21.祝祭前夜
※ 文章の終わりにイメージイラストがあります。
「ねぇ、エマ……。明日の朝には、ルイス来るよね?」
ほぼ正円の月が南東の空へかかろうかという頃合いにそう問いかけたのは、ベッドで枕を抱き抱えている白衣姿のリオン。そんな彼女の言葉に、リオンの隣で同じように白衣姿で二枚の緋袴を畳んでいたエマがその手を止めた。そして、微かに呆れた様子で振り返り言った。
「当たり前じゃない。ルイス様はリオンの護衛騎士なんだから」
「それはそうなんだけど。あれから全然会えないまま夜になっちゃったし……」
「潔斎に時間かかってるのよ、きっと。戦いもしたし、穢れにも触れてたし」
「そう、かな…。そうだといいな」
そう言って視線を落とすリオンをエマはそっと抱き締めると、ポンポンとその背を撫でて言った。
「大丈夫よ。規則が軍服来て歩いてるようなものってリック様が評するほど真面目な人が、自分の責務をそう簡単に放棄なんてしないわ」
「うん……」
「今日は色々あったし、疲れてるから良くない方へ考えちゃうのよ、きっと。そんなときはさっさと寝ちゃうのが一番」
「で、でも、もうちょっとだけ……」
「ダーメ。明日早いし、長丁場になるのはわかってるんだから、もう寝なさい」
「はぁい……」
エマの言葉に渋々といった様子でリオンは返事をすると、もぞもぞとベッドに潜り込んだ。そして、エマのすぐ隣に横になると、彼女の白衣の袖をギュッと掴んで言った。
「……エマ、私が寝ても自分の部屋に戻ったりしないよね?」
「今夜は一緒に寝るって約束したんだから戻らないわよ。まぁ、戻って平気なら今からでも戻るけど?」
そう言って悪戯っぽく笑うエマに、リオンは慌ててぶんぶんと顔を左右に振った。そんなリオンにエマは苦笑して言った。
「冗談よ。まだ一日も経ってないし、それに……」
「それに……?」
「ううん、何でもないわ。ところで、リオン。このままだと私、仕事ができないのだけど……」
「あ……ごめん。つい……」
そう言ってパッとエマの袖を放したリオンだったが、握り合わせた両手は小刻みに震えており、それを見たエマは訝しげな顔で彼女の名を呼んだ。
「リオン?」
「あ、いや、これはその……。えへへ……」
「……リオン?」
誤魔化し笑いを浮かべるリオンをじとっと見つめながら、エマが再度名前を呼べば、リオンは少し視線を彷徨わせながら小さく呟いた。
「そ、その……今になって怖くなってきたというか……。変だよね、昼間はルイスやリックの方が心配で怖かったのに、今更あの男の人たちを怖いって思うなんて……」
「……確かにそうね。ちょっと順番が逆かも」
「うう……。ごめん」
「別に、怖いって思って当たり前の事だったし、リオンが謝ることは何もないわよ」
「エマ……」
「私も今日はもう寝ることにするから、ほんの少しだけ待ってて」
そう断ると、エマは立ち上がり、畳みかけの緋袴をそのまま足下のオットマンに置いた。そうして、ベッドサイドにあるランプの火を絞ると、リオンの隣に潜り込み、彼女の手を両手で包み込むようにして言った。
「こうしてたら少しは安心できるかしら?」
「うん……。ありがとう、エマ」
「別にいいわよ。私だって怖くなかったわけじゃないから、お互い様だし」
「そっか……」
「そうよ。ほら。眠れるかはともかく、明日は忙しいんだから、寝る努力はしましょ」
そうして、二人はそれぞれ不安な気持ちを胸に抱きつつも、眠りについたのだった。
ちょうど二人が何だかんだと眠りについた頃、ルイスは一人、白衣に白袴姿で腕を伸ばしたり首をならしながら、居住区画の廊下を歩いていた。
「……全く、返り血の一つや二つでやることがこんなに増えるとは思わなかったな……」
そんなことをぼやきつつ、彼は懐から小さな羊皮紙を取り出した。そして、その羊皮紙に描かれた簡略地図を頼りに、彼は歩き慣れた廊下とは逆の方へと曲がって行く。何度か廊下を曲がること数回。突き当たりを曲がってすぐにあった部屋、そこがルイスの目的地だった。
そこに辿り着くと、彼はドアノブを掴もうとしたが、その寸前、廊下の奥にある人影に気付くと、反射的に腰の模造剣へと手を伸ばした。が、ランプが照らし出した相手の金髪と碧眼に気付くと、目を大きく見開いた。
そんなルイスに相手は右手を挙げると、軽い調子で言った。
「お疲れ。足音が近付いてきたときは一瞬身構えたけど、やっぱりお前だったんだね」
そう言って微苦笑を浮かべたのは、ルイスに代わってリオンを護衛しているはずのリックだった。そんな彼の声と言葉に、ルイスは彼の隣へと移動して並び立つと小さく息をつきながら言った。
「気配消して立つなよ。侵入者かと思っただろ」
「それはお互い様でしょ。というか、索敵はお前の方が得意な訳だし、何よりリオンの部屋の前なんだから、むしろお前こそ察してくれてもいいと思うんだけど?」
「うっ……。それはまぁ、そう、なんだが……。その……」
「うん?」
珍しく歯切れの悪いルイスに、リックはキョトンとした様子で首を傾げた。そうして、無言で先を促す碧眼に、ルイスは顔半分を手で隠し俯きながら言った。
「……実はリオンが移動した部屋の場所、まだ聞いてなかったんだ」
「は……? え、お前、ここにリオンが移ったの知らないで来たわけ?」
「……今日オレの寝る場所として用意されたのが、そこで」
「完全に寝に来たつもりだった、と……。お前大丈夫?」
「……正直、今の今までそんな大事なことにも気付かなかった自分に今ものすごく驚いてる」
そう言って肩を落とすルイスに、リックは苦笑しながらその肩を叩こうとした。が、寸でのところで止めると、行き場を失ったその手で頭を掻きながら言った。
「ま、そういうときもあるでしょ。今日はいろいろあったし……」
「……そう、だな。お前はその頬の怪我大丈夫なのか?」
「ん? ああ、これ? 平気平気。毒も塗ってなかったみたいだし、ただのかすり傷だよ」
「ならいいんだが……。リオンは……その、あのあとどうだった?」
「今はだいぶ落ち着いたよ。少し前にエマと一緒に眠ったみたい」
「そうか……。ならよかった」
リックの返事にルイスはホッとしたように微笑んだ。そんな彼に、リックは苦笑しながら続けた。
「まぁ、お前がなかなか戻ってこないのと、昼間の件でお前を傷つけたって、すごく気にしてはいたけどね」
「え……?」
「傷つけたことを謝りたいって言ってた。あ、ちなみに、あのときリオンが怖かったのは、オレ達自身でもなければ、敵でもなくて、オレたちが死ぬかもしれないことだったみたいだよ」
「は……? え? いやいや、ちょっと待て。下手をすればリオン自身が殺されてたかもしれないあの状況で? いくらなんでもそれはないだろ」
手を振って否定するルイスに、リックは困ったように笑いながら言った。
「いやー……オレも聞いたときはまさかって思ったんだけどね。エマに無理言って一緒に寝てもらうくらいに怖かったのは確かなはずなんだ。けど、少なくても襲われてからオレと話をするまで、リオン自身が一番怖いと感じてたのはそれだったみたいだよ」
「…………まさか、本当に……?」
「ホントホント。オレ、クッション投げつけられて怒られたし、しまいには泣かれたし」
「……なんか、いろいろと気になる話だな、それ。でもそれじゃ、あのときの行動の説明がつかないだろ」
そう言って、ふいっと視線を逸らして自分の掌を見つめたルイスの脳裏に、その手を見て怯えたように肩を跳ねさせていたリオンの顔が浮かぶ。そんなルイスにリックは続けて言った。
「お前の手を握ったら、お前が痛いんじゃないかって思ったんだって」
リックの言葉を飲み込むのにルイスはたっぷり十秒ほどかけると、眉を寄せて首を傾げた。
「えーと……? オレはかすり傷一つないのに何がどうしてそうなった?」
「ほら、お前って、実戦になると剣の他にも足とか手とか出るじゃん? それで気絶したり悶絶してる敵を見て、攻撃された側があれだけ痛がるなら、攻撃したお前も痛かったんじゃないかって思ったらしいよ。痛みを想像したら途中から戦いも直視できなくなっちゃったみたいだけど」
「けど、オレを見て……いや、頬にいつの間にかついてた返り血か。それにお前を見ても硬直して……って、まさか……」
ハッとしたように顔をあげたルイスに、リックは一つ頷きながら言った。
「そう、そのまさか。戦いを直視できなかったから、オレたちが基本怪我らしい怪我してないこと知らなくて、血だらけのオレとお前の返り血がオレ達自身の血だと勘違いしたんだって」
「嘘だろ……」
「まぁ、そう思いたくなるのもわかるよ。あんなことあったあとでも冷静なエマもだけど、リオンのように考える人の方がよっぽど珍しいしね。だけど、事実だから、それは受け止めておきなよ」
「……受け止めておけと言われても……。そうだとしたら、オレの勘違いでむしろリオンを傷つけたってことだよな?」
「そこはオレも同罪だから否定はしない」
そう言って遠い目をしたリックに、ルイスは額に手を当てると長嘆息をついた。そんなルイスにリックは星を見上げながら静かに言った。
「とはいえ、リオンが言霊を忌避してはっきり言葉にできなかったことで、勘違いとは言え、お前に突き刺さったのも事実でしょ。だからさ、お互い様ってことでお互い謝ってそれで仲直りすればいいんじゃない?」
「……お前、最近、なんかすごく大人びたことを言うよな……」
「……お前は人が慰めて、アドバイスまでしてやってるのに、そういうこと言うわけ?」
「いや、褒めたつもりなんだけど……」
じと目で睨み付けるリックに、ルイスは困ったように頬を掻いていった。
「言っとくけど、それ全く褒め言葉に聞こえないからね!? とりあえず、明日は朝一でリオンと仲直りしなよ。お前がいない間のリオンは痛々しくて、あんなのオレはあまり見たくない」
「ああ、わかってるよ。ありがとな」
「最初からそう素直に言えばいいのに。一言先に余計なんだよ、ルイスは」
そう呆れ顔でリックが言えば、顔を見合わせたルイスとリックは互いに笑い合ったのだった。そうして、ルイスは翌日に備えあてがわれた部屋へと向かい、そこにはリックだけが残され、祝祭前の夜は更けていった。
かのように思われたが、その夜はそれで終わったわけではなかった。月が中天を通り過ぎて南西の空に向かう頃、壁に寄りかかって目を瞑っていたリックは不意にその目を開けた。それと同時に、慌ただしく扉を開け放つ音が真夜中の廊下に響く。その音に身構えたリックが振り返った先に居たのは、少々襟元の乱れた白衣姿でリックを見上げるリオン。
「リオン、こんな時間にどうしたの? エマは?」
「ルイスは!?」
「え……?」
「ルイスはどこ!?」
「ルイスなら、そこの部屋で休んで……って、ちょっ……?!」
あまりの剣幕に、思わずリックが問われるままに指さし答えれば、リオンはリックの横をすり抜けて、ルイスがいる部屋へとノックもなしに駆け込んで姿を消した。そんな状況にリックは目を瞬かせ、唖然とした様子で呟いた。
「……一体、何事……?」
「たぶん、何か夢を見たんだと思うわ……」
リックの問いに答えたのは、白衣にブランケットを羽織って眠そうに目をこすりながら姿を見せたエマ。
「あ、エマも起きたんだ?」
「まぁ、魘されてたリオンを起こしたのは私だし。ただ、あの様子を見ると……」
「ルイス関連の、それもあまり良くない方の……」
「恐らくね」
そんなことを話ながら、二人はリオンが姿を消したルイスの部屋を無言で見つめたのだった。そんな中、リックがポツリと呟いた。
「月巫女が見た夢、か……。何事もないといいけど」
「そうね……。というか、あの子、ルイス様の部屋に駆け込んでから一向に出てこないけど、大丈夫かしら?」
「あー……。ルイスって、寝付きも寝起きもいいし、仮眠取るのも上手い方だけど、一度深く眠るとこっちが殺られる覚悟で叩き起こさないと起きないからなぁ……。オレたちも行ってみようか」
寝静まっている時間帯のため、リックとエマは極力足音を立てないようにルイスの部屋に近付くと、そーっとドアを開けて中へと忍び込んだ。そして二人は、ベッドの状況を見て唖然とした様子で目を瞬かせた。
「……ねぇ、エマ、この場合オレどうすべき? 二人に触れるのは拙いんだよね?」
「……そうね。リック様に運んでもらうわけにはいかないけど、私一人じゃ運べないし、もう一回起こしたいところ、だけど……。こうも安心しきった顔で寝てるのを見ると、さすがにちょっと躊躇われるわね……」
彼らの目の前には、ルイスの左手を握り締めて眠るリオンと、闖入者に気付いた様子もなくぐっすりと眠っているルイスの姿。
エマは申し訳なさそうにしつつ、毛布の上に横になってスヤスヤと眠るリオンに近付くと、その肩を揺さぶった。が、リオンは小さなうめき声を上げると、もぞもぞと毛布の中へと潜り込んでしまい、起きる気配は微塵もない。しかも、その間もルイスの手は必ず片方の手がしっかりと握りしめている有様。その一方で、リックは反対側に回り、ルイスの耳元に口を寄せて声をかけた。
「ルイス。ルイスってば。おーきーろ! ……駄目だな、これ。反撃覚悟の殺気込みで殴らない限り、朝まで起きないやつだ」
「こっちもダメね。元々半分寝ぼけて来たからか、完全に寝入ってるわ……」
困り果てたように息をつくエマに、リックは少々考え込んだあと、彼女を見て言った。
「とりあえず、ここはオレが部屋の中で警護しておくから、エマは戻って休んで来て大丈夫だよ」
「……いえ、私もこっちに残るわ。男性しかいない部屋にリオン一人置いていくわけにはいかないもの」
「あー……言われてみれば、確かに。オレだけ残ったんじゃいろいろ拙いか。けど、エマは寝なくて平気?」
リックが困ったように頭を掻きながら、エマに尋ねれば、彼女は苦笑しながら言った。
「さすがにちょっと辛いから、ソファーで少し横にならせてもらうわ」
「了解。一応、暖炉に火いれるけど、毛布とか隣から運んで来ようか?」
「私はこれあるから平気」
そう言ってエマがつまんで見せたのは、羽織っているブランケット。それを見るとリックは一つ頷いた。そうして、二人とも示し合わせたように、ベッドで眠る二人を見て、小さく息をついた。
「明日の朝はリオンかルイス様の声がいい目覚ましになりそうね」
「そうだね……。まぁ、騒ぎにならない程度に頑張ろうか……」
「そうね、騒ぎになってうっかり神官長様の耳にでも入ったりしたら、そのときは面倒どころじゃ済まなくなるし……。とりあえず、リック様、何かあったら起こしてくださいね?」
「了解。ゆっくり……とはいかないだろうけど、おやすみ、エマ」
「おやすみなさい」
そんな会話を交わして、エマもまたリックを残して再び夢の世界へと旅立っていき、今度こそ祝祭前の夜は静かに更けていったのだった。




