その三十七
ロッテが帰ってから、三人で夕方までおしゃべりをして過ごす。
ハンナが塔の明り取りから射し込む西日に目をやって立ち上がった。
「では私はミレーユ様と私たちの夕食を取りに行ってきますね」
「ご、ごめんなさい。せっかくのお休みなのに、わたくしが塔から出られないばっかりに」
ハンナが「こちらこそアンをお願いします」と言って食事を取りに出て行った。
アンディと並んで椅子に座る。
「夕食も三人で一緒に食べられそうですね」
嬉しくて微笑むと、彼が気まずそうにする。
「ごめんね。お姉ちゃん」
「何がです?」
「僕たちのご飯はたぶんお姉ちゃんより少し量が多いよ」
「ううん、大丈夫。気にしないで」
ミレーユの献立は女王が決めた。
幽閉を決めたのは議会でも、処刑を主張した女王にも配慮されて食事などの委細はすべて女王に一任された。
女王は当然のように食事を最低に減らしてミレーユの殺害を目論んだ訳で。
「本当はこっそり量を増やしたいけど、お母さんが呪いで死んじゃうから」
「お母さんが呪い? 呪いって……まさかハンナも呪いをかけられているのです⁉」
「この前、お姉ちゃんのご飯を増やしてって言ったんだ。そしたら、お世話係に採用されたときに死の呪いをかけられたからできないんだって」
「わたくしと同じ死の呪いだなんて。その呪いって、どんな条件で発動しますか?」
「お母さんが塔に運ぶ食事は、女王様が決めた量より増やしたら駄目なんだって」
隠れて食事を増やせない事情をアンディが教えてくれた。
「それじゃ、ハンナは毎日命懸けじゃないですか!」
食事の量を間違えれば死。それも他人の食事の量でだ。
普通なら間違っても自分が呪いで死なないように、かなり量を少なめに盛るだろう。
優しい彼女だもの。
命懸けでぎりぎりの量を用意してくれているに違いないわ。
ハンナが死の呪いをかけられているなんて想像すらしていなかった。
いつも自分が生きるのに精一杯で、他人のことを考える余裕などなくて。
女王に関わりが深いハンナも呪いをかけられている。
その可能性に思い至らなかった。
ハンナへ不満を抱いた過去を悔いる。
「僕もお姉ちゃんと同じ量にするよ」
「それは駄目ですよ。それに――」
育ち盛りに気を遣わせて、食べるのを我慢させたくない。
「――最近はランスロット様やスピア様から、あれこれいただいていますから」
もらった干し肉の残りを見せると、やっとアンディも納得してくれた。
「じゃあお母さんが帰ってくるまで何かしようよ」
「そうですね」
ちょうどロッテがペンや紙をくれたし、テーブルを前にして並んで座っている。
それでアンディに字を教えることにした。
でもその前にどうしてもあのことを打ち明けたい。
「あの、アンディ」
「何?」
「わたくし、ランスロット様と……。あ、えと、スピア様にプロポーズされたの」
「プロポーズって何?」
つい、昨日あった彼らとのできごとを話した。
寝る前も朝起きてからも、昨日のことがずっと頭をめぐっている。
そんな中でロッテから恋愛相談を受けたのだ。
自分の話も誰かに聞いて欲しくなった。
ロッテが喜びながらも戸惑っていたように、ミレーユもいきなりのプロポーズで興奮と戸惑いがないまぜになっていた。
まして彼女の恋愛経験はゼロ。
あまりに衝撃的な体験に、驚きを共有したくて誰かへ話さずにはいられなかった。
「プロポーズっていうのは、その、結婚を申し込むことなんです」
「ええー! それ本当⁉ ロッテさんだけじゃなくお姉ちゃんもなの⁉」
アンディが目を丸くして驚いていた。
彼が狙い通りの反応をしてくれて嬉しくなる。
でもどうしてか、スピアのことは話せても、最初に浮かんだランスロットのことは秘密にしておきたいと思った。
「塔から出られないって言っても、スピア様はそれでもわたくしがいいと言ってくださったの」
それを聞いたアンディが眉を寄せる。
「何だよそれ。まだ会ったばっかりなのに気が早くない?」
「そ、そうですよね。いきなりすぎですよね。でも悪いことではないから」
プロポーズのことを話すなら大人のハンナにすべき。
それはミレーユも分かっていた。
だけどハンナは戦争で夫を亡くしているので、気まずくて言えない。
だからついアンディに話してしまった。
プロポーズされたなんて、本当は小さな子に話すことじゃないのに。
「結婚するなら、もっとゆっくりにしてよ」
「アンディも早いと思います?」
「あと十年待って。駄目なら七、八年」
六才の男の子がやけに慎重な意見を言う。
「じっくり時間を掛けるのは理想ですけど……。あの、十年は長くありません?」
「だって、僕が結婚できる十六才まで十年あるもん。先に婚約するにしてもせめて八年待ってよ」
さっきからアンディが不満そうだ。
「結婚は競争じゃないの。あなたはあなたのタイミングでいいのよ」
きっと結婚する順番で負けたくないのだ、そう思ったのだけど。
「お姉ちゃんは勘違いしてる。結婚は競争だよ」
「ふふ。男の子って勝ち負けを気にするんですね。でも結婚は早い遅いじゃないの。好きな人と一緒になれること。それが一番大切だと思うわ」
「だけどライバルがいて、同じ人と結婚したかったら競争でしょ?」
「まあ、ライバルとは競争ですけど。アンディは結婚したい人がいるの?」
「いるよ」
彼はそう言うと、顔を赤らめて隣に座るミレーユを指さした。
困りました。
こういう場合って、どうしたらいいのかしら。
好きな人がいればちゃんと言うのだけれど。
でも心に決めた人はまだいないし。
アンディを傷つけたくない。
困って思案していたら、つい最近よく似た経験をしたのを思い出した。
スピアからプロポーズされて、すぐに返事はできないと条件をつけたのだ。
「そ、そうですね。では、わたくしが好きなったらというのはどうでしょう」
「え? お姉ちゃんは僕を嫌いなの?」
「だ、大好きです。家族みたいに。でも、家族の好きと結婚の好きは少し違うの」
「あ、僕知ってる。それ『愛してる』でしょ」
「そ、そんな言葉まで知っているの⁉ そう。結婚には『愛してる』がいると思うの」
「じゃあ、お姉ちゃんが僕を『愛してる』になったら結婚してね。約束だよ!」
椅子から飛び降りたアンディが手を広げて楽しそうにくるくる回る。
どうしよう。
こんなに小さい子から告白されてしまいました。
やっぱりこれって。
思い当たるのは恋愛運しかない。
人間の限界を超え、神の領域まで上がり切ったミレーユの恋愛運。
それがこの状況を作り出しているのだろう。
だが、運の多寡で他人の思考を歪めてはいない。
運勢はあくまで本人に影響するもの。
ミレーユの恋愛的魅力が激増してこの結果を呼び寄せているのだ。
モテるのは嬉しいですけど、収拾がつかなくなりそうで怖いです。
うぬぼれではなく、本気で知り合いの男性を増やさないようにしよう、そう思った。




