令嬢、妹の淹れた茶を飲む
翌日。
女官見習たちは普通、朝食の後で講義があるのだが、今回は女官長からのお達しがあるため午前中の講義は全て休講となった。
「私たちはまず、専属女官には選ばれないけどね」
「でも、婚約記念式典当日の仕事割り振りも今日発表されるんでしょう?」
「そうそう。会場係なのか、受付なのか、接待なのか。よほどのことがない限り、何かを任されるそうね」
隣で身だしなみを整えながら仲間たちがおしゃべりしている間、テレーゼは黙って鏡に映る自分の姿を見つめていた。
ふわふわの髪を左右の肩で束ねるリボンの位置は、ばっちり。
ドレスにはシミも皺もなく、エプロンの紐も曲がっていない。
(私が臨時専属に選ばれることは、あり得ない。……そう、あり得ないのよ)
むしろ、そんなことがあってはならない。
リズベスたちは「どこに配属されるかな?」「お酒臭い酔客の相手は嫌よねぇ」と気軽な様子でおしゃべりをしている。
それは、「自分は絶対専属にはならない」というある種の自信があるからできることだろう。
(私だって同じ。同じ、はずなのに……)
リズベスたちは男爵家、もしくは子爵家の娘たち。
対するテレーゼは彼女らと同じ職に就き、一緒に勉強し、時には遊びに行く仲であるものの、侯爵令嬢であり、次期大公妃の姉。
なぜか今は、彼女らとの距離が少しだけ遠いと感じられた。
身仕度を調えると、テレーゼたちは大広間に向かった。
普段女官長から呼び出しを受ける際の集合場所は女官長の執務室なのだが、今回は百名以上の女官が集結する。そのため、大広間を借りて役割発表を行うことになったのだという。
大広間には既に大勢の女官たちが集まっていた。顔だけだと彼女らの階級を判断できないので、チョーカーの色を確認するのが一番手っ取り早い。
(白は私たち見習。コーデリア様たちが赤で、それ以降は順に黄、青、紫と続いているのよね)
赤いチョーカーの下級女官には日頃から世話になっているが、中級・上級女官とは滅多に顔を合わせることもない。あちこちに使い走りさせられる見習や下級女官と違って、黄色チョーカー以上の女官たちは専ら城内で仕事をするので、そもそもの行動範囲が異なるのだ。
ざっと見たところ、テレーゼたち十代後半は白か赤チョーカー、二十代くらいは黄色チョーカーで三十代になってやっと青チョーカーに到達できるくらいのようだ。女官長は確か三十代だったと思うが、若くとも最高位の黒チョーカーを身につけるだけの才覚に溢れているということだろう。
「テレーゼ、私たちはこっちよ」
人間観察していたテレーゼはリズベスに小声で呼ばれ、女官たちの最後尾に並んだ。途中、テレーゼの方をちらっと見る者たちの視線を否応なく感じる。「テレーゼ」と聞いて、その身分を知ったのだろう。
(気まずい……でも、今の私は下っ端中の下っ端! 先輩には敬意を!)
ふんっと気合いを入れ、視線があった相手にはお辞儀を返す。するとたいていの者はわずかに首を傾げるなり頷くなりして応え、そのまま前を向いてくれた。
(お母様直筆『お城で生き抜くためのメソッド集・極』より、『自分の立場を忘れるな! 敬意を払うべき時はマナーに則って礼儀を尽くせ』のとおりだわ! よし、平常心平常心!)
「皆、集まりましたか」
やがて女官長が入ってきたので、順に集合確認を行う。
ちなみにテレーゼたちは今年の第一期で、この前の夏に二期が入ってきている。二期の者たちはまだ実地訓練もしていないため今回の会で仕事を割り振られることはない。よって彼女らは、見学のために集まっているようだ。
全員の点呼を終えると、壇上の女官長は頷いて声を張り上げた。
「それではこれより、大公閣下ならびにリィナ・リトハルト様の婚約記念式典における役割分担の発表を行います。この分担は大公閣下とリィナ様のご意見をもとにわたくしが立案いたしました。どのような結果になろうと、己の職務に忠実であることです」
ごくり、と唾を呑んだのは誰だろうか。
緊張のあまり、カクカク体が震えている者もいるようだ。
テレーゼは手袋の手のひら側の布を摘んで、少し中に空間を作った。
「専属になるはずがない」と思っているというのに心臓は高鳴っているし、手汗が酷い。
女官長は緊張の面持ちの女官たちを見渡し、腕に抱えていた用箋挟みを手に取り、表紙を一枚捲った。
「ではまず、式典中にリィナ様の臨時専属女官となる者から――」
今夜は、曇り空だった。
「どうぞ、お姉様」
「ありがとう、リィナ」
リィナが差し出したカップを受け取り、テレーゼは顔を上げた。
ここは、公城一階の隅にあるサンルーム。ガラスで四面を囲まれているので、見上げると鉛色の夜空を仰ぐことができた。このガラスの天井に落ち葉が積もったり泥が付いたりするだろうから、掃除する人はたいへんそうだ。
仕事と夕食を終えたテレーゼは、リィナに会いに来た。事前予約をしていなかったので門前払いされる覚悟だったが、大公もリィナも許可をくれた。だがどうやらリィナの部屋は現在少々散らかっているようで、よくリィナが大公と一緒にお茶の時間を過ごすというサンルームで話をしようということになったのだった。
ガラスの壁には、瀟洒なテーブルを挟んで座るテレーゼとリィナの姿が映っている。見た目も性格もかなり違う二人だが、リトハルト侯爵家の証である家紋を、テレーゼは胸のブローチに、リィナはペンダントトップに刻んでいる。
「たまには姉妹で語り合いたいから」ということでリィナは侍女たちを少し遠ざけ、手ずから茶を淹れてくれた。もちろん最初はテレーゼがすると申し出たのだが、「わたくしも少しは器用になったのですよ」と主張するのでお願いすることにしたのだ。
「いかがですか、お姉様」
「…………うん、おいしいよ」
「正直にお願いします、お姉様」
「すごく渋い」
「ありがとうございます。……まだまだですね」
「う、うーん……でも大公妃候補だった頃、一度だけ淹れてくれたことがあったよね? あのときよりはずっと上達したと思う」
大公妃候補だったテレーゼと、その教育係だったリィナ。
当時のリィナの立ち位置は付添人という令嬢のお友だちのようなものだったので、彼女が茶を淹れたりメイクをしたりする必要はない。だが、「リィナの淹れるお茶を飲んでみたいなぁ」と、試しにお願いしてみたことがある。
テレーゼが紅茶を飲んでまずさのあまり噴き出したのは、後にも先にもあのときだけだろう。リィナは真っ青になって詫びるし、テレーゼは自分でお願いしておきながら噴き出したことが申し訳ないしで、ジェイドが間に入ってくれなければあのまま謝罪合戦になっていただろう。
「それならよかったです。……実はですね、ちょっと前にレオン様が私の淹れたお茶を飲みたいとおっしゃったことがありまして」
「う、うん」
「お姉様に淹れて差し上げたことを思い出したので、わたくしはきちんとお断り申し上げました。でも、それでもいいからとおっしゃるので淹れたのですが……」
「淹れたのですが?」
「ゴフッとガフッの間のような音を立ててむせてらっしゃいました」
「あぁー……」
「それからはちゃんと練習したのです。……少なくとも吐き出されるような代物ではなくなったようで、一安心です。もっと精進しますね」
「……そう、だね」
とりあえず相づちは打ったがあの大公なら、「リィナが淹れました」「リィナが作りました」と言えば何でも喜んで口にしそうなのが心配ではある。
リィナが淹れた茶を二人で協力して飲み干した後、今度はテレーゼが淹れ直すことになった。
(こ、高価な茶葉なんだから、大事に使わないと!)
大公の愛する婚約者であるリィナならともかく、自分はいち女官に過ぎない。
目を皿のようにして茶葉の量を調節し、沸かした湯をポットに注ぐときには息を止め、ひっくり返した砂時計の粒がベストタイミングを刻んだ瞬間、ポットから茶葉を揚げる。
そうして淹れた茶は――
「お、おいしい……!」
「よかった! あの、おかわりあるからね」
「ありがとうございます、お姉様。おかわりお願いします」
リィナはにっこり微笑んでおかわりの茶を飲んだ後、ふと真剣な表情になった。
器用な姉と、不器用な妹




