19 明け方にやってきたのは誰か
日が沈み、たっぷりと夜が更けてからスミソニカ子爵家の裏口にやってきた僕は、ニーナ部長に案内されて彼女の弟であるジュリアスの部屋に入る。
月明かりが差し込む室内を、部長が持つランタンの淡い光が照らす。天蓋の付いたベッドの上に仰向けで寝ているのは幼い少年だ。
青白く頬のこけた少年は揺らめくランタンの光に目を覚まし、虚ろな目で僕らを見つめた。
「おねーちゃん? ……その人は誰?」
「この人はね、なんと勇者なんだよ!」
カラ元気とでも言うのか、誇張するような声で部長は僕の背中を押した。
さあ、ミッションスタートだ。今から僕は鍛冶師の倅じゃない。誰もが憧れる勇者だ、勇者になりきれ。
「勇者? 本物?」少年の虚ろな瞳が瞬き、僅かに光を取り戻す。
「はじめましてジュリアス、勇者といってもまだ成りたての新米勇者なんだけどね」
ここは敢えて飾らずに真実と嘘を混ぜ合わせる。
「ほんとに本物の勇者なの?」
やはり半身半疑の声色だ。
「そう、本物だ。だからキミが見たがっていた物を持っている」
僕は腰の鞘から一振りの剣を抜いた。現れたのは黄金に輝く聖剣。
「これが聖剣だよ」
息を呑んだジュリアスは「すごい……」と声を漏らす。
「これが聖剣なんだね、言葉が出ないよ……。ありがとうおねーちゃん……、僕の夢を叶えてくれて、僕はおねーちゃんの弟で幸せだよ」
「ジュリアス……」
声を震わせたニーナ部長は、溢れる涙を抑えきれずに部屋から出ていってしまった。
「勇者さんもありがとう……」
「いや、たいしたことじゃないさ」
「偽物でも嬉しいよ」ジュリアスは微笑んでそう言った。
「な、何を言うんだい? この剣は本物だよ!」
慌てる僕に彼は頭を小さく振る。
「ううん、分かるんだ。それが聖剣じゃないって……。だってね、その剣からはおねーちゃんの優しさを感じるんだ、不思議だよね。剣から人の感情を感じるなんてさ、でも分かっちゃうんだよ」
少し困った顔で笑う彼に、僕はこれ以上演技を続けることは意味がないと悟った。
死を傍に置く者は騙せない、そういうものなのだ。
「そうか……、バレちゃったか」
頬を掻きながら告白すると少年は小さくうなずいた。
「でも嬉しいのはホントだよ。きっと聖剣はこんな形をしているんだって、それが分かっただけでも満足だよ」
「なあ、ジュリアス、もう一度チャンスをくれないか?」
死を享受する彼の姿に僕は決意を固める。
「チャンス?」
「ああ、キミに本当の聖剣を見せよう」
ジュリアスはキョトンと目を丸くさせる。
「どうやって?」
「実はね、僕は本物の勇者と知り合いなんだ」
「……ホントなの?」
「僕の眼を見てごらん、嘘か本当かキミなら分かるだろ?」
ジュリアスに顔を近づけて互いの眼を見つめ合う。すると彼の瞳がキラキラと輝き始めた。
「明け方に来るから窓を開けとくように。お姉さんには『暑いから窓を開けといて』と言っておいてくれ」
ジュリアスがこくりとうなずくのを確認して部屋を出ると、廊下にニーナ部長が立っていた。涙で目が赤くなっている。
そんな彼女の手には、スミソニカ家に伝わる宝剣 《ルーンブレイカー》が握られていた。
僕が対価として要求した、約束の品だ。
「先に渡しておくね。ユウリなら数日で贋作作れちゃうでしょ? それまでならバレないと思うから」
差し出された剣を受け取らず、僕はそっと押し返した。
「いえ、それは受け取らないことにします」
「え? だって……」
「その剣はこの家にあるべきです、ジュリアスに会ってそう思いました」
「で、でも……」
「いいんです、もう決めましたから」
「そう……、じゃあルーンブレイカー用に買った材料はどうしよう……」
「僕が使いますよ」
「それならあたしが使ってもいい? どうせならルーンブレイカーの偽物作ってみようかなって、思ったりして」
ニーナ部長はルーンブレイカーをそっと抱きしめた。
「それなら部活中に一緒に作りましょう」
「うん、そうだね」
一歩前に出た彼女は僕の胸にオデコを当て、「ありがとう、ユウリ」と囁いた。
◇◇◇◇◇◇
姉が連れてきた勇者を名乗る少年が帰り、日付が変わった明け方のことだった。
ジュリアスは物音で目を覚ます。
窓から入ってきたその人物は鉄の仮面で顔を覆い、丈の長いローブを纏ってフードを目深に被っていた。
「こんばんは、ジュリアス」
薄暗い室内に凛とした女性の声が響く。
「……あなたが勇者ですか?」
「そうですね、勇者かどうかは分かりませんが、わたくしはスーパーノヴァという者です」
「……スーパーノヴァってシルヴィア王女を救ったっていうあのヒーローの?」
少年はぱちくりと瞼を瞬かせる。
「はい、そうです。ユウリから話を聞いてやって来ました」
「じゃあ、あなたが本物の聖剣を持っているんですか?」
うなずいた彼女は、「これが証拠です」と剣を鞘から引き抜いた。
それは美しい光を放つ黄金の剣だった。
それが本物の聖剣であると一目で分かった。
「すごい……、これが聖剣……、本物なんだね……」
「ええ、触れてみますか?」
「いいの?」
「もちろんです」
スーパーノヴァに差し出された聖剣の柄をジュリアスは握りしめる。
「熱い……」
碧い目から涙が零れ落ちていく。
「ああ……、夢が叶いました。おねーちゃんとユウリさんにお礼を言ってもらえますか? ごめんなさい……、涙が……、止まらなくて……」
「はい、もちろんです。ですが最後に一つだけ」
そう言って彼女は右の腰に帯剣する鞘から、もう一振りの剣を引き抜いた。
それは今まで見たことがない柄も刃も真っ黒な剣だった。
「それは?」
「これは魔剣オルタナトスと言います」
「魔剣オルタナトス?」
「さあ、今度はこちらの剣の柄を握ってください」
ジュリアスは言われるがまま差し向けられた黒い剣の柄を握る。
「この剣には人の願いを叶える力があります」
「願い?」
「ただし、願いを成就させるには選択しなければなりません。世界の誰か、たった一人の不幸と引き換えに自分を幸福にできます。逆にあなたが不幸を引き受けるなら、世界の誰か一人が幸福になります。つまり、誰かの不幸を願えばあなたの病は治すことができるでしょう」
淡々と伝えられ、自分の手に委ねられた選択を、くすりと笑い飛ばすようにジュリアスは迷うことなく、「そんなの決まっているじゃないか、それなら僕は選ばない」と答えた。
「どうしてですか?」
「だって僕の代わりに他の誰かが不幸になるのは嫌だし、誰かの幸福の代わりに僕が不幸になったら家族が悲しむからね。だからどちらも選ばない。それに僕は今のままでも十分幸せなんだ、夢も叶ったし、これ以上望むものはなにもないよ」
少年が告げたそのときだった。
オルタナトスが怪しい光を放ち、輝き始める。
「な、なに? 光り出した……」
「オルタナトスがあなた願いを聞き入れたのです」
「で、でも僕は願ってないよ?」
「はい、選択しないことが正解なのです。この魔剣は天邪鬼でして、どちらかを選んだとしても何も起こりません。しかし選ばなければ、たった一度だけその願いを叶えてくれます」
「僕の願い?」
「そう、あなたの願いは何ですか? 心の中では常に願っていたはずです」
「僕の願いは……、病気を治して家族が笑顔になること……」
仮面の下で微笑んだ彼女は、オルタナトスを鞘に戻して踵を返した。窓に向かって歩き出す。
「それでは、おやすみなさい。あなたが目を覚めましたときには、きっと窓から眩い太陽の光が注いでいることでしょう」
ありがとう、と微笑んだ少年はゆっくりと瞼を閉じて眠りに付いた。
ここで第一章は終わりです。




