令嬢、仕事の準備をする
城内は豪奢な調度品で飾られ、客人用廊下の床は泥の付いた靴で歩くことが忍ばれるほど念入りに磨かれている。
落葉の季節であるが城の廊下はおろか、中庭にも落ち葉一つ落ちていないのは、「途中で落ちるくらいなら先にたたき落としてしまおう」ということで使用人一同で広葉樹を蹴り飛ばして無理矢理葉を落とさせたからだ――という噂さえ流れている。
「受付係には、ここで受付事務をしてもらいます」
そう言って先輩女官はテレーゼたちを、大広間前の廊下に案内した。
婚約記念式典は今日の夕方から行われる。今はまだ昼過ぎなので辺りを使用人たちが慌ただしく走り回っている中、テレーゼたちは純白のテーブルクロスの掛けられた受付カウンターをしげしげと見つめていた。
テレーゼたちに割り振られたのは、会場前の受付。といっても来客が玄関ホールで騎士団のチェックを受けた後で行うので、テレーゼたちは招待状を受け取って一覧表の名前と照合したり、何か困った様子の人がいれば助力を申し出たりすればいい。
「基本的には招待状の確認作業のみですが、お客様のご要望にお応えし、式典が円滑に進行できるよう補助する役目もあります。受付は目立つ仕事ではありませんが、あなた方の気遣いやちょっとした態度でお客様に快適なお時間を提供できるか機嫌を損ねるかが決まります」
先輩の言葉に、テレーゼたちはごくっと唾を呑んだ。
会場係や接待係ほど積極的に客と関わることはないだろうが、失態を犯せば客は機嫌を損ね、「女官のせいで会を楽しめなかった」などと言われるかもしれない。
テレーゼたちが緊張の面持ちで受付席を見つめていると、先輩は持っていた用箋挟みを脇に抱えた。
「……あなたたちは見習、もしくは赤チョーカーです。しかし女官長様は、あなた方にならば受付業務もこなせるだろうと判断なさった上でこの采配をなさいました。……自信を持って職務をまっとうなさい」
凛とした声で言った彼女は二十代後半といったところで、チョーカーの色は青――二等女官の階級を表している。
(背筋が伸びているし、すごく格好いい――! 私もあの方みたいになりたいわ!)
先輩が去った後で、テレーゼたちは分担表を見た。
受付に割り振られたのは見習ではテレーゼとリズベス、そして赤チョーカーの先輩女官が二人だった。
「わたくしたちは会の前半を担当します。来客数は圧倒的にこちらの方が多いので、あなた方は交代時間になる三十分前にはこちらに降り、わたくしたちと引き継ぎができるようにしてください」
そうはきはきした口調で言うのは、テレーゼもリズベスも今まで組んだことのない赤チョーカーの先輩だった。コーデリアのような威圧感はないので、テレーゼも少しだけ肩の力を抜いて頷く。
「かしこまりました」
「ただし、後半になると客の出入りは減りますが、大公閣下とリィナ様がお通りになります。わたくしたちは大公閣下方がご入場なさるまではあなた方に付き添いますが、それ以降は別の場所に移動することになっております。以降、受付終了までは任せます」
「はい。よろしくお願いします」
事前に研修はあったし一通りの説明はなされているとはいえ、お客を相手に受付をするのは緊張する。だが隣にはリズベスがいるし、交代後も途中までは先輩が付き添ってくれるのならば心強い。
「あなた方は夕食を早めに取ることになっていたと思うので、休憩、食事、仕度の時間をあらかじめ念頭に置き、遅刻せずに降りるようにしてください」
「分かりました。では、いったん失礼いたします」
リズベスと揃ってお辞儀をし、受付の準備を始めた先輩たちに背を向ける。引き継ぎまでまだ時間があるので、万全の状態で仕事に取り組めるよう準備しなければならない。
リズベスと二人で使用人用の化粧室に飛び込んだテレーゼは、鏡の前で大きく伸びをした。
「んー……なんだかどきどきするなぁ」
「あら、心臓に毛が生えているテレーゼでも緊張するのね」
「えー、何それ。私だって緊張するわ! なんてったって、リィナの晴れ舞台だもの!」
先ほどの先輩の話でも出てきたが、テレーゼとリズベスが受付をする後半は客の数は減るものの、大公とリィナが入場する様を見守ることになる。
(今日のためにリィナは勉強を頑張っているって言っていたし……私も自分の仕事をきちっとこなさないと!)
大公と一緒に入場するリィナにテレーゼの方を見る心の余裕はないだろうが、彼女の姉として背筋を伸ばし、仕事をしたいものである。
意気込んだテレーゼだが、返事がない。おや、と思って横を見ると、洗面台の縁に手を掛けて前傾姿勢になっているリズベスの横顔が目に入った。
「リ、リズベス!? どうしたの、吐きそう!?」
「さすがに吐きはしないけれど……ちょっと、考えることがあって」
「……仕事のこと?」
受付業務関連で何か気になることでもあるのだろうか。
リズベスに何か質問された際にはスムーズに答えられるよう、仕事用のウエストポーチに入れているはずの指示書きを出そうとごそごそ漁った。が、中にいろいろ入っているので目当てのものがなかなか出てこない。
そんな中、顔を上げたリズベスは柔らかく微笑んだ。
「……ああ、ごめんなさい。仕事のことじゃないし、今悩んでも仕方のないことなの」
「そう? でも、何か気がかりなことがあるのなら、仕事が始まる前に解消した方がいいんじゃない? 私でよかったら、話だけでも聞くよ?」
正直自分のおつむの程度はしれているので、「聞くだけなら」と言ったら本当に「聞くだけ」なのが我ながら虚しいと思う。
(でも、お母様のメソッド集にも、『悩みがあるならまず吐け、吐き出せ! 不安なものは吐き出して、明るい気持ちで前を向け!』ってあったものね)
するとリズベスは緑色の目を見開いた。
なぜかそれは、驚いているような眼差しに感じられる。
「……聞いてくれるの?」
「もっちろん!……あっ、当たり前だけど、相談料とか言ってお金を取ったりしないからね!?」
「ふふ、分かっているわよ。……あの、ね――」
「……っ、待って、リズベス!」
リズベスの向こう側、化粧室の外に見覚えのある茶色い尻尾が見え隠れしていたため、テレーゼはとっさにリズベスの腕を引っ張り、化粧室の奥に連れ込んだ。我ながら、「彼女」に対する感知機能が発達したものである。
「――ええ、もちろん。これを機にさっさと赤チョーカーからおさらばして、黄色まで上り詰めてみせます」
「コーデリアはまだ十七歳でしょう? その年で黄色チョーカーなんて、最速じゃなくって?」
「ふふ、わたくしに不可能はありませんのよ」
おほほほ、と高笑いする声が近づき、そして遠のいていく。
化粧室に入ってこなくてよかった。一応身は隠しているが、身につけている香水の匂いで何か感づかれてしまうかもしれなかった。
テレーゼとリズベスは壁に体をくっつけるようにして潜んでいたが、笑い声が完全に遠のいてからほぼ同時にふーっと息をついた。
「……リズベス、私思うの」
「うん?」
「私、もはや本能レベルでコーデリア様から逃げている気がするのよ」
「大丈夫よ。それはきっと、私たち見習全員が身につけている生存本能だから」
「まったくもってそのとおりだわ」
やれやれと肩を落として鏡の前に戻る。
鏡に映るテレーゼたちの顔は、先ほどよりしょぼくれている。コーデリアは女官長オーラのように、食らった相手を疲労させるコーデリアビームでも放っていたのだろうか。
「……ああ、そうだ。何か悩み事があるんだっけ?」
コーデリアが通過したことにより話が途中でとぎれていた。
だがリズベスはしばし黙って考え込んだ後、首を横に振った。
「……いえ、やっぱり大丈夫よ」
「本当?」
「本当。……正直言うと、コーデリア様の登場でなんだかもう、いろいろなものがどうでもよくなったというか」
「まったくもってそのとおりだわ」
テレーゼたちは鏡に映った互いの顔を見、苦笑を零した。
――交代まで、あと四時間。




