令嬢、いろんな人間と接する
先輩女官に言われたとおり、テレーゼとリズベスは夕方からの交代に備え、昼のうちに少し仮眠を取って早めの夕食を食べた。普段なら使用人用の食堂も閉まっているような時間だが、今日は皆の行動スケジュールが不規則になるため、いつでも食事ができるように常時解放されているそうだ。
食事をしたらいったん部屋に戻り、身仕度を調える。メイベルに手伝ってもらって髪にブラシを入れ、いつものように肩先で二つに結わえる。作業のしやすい七分袖のドレスの上に規定のエプロンを着け、胸には麦と二重線と丸――豊穣と平等、永遠を示すリトハルト侯爵家の家紋入りのブローチを通す。これを身につけることで、「皆のために頑張ろう」と気持ちを引き締められるのだ。
化粧はごく薄めに。昔は化粧道具をケチっていたのでほぼすっぴんで通していたのだが、最近はメイベルに頼んでテレーゼに似合うメイクをしてもらっていた。メイベルも最近の若い娘にぴったりのメイク方法を会得してくれたようで、感謝の言葉もなかった。
「それじゃ、そろそろ行ってくるわ」
大きな姿見の前でくるっと一回転した後、メイベルに声を掛けた。これからテレーゼは仕事に行くので、メイベルにはいつもどおり部屋で待機してもらうことになる。
メイクセットを片づけていたメイベルは頷き、テレーゼのエプロンの裾をそそっと直してくれた。
「はい、お気を付けて。……ポーチの中に小物を入れておりますので、何かあれば探ってみてくださいませ」
「分かったわ。じゃあ、留守を頼むわね」
メイベルに見送られ、テレーゼは廊下に出た。ちょうどリズベスも仕度を終えたところらしく、お付きの侍女に声を掛けてから廊下に出てきていた。
「お疲れ様、リズベス。気合いを入れて行こう!」
「そうね、頑張りましょう」
おー、と拳を天に突き上げるテレーゼに対し、リズベスはおっとりと笑っている。
いずれ、テレーゼもリズベスのように淑やかになりたいものだ。
既に大半の客は受付を済ませて大広間に入っているようで、廊下で客人とすれ違うことはなく、巡回の騎士や使用人たちとすれ違いざまに会釈をするだけだった。
こそこそと裏道を通りながら受付の場所まで向かうと、ちょうど客人もはけていたようで先輩がこちらを見て手を挙げた。
「時間通りに来ましたね。それでは、こちらに来てください。一人は接待、一人は招待状の照会と分担するといいでしょう」
「分かりました。わたくしが接待、リズベスが照会を担当します」
しゃべるのはテレーゼ、文字の確認はリズベスの方が得意だ。それを踏まえて事前に二人で打ち合わせしておいたので、もめることなく指定された席に座った。
つい先ほどまで先輩たちが座っていたからかほんのり温かい椅子に座り、テーブルの上に並べられている用具一式の説明を受ける。
「テレーゼ、あなたは来客に挨拶をし、招待状を受け取ってリズベスに渡します。リズベスはこちらのリストを使って素早く照会をし、該当する名前の箇所にチェックを入れます。その間、テレーゼはお客様のご様子をよく観察し、何かお困りのことはないか確認します」
「こちらから話題を振る必要はないのですね」
「ええ。相手に何か問われたとき、もしくは相手が何かお困りの様子の場合は声を掛けますが、それ以外には黙っておくのが吉でしょう」
なるほどなるほど、とテレーゼは素早く頭の中のメモ帳に書き込む。
これまで先輩に同行した実地訓練では積極的に話しかけたり今日の天気を問うたりする方が相手の反応もよかったのだが、受付のように短時間で相手を終えるべきものの場合は必要最低限のやり取りで十分のようだ。
先輩たちは大公とリィナが通るまでは、廊下の陰に立ってテレーゼたちの様子を見てくれるそうだ。その後、遅れてやって来た客の相手はテレーゼたちに一任されるが、そこまで来ると人数もぐっと減るので負担は少ないはずだ。
(……よし、リズベスと協力してさくさくっとお客の相手をしないとね!)
リズベスと視線を交わし、気合いを入れた――のだが。
「ようこそいらっしゃいました。招待状の確認をいたします」
「……そうそう! あのお宅はまた外国から高価な調度品を購入したらしくって!」
「嫌ですわ、またわたくし、呼ばれておりますの」
「あの、招待状を――」
「ああ、それはきっと自慢です、自慢! 嫌ですよねぇ、『たいしたものはございませんが』なんてしおらしい態度を取っておきながら自慢するのですよ、あのお宅の夫人は!」
「奥様方、申し訳ありませんが招待状を拝見してもよろしいでしょうか!?」
「え?……ああ、ごめんあそばせ。あら、招待状はどこに入れたかしら? ジム、早く捜しなさい! 他のお客方がお待ちです!」
他の客が彼女の背後で待っている原因は使用人のジムではないはずだが、テレーゼは何も言わず招待状が差し出されるのを鉄壁の笑顔で根気強く待った。
(なんというか、まあ……手強いわね)
美しく着飾った女性はおしゃべりに夢中だし、紳士の中にはテレーゼたちをじろじろ見て、「……六十七点」と呟いていく者もいた。彼の好みの顔立ちでないというのは非常にどうでもいいのだが、せっかくだから六十七なんて端数ではなくて七十に切り上げてほしいと思う。
「あらやだ、あなた、左利きですの!? ご存じでして? 左利きの女の子は将来大出世するということで……」
接待を請け負ったテレーゼはもちろんだが、リズベスも絡まれている。今リズベスが招待状の照会を行っている相手はリズベスが左手でペンを持っているのに目敏く気付き、凄まじい速度でなにやらまくし立てている。
(左利きの女の子が出世するって、それってお母様が若い頃に流行っていた迷信じゃないのかしら……)
リズベスも「そうですのね」「まあ、嬉しいですわ」と笑顔で応対しているが、テーブルクロスに隠れて客からは見えない彼女の脚はぷるぷる震えている。ちらっと廊下の隅にいる先輩の方を窺ったが、「そういうもんだから諦めろ」と言わんばかりの視線を返されるだけだった。きっと彼女らも同じような目に遭ってきており、回避しようがないのだろう。
(んー、でもただ単におしゃべりな方なら全然平気だわ)
テレーゼだって伊達にバザーの売り子をしているわけではない。一般市民階級だろうと貴族だろうと、おしゃべりなマダムの相手には慣れっこだ。
……困るのは。
「……そうです。よりによって平民を花嫁に迎えるとは」
「仕方ないから祝福はするけれど、さすがになぁ」
「案外、長子さえ産まれれば愛人でも囲うかもしれませんよ?」
ひそひそ、と聞こえてくる失礼な言葉の数々。
それは、次期大公妃が平民出身であることへの侮蔑の言葉だった。
(……しっつれいな人たち! 大公閣下とリィナがいかに仲がいいか、何も知らないのに!)
内心では腹が立ちつつも、テレーゼは笑顔で接待を貫いた。中には、「あ、君は確か貧乏侯爵家の」「ああ、あの運ばかりいいお嬢さんか」と呟いてくる者もいるが、全て無視だ。
(無視無視無視無視! 今の私は女官! 仕事をするのみ、するのみよ!)
母の奥義の書にもあった「感情を表に出すな」は、本当に正しい。
ここでテレーゼが怒っても仕方ないし、リィナが平民出身であるのは紛れもない事実だ。これは、大公とリィナが乗り越えていくべき問題であるはずだ。
すーっと息を吸い、テレーゼは笑みを浮かべて次の客にお辞儀をする。
「ようこそいらっしゃいました。招待状の確認をいたします」
「はい、どうぞ」
――その声がテレーゼの鼓膜を震わせたとたん、鉄壁の仮面が剥がれてしまうかと思った。
お辞儀から顔を上げた先、そこにはシックなキャラメル色の外套を着た紳士と濃紺のドレスを着た婦人――テレーゼの両親の姿があった。もちろん、彼らの後ろには子ども用の礼服を着たエリオスと、兄に手を繋がれたマリーとルイーズの姿もある。
父はテレーゼが一瞬固まってしまったのを見ると、「おや」と首を傾げて微笑んだ。
「どうかなさいましたか、女官殿?」
「い、いえ。招待状、拝見いたします」
テレーゼは震える手で父から招待状を受け取り、リズベスに渡した。最初は少しだけ怪訝そうな眼差しでこちらを見ていたリズベスだが、招待状の名前を見て事態を察したらしく、何も言わず名簿を捲っていた。
「やれやれ、なかなか客の多いようだ。……うちには小さい娘たちがいるのだが、子ども用の椅子などはあるだろうか?」
父が「さて、困ったなぁ」とどこかもったいぶった口調で呟いたので、緊張していたテレーゼは思わず噴き出してしまいそうになった。
(……ああ、なるほど。お父様は私を試してらっしゃるのね)
きっと、娘がきちんと受付の仕事を果たせているか確認するためなのだろう。
少しおどけたような顔で言う様は実にわざとらしいが、これも父の気遣い、そして娘への「試練」なのだろう。
「はい。お子様の年齢に合わせて各種椅子を準備しております。色やデザインにも種類がございますので、腕に赤いリボンを巻いた会場係にお申し付けくださいませ」
「おお、そうか。ではそうさせてもらうよ」
「確認できました。リトハルト侯爵家ご一行様、どうぞお通りください」
リズベスもちょうど照会を終えたようで、招待状を父に返した。父は被っていた帽子を取って「それでは、失礼」と小粋な仕草をし、周りから見えないように母から小突かれていた。エリオスはあえて知らないフリをして素通りしたが、マリーとルイーズは何も言わないものの、きらきらの眼差しでこちらを見てきていた。
(ああっ、おそろいのドレスを着たマリーとルイーズ、本当にかわいい! エリオスも、今度お家に帰ったときにお話をしましょうね!)
家族を見送ると、少しだけむかっとしていた心も一気に落ち着いてきた。
(もしかするとお父様も、私の心の乱れに気付いてらっしゃっていたのかもしれないわ)
父には敵いそうもない、とテレーゼは内心苦笑し、気持ち新たに次の客にお辞儀をしたのだった。




