新人騎士、お節介を焼く
もうじき、大公と婚約者リィナの婚約記念式典が行われる。
「といっても、俺たちは見回りだしぃ」
「しかも俺なんて、裏庭担当だぜ? 庭園巡視ならきれいなお嬢さんを遠くから眺めたりエスコートしたりできるのに、裏庭なんて草しか生えてねぇんだよ!」
「おまえは草でも口説いてろってことだよ」
「……草って雌なのか?」
「草に性別はない」
ここは、騎士団の詰め所。
少し離れたところで休憩中の騎士たちがウダウダと世間話をしているのを、赤髪の少年騎士はちらっと見やった。だがすぐに興味を失ったように手元に視線を戻し、雑誌のページを捲る。
「なぁ、ライナス。おまえ、廊下担当だったよな?」
「そうですが、何でしょうか」
声を掛けられたので、面倒くせぇなと思いつつ彼は振り返った。そこにいたのはさっき「草でも口説いてろ」と言われていた騎士で、縋るような眼差しでライナスを見てきている。
「ライナス、おまえが上官に掛け合って配置担当変更を申請してくれよ」
「お断りします。これが僕の仕事なので」
「なんだよぉ。おまえはまだお子様だし、きれいなご令嬢の姿を拝見できる仕事、俺たちに譲ってくれよぉ」
「子ども扱いしないでくれますか」
さすがにイラッとしてきたので、読んでいた雑誌をパンッと閉じて騎士を睨み上げた。相手は年齢で言うと十は上、体格だとライナスより二回りも立派だが、精神年齢は幼年学校レベルで止まっているのではないかと思われるような連中だ。
「だいたい、仕事に私情を挟む方が馬鹿げています。与えられた仕事を与えられた場所でまっとうすればそれでいいでしょう」
「わーん、ライナスがいつも以上に俺に冷たいよー」
「こっち来るな気持ち悪い」
泣き真似をして仲間から軽くあしらわれる先輩騎士を冷たい眼差しで見送り、ライナスは雑誌を手に立ち上がった。せっかくの休憩時間なのに、ここだと静かに過ごすこともできそうにない。
詰め所を出ると、涼しい風がライナスの長い赤髪をくすぐった。そろそろ季節は冬に差し掛かろうとしている。アクラウド公国は近隣諸国と比べると夏は涼しく冬は暖かい方なので、避暑や避寒のためにやってくる観光客も結構いる。
半年前、バルバ王国の手先を潰してからというものの、アクラウド公国は比較的穏やかな時を過ごしている。狡猾で知られるバルバ国王もアクラウドに潜伏している手先を始末されたことで少々大人しくなってくれているようなので、国の治安に務め平和を守ることを信条としている騎士としては喜ばしいばかりだ。
ライナスは雑誌を手に芝生広場を横切り、大きな針葉樹の根本に腰を下ろした。冬になるとこうして屋外でゆっくり過ごすのも難しくなる。今日は天気がよく風もそこまで強くないので、読書をするには最適だろう。
「……ああ、そこにいるのはライナスか」
巨大な幹の反対側から名を呼ばれ、ライナスは振り返った。読書の邪魔をされるのは好きではないが、この声の人ならまあいいか、と思えるのだ。
「ジェイド様。そちらにいらっしゃるのですか」
「ああ。見覚えのある赤い髪が見え隠れしているからな」
そう言ってひょっこりと姿を見せたのは、立派な体躯を持った騎士――ライナスの先輩でもあるジェイドだった。
鍛錬帰りだからか、ジェイドは騎士団の制服姿ではなく簡素なシャツとズボンという出で立ちだった。ライナスは上着を着ていないと肌寒いと感じるのだが、ジェイドは薄いシャツ一枚だ。鍛えられた筋肉がよく分かり、「おまえはいくつになっても細いなぁ」と先輩たちに言われるライナスは羨ましくなった。いつかジェイドのようにガッチリした筋肉の鎧を纏うのが、彼の密かな目標なのだ。
幹に寄り掛かったジェイドはふと、ライナスが持っている雑誌を目にして微笑んだ。
「……休憩時間でも勉強熱心だな。それ、詰め所に置いていた雑誌だろう?」
「はい。書物を読むと勉強にもなりますし、僕自身も楽しいので」
そう言うライナスが持ち出したのは、「体を鍛える! 目指せ、魅惑のマッスルボディ」というタイトルの雑誌だった。かなり前に発行されたものなので読み古されてぼろぼろになっているが、「成長期の体に負担のないトレーニング方法」など、興味深い記事がたくさん載っているのでライナスはこの雑誌を参考に日々鍛錬していた。
「それはいいことだ。ライナスは真面目だし努力家だからな、もう二年もすれば立派な騎士になれるだろう」
「……ありがとうございます」
ぼそっと返事をし、ライナスは雑誌に視線を戻す。
騎士団は体育会系の集まりで、正直鬱陶しい先輩も多い。そんな中でもジェイドはかなりまともな部類に入り、ライナスのことも「女顔ー」とか「またドレス着てみろよー」とからかったりはしない。
半年前、仕事だから我慢してドレスを着て姉のフリをしていたのも、黒歴史だ。当の姉にも「わたくしもライナスの女装姿、見たかったわぁ」と言われるものだから、たまったものではない。
「……あ、そうだ」
「どうした?」
「ジェイド様。ジェイド様って、テレーゼ・リトハルト様のことをどう思ってらっしゃるんですか」
今この場に第三者はいないので、思いきって聞いてしまうことにした。
ライナスの目が正しければ、ジェイドはあのぶっ飛んだ令嬢を異性として意識している。テレーゼ本人はどうも偏った恋愛知識を持っているようで、「薔薇の花束を差し出して告白していないのだから」とわけの分からない理由で否定していた。一昔前ならいざ知らず、このご時世で薔薇の花束を持ってプロポーズするなんて古典的なことをする男がいるものなのだろうか。
ライナスの質問を受けたジェイドは、しばし瞬きするだけで何も言わなかった。
「……どう思う、とは?」
「ぶっちゃけますと、女性として好きなのかなぁと思いまして」
「……。……もしやライナス、おまえはテレーゼ様のことを」
「あり得ませんのでご安心ください。僕はおっとり優しくて家庭的なふわふわしたお姉さんがタイプです」
「……あ、ああ。そうか」
ライナスは目を細め、あごに手をやってなにやら思案する先輩を見やった。
騎士の中には女好きであちこちの城仕えの女性に熱い眼差しを送る者もいるのだが、ジェイドはかなり硬派で、浮ついた噂も一切聞かない。先輩たちからは「おもしろくねぇ」と言われているそうだが、上官は彼の真面目一徹な態度を高く評価しているようだ。先輩の中では、「コリックに美女」という謎のことわざさえ広まっているらしい。意味は知らない。
ライナスは、ジェイドの反応を待つことにした。待つ間、雑誌を読んで時間を潰すことにする。
――次にジェイドが口を開いたとき、既にライナスは十ページほど読み進めていた。
「……そのように見えるのだろうか」
「見えますね」
「そうか。……ライナスにまで気付かれるとは、俺もまだまだのようだな」
「あっ、じゃあやっぱり好きなんですか?」
「……俺は確かに、テレーゼ様のことを好ましく思っている」
遠慮なくズバリと指摘したライナスからふっと視線を逸らし、ジェイドはいつも通り生真面目一直線に答える。
「好き」とか「愛している」ではなく、「好ましい」とは、なんとも奥ゆかしい感情だ。硬派なジェイドらしい。
そう思って雑誌を捲ったライナスだが。
「確かに、あの方は素敵な女性だと思う。どのような場面でも己の信念を曲げることなく、真っ直ぐ走って行かれる。笑顔はきらきらと眩しいし、ちょっとズレたところも好ましいと感じている。リィナ様の姉君となられた今も尊大な態度を取ることなく誰にも平等に接し、ご家族や領民たちのために尽力しているあの人を尊敬している。それに、テレーゼ様を見ていると、こう、胸の奥が温かくなるし、もっと一緒にいたいと思われてくるんだ」
以上、彼は澱むことなく一息で述べた。惚れ惚れするような肺活量である。
ライナスはぺらりと雑誌を一枚捲った。
おそらく今の自分の顔は、遠い異国に生息するというキツネのようになっていることだろう。
真面目な顔でノロける先輩騎士の横顔は、なぜかキラキラ輝いているようにさえ思われる。とはいえ、本人は自分が今ノロけているなんて露ほども思っていないだろう。
だが、空気の読める男であるライナスは余計なことは言わず頷いた。
「なるほど。まあつまり、ジェイド様にとってテレーゼ様はとても特別な存在なのですね」
「そうだな。俺にとってテレーゼ様は特別な存在。そういうことだな」
多分ちょっと違います、と思ったが、気遣いのできる男であるライナスは頷いた。
「そのようですね。……なんかいろいろ突っ込んだことを聞いて、すみません」
「気にしないでくれ。ライナスのおかげで、最近テレーゼ様のことを思うと胸が高鳴ってくる理由が分かった。感謝する」
「……。……それはよかったです」
そう答えるので少年はいっぱいいっぱいだった。
この後ジェイドは打ち合わせがあるらしく、詰め所の方に去っていった。
ジェイドを見送ったライナスは雑誌をペラペラと捲りながら、白亜の公城を三白眼で見つめていた。
「気の利く僕がお節介を焼いて差し上げようと思ったのに……もうでろんでろんになってるじゃないですか」
尊敬する先輩の恋路を応援してあげようとして、猛烈なジャブを食らった気分だ。
やれやれ、とライナスは空を仰ぐ。
……そういえば、先ほどジェイドに問われた際にテレーゼに恋をしているのだと思われたくないあまり、「自分の好きな女性像」を口走ったのだが。
「……あの人は元気かな」
呟いた後、頭を振ってライナスは歩き出した。
チベスナ顔




