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大公妃候補だけど、堅実に行こうと思います  作者: 瀬尾優梨
書籍版続編

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先輩、決意する

 テレーゼは昨日から自室に戻っていた。

 すぐに仕事に復帰してもよかったのだが、「いろいろあったしゆっくり休みなさい」と女官長に言われたため、仕事に戻るのは明後日からになっていたのだ。


 大公からも手紙が届き、「もう少し落ち着け」とお叱りの言葉をいただいた。だが大公は、「身分を盾に生きることも必要だ。その点では、そなたの行動は非常に有効だった」と添えていた。


(私になまじ身分があったから、子爵を制圧することができた……ということね)


 それはテレーゼにとってはあまり嬉しいことではないのだが、今回は身を守る武器になった。

 それにテレーゼには「先輩を守る」という大義名分があったため、たとえテレーゼがコーデリアもろとも殴られても、「他人思いの令嬢が勇気を振り絞って悪に立ち向かった」という美談として伝えることができる。


「そなたがそこまで考えていたとは思わないが、実質今回の件はそなたにとって非常に有利だった」と最後に記されていた大公の言葉は、テレーゼにとって非常に悩ましいものだった。


(大公閣下のおっしゃるとおり、私はそこまで考えられていなかった。気を付ける、用心する、と言っておきながら無茶をしてしまったわ)


 今回は場合が場合だから、どう転んでもテレーゼにとって有利になっていたかもしれない。だが、正義感だけではやっていけないのだと、両親も大公も教え諭してくれた。


 大公とリィナに向けて丁寧に手紙をしたためていたテレーゼは、メイベルに呼ばれて振り返った。


「テレーゼ様、コーデリア・フィリット様がお越しです」

「え?」


 メイベルの告げた名を耳にして、テレーゼは目を丸くした。


「……今日は夕方にリズベスたちが来てくれるってのは聞いていたけれど、コーデリア様も?」

「はい。……いかがいたしますか?」

「通してちょうだい。お仕事の話かもしれないし」


 そうしてインクの瓶に蓋をして、部屋着の上にカーディガンを羽織ったテレーゼはコーデリアを迎え入れた――のだが。


「……えっと、コーデリア様ですよね?」

「違います」


 おずおずと尋ねたら、否定された。

 メイベルに案内されてやって来たのは、テレーゼの目が間違いなければコーデリアである。だがあの特徴的な長いブルネットの髪はどこに行ってしまったのか、ばっさり切り落とされており、短くなった髪が肩先で揺れているだけだった。

 しかも、服装が女官の装いではない。あの美しい赤チョーカーも外されていて、なんだか別人みたいだ。


(……あれ? 今「違います」って言われたってことは、別人なの?)


 もしかして髪を切った際にコーデリアの魂まで抜け落ち、別人になってしまったのだろうか。それともここにいるのはコーデリアの皮を被った別の人間なのだろうか。なんと恐ろしいことだろう。


「……何か失礼なことを考えていませんか?」

「い、いえっ! その、お体は大丈夫ですか? 怪我をされていたと思うのですが……」

「まだ少し痛みはありますが、立てないほどではありません」

「それはよかったです。あの……いつもとご様子が違うようですが」

「……もう、わたくしに敬語を使う必要はありません、テレーゼ様」


 どこか覇気のない声で言ったコーデリアは立ち上がると、お辞儀をした。


「改めまして……コーデリア・マギーでございます」

「まぎー?」

「母方の姓でございます。わたくしは昨日の夜、フィリット子爵家から除名し、平民となりました。もちろん、女官職も退職しております」


 謎の姓に首を傾げていたテレーゼは、事態を察して目を見開く。


(除名? 平民……えっ? でも、確かコーデリア様は――)


「……叔父様の養女になられるのではなかったのですか?」

「叔父様はそのように提案してくださりましたが、お断りしました。……リィナ様を愚弄したわたくしを子爵家に置いておくと、よいことにはなりません。よってわたくしはわたくしの意志で子爵家から離れ、一人の平民として城を離れることにしたのです」

「平民……として?」


 よどみなくしゃべるコーデリアに対し、テレーゼの理解はワンテンポ遅れてしまう。

 以前のコーデリアなら「愚図」と罵っただろうが、今の彼女は顔色一つ変えることなく頷いた。


「女官は貴族でなければ務まらないので、子爵家の娘でなくなったわたくしは女官を続けることができません。よって公城を離れ、ただのコーデリアとして生きていくことにしました」

「でも……それって、コーデリア様にとっては苦痛でしょう。私なら雑巾絞りも掃除も芋の皮剥きもどんとこいですが……」

「それはそれでどうかと思いますが……しかし、これはわたくしが自身に課すべき罰です。敬愛すべきリィナ様の名誉を踏みにじったこと、己の保身に走るあまり周りの者たちに優しくできなかったこと、そして……あなたに醜い嫉妬心を抱いたこと」


 そこで、コーデリアは微笑んだ。

 これまでの挑戦的な笑みとはまったく違う、今にもぼろぼろと崩れてしまいそうなほど儚く繊細な笑顔。


 それは、父親の圧力から身を守るべく被っていた仮面が剥がれた瞬間のように、テレーゼには感じられた。


「わたくしは父に何か言われる前から、リィナ様を尊敬しておりました。半分貴族のわたくしは捻くれ歪んでいるのに、平民出身と指差されようと凛としていて前を向いてらっしゃるリィナ様は、わたくしの憧れでした。本来ならば、リィナ様の姉であるあなたのことも敬い、それでいて立派な女官になれるよう先輩として指導しなければならなかった。それなのに――わたくしがあなたに与えたのは『理不尽』ばかりでしたね」

「そんなことはありません! あの、この前の式典で私、困っているお嬢様を助けたんですが、それはコーデリア様が以前リィナにしていたのを参考にしたからできたことなんです!」


 このままコーデリアを放っておけば、初冬の風に乗って消えていってしまうかもしれない――そんな風に思われ、テレーゼは少々口調が崩れるのを覚悟しながら早口で言いつのった。


「そりゃあ確かにちょっと辛いな、とかおかしいな、と思うことはありました。でも、私は成長できたんです!」

「……あなたは本当に、恐ろしいくらい素直で底抜けにいい人なのですね。シャノン様のおっしゃっていたとおりです」


 かつては「シャノン」と呼んでいた同期に敬語を使うのを見ていると、喉を絞められたかのようにきゅうっと苦しくなる。


 これが、コーデリアが自分に課した罰。

 彼女が望んで受けた報いだった。


「テレーゼ様、あなたは女官見習の誰よりも正義感が強く、明るい方でした。わたくしがこのように捻くれ歪んでいなければ――あなたを後輩としてかわいがることができたかもしれません。でも、散々理不尽にあなたをいじめ、目の敵にしてきたわたくしが今さらそんなことを申し上げても、何の意味もありませんね」

「あの、コーデリア――」


 様、と言いかけたテレーゼをやんわりと片手で制し、コーデリアは立ち上がった。


「テレーゼ様。あのとき、わたくしを庇ってくれて……ありがとうございました。どうか、お元気で」


 掠れた声で言った後、コーデリアは深くお辞儀をした。

「目下の者」が「目上の者」に対して行う礼をしたコーデリアの後頭部に、自信たっぷりに左右に揺れるポニーテールの幻が見えた気がした。

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