令嬢、芋を剥く
テレーゼの手の中で、くるりくるりと小さな惑星が回転する。
くるりくるり。
回転するにつれ、惑星からぼこぼこした皮が剥がれ、つるりとした黄色い地殻が顕わになっていく。全ての皮を剥がされた黄色い星はテレーゼの手により、ちゃぷん、と音を立てて水底に沈む。
その星の名は、芋。
アクラウド公国の農村地帯で収穫された、丸々と肥えたおいしそうな芋である。
「ほんとほんと。最初は、見習といえどまさか女官様に下ごしらえを手伝ってもらうなんて、恐れ多いと思っていたが……」
「いやはや、なんともすばらしい芋の剥き具合! 可食部分ぎりぎりに包丁を入れ、皮を剥く技能!」
「それだけでなく、作業も早いとなったら言うことなしじゃないか!」
「アクラウド公国の明日は明るいねぇ!」
「ありがとうございます!」
芋の皮を剥くだけでアクラウド公国の未来に光が差すとは思えないのだが、包丁と芋片手に振り返ったテレーゼはとりあえず、元気よくお礼を言っておいた。
本日半日の休暇をもらっているテレーゼは、公城の厨房――の脇に隣接している小部屋にお邪魔していた。
今までは半日休暇をもらったならば、バザーに行ったり城下町の屋敷で暮らしている家族に会いに行ったりリズベスたちと町をぶらついたりしていたのだが、今のテレーゼはまだ「職務以外での外出禁止」を食らっている。
ということで、休日でもテレーゼの移動範囲は公城内に限られてしまうため、せっかくだからと大公妃候補時代のように城内を探検したり、使用人たちの仕事の手伝いをしたりしていた。
料理人たちが一日中忙しく走り回る厨房と違い、「下ごしらえ部屋」と呼ばれるここは人の動きは少なめで、比較的平和だった。ただ、やるべきことはとにかく多い。
床に座り込んでひたすら芋の皮を剥くテレーゼの背後では下ごしらえが係たちがのほほんと会話をしているが、話しながらも彼らの手は凄まじい速度で野菜の皮を剥き、鶏肉の筋を取り、魚を三枚に下ろしている。料理に慣れているテレーゼだが、彼らの神速には敵いそうもない。
ちなみに大公妃候補時代に知ったのだが、城の厨房は一つではなかった。今テレーゼがお邪魔しているのは、自分たち女官やジェイドたち騎士、官僚やそのほか大勢の使用人など、いわゆる「城仕え」の者たちの食事を提供するための厨房だった。大公やリィナなどの食事を提供するための厨房は別の場所にあるらしく、そちらは当然のことながら部外者立ち入り禁止だった。
(私も家族のご飯を作ったり領地での炊き出しに参加したりはしたけれど、ここまで忙しくも量が多くもなかったわね……)
テレーゼにできる限り早く、そして怪我をしないよう細心の注意を払った上で芋の芽を取り、皮を剥き、水に浸していく。既に結構な量の黄色い星が水底に転がっており、隣に据えたバケツには螺旋を描く茶色い皮がかなり積もっている。
それでも、テレーゼの脇にある籠にはいまだに山ほどの芋が盛られている。剥いても剥いても、数が減っているようには思われない。むしろ、途中で誰かがテレーゼにばれないよう、芋をチャージしているのではないかとさえ思われてくる。
(下ごしらえ係の人たちは、私たちのご飯のために毎日毎日、この作業を繰り返しているのね)
普段、何気なく食べている料理。
テレーゼたちの口に運ばれる前に、食材を作る者がおり、それを城まで持ってくる者がおり、下ごしらえをする者がおり、調理する者がいる。そんな過程なんて知りもしないし、気にも留めない人も多いだろう。
(毎日おいしいご飯を食べられることに、感謝しないとね)
テレーゼが下ごしらえを手伝うと申し出たとき、最初は困った顔をされた。だが、「感謝したいから」と告げると皆は戸惑いつつも、テレーゼの手伝いを受け入れてくれるようになった。
最初は「テレーゼ様」と呼ばれていたのが、すぐに「テレーゼさん」になり、翌日には「お嬢ちゃん」と親しく呼ばれるようになった。そんな変化が、テレーゼは嬉しかった。
「いつもすまないなぁ、お嬢ちゃん。おかげで助かったよ」
包丁を握っていたため疲れた手をぶらぶらさせていると、ぬっと大きな影が頭上から降ってきた。
顔を上げると、白いエプロンを身につけた中年男性――下ごしらえ係の責任者がテレーゼの手元を覗き込んでいた。
「そろそろ手が疲れただろうし、お嬢ちゃんは片づけと掃除を頼む」
「確かにちょっと疲れたけれど……まだお芋がたくさん残っているわ」
「俺たちでするから気にすんな。……にしても、まさかリィナ様の姉君が芋の皮剥きをするとはなぁ……」
しみじみと呟かれた言葉に、ほんのちょっとだけテレーゼの胸がちくっと痛んだ。
だがあえてそれは表情に出さず、テレーゼは立ち上がってうーん、と大きく伸びをした。
「そう? でも、リィナも大公閣下も許してくださるんだから、いいんじゃない?」
「はは、そりゃあまあな。……ああ、そういえばリィナ様といえば」
ふと責任者が考え込むような眼差しになったので、凝り固まった体の筋肉をほぐすためにストレッチをしていたテレーゼは首を傾げた。
「リィナがどうかしたの?」
「教えるから、大股開きのままこっちを見ないでくれ。なんか見ている俺の方が恥ずかしくなってくる」
「あら、ごめんあそばせ。……それで、リィナが何て?」
「厨房のやつが専用厨房のやつから聞いた話だから、又聞き情報になっちまうんだがな。最近、リィナ様の食があまり進まれないそうなんだ」
先ほどまでテレーゼが座っていた場所に腰を下ろし、テレーゼが残していた芋を凄まじい速度で剥きながら彼は呟いた。
専用厨房とは例の、大公やリィナなどより高貴な身分の者たちの食事を饗するための特別な厨房だ。こちらの厨房と専用厨房でも、情報の交換は行われるようだが――
(……リィナが、ご飯を食べていない?)
「……それって、体の調子がよくないとか……?」
自分が剥いた芋入りのボウルを移動させながら、にわかに心配になってきたテレーゼが尋ねると、男はすぐに首を横に振った。
「ご病気とかではないそうだし、まったく召し上がらないわけでもない。リィナ様はお一人で食事をなさるのがお好きではないようなので、普段から侍女や女官、お時間の空いたときには大公閣下も一緒に召し上がるそうなのだが……簡単に言うと、食事にそこまで乗り気でらっしゃらないそうなんだ」
「好き嫌い……はあまりしそうにないわよね」
「そのようだな。大公閣下も心配なので好物などを尋ねられているそうなんだが、『特にない』の一点張りらしく。普段のご様子はよろしいようだしティータイムなどは楽しまれているようなんだが、食事の時だけ少しだけご様子が違うようなんだ」
どうしたものかな、と難しい顔をしながらも、彼の手は休むことなく芋の皮を剥き、水に浸し、芋の皮を剥き、浸し、を繰り返している。ちゃんと目視で包丁の位置やボウルの位置を確認しないと芋を取り落としたり包丁で指を切ったりしてしまいそうなテレーゼと違い、彼はよそ見をしながらでも考え事をしながらでも、確実に仕事をこなせるようだ。
(それにしても、さっきの話――)
ボウルの移動を終えたテレーゼは掃除道具箱からモップを取り出し、床を磨きながら考える。
リィナが、食事に対してあまり乗り気でないという。食べ物の好き嫌いがあるわけでもなかったと思うし、お茶の時間やその他の時には元気そうということなら、体調面での問題があるわけでもないのだろう。だいたい、病気であれば即刻大公が医者を呼ぶはずだ。
(でも、この前の食事会では楽しそうに――あれ?)
ふと、テレーゼは掃除をする手を止めて瞬きをする。
以前、リトハルト家の家族と大公を交えて食事会が開かれた。最初は皆どことなく緊張していたり距離を掴みかねたりしていたが、最後には和やかに会を終えることができた。
(でも、食事会を終えて――お父様たちをお見送りした後、確か私はリィナに、ご飯がおいしくてお腹いっぱいになれたね、って声を掛けたわ)
その時のリィナは、少し言葉の切れが悪かった。
何か思うことでもあったのだろうかとテレーゼも気にしていたではないか。
「……お嬢ちゃん? 立ったまま寝ているのか?」
「しかも目を開けたままなんて、女官は器用だなぁ」
「え?……あ、ごめんなさい。ちょっと考え事をしていたの」
モップを持ったまま動きを止めていたからか、周りで作業をしていた者たちに心配されて声を掛けられてしまった。
いそいそとモップで床を磨きつつ、テレーゼは頭も回転させる。
リィナは最近、あまり食事に乗り気でない。しかし、食べないわけではない。
大公に好物を聞かれても、「特にない」と答える。
食事以外の様子は良好で、お茶会などは普通に過ごしている。病気の可能性も低い。
そして、「おいしくてお腹いっぱいになれたね」というテレーゼの言葉に対し、口ごもっていた。
(……もしかして)
テレーゼは顔を上げ、壁に貼られていた「今日のメニュー」の紙を見つめる。そして、相変わらず凄まじい速度で芋の皮を剥いていた責任者の名を呼んだ。
「あの、もしかしたらなんだけど――」




