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【完結】月夢~巫女姫の見る夢は騎士との淡く切ない恋の記憶~  作者: 桜羽 藍里
【最終章:夢見た願いと想いの果て】
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62.裏切りと覚醒する力

※ 残酷表現等がございますのでご注意ください。

  文章の終わりにイメージイラストがあります。

 どんよりとした灰色の厚い雲が空を覆い、湿気を帯びた朝の空気が漂う中。ヤヌス侯爵領の東部、海路の玄関口を担うリユニオンの灯台で、一人の男が海を眺めていた。


「これは嵐になるな」


 時化る海風が、男の伸びた無精髭と緩く一つに結んだ長い栗毛を撫でていく。そんな中、男は手すりをギュッと握り締めポツリと呟いた。


「今日がその日、なのか……?」


――オレはあの二人の未来を守りたいんです。


 記憶を辿るように目を閉じた彼の脳裏を過るのは、少し高めのテノールの声。そして、そっと開いた切れ長の瑠璃色の瞳は、穏やかとは言い難い波を見たあと、空を見上げて語りかけた。


「月神と共にそこにいるのなら、どうか見守っていてくれ、アンナ」


 そうして男は、灯台を後にすると、船着き場から離れた海岸にポツンと打ち上げられている、木製の手漕ぎボートに向かったのだった。


***


 ちょうどその頃、リオンとルイスは、それぞれローブを着込み、支度を調えていた。


 念入りに武器の確認をし、身につけて行く彼をじっと見つめ、彼女は問いかけた。


「ルイス、渡した組紐のお守りも神具も、ちゃんと身に付けてる、よね?」

「当たり前だろ」


 そう言って、彼は手を止め、左手で首元から神具を取り出す。神具の横では、彼の手首に結ばれた組紐が揺れる。青と緑、黒の糸で編まれた組紐には、よく見れば青藍色の髪も混ざっている。


「オレとリックの無事を祈って、お前が作ってくれた守りだ。忘れるわけないだろ」


 彼の言葉に、リオンは微かに笑みを浮かべたあと、神具と組紐に手を添えてそっと目を閉じる。次いで小さな声で祈りの詩を紡ぐ。普段のそれよりも遥かに短い、簡略的な祈りを捧げ終えた彼女は、彼の頭に両手を添えて、そっと引き寄せる。


 それに逆らうことなく屈んだルイスの額に口付け、リオンは翠緑玉を見つめる。不安に揺れる瑠璃と震える彼女の手に、彼は笑みを浮かべて言った。


「ありがとな」


 そう言って、彼もまた彼女の額に口付けを送る。不意打ちの祝福に面食らったリオンに対し、彼は苦笑を浮かべた。


「オレのに効果があるかはわからないが、一応な」

「……あるよ、きっと」


 ルイスの笑みにつられるように、彼女の顔にも僅かばかり笑顔が戻る。そうして、支度を終えた二人は、滞在していたツリーハウスを後にした。時折、ルイスは名残惜しそうに振り返るも、木々に隠れ見えなくなれば、振り返ることはせずに愛馬を進めたのだった。


 そうして出立してから間もなく、私有地の境界を越えてすぐのことだった。唐突にルイスの纏う空気が、緊張でピンと張り詰めたものに変わる。その空気にリオンが彼を黙って見上げれば、彼は目だけ動かし、辺りを見ながら小さく呟いた。


「おかしい……」

「何が……?」

「いくら何でも、嗅ぎ付けるのが早過ぎる」


 そう言って、馬の腹を蹴った彼の言葉に、彼女の顔が緊張で強張る。


「潜伏場所の情報が漏れた……? オレと侯爵家の関係を知ってるヤツがいる、のか?」


 考えを整理しながら『いや、まさかな』と呟く中、風を切る音が二人の横で鳴る。ヒュッと音を立てて通過していったのは、一本の矢。だが、その一本だけで済むはずもなく、次から次へと文字通り矢継ぎ早に矢が飛んでくる。


 背後から射かけられた矢を、巧みな馬捌きで躱しながら、ルイスは胸にしがみつく彼女に言った。


「リオン。少し荒い走りになるから、できるだけ頭を下げて、オレの腰にしっかり掴まってろ」


 すでに右へ左へと揺れが酷い中、リオンは返事をする代わりに頷き、彼の腰にしっかりと腕を回す。そうして、街道を逸れて獣道へ分け入った黒馬は、最後の戦いの場へと追い立てられるように、全力で駆けた。


 時折、障害となる木や木々の隙間を縫って飛来した矢を、ルイスは剣で叩き落としながら、手綱を捌く。他にも森の影に潜んでいた紺色の装束を纏った男たち――ヴォラスの歩兵に遭遇しては、馬上から剣を振るい、なぎ倒す。そうして、二人がやってきたのは、海沿いの切り立った丘の麓だった。


 天辺に向かって伸びる細道の入り口で地に降り立てば、彼は愛馬に言った。


「ここまでありがとな、シャンディ。どうか生き延びてくれ」


 そう言って彼は、『行け!』と愛馬の尻を叩き、その背を見送る。それから間もなく、迫る足音を聞きつければ、彼はリオンの手を引いて言った。


「ここから先は徒歩になるが、オレの傍を離れるなよ」

「うん!」


 そうして二人は、木々に囲まれた細道を頂上に向かい登り始めた。その足取りは決して早くなく、むしろゆっくりとしたものだった。しかし、自然の細道が故に、容易に道幅を広げることも困難なため、追い立ててくるヴォラスの歩兵が直接攻撃を仕掛けて来るのは一人か二人のみ。結果、逃げる二人に追いついても、ルイスの剣の前にヴォラス兵は次々に倒れ伏していく。


 それこそ、彼が馬を捨ててまでその場所を目的地――戦場に選んだ理由だった。


 背後から時折飛来する矢を剣でいなし、襲ってくるヴォラス兵の数をルイスが削りながら、二人は着実に登っていく。


 だが、あくまでも逃げているのはリオンとルイスであり、追い立てる人数は数知れない。そのため、ルイスの奮闘も虚しく、丘の中腹にある拓けた場所で、二人はヴォラス兵に取り囲まれた。


 月巫女の力を警戒してか、ヴォラス兵が距離を置いて四方を取り囲む中、ルイスは腕の中にリオンを抱き、油断なく周囲を見回す。


 前方には段のようになっている急傾斜の崖――段丘崖(だんきゅうがい)がそびえ立ち、その左奥には海に沿うようにできた獣道。道沿いに咲く細い木々と白い花が、時化て荒れ狂う海風に揺れる。


 それに対し、右手の内陸側には道なき森が広がっていた。


 そんな中、段丘崖の(きわ)に二人の男が姿を見せる。


 一人は深緑色のポニーテールを揺らす眼帯の男――マールス。底冷えするような空気を纏う(はしばみ)色の瞳に、ルイスは警戒心を強める。


 そして、無言で立つヴォラスの指揮官の隣に立つのは、黒いローブを纏ったロマンスグレーの老人。彼の藍鼠色の瞳を睨むように見上げ、ルイスはその名を口にした。


「アルバート=ロウ……」

「お前に呼び捨てにされる覚えなどないわ、小僧」


 侮蔑を露わにしながら、老人――アルバートは骨張った手で片眼鏡を持ち上げる。そんな彼に対し、ルイスは眉根を寄せ、怒りの滲む低い声で返した。


「奇遇ですね。私もヴォラスと共に居る人間に、小僧呼ばわりされる覚えはありません」

「驚いていないところを見ると、マールス殿の推測どおり、か。全く親子揃いも揃って邪魔ばかりしよって……」


 恨みがましげに呟かれた言葉に、ルイスの眉が微かに動く。しかし、それ以上は表情に表すことはなく、周囲……特にマールスの動きに意識を向け、彼は押し黙る。彼に代わるように口を開いたのはリオンだった。


「あなたは何故、こんなことを……。それほど私が気に入らないのですか?」

「ええ。あなたの力に用はあっても、あなた個人に用はないのでね」


 向けられた冷たい灰色の視線と、投げかけられた言葉に、彼女は息を呑み、その目を悲しげに揺らす。しかし、口を真一文字に結べば、眉根を寄せて真っ直ぐに彼を見つめた。


 傷付いてもなお、抗う意志を示す彼女に、アルバートは小さく息をついて言った。


「外への恐怖を植え付ける計画も、そこの騎士に妨害された。そして、忘却水の原液を飲ませてもこれでは仕方がない。あなたにはもはや、この国のため、人柱になってもらう他ありませんね」


 彼の言葉に対し、彼女の肩を抱くルイスの左手に力が籠もる。リオンもまた両手を固く握り締めれば、老人はその場にそぐわぬ穏やかな笑みを浮かべて告げた。


「何、心配せずともあなただけではなく、その愚かな騎士も先見のも一緒ですから、ゆっくりお休みください。月神さまの元で、ね」


 アルバートが口にした言葉に、二人の目が大きく見開かれる。衝撃から素早く立ち直り、目尻をつり上げて口を開いたのは、ルイスだった。


「エマに何をした?」

「ほぅ……、知っていたのか」

「答えろ!」

「私は何も。あちらで直接伺ってみれば良かろう?」


 そう言って彼が、ニィと嗤ったそのとき、ぼうっと白銀の光が辺りを照らし出す。やや薄暗いその場で、月の光に似たそれを放っているのは、リオンだ。銀色に変化した毛先と瞳、そして額に浮かび輝く三日月の文様に、翠緑玉が戸惑い大きく見開かれる。


「ま、さか……」

「副神官長……いえ、アルバート=ロウ。エマに、何をしたの……?」


 時折、バチバチと音を立てて、小さな稲光のようなものが彼女の周囲に走る。それは彼女の肩を抱くルイスに触れるが、彼を害することはない。それを見たヴォラスの兵士たちは安堵した様子を見せ、嘲りと苛立ち混じりの表情で武器を構え直す。


 一触即発の最中、リオンは一歩前に歩み出た。


「リオン、危ないから下がれ! それにその力は……!」

「死ねぇええええ!!」


 ルイスが彼女を諌めるのと同時に、複数の敵の掛け声が響く。それでもなお、彼女はさらに一歩踏み出しながら言った。


「私の親友に……何をしたの!?」


 怒気を伴い張り上げられた声と共に、白銀の光がリオンを中心に大きく膨らみ、弾ける。光が収まったそこに立っていたのは、光の外側にいた兵士たち、そしてリオンとルイスの二人だけだった。


 光に巻き込まれたヴォラス兵は、一様に地に倒れ伏し、その呼吸を止めている。息絶えた兵士たちの腕には、三日月を刻み込んだ緋の腕章。彼らの身を守るはずの月の守りすらをも凌駕した彼女の力の片鱗に、ヴォラス兵たちの顔が恐怖に歪む。


 彼らと同様に、彼女の強すぎる力を初めて目の当たりにしたルイスの顔にも、彼らとは異なる焦燥の色が浮かぶ。


「リオン、それ以上はダメだ! 感情をおさ……」

「素晴らしい……!!」


 制止をかける彼の声を遮り、興奮と共に賞賛の声をあげたのはアルバートだった。


「これが月巫女本来の力……! これぞまさしく神の力…! あああ、何故、月神はそれを正しく扱えぬ小娘なんぞに……!」

「私の問いに答えなさい、アルバート=ロウ」


 喜色ばむアルバートに対し、リオンは冷たく燃える視線と共に、再三問いかけ進む。小さく爆ぜる銀色の光に、ふわりと浮く髪。彼女の怒りに呼応するかのように生じている現象に、彼は大仰に咳払いをして言った。


「何、大したことではありませんよ。先見の巫女には人身御供として、先んじてその身を捧げていただいたまでのこと」

「言葉遊びは要りません。はっきり言いなさい」

「魔神を崇めるヴォラスの民にとって、神に愛されし娘は忌むべき存在。それは月巫女に限らず、先見の巫女とて同じこと」


 その言葉に、リオンの目が大きく見開かれる。


「ですので、彼女には先んじて、この国を守るための人柱になって頂くことにしたのですよ」


 そこまで言うと、彼は口元に弧を描き、にやぁと笑みを浮かべて言った。


「ただ殺すのか、はたまた女神がいなければ無防備な身体を慰みものとするか。実働部隊の選択は、私の預かり知るところではありませんがね」

「外道が……!」


 意味が伝わらず当惑するリオンに代わり、怒りを露にしたルイスが剣先をアルバートへ向ける。殺気立つ彼の声を受けた男は、芝居がかった様子で両手をあげて言った。


「おやおや、勘違いしてもらっては困る。私は彼らに委ねただけで、何も手出しはしていませんよ」

「屁理屈を……」


 ぎりっと歯軋りする彼に、男の顔から笑みが掻き消える。代わりに浮かぶのは、狂気の孕んだ侮蔑だ。


「貴様こそ、月巫女を唆し、その身を穢そうとしている逆賊そのものだろう?」

「お前のような下衆と一緒にするな!」

「ルイス……」


 彼の言葉で冷静さを取り戻したのか、それと同時に彼女の放つ光が収束し、彼女の髪と目の色も元に戻る。額の文様すら消えたのを見たアルバートは、灰の目に落胆の色を浮かべた後、嘲るように言った。


「たかが護衛騎士一人に何ができる」

「守りきって見せる。オレはリオンを守るために、今ここにいるんだ!」

「小癪な……月巫女の力は惜しいが、構わん。やってくれ!」


 老人の声に応じるように、マールスが大振りの直刀を抜く。彼の動きを見たルイスもまた、油断なく剣を構える。そして、微かに遠雷が一つなると共に、マールスが動く。


 だが、彼の剣先が号令をかけることはない。無言で突き出された刃が向かったのは、すぐ隣に立っていたアルバートだった。


 その事態を見た二人はもちろん、ヴォラス兵もまた、息を呑んで固まる。そして、自身の腹に刺さる紫の刀身を見た老人は、驚愕と苦悶の表情を浮かべて口を開いた。


「な、何故……。私は、お前たちと対等な契約を……」

「神の愛娘二人程度で、オレ達がこの国を諦めると本気で思ったのか?」


 無感動に告げられた言葉に、藍鼠色の瞳に怒りが浮かぶ。


「マールス、貴様、謀ったのか……。この私を……!」

「いいことを教えてやろう」


 彼は刺した剣を押し込みながら、苦悶の声をあげる老人の耳元で小さく囁いた。


「オレにとって、唯一ただ一人の女以外、全員敵だ」


 その言葉を聞き取ったのは、耳元で囁かれたアルバートともう一人。五感を研ぎ澄ませていたルイスは、聞き取ったその内容に眉を寄せる。そんな中、マールスは乱暴に剣を引き抜き、嘲笑うように言った。


「ここまでご苦労。その功績を称え、致命傷は避けてやった。毒が回るのが先か、オレの部下に殺されるのが先か。はたまた、そのどちらにも打ち勝ち生き残るか。最後の運試しを存分に楽しむがいい」

「くそっ……!」


 脂汗を流し、悪態づきながら、アルバートは腹を押さえ、木々の奥へと駆け出す。そうして姿を消す彼を唖然と見送り、敵味方関係なく動きを止める中、マールスは自身の部下達に氷の視線を投げかけながら言った。


「何をしている、追え。そして確実に消すまで戻るな」


 射殺さんばかりの眼差しに、リオンたちを取り囲んでいた兵士の一部が小さく悲鳴をあげて離脱し、アルバートを追っていく。それを横目にルイスが警戒していると、マールスは剣を収めた。


 彼の行動に訝しむルイスだったが、一拍遅れ、輪の外側から楽しげな声があがる。


「さぁ、オレたちも始めようぜぇ!」


 その声に振り返れば、そこには長身の男と並ぶ小柄な男の姿があった。日に焼けた肌に刈り上げた黒髪の彼――クライヴは、直刀を肩に乗せながら言った。


「相手はたった二人。早いもん勝ちだ」

「し、しかし、ランドルフ中尉。恐れながら申し上げます。あの女の力はとてつもない脅威……ぎゃっ!」


 怯えた様子で進言した兵士の首を、無言ではねたクライヴは周囲の一般兵をぎろりと睨んで言った。


「御託はいらねぇ。戦場では相手を殺るか、テメェが死ぬか、二つに一つだ。ビビって動けねぇ腰抜けに用はねぇ。オレが直々に斬ってやる」


 彼の言葉により、その場は恐怖に支配され、沈黙が降りる。


 依然として取り囲まれたままのルイスは、味方を躊躇なく斬ったクライヴの行動に眉を寄せる。隙を見せることなく身構える彼は、微かに震えるリオンを自身の腕の中に抱き寄せ、相手の様子を窺う。


 そんな中、クライヴが再び声を張り上げた。


「さぁ、選択の時間だ、愚図ども。オレに殺されるか、戦うか、好きな方選びやがれ」


 突き出した直刀と共に下された指示に、ヴォラス兵たちは、顔に恐怖の色を浮かべつつも、各々武器を手に取る。そんな彼らに小柄な指揮官は満足げに、残虐な笑みを浮かべて言った。


「よぉし、それでいい。全力で獲物の首をかっ切れ!!」


 そうしてかけられた号令により、一時止まっていたヴォラス兵の攻撃が、再度二人に襲いかかったのだった。



挿絵(By みてみん)

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