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大公妃候補だけど、堅実に行こうと思います  作者: 瀬尾優梨
書籍版続編

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令嬢、若夫婦をサポートする

「おかあさま、おそと、あめがふってるよ」

「しとしと、しとしと。おそとであそべないなぁ」


 王都にあるリトハルト家の屋敷。

 最近は最低限の手入れができるようになった中庭に面した窓辺に金髪の少女たちが並んで、雨の降る窓の外を見やっている。


「あっ、おかあさま。あそこ、ばしゃがたくさん」

「みんな、どこかにいくの?」

「馬車?……ああ、そういえば今日、どこかのホールでチャリティー観劇が開かれるのだったかしら」


 揺り椅子に腰掛けて編み物をしながら双子の言葉を聞いていたリトハルト侯爵夫人は顔を上げ、隣にいた侍女に編みかけのマフラーを託して窓辺に向かった。

 ちなみにこのマフラーは色と長さが異なるものを五つ――子どもの数だけ作る予定だ。


「ちゃりてー?」

「簡単に言うと、お金があまりない芸術家のお仕事を助けるために、貴族がお金の支援をする活動ですよ。お芝居を見に行ったり音楽を聴いたりすることが多いですね」

「おしばい! いいな!」

「おうた! ききたい!……あ、でもね、ルイーズたちへいきだよ」

「うん、おかあさまがよんでくださるえほんと、テレーゼおねえさまのフルートがあるんだもの!」

「……ありがとう、マリー、ルイーズ。……でもあなたたちにもいつか、チャリティー活動の趣旨をしっかり理解した上で参加できるようにさせたいものです」


 きゃっきゃと無邪気に抱きついてきた双子をそれぞれ片腕で抱きしめながら、夫人は目を細めて細い銀糸のような雨を見やっていた。













 今日は、朝からしとしとと雨が降っていた。

 この時期の雨は少し肌寒く、いつものドレスの上にカーディガンを羽織ることにした。

 これからだんだん寒い季節に近づいていく。女官の仕事をする際の冬の装いなど、再確認した方がよさそうだ。


「本日は、観劇に参加されるバノン子爵夫妻のお手伝いをいたします」


 銀色の細い雨が降る中、先輩女官がテレーゼに告げた。

 今日の実地訓練でペアを組むことになったのは、今まで組んだことのない先輩だった。今まで彼女と組んだことのあるリズベスたち曰く、「コーデリア様ほどではないけれど、かなり気が強くて物言いが厳しい。ただ、言っていることは先輩たちの中ではまともな方」とのことだ。


 城仕えの女官の仕事はたいてい公城内でまとまるが、今日のように城を離れる場合もある。観劇に参加する場合はたいてい相手の貴族の使用人たちも参加するのだが、何か特殊な事情がある場合や女官に頼みたいことなどがある場合は、城から女官を派遣することになるのだ。


 とはいえ使い走りのような役割なので、こういう仕事を任されるのはコーデリアたち下級女官か、テレーゼたち新人だ。城内外問わずいろいろな場所でいろいろな人のもとで仕事をし、その積み重ねによって中級女官になった際には城に常駐して仕事をすることになるそうだ。


 つまり、外回りは下っ端の下積みとしても重視されているのである。

 日々の仕事における積み重ねが、昇格のための礎になる。


「わたくしたちはこれから会場に先行し、子爵夫妻をお迎えします。わたくしたちは公演中、基本的には夫妻の側で一緒に観劇します。半ば頃でいったん席を外し、子爵家の使用人と共に『施し』やカードの整理を行う予定です」


 先輩の言葉を一言一句聞き漏らさないよう集中していたテレーゼは、「施し」の単語に一つ瞬きした。


(てっきり有名劇団の公演だと思ってたけど……チャリティーだったのね)


 アクラウド公国の貴族はチャリティー活動の一環として、アマチュアの劇団や楽団の公演会に参加する。万年金欠、最近になってやっとまともに金を貯められるようになった段階のリトハルト侯爵家にとっては無縁だったが、貴族夫人の大切な仕事の一つなのだという。


 チャリティー活動における貴族の一番のつとめは、劇団や楽団におひねり――俗に言う「施し」を与えること。相手は平民、それもアマチュアなので、パフォーマンスの出来に期待はしていない。

 それより、「わたくしは貧しい民に理解を示しています」「わたくしの家は裕福なので、こんなにたくさんの『施し』ができます」というのを周りにアピールするというのが、チャリティー活動に参加する一番の意義――と豪語する貴族も少なくないそうだ。


(つまり、お金で評判を買おうってことなのよね……)


 貴族でありながら感覚は九割庶民であるテレーゼにとっては、両方の気持ちが分かるからこそ、ちょっとだけ複雑な気持ちになってしまう。


(でも、今日は仕事で行くんだもの。ちゃんと先輩の補助をしないとね)













 公演の会場は、城下町のはずれにある小さめのホールだった。


「……はぁ、なんてぼろい建物なの」


 先輩女官が小さな声で毒づいたのを、テレーゼの耳はちゃんと拾っていた。

 先輩と一緒に馬車から降りたテレーゼは雨除けに被っていた上着のフードをずらし、ホールを見上げた。なるほど確かに、先輩が「ぼろい」と愚痴りたくなる気持ちも分からなくない、なかなか年代を感じさせるアンティークな建物だ。


 さすがに貴族のチャリティー活動の会場として使うからか、正面玄関は花で飾られているし、きれいに掃除もされているようだ。小雨の中で貴族たちが濡れたり足を滑らせたりしないよう、彼らの通る道には絨毯が敷かれ、その両脇を傘を掲げた人たちが固めて道を作っている。当然、傘を持つ彼らの上着はしっとり濡れていた。


「こちらに来なさい。バノン子爵夫妻がお見えです」


 先輩に促され、テレーゼはちょうど馬車止めの前に停車した馬車の方に向かった。馬車の車体には子爵家の家紋らしいレリーフが刻まれており、窓にはかわいらしいフリルたっぷりのカーテンが掛かっている。年配の夫人の趣味にしては可憐すぎるような。


(……あれっ、もしかして子爵夫人って――)


 馬車のドアが開いた。

 同時に先輩がお辞儀をしたので、テレーゼも遅れないよう彼女とタイミングを合わせて膝を折る。


「ようこそお越しくださいました、バノン子爵夫妻。わたくしは四等女官のシャノンでございます。こちらは見習女官のテレーゼ。本日はよろしくお願いいたします」

「ああ、よろしく頼みます。さあ、顔を上げてください」


 頭上から聞こえてきたのは、男性の声――それも、かなり若そうだ。

 先輩と揃って体を起こしたテレーゼの正面には、若い男女の姿があった。金髪の男性がブルネットの髪の女性の腰を支えて馬車から降り、使用人が掲げる傘の下で爽やかに微笑んだ。


「僕はセドリック・バノン。こちらは妻のマチルダだ。実は僕は先日父から爵位を継いだばかりで、当主としてチャリティー活動に参加するのも初めてなのだ。だから、君たちの力を借りることになるけれど、よろしく頼むよ」

「はい、お任せくださいませ」


 先輩が胸を張って答える傍ら、テレーゼは少しばかり緊張していた。


(バノン子爵というからてっきり高齢の夫妻だと思っていたけれど、息子さんだったのね。若くて、しかも爵位を継いだばかり。チャリティー活動にも初参加だったのね……)


 先輩主導のもと、夫妻を会場に案内しながらテレーゼは講義で教わった内容を思い出す。


(チャリティー活動は、貴族同士の交流の場でもあるわ。ということは、夫妻は初参加のチャリティー活動で交流の場を広げるよう努力されるはず)


 この道何十年、チャリティー活動に参加した回数は両手両足の指で数えても足りないくらい、というベテラン貴族であれば、問題ないだろう。

 会場に行けば知り合いがおり、「施し」の相場も分かっているので手間取ることもない。またカードを贈る相手や受け取る相手もほぼ決まっているので、相手方の連れてきた使用人と相談しながら整理すればすぐに終わるのだ。


 だが、バノン夫妻は初心者だ。見たところ子爵はテレーゼより五つほど年上、夫人はテレーゼとほぼ年が変わらないように思われる。ということは結婚して間もないだろうし、交友関係が広いとも限らない。


 先輩が今後の予定などを子爵と話している間、彼の隣を歩く夫人はずっと黙っていた。心なしか、その顔色が悪いように思われる。


(……お仕えする人が快適に過ごせるよう、お助けすること。うん、大丈夫)


 女官の心得を心の中で復唱し、テレーゼは大きく息を吸ってから夫人に声を掛けた。


「マチルダ様。本日はたいへん冷えますが、お体は大丈夫ですか? お寒いようであれば、膝掛けなどをお持ちいたします」


 そう問いながら、視界の端に先輩の姿を入れ、反応を伺う。

 先輩はほんの少し眉を動かしたが、小さく頷いてきた。「夫人への気遣い、可」ということだろう。テレーゼが何か自発的に行動すればすぐに噛みついてくるコーデリアとは違うようで、ひとまず安心した。


 夫人はテレーゼを見ると、少し照れたように微笑んだ。


「お気遣いありがとうございます。……ドレスの下に着こんでいるので寒さは大丈夫なのですが……少し、緊張してしまって」

「僕たちは先月結婚したばかりで、夜会などに参加した回数も多くない。特にマチルダは男爵家出身で、パーティーへの参加自体に慣れていないんだ」


 振り返った子爵もそう言い、気遣わしげに妻の顔を覗き込んだ。


「……辛いようなら僕だけ参加するから、マチルダは休んでいいよ。チャリティーより何より、君の体が大切だからね」

「ありがとうございます、あなた。でも大丈夫です。ちゃんと妻としての役目を果たします」

「……そうか。ありがとう、でも無理だけはしないでくれ」


 そう言って手を握り合う夫婦。

 周りに他の客の姿はなく、いるのは廊下に佇む会場案内係と子爵家の使用人、そしてテレーゼたちだけだ。


(……ああ、素敵な夫婦だわ!)


 見ていると自然と頬が温かくなってきて、テレーゼはそっと自分の頬を両手で押さえた。


 ふと、夫妻を挟んで反対側にいる先輩の方を伺い見ると、ふいっと視線を逸らされた。

 だが髪の隙間から見える耳が赤いので、互いを思いやる夫婦の姿に彼女も照れているのかもしれない。

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