令嬢と騎士、立ち聞きする
「この時間までどちらに?」
「リィナと一緒にお茶をしていたの。もちろん、大公閣下のお許しも得ているわ」
並んで歩いているとジェイドに尋ねられたので、テレーゼは背後を指で示した。
「ジェイドは聞いているかしら? 今朝、婚約記念式典に向けた役割分担発表があったの。それについてちょっとリィナと話がしたくって」
「ああ、そういえば朝から大広間が貸し切りになっていましたね」
「そうそう。あ、ちなみに私は受付係になったの! 花形ってわけじゃないけれど、お客様の接待をするのも大切なお仕事だものね。しっかりおつとめを――」
そこまで言いかけ、テレーゼは足を止めた。
廊下の先に、見覚えのありすぎるポニーテールが見え隠れしていたのだ。
(……まだいらっしゃるし)
「テレーゼ様?」
「ごめん、ジェイド。……女官の先輩があちらにいらっしゃるの。コーデリア・フィリット様とおっしゃって、私も世話になっているんだけど……」
手の先でコーデリアのポニーテールを示しながら小声で告げると、テレーゼの言い方から二人の関係など、だいたいのことを察してくれたらしいジェイドは「なるほど」と呟く。
「いかがいたしましょうか。迂回します?」
「うーん……でもここまで来ると、他の道はかなり遠回りなのよね」
コーデリアのいる場所を通過すれば、最短距離で部屋まで戻れる。だがコーデリアのことだから、「こんな時間までどこに云々」とか「男を連れるなんて云々」とか言ってきそうだ。ジェイドに罪はないのだが、正面衝突はできるだけ避けたい。
(う、うーん……やっぱり回り道をするべき? すぐにいなくなってくださればいいんだけど……)
「……そうなのです! わたくし、リィナ様の専属に選ばれたのです!」
どうしたものか、と悩んでいると、風に乗ってコーデリアの声が聞こえてきた。それも彼女らしくもなくはしゃいだ声色で、テレーゼはおや、と首を傾げる。
「……ええ。赤チョーカー――四等女官の中では、わたくしだけが選ばれたのです! お父様のおっしゃるとおり、毎日己を磨き、リィナ様のために尽くしたことが認められたのです! いかがですか、お父様?」
「……どうやらあの方は、お父上と話をなさっているようですね」
ジェイドの呟きに頷き、テレーゼは目を細めてコーデリアの横顔を見つめた。
星明かりに照らされ、コーデリアのくっきりとした美貌がよく見えていた。いつも白粉をしっかり塗っている頬だが、今は化粧越しでも頬が上気し、興奮しているのがよく分かる。
テレーゼたちの位置からだと彼女と話をしているコーデリアの父親の姿は見えないが、自分が評価されたことを親に報告するコーデリアの顔は生き生きと輝いていた。
「……はい。必ず子爵家の名に恥じぬ働きをお約束します! どうかこのコーデリアの働きを見ていてくださいませ、お父様!」
声がうわずっているコーデリアとは対照的に父親の方は低い声でしゃべっているからか、彼の返事はまったく聞こえない。だがやがてコーデリアは一礼すると、軽い足取りで廊下を歩いていった。父親への報告は終わったようだ。
(コーデリア様、すごく嬉しそうだった……)
遠目からではあるが、自分の仕事ぶりを報告する彼女の目は輝いていたし、喜びに満ちあふれていたのがよく分かった。
(リィナも言っていたものね。臨時専属に選ばれた女官の先輩は全員、それ相応の力があるんだって)
いつもテレーゼたちに厳しいコーデリアだが、かわいいところがあるものだ。
厳しい先輩の意外な一面をかいま見れたようでくすっと笑ったテレーゼだが――ふと顔を上げた際、隣に立つジェイドが厳しい眼差しを廊下の奥に向けていることに気付き、すぐに笑顔を引っ込めた。
「……ジェイド?」
「…………ああ、何か?」
「いえ、ジェイドがちょっと怖い顔をしていたから、どうしたのかと思って……」
「怖い顔でしたか……いえ、少し気になることが」
そう言ってジェイドが歩き出したので、テレーゼは彼についていく。ジェイドの方が圧倒的に脚が長く歩幅も大きいが、テレーゼの速さに揃えてくれているので早足にならなくても肩を並べて歩くことができた。
「先ほどの女官の方の様子が、少々気になりまして。テレーゼ様は何か気付かれましたか?」
「コーデリア先輩のことですか?……いえ、珍しくはしゃいでらっしゃるなぁ、でもリィナの臨時専属に選ばれたんだからそれも当然のことだなぁ、くらいしか」
他に何か、不審な点でもあったのだろうか。
ジェイドはあごに手をあてがうと、テレーゼを横目で見ながら言った。
「どうやらあなたはあの女官の方としばしば顔を合わせる間柄のようですし、お伝えしておきましょう。……先ほど、コーデリア嬢は父親である子爵と話をしていたようですが……話をしている間、ずっと瞳孔が開きっぱなしでした」
「どうこう?」
「目の黒い部分です」
「そ、それは分かるけれど……えっ? あの距離で見えたの?」
「星明かりがあったので。それに、私やテレーゼ様のように濃い色の目だと瞳孔の大きさが分かりにくいのですが、コーデリア嬢は目の色が薄かったので分かりやすかったです」
ジェイドはなんてことないように言うが、視力にはそこそこ自信のあるテレーゼでもあの距離で瞳孔の大きさを確認するなんて不可能だ。
(す、すごい! ジェイド、すごく視力がよかったのね!)
驚きでくわっと目を見開くテレーゼに、ジェイドは肩をすくめてみせた。
「こういう仕事をしていると、目の動きやわずかな動作で相手の心情をだいたい察することができるようになるのです。……まあ、私のことはいいとしまして。興奮してしゃべっていたにしては、彼女の挙動は不審でした」
「……どういう意味で?」
「簡単に言うと……怯えている、でしょうか」
コーデリアが、怯えている。
(あっ、あのとき……)
ジェイドの言葉で、テレーゼは女官長から呼び出しを食らった日のことを思い出した。
先輩女官のシャノンと廊下で話をした後、コーデリアが出てきた。彼女は「余計なことを」とテレーゼに圧力を掛けてきたが、そのときの彼女も――どこか、怯えたような眼差しをしていたではないか。
(この前の時も疑問には思ったけれど、お父様に仕事の報告をするときにも怯えるって、どういうことなのかしら……?)
「何か、事情があるのかしら」
「かもしれません。まあこれ以上の詮索は野暮でしょうが……コーデリア・フィリット嬢には少し気を付けた方がよろしいでしょうね」
「う、うん」
ジェイドにまで「要注意人物」の札を掛けられるとは、コーデリアは本当にくせ者なのかもしれない。
その後、ジェイドに見送られて部屋に入ったテレーゼはメイベルが準備してくれた湯で体を洗って化粧を落とし、寝間着に着替えてベッドに腰を掛けた。
「気を付けた方がいい、かぁ」
腕を伸ばし、枕の下からお手製の帳簿を取り出す。コーデリアに遭遇して緊張していた心も、帳簿に記されたたくさんの数字を見ているうちに落ち着く。これで少しは安眠できるだろうか。
「んんん……! そう、もうすぐ給料日!」
減給処分は食らったが、実家や領地への仕送り金額は変えない。自分の迂闊な行動で給料を減らされたのならば、小遣いに充てる分を減らせばよい話だ。
「……頑張ろっと」
テレーゼは帳簿を枕の下に戻し、ベッドに横になった。
夜にいろいろ起きたからか、その日のテレーゼはコーデリアに「お姉様」と呼ばれ、噴き出すほどまずい紅茶をたらふく飲まされる夢を見た。
おかげで翌日の寝起きは、あまりよろしくなかった。




