43.前門の虎
※ 残酷表現等がございますのでご注意ください。
※ 文章の終わりにイメージイラストがあります。
それはリオンたちが刺客の襲撃を受ける前、およそ四半刻前のこと。
「雨、長引きそうですね……」
そうポツリと零したのは、リオンの部屋を後にしたエマ。彼女の言葉に『そうだな』と返したのはルイスだ。
二人が居るのは、若芽色の壁に、白を基調としたカントリー調の家具が並ぶ部屋。シンプルながらも温かみのあるそこは、エマにあてがわれた居住区画にある彼女の部屋だ。ソファーに腰かけた彼女がティーポットを傾ければ、爽やかな柑橘の香りが辺りを漂う。
そんな中、ルイスは腕を組み、物憂げな表情で窓辺に立っていた。彼がじっと見つめているのは、降りしきる雨で、ぼやけて見える別棟の最奥だ。
ソーサーと共にカップを差し出されれば、彼は生返事をしながら受け取る。そうして、何気なくカップを傾けた彼が『熱っ』と驚き呟けば、エマは微苦笑を浮かべて言った。
「ルイス様って、リック様にも過保護なとこあったんですね」
彼女の言葉に、ルイスは振り返り首を傾げる。『どういう意味だ?』と言わんばかりに訝る彼に、エマは続けて口を開いた。
「普段は二人とも、お互い信頼して任せてる感じでしょう? だから、リック様を心配して近くに待機なんて珍しいな、と」
「今回は事が事な上、アイツと来たら、自分がやると言って聞かなかったからな。オレはオレのできることする他ないだろ。それに……」
「それに?」
反芻するエマに対し、彼は窓の外へと視線を戻して言った。
「嫌な予感がするんだ」
「それって……」
そこへ雨音に混じり、微かにパリンと硝子の割れる音が響く。その瞬間、部屋の中にピリッとした緊張が走る。
「今の、リオンの部屋の方から聞こえませんでした?」
「ああ。僅かに殺気も感じるし、侵入者で間違いない。くそっ、何だってこんなときに……!」
ルイスは毒づきながら、手近なサイドテーブルにカップをやや乱雑に置く。僅かに跳ねたお茶がクロスに染みを作るが、それに構うことなく、彼はエマを振り返り言った。
「エマ、部屋を出たら、巡回の騎士に伝言頼む」
「なんて?」
「侵入者あり。クリフェード隊は月巫女さまの守護に回る。オルコット隊は南側の窓の下を包囲、スミス隊は避難誘導後、廊下の守りを固め待機してくれ、と」
早口で伝言を頼みながら、彼は扉へと足早に進む。そんな彼を追うように、エマもまた小走り気味に移動する。
「わかりました。グレン様には?」
「誰か伝令に走るとは思うが、難しそうなときは頼む」
彼女がしっかり頷くのを確認すると、彼は一つ頷いて扉を開いた。
ルイスが外に出れば、そこには不安げな様子の巫女たちの姿。彼女たちは一様に同じ方向を見つめ、ざわついていた。
そこに騎士であるルイスが登場したことで、たくさんの視線が彼に集まる。その一方で、エマは隙間をぬって駆けていく。その姿を目の端で捉えつつ、彼は巫女たちに言った。
「賊が侵入した恐れがあります。すぐ巡回の騎士が参りますが、今は落ち着いて速やかに神殿へ避難を」
彼の言葉に、辺りはシンと静まり返る。だが、それはほんの一瞬のことだった。彼女たちは悲鳴を上げ、エマを追いかけるように、我先と駆け出す。そして、その波を掻い潜るように、彼もまた走り出した。
十字路に差し掛かれば、巫女たちは神殿に向かうべく右へと曲がっていく。それに対し、ルイスが向かったのは正面――ざわつく神官たちがいる居住区画だ。そこでも彼は、同じ文言を繰り返し駆け抜ける。
途中で巡回していた数名の騎士に行き会えば、ルイスはエマに伝えた内容と同じ指示を出す。そうして巡回の騎士も含め、周囲の人気がなくなると、最奥にある部屋の前に彼は移動した。
周囲の人の有無を視覚的に確認した上で、彼は扉を三回ノックする。それに対し、同じく三回ノックが返ってくると、彼は小さめの声で言った。
「リック聞こえてたな? お前は隠し通路でリオンの部屋に向かってくれ。出るときは諸々バレるなよ」
「りょーかい。モノを隠したらすぐ行くよ」
扉の向こうから返ってきた返事に、ルイスはもう一度だけノックを返すと、来た道を駆け出す。そして、十字路を右に曲がれば、彼は通い慣れた石廊を、足音と気配を殺し走った。
見慣れた部屋の前まで来た彼は、剣の柄に手を置き、ドア越しに中の気配を注意深く探る。そうして、ルイスが中へと意識を向けたそのときだった。
「ルイス、助けて……」
彼の耳朶を微かに掠めたのは、震えを帯びた助けを求める声。それに瞠目した彼は、なりふり構わずドアを開け、剣を抜きながら部屋に踏み込んだ。
「リオン!」
彼の怒声に、その場の視線が一斉にルイスへと集まる。紺色の頭巾を被った者に紛れ、瑠璃色の瞳と視線が交錯する。
「ルイスっ……!」
彼の名を呼ぶと同時に、耐えきれなくなった涙が、リオンの目からこぼれ落ちる。それを合図に、彼女を取り囲んでいた男たちが、一斉にルイスへ斬りかかる。しかし、彼はそれら全ての攻撃を受け流し、躱していく。そうして、隙をついた彼は、リオンと力なく倒れているグレッグの前に体を滑り込ませた。
ホッとした様子で表情を緩める彼女に、ルイスは侵入者たちを見据えたまま問いかけた。
「グレッグに何があった?」
「私を庇って毒を……」
彼女の返答に、ルイスは眉根を寄せる。そんな彼の翠緑色の瞳に映るのは、敵が身につけている鉢金に刻まれた文様だ。
「ヴォラスの毒、か」
苦々しげに目を細めると、彼は振り返らずに言った。
「ここはオレに任せて、リオンはグレッグとあの場所に隠れてろ」
「わかった!」
彼女の返事を聞くが早いか、彼は一足飛びで敵の懐へと飛び込み、剣を横薙ぎする。だが、大振りのそれを敵はバックステップで易々と回避し、仕留めるには至らない。
しかし、それこそが、彼の仕向けた誘導だった。
相手がそれに気付いたのは、ルイスがカーテンの留め具を断ち切ったあとのことだ。間仕切り壁の間にベルベットのカーテンが降り、リオンとグレッグの姿が隠れる。それにより、無謀な突進の意図を察した敵方から、悪態をつく声が漏れる。
中でもやや小柄な男が、一際苛立たしげに吠えた。
「なめた真似しやがって! 五対一で勝ち目があると思ってんのか!?」
「問題ない」
「ほざくな!」
剣を水平に構えるルイスの淡々とした言葉に、彼は激情と共に懐から取り出した武器を投擲するや、短刀を構え突進する。真っ直ぐ飛来したそれを叩き落とせば、柄のない短刀――匕首が床に転がる。そこへ続けて、短刀による攻撃がルイスを襲う。
一撃目は難なく防ぎ切り結ぶものの、もう一本の刃が反対側から襲いかかる。それをバックステップで回避すれば、彼は敵と一度距離を置いた。
呼吸と体勢を整える彼に対し、襲いかかった男は舌なめずりをして下卑た笑みを浮かべる。彼の後ろにいる残り四人に至っては、ルイスを殺すのにかかる時間について賭けまで始めていた。
床に転がる匕首の、紫の刀身を目の端に捉えながら、ルイスは落ち着いた様子で呟いた。
「暗器使いか。なるほど、厄介だな。だが……」
そう言いながら、彼は手にしていた剣を鞘に収める。敵を前に自殺行為と思われるその行動に、対峙した男は鼻で笑う。
「はっ。気でも触れたか!」
ルイスは油断なく構えはしているものの、手はマント内に回され、剣を手にする気配はない。それを好機と捉えたヴォラスの刺客は、両手で握った短刀を構え、駆け出した。――否、駆け出そうとして、その動きを止めた。
「な……。体が痺れて動かな……」
驚愕に彩られる目が捉えたのは、両足と両腕に刺さった鈍く光るやや太めの針。鉄でできたそれは、いわゆる棒手裏剣だった。
身動きが取れない男に、素早く近付いたルイスは、右の肘鉄で容赦なく相手の首を突く。声帯を潰された男が呼吸困難に呻く中、ルイスは体を勢いよく捻る。そうして、遠心力を利用し、いつの間にか左手に持った鍔のないダガーを、相手の脇下へ深々と突き刺した。
ルイスが後ろに退きながらダガーを引き抜けば、赤をまき散らしながら男は仰向けに倒れ込む。周囲に飛び散ったそれは、家具や絨毯、ルイスの体のあちこちに、赤い花を咲かせる。
そうして、様々なものを赤黒く染めた男は、小刻みに体を震わせると、間もなく事切れた。肉塊へと姿を変えたそれを、ルイスは剣呑な光を浮かべて一瞥したのち、手の甲で頬についた血を乱暴に拭う。
それは予想だにしない事態だったのだろう。残り四人の刺客たちが狼狽え、慌てて武器を各々構える。そんな彼らに対し、ルイスは無表情でダガーについた血を一振りで払い、水平に構えて言った。
「何を驚いてるんだ? 暗器も毒も、別にお前たちの専売特許じゃないだろう」
「くそっ!相手は一人だかかれ!」
リーダーと思しき男の号令に、残り三人が一斉にルイスへと襲いかかる。細身の男は両手に握りしめた短刀を振りかざし、小柄な男はチャクラムを挟み打つように放つ。それらに対しルイスは、腰からもう一本ダガーを引き抜いて応戦した。
剣撃をダガーで受けては流し、飛来したチャクラムを避け飛び退けば、相手も同様に一歩引く。そうして距離を取ったとき、ルイスの視界をキラリと光る線状のものが横切る。それを見た彼は、ハッとした様子で咄嗟に、首とその線の間に二本のダガーを差し込んだ。その一瞬後、鋼線が彼の首に巻き付き、締め上げる。
抵抗するルイスの背後には、彼に背を向けて立つ巨漢の男の姿。彼は背負い投げでもするかのように、両手に巻き付けた鋼線を引く。鉄製の手甲越しに引っ張られたそれは、じりじりとルイスの絞め、軍服越しに彼の首へと食い込んでいく。
首の後ろがじわりと赤く滲み、ルイスのダガーが徐々に彼の首へと近付いて行く。顔を顰めながら耐える彼に、残り二人の凶刃が襲いかかる。それに対し、彼は背後の敵に体当たりしながら、バックステップで飛び退いた。
そこへ飛来したチャクラムが鳶色の髪の一部を切り落とし、振り切られた短剣は彼の軍服を掠めていく。直後、苦悶の呻き声が上がれば、刺客たちの顔が喜色ばむ。
だが、それはルイスから発せられたものではなかった。そのことに彼らが気付いたのは、ルイスの背後に力なく落ちた手甲を目にした時だ。鋼線を巻いたその手は力なく開かれ、ピクリとも動かない。
それに動揺した二人が、折り重なった彼らをよくよく見やる。ルイスの首元にあったダガーの片方がなくなっていることに気付けば、下ろされた右手へと彼らの視線が移動する。そこには顔を覗かせているダガーの柄と、絨毯と翠緑色のマントへじわりと広がる赤。それらを認めれば、二人は一瞬目を見開いた後、怒りを露わに毒づいた。
「やってくれるじゃん、お前」
「ふざけやがって……! だが、もう避けきれないだろう!」
そう叫ぶや、短刀を振りかざした男が、鋼線に捉えられたままのルイスへと突進していく。それに対しルイスは、残ったダガーで一撃目を何とか受け止めた。しかし、切り結んでいる横から、もう一本の短刀が彼の首を狙い襲いかかる。
その瞬間、その場にいた誰もが、彼の死を予期した。だが突如、刺客の右手から短刀が弾かれるように飛んで行き、音を立てて落ちる。それに全員が目を見開いた。
「な、んで……」
体を震わせる男の右前腕には、深々と突き刺さる匕首。僅かに顔色を失い、だらりと右腕を下ろした男の目の前に、揺れる金糸と鋭く細められた碧眼が滑り込む。冷たい光を宿す瞳とは裏腹に、口元に笑みを浮かべた彼――リックは言った。
「実はもう一人居たんだよ、ねっ!」
そう言って、相手の胸を横薙ぎに一閃すると、彼は体をそのまま半回転させて、相手の腹部を力の限り蹴り飛ばす。蹴られた男は為す術なく飛ばされ、背後でチャクラムを放とうと構えていた小柄な男へと向かって行く。
飛ばされてくる仲間に気付き、彼は慌ててチャクラムの回転を止めようとした。だが、それは間に合わず、遠心力のついた斬撃は、為す術もなく仲間の体へと食い込む。そして、痛みに悲鳴をあげる仲間の下敷きになりながら、彼もまた床へと倒れ込んだのだった。
生じた一瞬の隙に、絡みつく鋼線から抜け出せば、ルイスは揺れる碧いマントを見上げて言った。
「助かった」
「全く、油断大敵だよ。らしくないミスしないでよね」
「悪い。グレッグが毒を受けたと聞いて事を急いた」
巨漢の男の体から抜けなかったダガーを諦め、残ったもう一本を右手に構え、ルイスはリックの隣に並び立つ。そんな彼の言葉を受けて、リックは起き上がろうとしている小柄な男と、リーダー格の男を見据えながら、静かに言った。
「なるほど。じゃあ、手早く済ませないとだねっ!」
そう言うが早いか、彼は地を蹴り、小柄な刺客へと肉薄する。動かない仲間の下から這い出た男の体を、脇の下から斜め上へ、彼の剣が切り裂く。迸る血飛沫で、リックの髪や軍服が赤く染まる。
そんな彼を目がけ、唯一残された男が、チャクラムを二つ同時に放つ。だが、それは容易にいなされ、さらには一瞬の隙をついて、ルイスが相手の懐に入り肉薄する。慌てて短刀を構えようとした男だったが、その前にルイスの肘鉄が彼の鳩尾に深々とのめり込む。
体をくの字に折り曲げて苦悶の声を上げる男の腕を掴み、ルイスは彼の背後に回る。そうして、そのまま相手を地に伏せさせると、両手を後ろ手で拘束し、膝で押さえつけた。
そこへ血塗れのリックもやってくると、男は悔しげに顔を歪めて言った。
「くそっ、これまでか……」
「洗いざらい吐いてもらうぞ」
「誰がお前らなんぞに……! 忌々しい神など呪われてしまえ! 我が魂は魔神さまのために!」
狂ったように叫んでいた男が突然口をきつく結べば、やや遅れて二人の騎士が瞠目する。リックは慌ててしゃがみ込み、男の口を開こうと手をかけた。その一方で、男の拘束を強めたルイスの怒声が飛ぶ。
「口を開けろ!」
「……ダメだ、もう死んでる」
泡を吹き、瞳孔が開ききった男を前に、リックは力なく首を左右に振る。それにルイスは、小さく悪態付いたのだった。
刺客全員の死を確認した後、リックはルイスを振り返り問いかけた。
「このあとは?」
「スミス隊と合流して残党確認と言いたいが、リオンを頼めるか? グレッグとリオンを連れて、万が一残党にぶつかるとさすがに厳しい」
「……だね。アイザックさんに伝えてくるよ。っと、これ、渡しとく」
短いやりとりの後、駆け出そうとしたリックは一度立ち止まり、ルイスへあるものを投げた。ルイスが危なげなく掴めば、リックは今度こそ廊下へと駆け出していった。
部屋に一人残されたルイスは、渡された銀色のそれ――隠し通路の鍵を手にカーテンの奥へと向かう。ベッドサイドに飾られた額縁をずらし、現れた鍵穴にそれを差し込み回せば、すぐ横で隠し扉が微かな音を立てて内側へと開く。
扉をさらに押し開けば、床に置かれたランプが照らし出したのは、グレッグに膝枕をしているリオンの姿。不安げに見上げた彼女は、ルイスの姿を見るや否や、泣きそうな顔で肩の力を抜いた。その傍にしゃがみ込むと、彼は彼女の頬に手を伸ばして問いかけた。
「無事だな?」
「ルイスこそ。怪我、してない……?」
「大丈夫だ。悪いな、こんな格好で……」
頬に触れる寸前でその手を止めたルイスに、彼女は首を左右に振る。そして、赤く染まった彼の手を両手で握り、彼女は言った。
「ルイスが無事でよかった」
そう言って、泣き出しそうな顔で微笑むリオンに対し、ルイスの顔にも微笑みが浮かぶ。
だが、それもつかの間。彼はすぐさま、荒い息を繰り返すグレッグを見やり、その頬を叩きながら言った。
「グレッグ! おいグレッグ、返事をしろ!」
何度かの平手打ちに、グレッグの瞼が震え、微かに紫紺の瞳が顔を覗かせる。やや彷徨った紫玉が、ルイスの姿を捉えれば、彼は途切れがちに口を開いた。
「たい、ちょ……? なんで……」
「話はあとだ。少し揺れるが耐えろよ?」
そう言うや否や、彼はグレッグの背中から肩と膝裏に手を回し、抱きかかえた。所謂お姫様抱っこをされたグレッグは、力が入らないのか、ルイスの腕に頭を寄りかからせて言った。
「どうして僕なんか、助けるんですか……?」
泣き出しそうな顔でそう問いかける彼に、ルイスは微かに瞠目する。だが、隠し通路の扉をくぐりながら、彼は真顔で言った。
「仲間を助けるのに理由がいるのか?」
その言葉に、グレッグの目が微かに見開かれる。隠し通路の扉を閉め、追いかけてきて不安げに覗き込むリオンの顔を見れば、彼は薄ら涙を滲ませた。
「ぼく、は……」
「グレッグ!」
言葉を途切れさせ、がっくりと頭を垂れた彼の名を、リオンは焦燥感を滲ませて呼ぶ。そんな彼女に、ルイスは冷静に告げた。
「気を失っただけだ。オレはこれからパチル様のところに走るが、お前はリックとま……」
「私も一緒に行く!」
食い気味に告げられた言葉に、彼は面食らったように目を瞬かせる。しかし、彼女の揺るぎない意志をその目に見ると、ルイスは小さく息をついて言った。
「へばったらリックと一緒に置いていくからな?」
彼の言葉に、彼女は真顔でしっかりと頷き返す。そうして、二人はグレッグを助けるため、部屋の外へと駆け出したのだった。




