47.外の世界
※ 文章の終わりにイメージイラストがあります。
朝の光が徐々に世界を照らす頃。人里離れた山の中、木霊す鶏のなき声に、リオンはふと目を覚ました。彼女の目に映ったのは、金糸で彩られた天蓋ではなく、ゴツゴツとした岩肌と火の消えかかった焚き火。自身にかけられているのは、毛布ではなく、灰色のローブだ。
首を傾げつつ、ぼんやり眺めた彼女が視線を巡らせば、少し離れた場所にルイスの姿。剣を抱えたまま目を閉じる彼は、眠っているように見える。それを見て、彼女は現状を思い出したのか、一人納得した様子で頷く。
上半身を伸ばした彼女は、体を預けていた黒馬に礼を言って、かけられていたローブを手に彼に近付いた。碧と黒の簡素な服に翠緑色のマフラーのみの彼に、ローブをかけようとしたところで彼の目が開く。その反応に、リオンは目を瞬かせた。
「起きてたの?」
「半分な。もう少しなら寝てても大丈夫だぞ?」
「目覚めたから平気。これ、ありがとう」
そう言って、彼女がローブを差し出せば、彼は受け取り言った。
「なら、少し早いが食事にするか」
彼が使い古した皮の鞄から取り出したのはパンとチーズ。焚き火で炙ったそれらと水筒の水だけの質素な食事の最中、リオンはふと問いかけた。
「ねぇ、ルイス。昨日は時間も余裕もなくて聞けなかったけど、リックと初めて会ったときの話、何なのか聞いてもいい?」
彼女の問いかけに、彼は口の中のものを飲み込んで言った。
「騎士団に入ったときの話なんだが。オレをい……いや、オレのために、月神に生かされたって」
「え?」
「当時は正直、月神なんか居ないと思ってたから、聞き流してたんだけどな。本来死ぬはずだったけど、ゲッパク……とか言うものを分けられて生き長らえたんだそうだ」
「げっぱく……まさか月魄のこと?」
彼の言葉を反芻した後、リオンは思案顔で呟く。彼女の反応にルイスは、パンを千切りながら返す。
「いや、よくはわからないんだが、なんなんだ?」
「私が思ってるものだとしたら、月神さまの魂の一部、みたいなものかな」
「なっ……!?」
告げられた内容に、彼の手からパンが転がり落ちかける。何とか大地に還らずに済んだそれを手に、彼は唸った。
「さすがにそこまでの話は聞いてないぞ」
「もしそうだとしたら、私がリックに感じてた違和感も納得行くんだけど……」
「違和感?」
「うん。リックと話してると、話しやすいのに、何故かこう背筋を正したくなるというか……。祈り場に立つ時と似た心境になるの、最初の頃からずっと」
翠緑色の瞳が戸惑い瞬く中、彼女は続けた。
「エマには『ルイスよりも居る時間が短くて慣れてないだけじゃないか』って言われたんだけど。慣れた今もその感覚自体はあって、何なのかなって思ってたの」
「そう、なのか……」
そう呟くと、ルイスは空いている手で頭を掻きながらぼやいた。
「こんなことなら、もう少し真面目に聞いておくんだったな……」
「じゃあ、次はそうしよ?」
「……そうだな」
いつもと変わらぬ調子で告げたリオンに、彼は目を瞬かせたあと微苦笑を浮かべ、残りのパンを口へと放り込んだのだった。
***
すっかり陽も高くなった頃。二人の居ない神殿内は、騒ぎにこそなってはいないものの、ざわめきに満ちていた。神殿を見回り、神官や巫女たちに聞き込みを行う騎士の数は、普段の倍以上だ。
神職者たちがヒソヒソと囁き合う中、アルバートは硬質な靴音を鳴らし廊下を進む。苛立たしげな様子の彼を認めれば、彼らは蜘蛛の子を散らすように方々へ去っていく。そんな神官たちを気にも留めず、彼が足早に向かった先は、騎士団の屯所だった。
人の気配がない屯所内をずんずんと進む彼は、誰ともすれ違うことなく目的地へとたどり着く。そうして、そこ――騎士団長の執務室の扉をノックすることなく、彼は怒鳴り声と共に足を踏み入れた。
「月巫女さまはまだ見つからんのか!?」
「副神官長殿、申し訳ありません。騎士団を総動員して、敷地内を捜索していますが、今のところはまだ……」
彼の登場にさして驚いた様子もなく、静かに答えたのはグレンだ。つかつかと彼の執務机に近づけば、アルバートは眉尻をつり上げて言った。
「サンチェス卿は療養中と聞いているが、ディオス卿はどうしているんだ? クリフェード卿の副官だろう。何か知らんのか!?」
「リックは重要参考人として、地下牢にてこれから取り調べを行うところです」
その返答は予想外だったのか、アルバートの目が驚き瞬く。だがそれは一瞬のことで、彼は拳を机に叩き付けながら言った。
「なら早く取り調べて、二人を見つけ出せ! お倒れになった神官長のためにも、一刻も早くだ!」
「尽力いたします」
焦りを見せることなく、淡々と告げる騎士団長に、アルバートは苛立たしげに舌打ちをすると、踵を返す。
元来た道を辿り、彼がやってきたのは自身の執務室だった。親指の爪を噛みながら、彼は部屋の中を一人ぐるぐると歩き回る。
「二度もこのような騒ぎを起こしよって……。何故大人しくできぬのだ、あの小娘は」
そんな中、天井から一人の男がひらりと舞い降りた。紺色の頭巾と装束を纏った男に対し、アルバートの眉間に皺が刻まれる。鉢金に刻み込まれた複十字と蛇の文様を見ても、その顔に恐れの色は一切ない。そんな彼に、三白眼の侵入者はにぃっと笑って言った。
「よお、邪魔するぜ」
「何の用だ? 私は今……」
「お前がお探しの先見の巫女を見つけたかもしれない。……と言ったらどうだ?」
男の言葉にアルバートの目が大きく見開かれる。そこには、歓喜と微かな狂気の色が宿っていた。
***
太陽がまもなく中天に到達しようかという頃、リオンとルイスは街道を駆けていた。規則的に揺れる馬上で、ルイスは腕の中の彼女をチラリと見る。
リオンは目深に被ったフード越しに、初めて見る景色を物珍しげに眺めていた。
「リオン、体は痛くないか?」
「少しだけ。でも、平気だよ」
「この先に小さな町がある。そこで少し馬を休めるつもりだから、それまでもう少し我慢してくれ」
ルイスの言葉に彼女は笑顔で頷く。やや考え込んだのち、彼女はルイスを見上げて問いかけた。
「えっと、王都は王宮を、聖都は神殿を中心に成り立ってて。それに対して、町は神殿の代わりに教会が中心に成り立ってるんだよね?」
「そうだ」
「それをいくつかまとめたものを貴族が王族に代わって統治してる、だよね?」
「だな」
彼の返答に、リオンは目をキラキラさせて、進む方向を見つめて言った。
「どんなところなんだろう」
「……念のため言っておくが、遊びじゃないからな?」
楽しげな色を帯びた彼女の声に、彼はややトーンを落とす。半眼に呆れの色を微かに浮かべ、彼は続けた。
「オレたちの……特にお前の正体がバレないように、気を付けろよ?」
「わかってるよ。巻き込みたくはないもん。それでも、今回を逃したら機会はないかもしれないから、できるだけ見て、触れておきたいの。外の世界に……」
頬を膨らませて振り返り『心外だ』と言わんばかりに返した彼女が続けたもの。それは彼女がずっと望んでいた願いだ。切なげに視線を落とす彼女に、ルイスは手綱を捌きながら言った。
「お前が諦めなければ、二度目だってある」
彼の言葉に、瑠璃が驚いた様子で見上げる。馬を駆る彼を見つめれば、彼女は『そうだね』と眉をハの字にさせ、切なげに笑ったのだった。
程なくして、目的の町にたどり着けば、馬を囲いの外にある馬小屋に預け、二人はそこへ足を踏み入れる。大通りの市場を行き交う人々を見たリオンの口から、感嘆が漏れた。
「人がたくさん……」
「夜中に駆け抜けたからあれだが、王都も聖都も昼間はこれよりも人多いぞ」
「そうなんだ。これが外の世界、かぁ……」
感極まった様子で笑い合う人々を見つめたあと、彼女はルイスを見上げ、小声で問いかけた。
「本当にフード被らなくていいの?」
「普段着の中だと、フードをしたまま歩く方がかえって悪目立ちしやすいからな。派手な行動を取らない分にはこっちの方がいいんだ」
「なるほど……」
感心した様子で頷くリオンの視線がキョロキョロと忙しなく動く。彼女の数歩前を行く彼は、前方の物陰などを注意深く見ながら言った。
「お前は外の世界初めてなんだから、何かするときはオレに先に声かけ……」
途中で左側を振り返った彼の言葉が途切れる。斜め後ろを歩いていたはずのリオンの姿があるのは、やや後方の露店の前。それを認めるや否や、ルイスはため息をこぼしながら、額を押さえた。
「言ってる傍から全く。リ……『ルーナ』!」
口を突いて出かけた名を押し留め、別の名で呼びかけながら、彼は小走りで彼女の元へ向かう。彼女の手首を掴めば、瑠璃色の瞳がキョトンとした様子で彼を見た。
「どうしたの?」
「勝手に離れたら心配するだろ。『ルーナ』って呼んでも反応しないし」
「え? あ……」
怪訝な顔をしたリオンは、ハッとした様子で口元に手のひらをあてる。そんな彼女の目の前には、じと目で見つめる翠緑玉。それを見た彼女は、両手を合わせて言った。
「え、えーと……ごめんね、『ルークス』」
気まずげに謝罪を告げた彼女に、ルイスは小さく息をつく。滲み出ていた怒気を引っ込めた彼は、彼女が見ていた露店を見た。
そこに並んでいたのは、ペンダントやバレッタ、ブローチなど、女性が好みそうな装飾品の数々。それを見て、彼はリオンを振り返りながら問いかけた。
「で、何が気になったんだ?」
「あ、えと……その、リボンが……」
「リボン?」
口ごもりながら答えた彼女の視線を、彼の目が追う。その先にあったのは、光沢のある一本のサテンリボン。何の変哲もない単色のリボンだが、その色は翠緑色――彼の色だった。それの意味するところに気付いたのか、ルイスが身じろぎ固まる。
店番をしている恰幅のいい中年の女性の顔に、にこやかな笑顔が浮かぶ。訳知り顔な彼女の笑顔に対し及び腰になりつつ、彼はギクシャクした様子でリオンを振り返る。
「これ、欲しいのか?」
頷きはしないものの、その目は躊躇いがちに揺れ動く。それを見た彼は、微苦笑を浮かべて小さく息をつくと、リボンを指差しつつ、女店主を振り返り言った。
「これください」
「はいよ。五百セレンだね」
ルイスが小さな皮袋から、銀色の硬貨を五枚取り出し、彼女に差し出す。代金を受けとった店主は、綺麗に折り畳んで小さな紙袋に入れたリボンを、彼に手渡した。
手渡された茶色の包みは、流れるようにそのままリオンの手に渡る。渡された小さな包みとルイスを交互に見て、彼女は戸惑った様子で問いかけた。
「いいの?」
「オレが持ってても使い道がない」
ややぶっきらぼうに返す彼の頬は、朱色に色付いている。それに対し、女店主の笑みが深まれば、ルイスはリオンの手を握り『行くぞ』と言って歩き出した。
歩幅を彼女に合わせて進む彼を見上げ、次いで彼女の目は自身の手に向く。右手は彼の手の中、左手には買ってもらったばかりの包み。それを見てリオンは嬉しそうに顔を綻ばせて言った。
「ありがと」
「どういたしまして。というか、欲しいものがあるときくらいは遠慮しないで言え。難しいときは言うから」
「うん」
そう言って頷くと、彼女は自分より大きな彼の左手を、そっと握り返したのだった。
半刻後、二人の姿は町の中心に程近い位置にある小さな公園にあった。大通りから一本横道に入った場所にあるためか、大通り沿いの大きな公園の人混みと違い、人影はまばらだ。
二人がいるのは、公園の隅にある桜の下に設置された、木と鉄でできたベンチ。並んで腰かけた二人の手元には、くしゃくしゃに丸めたパラフィン紙と空の瓶があった。片付けをするルイスの隣で、リオンは満面を笑みを浮かべて言った。
「ケバブっていうの、美味しかったね」
「そうだな。お前の腹の虫も泣き止んだようで何よりだ」
「お、お腹が空くのは仕方ないじゃない」
ふくれっ面を浮かべた彼女に、くつくつと笑いながら『そうだな』と言いながら、彼はゴミをまとめていく。そんな彼の隣で、彼女は不満げに息をつくと、荷物を漁り出した。
彼女が取り出したのは、買って貰ったばかりのリボンだ。彼女はそれを使って、髪を束ねようとしたが、結んだそれは緩く解ける。落ちた毛束を見て、もう一度結び直そうとするが、結果は同じだ。
「あ、あれ? 上手く結べない……」
「……ちょっと貸してみろ」
そう言ったのは、片付けを終え、様子を見守っていたルイス。彼は填めていた黒いグローブを外すと、リオンの手からリボンを取り上げ、立ち上がった。ベンチ越しに彼女の背後に移動すれば、リボンを口に咥え、彼女の長い髪を手で梳き始める。
時折、彼の長い指が彼女の首を掠めれば、リオンは頬を薄ら染めて、緊張した様子で両手を膝の上に置く。ヒラヒラと薄紅色の花びらが舞う中、無言の時が過ぎていく。シュルシュルとサテン生地の擦れる音を最後に、彼は言った。
「ほら、できたぞ」
「ありがとう」
その声に彼女が自身の頭部に手をやれば、高い位置で結ばれたリボンに触れる。その感触に微笑みながら、彼女は振り返りながら問いかけた。
「似合う、かな?」
「いいんじゃないか? 少し気恥ずかしいものはあるが……」
明確な肯定こそないものの、頬を染め、照れくさそうに視線を逸らす彼に、リオンは嬉しそうに微笑んだ。
そんな穏やかな空気が流れていたときだった。二人の背後から男の悲鳴と怒声が響く。それらの声に、公園の人々が一斉に振り返る。その視線の先では、一人の男が複数の男に囲まれ、私刑を加えられているところだった。
身体を丸め、襲いくる暴力に耐える男を見たリオンは、ルイスの袖を引く。
「ねぇ、ルイス」
「……派手な行動は控えたいところだが、そうも言ってられないか」
一つ息をつくと、彼は彼女を真顔で見つめて言った。
「お前はここを動くなよ。何かあったらとにかく呼べ。いいな?」
「わかった」
そんな約束を交わし、彼は渦中へと足を踏み入れるべく駆け出す。ならず者の風体をした男が振りかざした腕を、駆けつけたルイスが難なく掴む。それに驚き振り返る男に対し、ルイスは言った。
「やめろ」
「なんだてめぇ! 余所者は引っ込んで……いででで!」
「オレは頼んでるんじゃない。やめろと言ったんだが? このまま骨をへし折っても構わないんだが、どうする?」
男の腕を捻り上げる手に力を込められれば、掴まれた男の顔が苦悶で歪む。
「てめぇ、その手を放……がっ!?」
背後から殴りかかろうとした別の男の顔面を、ルイスの手の甲が叩く。それに呻き、男が鼻血を垂らしながら睨む。動じた様子もなく、それを冷めた目で見つめて彼は言った。
「まだやるか? やるなら次からは手加減はしない」
殺気にも似た光を宿す翠緑色の瞳に、男たちの顔から血の気が失せる。彼の威圧に耐え兼ねたのか、男たちは不承不承ながら同意し、解放されれば捨て台詞を共に去っていった。
それを見て、リオンが二人の元に駆け寄る中、ルイスは縮こまっていた男に手を差し出した。
「立てるか?」
「すまない。助かったよ」
「いや、礼なら彼女に。オレは彼女に頼まれたに過ぎない」
背後を振り返りながら告げられた彼の言葉に、男の小豆色の目が、駆け寄ってきたリオンへと向けられる。彼女を見た男は砂色の頭を下げて言った。
「貴女の優しさに感謝を」
「いいえ、お体の方は大丈夫ですか?」
「ええ……っ」
大丈夫だと告げた直後、腹部を押さえた彼の顔が歪む。それを見て彼女はルイスをじっと見つめる。眉尻を下げた彼女の顔を見て、ルイスは肩を小さく竦めると、男に向かって言った。
「たいしたことはできないが、手当てをさせてほしい。どこか落ち着ける場所はないか?」
「ですが……」
「そうしないと彼女がテコでも動かなそうでな。オレを助けると思って、大人しく受けてもらえると助かる」
ルイスとリオンを交互に見た男は微苦笑を浮かべ言った。
「そういうことでしたら、私の家はいかがでしょう?」
「素性もわからないオレたちが行っていいのか?」
「見ず知らずの私を助けてくれた恩人ですから」
口の端に血を滲ませつつも、微笑んで見せた男に、ルイスは瞠目したあと、破顔して言った。
「では、そのご厚意に甘えさせてもらう。オレはルークス=フォルティス、彼女はルーナ=ウィリディスだ。よろしく」
「私はカーティス=テイラーだ」
ルイスが再度差し出した右手を握り返しながら、男――カーティスは二人を自身の家へと誘ったのだった。




