20.恐怖の対象
※ 文章の終わりにイメージイラストがあります。
軍靴と尻金の音がほの暗い通路に木霊する。明かりとなるのは壁に取り付けられたランプとグレンが持つ手持ちランプの二つだけ。そんな場所を下へ奥へと進んでいくのは、グレンだけではなくルイスの姿もあった。
先へと進む中、階段が終わり平坦な通路になると、グレンは呆れ顔で嘆息し、斜め後ろをちらりと振り返りながら言った。
「全く、明日の祝祭について意見したかと思えば……。決定に従う代わり、再度潔斎を受ける前に賊への尋問に立ち会わせてほしいなんて、お前は何を考えてるんだ?」
「警備の騎士や神殿内の神官や巫女たちを眠らせて奥まで辿り着くには、神殿内の構造を奥まで熟知していなければできません。明日、延期をせずに予定通り行うという決定が覆らないなら、その情報の出所を確認するのは必須かと」
「だとしても、隣で見守ってたオレの身にもなれ。だいたい、何もお前自身がする必要がある問題ではないだろう?」
「それを言うなら、尋問なんて団長自らすることではない気もしますが?」
質問に質問を返されたグレンは頭を小さく掻きながら息をついて言った。
「月巫女様に深く関わっているんだ。内容によっては、オレと護衛騎士のお前とリック以外の人間にやらせるわけにはいかない。お前達二人の手が離せない現状では、オレがやるべきことだ。それくらいわからないお前じゃないよな?」
それに対し、ルイスの返事は返らない。無言の肯定に対し、グレンは続けて言った。
「で、お前の理由、いや……本当の目的はなんだ?」
グレンに対し誤魔化しが効かないことを悟ったルイスは、しばし逡巡したあと、微かに目を伏せて言った。
「個人的に、主犯格と思われる男の声に聞き覚えがある気がするので、それを確認したいんです」
「個人的、か……。まぁいい。だが、お前はあくまでも立ち会うだけだからな? このあとすぐに潔斎を控えてるんだ。絶対に手は出すなよ?」
「わかってます」
ルイスがすまし顔で返せば、グレンは一抹の不安をその目に宿しつつも、それ以上は言及しなかったのだった。
そうして、無言で二人が進んで行けば、左右に分かれている通路の突き当たりにある鋼鉄の扉の前に辿り着いた。その扉には外側だというのにサムターンが付けられている他、鍵穴が三つ。それらをグレンが懐から取り出した鍵と合わせて解錠すれば、重々しい音を立てて開いたその扉の奥へと二人は入っていった。
小さなランプが照らし出したのは、二つの椅子。一つはどこにでもあるような木でできた背もたれつきの椅子。もう一つは石床に突き立つように固定されている鉄でできた肘掛け椅子。そちらにはすでに先客がおり、両手両足を鎖で椅子に縛り付けられて座る大柄な男の姿があった。
ボサボサの黒い前髪の合間からは、ギラギラと鋭く光る赤みがかった瞳が二人を見つめている。今でこそマスクは剥ぎ取られているが、ルイスが最後に倒した賊だった。彼はルイスの姿を認めると、悪意の籠もった薄笑いを浮かべて言った。
「よう、エセ神官、また会ったな。こんな牢屋の尋問部屋になんて来ていいのかよ?」
「そんなことはどうでもいい。一目見たときから気になっていた。お前、その左目から頬にかけての古傷誰につけられたものだ?」
「けっ。誰が話すかよ……――っ!?」
唾を吐き捨てて拒絶した男だったが、射殺さんばかりに鋭く細められた翠緑色の瞳が放った殺気に、彼の全身からぶわっと汗が噴き出す。仄暗く冷たい光を放つルイスの目を見ると、男は顔色を失いながら、怯えたように言った。
「その瞳……。お、お前、まさかあのときの……?!」
「やっぱりお前だったか。随分探したぞ、モール。緋月のあの夜以来だから、十五年ぶりか?」
異様なほどに怯え震える男……モールに対し、ルイスは剣呑さを増していく目とは裏腹に、口角を持ち上げて笑いかけた。その笑みを見たモールはぶるりと大きく震え上がり、喚くように声を上げた。
「な、なんでこの傷の張本人がここにいるんだっ!!」
「お前を探し出すために騎士団に入ったからさ」
「な、何のために……」
「……何のために? 言わなきゃわからないのか?」
「お、おお、オレは殺すつもりなんてなかったんだっ! もう十五年も前の話なんだし、見逃してくれよっ! 命だけは……!」
「……そう言って救いを求めた人間を、お前は今まで何人殺してきたんだ?」
一層低くなった彼の声に、モールの震えは激しさを増し、それに伴いガチャガチャと鎖がひっきりなしに音を立てる。そして、その彼の言葉に比例して、ルイスの放つ殺気もまた鋭さと威圧感を増していった。そんな中、モールの唇が土気色になり、彼の股間から独特の刺激臭が漂い始めたところで、グレンは二人の間に割って入るように片手で制して言った。
「そこまでだ。時間もないのに肝心のことを聞く前に錯乱でもされたら意味がない。自制できないならお前はお前のすべきことに今すぐ戻れ」
静かなグレンの言葉にハッとした様子で我に返ったルイスの翠緑色の瞳に、ようやくいつもの暖かみのある光が戻る。そして、全身をガタガタと震わせ、恐怖に涙を流す男の姿を一瞥すると、ルイスは一度深呼吸をして言った。
「……申し訳ありません。こちらはお願いいたします」
ルイスは唇を噛みしめつつ頭を下げると、踵を返し扉の外へと向かった。彼が外から鋼鉄の扉を閉じてしまえば、グレンの声もモールの声も、鎖が揺れる音も一切聞こえない。しばし、その扉を睨むように見つめたあと、ルイスはそれを振り払うようにその場を後にした。
薄暗い廊下を抜け、階段を登ってドアを開けたルイスの目に差し込んだのは、少しだけ西に傾いた陽の光。その光に彼は眩しそうに目を細めながら呟いた。
「あの程度で感情的になるなんて、まだまだだな……。しかし、早朝から半日かけてやったあれを、これからもう一度一からか。全く面倒な……」
げんなりとした様子で大きく嘆息したルイスの脳裏をふっと過るものがあった。それはつい先刻向けられたリオンの顔。それに一瞬、ルイスは表情を陰らせたが、首を左右に振ると気持ちを切り替えるように顔を上げた。そして、騎士たちが慌ただしく駆け回る屯所の前を横目に通り過ぎながら、神殿へと急ぎ足で向かって行ったのだった。
***
一方その頃、リオンはと言えば、移った部屋の窓辺にある椅子の上で、クッションを抱え込んで蹲っていた。
「ねぇ、リオン。これ飲むと少し落ち着くわよ?」
そう言って、エマは甘い花の香りのするお茶を、コトリと小さな音を立ててリオンの前に置いた、が、リオンから返ってきたのは無言の拒絶。そんな彼女の様子にエマは小さく息をついて、移ってきたばかりの部屋を見た。
赤と金を基調としていた元の部屋に対して、青と銀を基調としている点を除いて、調度品などは大して変わらない光景がそこには広がっている。だが、前は日当たりのよい場所だったのに対し、そこは少々日当たりが悪いのか部屋の中は少し薄暗かった。
エマはそんな部屋を一通りぐるりと見回し、再びリオンへと視線を向けたが、彼女が顔を上げる気配はない。そんな主の様子に、エマはしばし考え込むと徐に扉へと真っ直ぐ向かい、扉の外へと姿を消した。
「ん? エマ、何かあった?」
急に部屋から出たエマに、横から声をかけたのはキョトンと目を瞬かせたリック。彼のその頬には白いガーゼが貼り付けられている。しかし、それを除けば、つい少し前まで全身の至る所を紅く染めていたのが嘘かのように、彼が纏う軍服も雰囲気もいつもと何ら変わりない。そんな彼に、エマは小声で言った。
「リック様、少しでいいの。リオンと話をしてもらえない?」
「オレは構わないけど、リオンの方は平気? 着替えはしたけど、オレ、ルイスよりも遙かに酷い格好だった自覚はあるんだけど……」
「平気かどうかで言われたら何とも言えないけど……。でも、何もせずこのままにしておけないわ」
「……わかった。リオンが怖がるようならオレは席を外すけど、それでもいい?」
「ええ。ありがとう、リック様」
頭を掻きつつも了承したリックの様子に、エマは小さく安堵の息をついた。そして、今し方出てきたばかりの扉を開いて中へ体を滑り込ませると、リックへと道を開けたのだった。
パタンと扉を閉める音が響くものの、それでも蹲ったままリオンは微動だにしない。そんな彼女の様子に、リックは窺うようにエマを振り返った。
「ここに移ってからずっとこの状態なのよ」
「……そうだったんだ……」
リックの声にリオンの肩が微かにピクリと震える。しかし、それでもクッションに埋めている顔を上げないリオンの様子に、リックは微かに眉を寄せると、一歩だけ彼女へ近付いて言った。
「リオン、オレ今そっちに行っても平気?」
そんな彼の言葉に、リオンの顔がようやく持ち上げられる。そして、ゆるりと顔を上げたリオンは、泣きはらした目で睨むように彼を見つめて言った。
「なんでそんなこと聞くの?」
「なんでって……、そりゃ、さっきあんなことがあったばかりだし。元の部屋が使えなくなるほど暴れたのはオレだから、さすがに怖いかなって、うわっ!」
困ったように笑いながら言うリックだったが、突然、その顔面ににぼふっと柔らかい物が勢いよくぶつけられ、反射的に彼は手を翳した。そんな彼の足下に音もなく落ちたのは、リオンが抱えていたはずのクッション。それを見たリックは、まともにぶつかった鼻をさすりながらそろりと視線を上げた。その先には、投げたままの姿勢で涙を浮かべ、怒りを露わに立ち尽くしているリオンの姿。
「えっと、リオン……?」
「そりゃ、怖かったよ! あんなの初めてだったし、二人ともいつもと全然違う顔してるし、知らない人みたいだったし! けど、そんなことよりも何より私が一番怖かったのは二人がし……っ!」
堰を切ったように、声を荒げてしゃべり出したリオンだったが、ハッとした様子で慌てて口を両手で塞いだ。が、ほんの少しだけ出かけた言葉にリックは唖然とした様子で目を見開いた。そして、しばし間を置くと、恐る恐るといった様子で問いかけた。
「もしかして、リオンが怖かったのって、ルイスやオレが死ぬかもしれないこと、だったりする……?」
リックの言葉に、リオンの肩がビクリと跳ねると同時に、溜まっていた涙が決壊したようにポロポロとこぼれ落ちていく。それは言葉にこそならなかったものの、何よりも雄弁に彼女の答えを物語っていた。リックはそんな彼女に近付いていくとしゃがみ込み、俯くリオンと目線を合わせて言った。
「ごめん。オレ、てっきり、目の前で敵を切ったり殴ったりしたオレたちのことが怖いんだと思ってた。それが戦いに無縁な人の普通の反応だし」
「違うって言ったのに……」
「うん、そうだね。ごめん」
眉尻を下げつつも、リックは微苦笑を浮かべて謝罪の言葉を繰り返した。そんな彼の言葉に、リオンは微かに口を結ぶと、両手を胸の前でギュッと握り締めて俯きながら言った。
「……私の方こそ、ごめんなさい。リック、怪我してたのに……」
「クッションくらいどうってことないよ。神官長と医官が五月蠅いから手当は受けたけど、大した怪我じゃないし」
「でも、それだけじゃない。言霊になるのが嫌で私が言葉にするのを躊躇したせいで、ルイスだけじゃなくて、リックも傷つけたよね……?」
「少なくてもオレは大丈夫だよ。全く気にならないって言ったら嘘になるけど、怖がられるのは別に初めてのことじゃないから」
「それ大丈夫って言わないじゃない」
眉を寄せてじっと見つめるリオンに、リックは困ったように頬を掻きながら言った。
「本当に大丈夫なんだけどな……。言い方悪いけど、オレはルイスほどまだ一緒にいるわけじゃないから。落ち着くまで様子見しようって思った程度だし」
「……じゃあ、ルイスは……?」
「あいつは、まぁ……。リオンが見て感じたとおりだと思う」
「そっか……」
瞳を揺らすリオンの目からハラハラと落ちる涙に、リックは彼女の頬へと手を伸ばした。が、触れる寸前で手を止めて引っ込めると周辺を見回した。すると、横からにゅっと白い懐紙が差し出され、リックはその手の元を辿って見上げた。
「清めてあるからこれ使って」
「ありがとう」
そう言って、リックはエマから受け取った懐紙でリオンには直接触れないようにしつつ、彼女の涙をそっと拭いながら言った。
「アイツは今、たぶん誰よりもリオンの傍にいる時間が長い。その分、リオンの感情や言葉に影響を受けやすくなってるとこあるから、傷ついてないとは正直言えない。だけど、傷つけたのがリオンなら、それを癒やせるのもリオンだと思う」
「私……?」
「うん。この際、不安とかは一旦置いといて、ルイスに会ったらいつもどおりアイツの手を取ってやってくれないかな? それでたぶん伝わると思うから」
そんなリックの言葉に、リオンは微かにしゃくりあげながら問いかけた。
「それで、ルイスにも謝ったら、リックみたいにまた話してくれるかな……?」
「ちゃんと説明すれば大丈夫。アイツだってそこまでバカじゃないよ。……たぶん。それにそこはオレも手を貸すから」
「……ありがとう、リック」
リックの言葉でやっとリオンの顔に笑みが戻るが、今度は別の意味で涙がポロポロとこぼれ落ちていく。そんなリオンの様子に、慌てた様子で声を上げたのはエマ。
「リオン、それ以上泣いたらさすがの私でも化粧で誤魔化しきれなくなるから、何とか泣き止……って、そこ乱暴に手で擦るのは一番ダメだから、ストップ! リック様、ごめんなさい。今すぐ場所交代してください!」
「了解」
慌てた様子で叱りつける声とは裏腹に、エマの顔には安堵の篭もった苦笑が浮かんでいる。リックが苦笑しながら立ち上がり場所を譲れば、彼女は少しかがんで、リオンの涙を拭いつつ宥めにかかったのだった。




