63.道化の末路
※ 残酷表現等がございますのでご注意ください。
文章の終わりにイメージイラストがあります。
絵も微グロ傾向ですので、苦手な方は非表示でご対応ください。
雨の気配が増していくうす暗い森の中、アルバートは腹を押さえ、緩やかな斜面をふらふらとした足取りで進む。
「私は、まだ死ねない。まだ……死ねぬのだ」
息を切らしながら、のろのろと進む彼の周囲のあちこちから、怒号や剣戟の音が響く。
「月巫女さまをお守りするためにも、ここでヤツらは食い止める!」
そう声を張り上げたのは、銀髪の騎士――テオ=ローレンスだ。彼の指示に従い、ローレンス隊の騎士が連携して動く。自身もレイピアを振るいつつ、テオはさらに続ける。
「毒を受けたものは即座に解毒剤を服用しろ! 決してヤツらの毒を甘く見るなよ!」
「了解!」
そんな中、一人の騎士がアルバートに気付き、驚きを露に声をあげた。
「副神官長!?」
「バカ、油断するな!」
声をあげた騎士を庇った仲間の剣が、襲い来る刃を受け止める。アルバートに差し向けられたと思われるヴォラス兵と、騎士たちが交戦に突入するのを尻目に、彼はただただ前に進む。
だが、ふらつく足を絡ませた彼は転び、そのまま急な斜面を転がり落ちた。それにより、剣戟の音は遥か遠くに離れたものの、全身を打ち付けた彼は、起き上がることもままならず、痛みに呻く。
辛うじて開けた彼の目に映るのは、今にも雨を降らせそうな黒雲だ。神の怒りにも例えられる光が、時折煌めく。その光に彼は、力なく呟いた。
「勝手に刺客を差し向けられていたとは言え、国とあの娘を天秤にかけた末、助けようとしなかったが故の太陽神の天罰、か……」
微かにゴロゴロと音を立てるそれを、悔しげに見つめる彼の耳に、土を踏みしめる音が響く。
ザクザクと音を立てて近付き、彼の視界に入ってきたのは、直刀を構えた血塗れのヴォラス兵だった。血走った目で刃をアルバートに向け、荒い呼吸を繰り返すヴォラス兵は、奇声をあげながらそれを突き立てようとした。
しかし、その瞬間、刃とアルバートの間に何かが割り込み、ヴォラス兵を吹き飛ばす。辛うじて彼が認識できたのは、翻る真紅のローブだけだ。次いで、慌てた様子で駆け寄る足音が、彼の耳朶を打つ。軽い足音が傍で止まれば、琥珀色の瞳が彼を覗き込んだ。
「大丈夫で……副神官長さまっ!?」
驚いた様子で声をあげた彼女――エマに、アルバートはその目を見開いた。
「な、ぜ……」
何故生きているのか、何故ここにいるのか。様々な疑問が込められた彼の『何故』という問いに、彼女は真剣な表情で告げた。
「あなたを止めるために来たんです」
彼女の真っ直ぐな言葉に、彼は言葉を失う。それを痛み故と解釈したのか、彼女は慌てた様子で真紅の背中に呼びかけた。
「グレン様……!」
彼女の呼び声に、黒髪を揺らしながら彼――グレンが振り返る。完全に沈黙したヴォラス兵を背に、彼は一振した剣を鞘に収め、二人の元へとやってきてしゃがみ込む。そうして、縋るような彼女の視線を受ければ、難しい顔でアルバートの身体を見た。
黒色のローブも中の白い神官服も、あちこち破け、泥にまみれている。そして、マールスに刺された腹部を始め、無数に残る斬撃の跡や転んだ際に太ももに刺さったと思われる太い木の枝。それらで全身の至るところを赤黒く染めたアルバートからは、死の気配が漂っていた。
そんな彼を見て、グレンは静かに頭を振る。それが意味することに、彼女は愕然とした様子で俯く。唇が切れそうなほど噛み締めた彼女は、震える声で言った。
「副神官長さま、教えて下さい。神職者の鑑であったあなたが、どうしてこんな謀反のようなことをなさったのですか……?」
今にも泣きそうな彼女に、彼はか細い呼吸をしながら、遠くを見つめて静かに言った。
「神職者の鑑、か……。そんなもの十六年前に失くした。あの小娘を……月巫女を手に入れるため、その母親を手に掛けたあのときから」
彼の告げた言葉に、柘榴石と琥珀が大きく見開かれる。
「全ては、この国のため。クリフ様が王族にとって代わり再編する、差別のない国のため。そのためならば、私はどうなろうが、かまわ……」
「それは無理だ、アルバート」
増えた声にエマは驚きを露に、グレンは落ち着いた様子で振り返り様に言った。
「神官長殿、グレッグ……。我々を追って来ていたのですか?」
そこにいたのは、クリフ=モルガンとグレッグだった。グレンの問いかけに、神官長は疲労で血の気が薄い顔に、儚げな笑みを浮かべる。その笑みに、グレンはそれ以上、問い質すことはせず、彼に場所を譲る。
そうして、クリフがアルバートの傍にしゃがみ込めば、彼は震える声で問いかけた。
「何故、あなたが、無理だなどと、そんなことを……? あなたほど、国を思う人はいないと、いうのに……」
「買いかぶり過ぎだ。儂をよく見ろ。こんないつ死ぬとも知れぬ老いぼれに、その理想を成すだけの時間はない」
「そん、な……そんなはずは……」
告げられた言葉に、彼は顔を歪め、拒絶するように首を左右に振り、僅かに声を荒げた。
「あなたは、私の理想だ。そんなはず……ありません」
「アルバート……。お主をそうさせてしまったのは、儂が先代の神官長を殺したあの日、お前を巻き込んでしまったせいなのだろう」
神官長の告白に、三対の目が驚き息を呑む。そんな彼らの反応に焦った様子で、アルバートは言い募る。
「違う……違う! あの日、あの腐りきった金の亡者を、悪魔を滅したのは私……。いえ、見も知らぬ誰か、です」
思いがけず飛び出した過去の真相に、グレンは神官長を一瞥するも、口を開くことなく、目を伏せる。そんな彼の前で、クリフは言った。
「あの日、お前の差し伸べた手を振り払ってでも、私は名乗り出て裁きを受けるべきだった。私の弱さがお前を巻き込み、追い詰めてしまった……。気付いていながら止められなくて、すまなかった」
「クリフ、様……」
腰を曲げ、頭を下げた彼に、神官長としての威厳はどこにもない。そこには、ただただ懺悔をする小さな老人の姿があった。そんな彼の姿に、アルバートは藍鼠色の瞳を揺らし、問いかけた。
「私は……間違えたのですか……?」
「……そうだ。儂もアルバートも、踏み外してはならない道を外した時点で、間違えていたんじゃ……」
「そう、ですか……。私は間違えて、いたのですか……」
彼の言葉に、アルバートの目から涙が溢れ、頬を伝っていく。それと同時に、彼の口から赤黒い血が吐き出され、呼吸が徐々に浅くなる。
命の灯火が消えかける中、彼は震える手を宙に伸ばす。
「騎士、団長……」
微かな呼びかけに、グレンはしゃがみ、その手を握り返す。しかし、すでに目と手の感覚がないのか、藍鼠色の瞳が不安げに彷徨う。そんな彼を握る手に力を込め、グレンは言った。
「私はここにおります」
「ああ、そこに……居たか。頼む、どうかこの国を……」
「ええ、お任せください」
「ヤツらの……悪魔の粉に、気を付け……」
最後まで言い切る前にアルバートの全身から力が抜け、カクンと首がもたげる。そんな老人の手をそっと胸に置けば、開いたままの彼の目と口を、グレンはそっと閉じた。そうして、短い黙祷を捧げた彼は、俯いたまま静かに口を開いた。
「神官長殿、先ほどの話、後ほど詳しくお聞かせ願えますね?」
「……無論だとも」
クリフの返事を聞いた彼は、無言で立ち上がり、グレッグを見据えて問いかけた。
「グレッグ、悪魔の粉について、お前は何か知っているか?」
「……いいえ、何も」
「そうか……」
ただただアルバートを見つめる彼を、痛ましげに見たあと、グレンは重ねて問いかけた。
「お二人を任せて、構わないな?」
「……はい」
目は合わないままであったが、小さな首肯と共に返ってきた返事に頷き、彼は両手を組んで祈りを捧げるエマを見やる。
「助けられなくて、ごめんなさい……。後で必ず月神さまの元へ御霊をお送りいたします。ですから、今はどうか安らかに」
そう告げた彼女は、項垂れている神官長を痛ましげに見つめたあと、顔をあげてスッと立ち上がる。
「エマ嬢、行けますか?」
背後からかけられたグレンの問いに、彼女はぐいっと涙を拭い、振り返り言った。
「行けますっ!」
返ってきた気丈な言葉に、彼は一つ頷けば、彼女の手を取る。そして、リオンとルイス、二人のいる丘の頂上を目指し、混戦極める森の中へ駆け出したのだった。
そんな二人の背を見送った後、グレッグはエマがいた場所にしゃがみ込んだ。
「本当は聞きたいことがあったんです。言いたいこともたくさん……」
そう言って彼は、まだ温もりの残るアルバートの頬をそっと撫でる。しかし、それに返る言葉はなく、彼は唇を震わせながら言った。
「僕は……あなたにとって、なんだったんですか、お義父さん……」
彼の言葉と共に、紫水晶の瞳から涙が溢れ、零れ落ちていく。そんな彼の肩に手を置いたのはクリフだ。その温もりで奮い立つように、彼は涙声で言った。
「数多いる孤児の一人でしたか? 息子でしたか? それとも……、ただの道具でしたか?」
「グレッグ……」
「道具、だったとしても。それでも、両親の記憶がない僕にとって、あなたは……たった一人の父でした」
そこでグレッグの言葉は途切れ、あとは二人の嗚咽だけが微かに空気を震わせた。
それからややあって、落ち着きを取り戻したクリフは言った。
「儂たちのことはいいから、行ってきなさい」
「しかし……」
「……しばらく、二人にしてほしいんじゃ」
そう言って、彼は悲しげに笑みを浮かべ、『それに』と続けた。
「お前も望むことが、何かあるのだろう?」
彼の言葉に、グレッグが息を呑む。その視線はクリフを向いたあと、アルバートへ向けられる。しばし彼を見つめたあと、グレッグは再度老人を振り返り、小さく頷き返した。
そうして二人に背を向け、森の奥へ足を踏み入れようとする彼の背中に、『グレッグ』と呼ぶ声がかかる。足を止めた少年の背に、クリフは静かに言った。
「儂はここで、アルバートと共に帰りを待っておるよ」
彼の言葉に、グレッグは無言で立ち止まっていたものの振り返らず、そのまま無言で木々の中へと姿を消した。それを見送ったクリフは、もの言わぬ盟友を見下ろし、言った。
「儂はともかく、まだ若すぎるあの子まで連れて行かんでくれよ、アルバート。そして……」
そう告げたあと、少年が向かった目的地である丘の頂上を見上げて言った。
「できればクリフェード卿に、力を貸してやってくれ。お前がいない今、あの子を止められるとしたら、恐らく彼だけだ。そうだろう?」
彼のその問いかけは、誰に届くこともなく、薄暗い森の空気に溶けて消えたのだった。
***
ちょうどその頃。ルイスはリオンの肩を抱いて、丘の頂上を目指し、森の中を駆けていた。
そんな二人を狙い、四方八方からヴォラス兵が襲いかかる。死に物狂いの形相で襲い来る彼らに、ルイスは歯を食いしばり、苦しげな表情で応戦する。一人ずつ確実にその命を刈り取りながら、彼らは道なき緩い斜面を駆け上っていく。
そうして、丘の頂上が目前に迫る場所まで来たときだった。ルイスの身体が、不意にぐらりと傾く。それに先を走っていたリオンが驚き、振り返る。地面に剣を突き立て、倒れることを防いだ彼の額に脂汗が滲む。
それを見た彼女が彼の全身を見れば、赤黒い返り血とは別に、ところどころ切り裂かれたローブが赤く滲んでいた。それを見た彼女の顔が、ギクリと強張る。
「ルイス、まさか毒を……!?」
「大丈夫、だ」
「でも!」
さらにリオンが言い募ろうとするも、何かを察知したルイスが彼女を抱き抱え、その場を飛び退く。数瞬遅れ、二人のいた場所を横切ったのは、紫の刃だ。
辛うじて攻撃を躱した彼は、彼女を背に庇いながら、振り返り身構える。そこに居たのは一人のヴォラス兵だった。
男は青ざめた顔でガタガタと歯を鳴らし、刀を構える。その構えは隙だらけで、切っ先も震えてばかりだ。とても武人とは思えない男に、ルイスは言った。
「戦いたくないのなら、引いてくれ。無闇に殺す気はない」
「だ、黙れ! こうしないとオレが殺されるんだ……! 頼むから、大人しく殺されてくれ!」
そう叫び、男は声をあげ、我武者羅に刀を振るう。型などあったものではない。太刀筋の読めない攻撃を受け流すルイスの手や腕を、直刀が掠める。だが、倒れる気配のない彼に、男は言った。
「なんで、倒れないんだよ! 毒が仕込んであるのに、どうして……!」
「悪いが、オレには倒れられない理由があるんだ」
「なんだよ、それ! 早く倒れてくれよ! でないと……」
対峙していた男の声が途中で途切れると同時に、彼の喉元から真っ直ぐ刃が生え伸びる。それは反射的に躱したルイスの左頬を掠めたあと、彼の首を狙うように横へなぎ払われる。その攻撃に対し、彼はバックステップで躱し、背後にいたリオンの腰を抱え、大きく距離を取った。
敵から距離を置いた二人が見たのは、周囲を赤く染め、苦悶の表情を浮かべてその場に倒れ伏した男の姿だ。それまで見た戦いの中でも、特に残酷で惨い死に様に、リオンが思わず顔を背ける。そんな彼女を背後に隠し、ルイスが剣を構えた先にいたのは、紺色の軍服を纏う小柄な黒髪の男。彼の日長石を思わせる朱色の瞳が弧を描く。
「面白そうな話してるじゃねぇか。なぁ、その話、オレも混ぜてくれよ」
そう言って、赤く染まった直刀で自身の肩を叩いたのは、二人を獲物と称したヴォラスの指揮官の一人――クライヴ=ランドルフだった。




