令嬢、おとこのこと再会する
リィナと一緒に、たいへん有意義な時間を過ごすことができた。
「それじゃあ、お休みなさい」
「はい、お姉様もお気を付けてお帰りください」
リィナを部屋まで送り届けて、テレーゼはきびすを返した。
サンルームでおしゃべりをしている間に夜も更けてきていた。お茶を飲んでいる間は灰色の雲が空一面を覆っていたが、ふと渡り廊下で立ち止まって手すりに手を掛けると、分厚い雲の切れ間からいくつかの星が輝いているのが見えた。
「きれい……」
公城は夜間でも警備のために廊下には煌々と明かりが灯っているし、城下町も酒場や宿屋など、夜こそ繁盛している店も多い。そのため夜でも明るいのだが、かえって星空は見えにくくなってしまう。
(リトハルト領で見える星空は、もっときれいだったなぁ)
リトハルト領だと、星空がきれいに見える。つまるところ、夜間営業している店やろうそくを贅沢に使える家がほとんどないので、夜は真っ暗になるのだ。
(でも、夜でも営業している酒場とかがあると、一日お仕事をして疲れた人たちの憩いの場になるわ。それに、明かりがあれば夜道も危なくなくなるし、野獣から作物を守ることもできる……)
現在、リトハルト領は最低限の整備をして再スタートを切っている段階だ。
もっと潤えば、もっと領地が整えば、より住みやすい地域になる。
これまでついてきてくれた領民にもたくさんのものが返せるし、いつか弟のエリオスが爵位を継いだときには「貧乏な」という修飾語の付かないリトハルト侯爵家になれるはずだ。
(私たちは、頑張っているよ)
王都の屋敷にいるだろう母や弟妹たち、そして領地にいるだろう父や領民の皆に、声にはならない叫びを届ける。
今日は曇り空のわりに空気は澄んでいるから、きっと遠いところまでテレーゼの思いは届くだろう。
よし、と一息ついて自室に戻ろうと振り返ったテレーゼだが、ふと前方の廊下を横切っていくポニーテールを目にして動きを止めた。
(あれは……コーデリア様ね)
この距離で、ポニーテールの色と形だけで相手を判断できるまでになるとは、我ながらコーデリアに関して敏感になったものである。
コーデリアはテレーゼに気付いていないようで、ひらひらした髪はすぐに廊下を曲がって見えなくなった。
別に、彼女を追いかける必要はない。
ないのだが――
(そっち、私の部屋の方向なのよね……)
他にも一応道はあるが、遠回りになるしあまり明かりの多くない場所を通るかもしれないので、夜間に城仕えの女性が通っても安全だとされる道は限られている。
(まあ、今回は何か叱られることをした覚えはないし……通りかがっただけだものね、うん)
気を取り直し、テレーゼは歩き出した。途中、警備らしい騎士にすれ違ったらお辞儀をし、荷運びをしている使用人がいたら労いの言葉を掛ける。
「おや、あなたはテレーゼ・リトハルト様ですね。お久しぶりです」
途中、一人の騎士に呼び止められてテレーゼは振り返った。
廊下に立っているのは、まだ若そうな近衛騎士だった。男性にしては長めの赤毛を結っており、緑色の目は少し眠そうにとろんとしている。見たところ、テレーゼより一つか二つほど年下といったところだろうか。
(……お久しぶり?)
「あの……どちら様でしょうか?」
「ああ、そういえばちゃんと自己紹介しないままでしたね」
彼はふっと笑うと、一つに結わえていた髪を左肩に添えるように捻った。
「改めまして。アクラウド公国近衛騎士団第二番隊所属、ライナス・マーレイと申します」
「ライナス?……あっ、マーレイって、もしかして――」
「はい。半年前の大公妃選定の際にはお世話になりました」
眠そうな目の少年騎士はそう言って、存在しないスカートの裾を摘んでエアーお辞儀をした。
その様と、クリーム色のドレスを着てぼんやりと立つ少女の姿が重なる。
(そうだわ。大公妃候補の一人だったルクレチア・マーレイ様は、姉君に扮していた弟さんだったのよね)
独特の雰囲気があり、大公妃候補たちの中でも浮いた存在だったルクレチア。その正体は妃候補選定のために偵察をしていた弟のライナスで、テレーゼがバルバ王国派に捕まった際には剣を持って真っ先に切り込んできてくれたのだった。
ルクレチアが男だと知らなかったテレーゼが、いきなり胸がぺたんこになった彼を見て動揺してしてしまったのも、今ではいい思い出だ。
「まあ! お久しぶりです、ライナス様。あのときはお世話になりました」
「いえ、あれが僕の仕事でしたから。テレーゼ様こそ、お元気そうで何よりです」
ライナスは淡々とした口調で答えた。眠そうな目をしているのも語り口が単調なのも、眠いわけでもテレーゼに興味がないからでもなく、きっとそれが彼の通常状態なのだろう。
ライナスは髪を押さえていた手を離し、しげしげとテレーゼを見つめてきた。もともとテレーゼよりも若干背が高かったがここ半年でますます成長したようで、高みからテレーゼを見下ろす形になっていた。骨格も男らしくなってきているようなので、今ではもう女装することは難しそうだ。
「それにしても、こんな時間までまた城内を徘徊していたのですか?」
「ええっと、まあ……リィナとおしゃべりをしていて」
「なるほど。でも、だからといってあんまりお一人でフラフラしない方がいいですよ。お帰りになるのでしたら……ああ、ジェイド様。お疲れ様です」
テレーゼの背後を見やったライナスが言ったので、テレーゼははっとして振り返った。
はたしてそこには、片手を挙げてライナスの挨拶に応えるジェイドの姿があった。仕事終わりだからか、いつも腰に下げている長剣の代わりに短めの剣を装備していた。
「ジェイド! お仕事お疲れ様!」
「テレーゼ様こそ、お疲れ様です。……ライナスと立ち話ですか?」
「ええ。あの事件以来ちゃんとお話ができていなかったから、ちょうどいい機会だったし」
「ああ、そういえばそうですね。……とはいえ、そろそろあなたも部屋に戻るべきでしょうね。よろしければ私が途中までご一緒しますよ」
「あ、それ僕もジェイド様にお願いしようと思っていたのです。僕は夜勤なんですが、ジェイド様は今お暇でしたよね? お願いします」
腰から下げた剣の柄をポンポンと叩き、ライナスも付け加える。ジェイドとライナスだとそこそこ年の差がありそうだが、ジェイドに対してもわりと気さくな態度で接するライナスは、かなりの大物なのかもしれない。
(……そうね。こうして立ち話している間にコーデリア様は通り過ぎているだろうし、女子用宿舎に行くまでならジェイドと一緒に歩いてもおかしくないわよね?)
少し考えた後、テレーゼはちょこんとお辞儀をした。
「よろしければお願いします、ジェイド」
「ええ、喜んで。……ライナス、夜勤ご苦労。無理はせずに務めるように」
「かしこまりました」
ライナスはジェイドに向かって頭を下げ、続いてテレーゼを見ると、「あまりフラフラしないでくださいね」とどこか据わった目で注意してきた。ごもっともなので、テレーゼは一切文句を言わず丁寧にお辞儀を返しておいた。
ライナスはテレーゼより二つほど年下だと聞いた覚えがあるが、眠そうな顔つきのわりにしっかりしているようだ。
仕事とはいえ、半年前に黒歴史を生み出してしまったライナス君




