかどうかはわからないけど」
そう言うと官吏の女は厩の場所を2箇所教えてくれた。ベアーは早速、一軒目に行くことにした。
*
「すいません、ロバを置いてもらいたいんですけど」
「悪いね、うちは大口しか扱わないんだよ」
年寄りの厩番は煙管から煙を吐きながらこたえた。
「東地区に行ってみな、あっちなら何とかなるだろう」
*
老人に言われたとおり東地区の厩にいくと……なんとそこは閉まっていた。
「えっ…どうなってんの…」
途方にくれるとはこのことだ、だがロバは何食わぬ顔で平然としていた。
「お前の寝床探しに苦労してんだよ…ったく」
ベアーはロバに毒づいたが、ロバは『そんなことは知らん』と言う表情を見せた。
『……こいつ……』
結局、ベアーは高くても厩のある宿に泊まるしかないと思い始めた。
「行こう、しょうがない」
ベアーは一晩70ギルダーの宿に泊まることにした。
イーブルディアーの角のおかげでしばらくは泊まれるが、図書館で少なくとも一週間はいろいろ調べるつもりである。換算すると350ギルダーが宿賃となる。それに3食が入るので結構な出費になる。ベアーはバイトも考えなくてはならないと思い始めた。
そんな時である、街中でロバが突然、歩みを止めた。
「何だよ、ここで止まるなって、他の人の迷惑になるだろ」
ロバは鼻をフガフガさせ始めた。
「もう、何だよ……」
通りの角でロバは座ったまま動かない、人通りの少ない住宅街の道である。声をかけるのも嫌になったのでベアーはロバをほうっておくことにした。いわゆる放置プレイである。
だがベアーの放置プレイにもめげずロバは座り込んだまま動かない。逆放置プレイとでも言おうか……
微妙な火花がロバとベアーとの間で走りはじめた。
どっちがこのプレイの勝者になるか――
そのときであった、
「あっ、ママ、馬だよ」
5歳くらいの男の子が声を上げた。
「あれはロバよ、馬じゃないの」
男の子は不審な顔をした。
「耳が長いでしょ、ほら」
男の子はロバを見て大発見をしたような表情を見せた。
トコトコとロバに近づいてきた。
「お兄ちゃん、耳触りたい」
たどたどしい言葉でベアーに話しかけた、その目はキラキラと光っているではないか……
「う~ん、ちょっとだけだよ」
ベアーは男の子を抱っこしてロバの耳付近に近づけた。
男の子は耳をツンツンしだした、そして、だんだんとエスカレートすると引っ張り出した。
「ほら、もうやめなさい、ロバさん怒っちゃうわよ」
母親が注意したが男の子はお構い無しである。
そんな時である、ロバが突然くしゃみをした。あまりの不細工な顔にベアーは驚いたが男の子のほうは大爆笑、腹を抱えて笑っていた。
そして、男の子は母親に向き直った。
「ママ、このロバ欲しい、欲しい!」
真剣なまなざしで訴え始めた。
「このロバはおにいちゃんのなの、駄目よ!」
母親が注意するが子供は絶対にゆずらないという姿勢を見せた。真剣な目でロバの手綱をしっかりと握っていた。
それ以降、母親がどれだけなだめすかそうと頑として聞かない。
「キミ、ちょっとだけ乗せてあげようか」
ベアーが男の子を乗せてあげると、男の子は体全身でうれしさを表現した。普段、このロバは人を乗せない、もちろんベアーも乗せない。一度、乗ろうとして振り落とされ、したたか腰を打ったことがあった。
しかし……なんとロバは男の子を背に乗せ歩き出した。男の子は楽しそうに乗っている。タテガミを引っ張ったり、首にしがみついたりしたが振り落すことはなかった。
『へぇ~、こんなこともあるんだな……』
ベアーがそう思った時である、突然、母親のまぶたから光るものが頬をつたった。
「どうかされたんですか…?」
母親は涙を拭うとベアーに言った。
「お願いです、10日、いえ一週間でいいんです、あの子にあのロバを貸してやってください、お金も払います、いくらでも払います。お願いします、どうかお願いします。」
ベアーは驚いた表情を見せたが、母親の顔は鬼気迫るものがあり断ることができなかった。
「一週間したら町を出るんで街道側の出口にロバを連れてきてください。餌をやって面倒見てくれればお金はいいです。」
ベアーがそう言うと母親は平身低頭した。
「ありがとうございます、ありがとうございます。」
母親は何度もベアーに感謝してロバといっしょに去っていった。子供の楽しそうにしている姿は微笑ましかったが、母親の態度は気になるものがあった。
*
ベアーは観光課で最初に教えてもらった宿に足を向けた。『バオバブ』という安宿で個室がなく大部屋だけの造りになっていた。1階に1部屋、2階に3部屋、1階は大部屋の他に食堂と共同浴場が置かれていた。
「あの一週間お願いしたいんですけど」
「先払いだよ」
ベアーは280ギルダーを払った。
「1階も2階も空きがあるけどどっちがいい」
「じゃあ、2階でお願いします。」
「あいよ」
受付の男は場所を書いた紙をよこした。30歳くらいの威勢のいい男だ。
「食事は、朝は7時から8時まで、夜は18時から19時だ。遅れちまうと食堂が閉まるから、夜は頼んどけば弁当作ってくれるぞ、何かあったらその都度聞いてくれ、それからシーツの交換は自分でやってくれ、脱衣所のところにシーツ置いてあるから。」
観光課の職員の話では食事は別途だといっていたが、どうやら込みのようである。この点は幸運だった。ベアーは階段を上ると2階の部屋に入って様子を確認した。部屋は20畳位の広さで、真ん中が通路になりその両脇にベッドが配置されていた。ベアーは自分の番号を確認しその番号のベッドの所に荷物を置いた。
『よし、街の散策だ!!!』
*
ベアーは商業地区に位置する『バオバブ』を出るとメインストリートに向かった。そこは様々な店が軒を連ね、人であふれていた。見たこともない品々がたくさんありベアーは驚きを隠せなかった。
青果店では緑色をした柑橘類、黄色い房に覆われた円筒形の果物、真っ白い球体の野菜が置かれていた。どれも生まれた村では見たことがないものであった。
「すごいな、大きな街って……」
交易の盛んなミズーリは近隣だけでなく海路を通して外国の商品も入ってくる。ベアーにとっては目新しいものが数多くあり度肝を抜かれた。
ベアーは昼食をとるため食堂に入った。大衆食堂だがブュッフェスタイルになっていて、最初に金を払い、後は好きなものを好きなだけ皿に盛るという型になっていた。食べ放題がはじめてのベアーにとっては斬新だった。
ベアーは複数ある大皿から焼豚と油で揚げた白身の魚、そして麦飯を取った。
『……イマイチ……だな』
豚はパサパサしていて白身魚は油でべっとりしていた。腹が減っていたので不味いと思わなかったが、同じ物を食べようと思うことはなかった。その後は、見たことのない料理を皿にとって食べてみたが冷めていたり、味が濃かったりとイマイチだった。
『値段の割には…微妙だな…』
量は多く腹は一杯になったが質が良くない。二度と行くことはないないだろうとベアーは思った。
*
ベアーは食事を終えると店を出て行政地区に向かった、図書館に行くためである。ベアーは2つの職業を念頭に置いていた。一つは行政官であり、もう一つは商業者である。
行政官は上級学校に行かなくてはならないが、見習い期間を経て初級行政官になる方法がある。見習い期間が5年と長いのだが、その期間耐えれば晴れて初級行政官として任命される。ただ初級行政官の出世は絶望的で地方の行政事務をするくらいしか仕事がない。さらには給料も安く、家族を養うには厳しいものがある。ただ僧侶としての年間所得よりも初級行政官のほうが給料はよいため、田舎で畑を耕したり、鶏を飼いながら生活することは可能であった。
さて、もう一つの行政官の道は軍に入ることである。軍の場合は上級学校に行かなくても試験に受かれば仕官の道も開けるのでこちらのほうが出世を考えるなら得策かもしれない。位が上がれば給料も上がるので生活の見通しはつく、こちらのほうが合理的だろう。
『さて、どうするかな……』
一方、二つ目の職業だがベアーは商人を考えていた。この職業は裾野が広いので『何を扱うか』という点でまず悩む。自分の興味のあるものがあれば、それを商っている店に見習いに入ればいいが、そこまでベアーは絞れていない。ただ漠然と商人になろうという思いがあるだけで具体的なことは決めていなかった。
『やっぱり、商人かな』
最初に考えるべきは有力商家に見習いに入るか、専門店に入るかである。大きな商家は扱っている商品の数が多いので多岐にわたって商業の知識を浅く広く知ることができる。一方、専門店はジャンルを絞ることにより細かな部分を突き詰めるのでその道のエキスパートになりやすい。ただ、他ジャンルの商売には疎いので需給のミスマッチが起きると倒産というリスクが生じる。この点、大きな商家は需給を美味く調整することができるので倒産には至りにくい。安全パイなら有力商家だが、独立を考えるならその筋の専門店というのが一般的である。
『とにかく調べてみよう』
ベアーはそう思った。




